2013年2 月26日 (火曜日)
斉藤貞雄は顔が端正で優しい男であった。
俳優の誰かに似ていた。
徳子が「取手の佐田啓二だね」と言った。
身長は178㎝、長身であった。
「みどり、貞雄さんに惚れてもいいけど、棄てられないようにしな」
徳子はみどりに忠告した。
「酒は人を狂わせるのね」みどりは貞雄のアパートに泊った日に弁解するように言った。
その日、みどりは居酒屋へ誘われて、貞雄に勧められるままに日本酒を飲む。
飲んだのは取手地元の地酒「君萬代 」であった。
「俺、土浦へ行くんだ。みどりさんに惚れたんだ。俺に着いてくるかい」貞雄はみどりに決断を迫った。
恋の経験がないみどりは、「これが恋なの」と貞雄に問いかけた。
「みどりさんが、銀次さんの米屋から突然、居なくなって探し回った。何故、あんなに必死になったみどりさんを深川中の街を探し回ったのか、自分でも変だな思ったんだ」
貞雄の言葉がみどりの心を根底から揺さぶった。
東京・深川での17歳のあの忌まわしい日が、蘇った。
育ての親だった銀次じいさんの甥から強姦された日のことを、みどりは頭から払い去りたかった。
貞雄に助けを求めようとしたが、口に手拭いを押し込まれ、声がまったく出せなかった。
貞雄は2階の部屋で寝ていた。
みどりの部屋は1階であった。
あのような忌わしいことがなければ、銀二じいさんの故郷の取手にも来ることはなかったとみどりは思った。
人の運命は本当に分からないものだ。
また、取手に来なければ、取手育ちの貞雄と再会もしなかったどろう。
「これは、恋なのだ」みどりは貞雄に身を委ねた。
そしてみどりは、夫と子ども2人を置いて貞雄に着いて行く。
言わば恋の逃避行であった。
2013年2 月24日 (日曜日)
創作欄 徳山家の悲劇 34)
蛍の季節、東京・深川育ちのみどりは、取手の蛍に感嘆した。
青田が何処までも広がる井野地区から青柳地区。
22歳で結婚したみどりと佐吉は手をつないで井野地区の田圃道を散策していた。
月の光が明るく、畦道に二人の姿がクッキリと影を落としていた。
「月がとっても青いから、遠周りして帰ろ」と菅原都々子の歌った『月がとっても青いから』(昭和30年)を佐吉が歌った。
みどりはロマンチックな気分となった。
「佐吉さんは歌が上手いのね」とみどりが言う。
「みどりも歌ってごらん」と促し佐吉は再び歌った。
月がとっても青いから
遠回りして帰ろう
あの鈴懸の並木路は
想い出の小径よ
腕をやさしく組み合って
二人っきりで サ帰ろう
みどりは蛍を両手で包むよにとらえた。
「蛍が光るので温かいと思ったら、蛍は温かくないのね。不思議ね」みどりは両手の間から蛍を覗きみた。
佐吉は蛍の季節に2人の息子を連れてあの日のように田圃の畦道を歩いていた。
みどりは男と駆け落ちしたのに、「戻ってきてくれないか」と佐吉は月を仰ぎ見て願った。
みどりを憎んだり恨んだりする気持ちが希薄になっていた。
月の雫に濡れながら
遠回りして帰ろう
ふと行きずりに知り合った
想い出のこの径
夢をいとしく抱きしめて
二人っきりで サ帰ろう
佐吉は『月がとっても青いから』を歌った。
2人の息子たちは、畦道を蛍を追いながら駆け出した。
佐吉はみどりが好んで歌っていた『津軽のふるさと』や『未練ごころ』を口ずさんでみた。
みどりは『津軽のふるさと』を歌うと銀次じいさんを思い出したのだ。
2人が結婚した昭和37年に、こまどり姉妹の未練ごころが発売された。
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<参考>
ホタルの発光物質はルシフェリンと呼ばれ、ルシフェラーゼという酵素とATPがはたらくことで発光する。
発光は表皮近くの発光層でおこなわれ、発光層の下には光を反射する反射層もある。
ホタルに限らず、生物の発光は電気による光源と比較すると効率が非常に高く、熱をほとんど出さない。このため「冷光」とよばれる。
http://www.youtube.com/watch?v=teLiB68iA_s
2013年2 月24日 (日曜日)
創作欄 徳山家の悲劇 33)
子どものことで悩む。
親にとって、非常に辛いことだ。
妻のみどりが2人の息子を置いて突然、居なくなったのだ。
「多少ヤンチャでも健康であればいい」と佐吉は子どもの涙の痕跡がある寝顔を見て思った。
特に下の息子は母親が居なくなったことにショックを受け、食事をしない。
そして夜泣きもした。
2歳なのに赤ちゃんがえりのような状態となる。
服が着られないなど、今まで出来ていたことを出来ないと主張したりする。
情緒がきわめて不安定になり、神経が異常に過敏だった。
さらにはお腹が痛など原因不明の体の不調を訴えたりする。
一方、4歳の長男は自閉症であり、知恵遅れとも思われた。
怒りを弟に向けていじめる。
佐吉の母親は孫のために心労が重なる。
「水商売の女は身勝手なんだよ。息子が2人もおるのに、男をこさえて出ていく。だから、かあちゃんはお前たちの結婚に反対したんだよ」
佐吉はそれを聞きくのが辛いので、居間を出て自室へ隠るようにした。
従姉の徳子から妻のみどりが小料理屋「深川」に客として来ていた斎藤貞雄と駆け落ちしたことを知らされた時は、佐吉は心外な思いがした。
妻のみどりがそのような不貞を働く女とは思いもよらなかったのだ。
「人間には見えない部分があるのだ」と改めて気づかされた。
いずれにして、もみどりが夫を裏切るような不誠実な女には到底思われなかった。
戦災孤児のみどりは可哀想な女と思っていた。
みどりにはどのような過去があったのか?
寡黙なみどりは過去の話をほとんどしなかった。
ただ、育てられた銀次じいさんのことだけを話していた。
14歳の時に銀次じいさんが死んだ時の深い悲しみを語っただけだった。
だから、取手の中学を卒業した斎藤貞雄が、銀次じいさんの米屋で働いていたことはまったく知らなかった。
孤児になったみどりは、その大きな悲しを深く胸にしまい込み寡黙になったと思われる。
2013年2 月21日 (木曜日)
創作欄 徳山家の悲劇 32)
徳子の母親と佐吉の母親が2人の関係に気付き、反対したのにはそれなりの理由があった。
従姉と従弟の結婚では血が濃いので、障害児が生まれることを懸念したのだ。
事実、聾唖者の姉妹が徳山家の親類に居た。
従兄と従妹の関係で結婚した。
「2人も聾唖者が生まれるなんて、おかしい」と身内で問題にした。
ライオンなど動物の群れでもオスは群れ出て行き、交尾の相手となるメスを自ら探しに行く。
それが自然の摂理である。
濃すぎる血は弊害となるのだ。
徳子は佐吉との性交で身ごもってしまった。
「徳子妊娠したんだね。相手は佐吉なんだね。おろせ」と母親は説得した。
「嫌だ!私は絶対産む!」と頑固な性格の徳子は応じない。
怒った母親は乱暴にも2階の階段から徳子を突き落とした。
背後から背中をいきなり押されて、徳子は腹部を強打し両手で身を支えながら階段を転げ落ちた。
徳子はそれで流産してしまった。
「乱暴なことして、本当にすまない。許しておくれ徳子」」
母親は両手を畳についてわびたが、徳子は怒りがおさまらない。
「鬼! 一生怨むからね」
結局、徳子は家を出てアパートの部屋を借りた。
偶然、そのアパートの隣の部屋に住んでいたのがみどりであった。
徳子はみどりと同じ料亭の「滝沢」で働いていた。
みどりは佐吉との関係を断つために、みどりを佐吉に紹介したのだ。
ふたりは昭和15年生まれであり、22歳同士の結婚であった。
佐吉の母親は結婚に反対した。
みどりを性悪女の姪の同類と見なしていたのだ。
「佐吉、みどりという女は徳子と同じ駅前の店の女じゃないか。母ちゃんはこの結婚には反対だね。水商売ではない、普通の娘を嫁にしな」
佐吉はみどりのアパートの部屋に泊って、すでに深い関係になっていた。
みどりは徳子と佐吉の深い関係を知るよしもなかった。
人生は実に皮肉である。
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<参考>
いとこ結婚の場合、医学的には近親婚といいます。
近親婚の場合、遺伝病の子供がうまれる危険性が高くなります。
常染色体劣性遺伝病が問題になるのでこの話をします。
子供が両親から病気になる遺伝子を同時に受け継いで起こる遺伝病を常染色体劣性遺伝病といいます。
いろいろな病気がありますがどれも非常にめずらしいものです。
たとえば4万人に1人の確率で起こるある常染色体劣性遺伝病を考えてみます。
誰でも100人に1人はこの病気の遺伝子をもっていますが、夫婦そろってこの遺伝子をもつ確率は1万分の1で、その夫婦からこの病気の子供が産まれる確率は4万分の1になります。
いとこ結婚の場合は、この病気の遺伝子をもつ確率は一般と同じ100分の1ですが、相手の方が同じ遺伝子をもつ確率は8分の1になり結局この病気の子供が産まれる確率は3,200分の1になります。
1万人に1人の病気がいとこ結婚では1,500人に1人、10万人に1人の病気が5,000人に1人、100万人に1人の病気が1万5,000人に1人位うまれると考えて下さい。
めずらしい遺伝病ほどご両親がいとこ結婚の場合が多いのです。
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人間も動物も近親交配はします。
ただ、野生の動物はそれをできるだけ避けるための工夫があり、仔供が育ったら、母親の縄張りから追い出してしまいます。
ライオンやニホンザルなどは有名ですが、メスの仔供は群れに残りますが、オスの仔供は群れから出て行きます(追い出されます)。
そして、他の群れに加わるとか単独で生活をし、他の群れのボスを倒して初めてその群れのメスと交尾ができます。
こうやって、場所的に離れることにより、兄弟との交わりがないように工夫されています。
また、メスの仔供は若いうちから交尾をし、オスの仔供はボスになってからでないと交尾をしない(出来ない)ようになていて、時間的にも兄弟とは交わらないようになっています。
(それでも確率は0%ではないですが、可能性がこれだけ低ければ大丈夫なのでしょう。)
2013年2 月20日 (水曜日)
創作欄 徳山家の悲劇 31)
徳山徳子には意外な一面があった。
文学少女だったのだ。
戦死した徳子の父親の次郎は農家の次男に生まれ、学業もできたので師範学校へ進学し、旧制中学の国語教師となった。
早熟だった徳子は小学校時代から父親が遺した蔵書に興味をもった。
特に与謝野晶子の歌集「みだれ髪」の表紙に興味を抱いた。
ハートの形の中に女の横顔が描かれ、左上に弓矢が刺さっていた。
それは明治時代としては斬新な絵柄だった。
短歌の内容は理解できなかったが歌人の晶子に興味が湧いた。
島崎藤村の詩集『若菜集』もあった。
そして中学生になった徳子は、藤村が姪との近親姦を告白した小説『新生』を読んでみた。
石川啄木の「歌集」の初恋にも感動した。
だが、徳子は中学を卒業し就職をして文学少女であることも卒業した。
かつぎのおばさんとして働いている母親の労苦の姿を見て育った徳子は高校進学をあきらめた。
ノートに短歌や詩らしきものを書きためていたが、それは少女の単なる感傷に過ぎないと放り出した。
高校生の宮坂寅之助との出会いから、性に目覚めた徳子は奔放な女に変貌を遂げた。
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<参考>
石川啄木の「初恋」
函館の大森浜に腹這い、遠い昔の妻節子との初恋のときを思い出して歌った歌と解釈されています。
遠い昔と言っても、函館時代の啄木は26歳、後に妻となった節子との初恋は14歳のころでした。
初恋の「いたみ」は痛みや傷みではありませんね。
胸が疼くようなせつなさ、その切なさに身を沈める幸せ。
そのいたみを思い出し、今の自分をじっとみつめている啄木の心と姿が目に浮かびます。http://www.youtube.com/watch?v=nyvxo-qpIN0
http://www.youtube.com/watch?v=XwV2pCEgo_U
2013年2 月20日 (水曜日)
創作欄 徳山家の悲劇 30)
徳山徳子は中学2年の時に、取手二高3年生の番長の宮坂寅之助と親しくなった。
徳子は不良少女のレッテルを貼られていた。
同級生を脅して小遣いをせしめたりしていたのだ。
同級生たちが徳子を恐れたのは背後に宮坂寅之助の影があったからだ。
寅之助は身長163㎝、小柄な方であるが、胆力があり頭が切れた。
普通に勉強していたら学年でもトップクラスの成績をおさめていやだろうが、当時の愚連隊の一員になっていた。
学校をさぼり、取手競輪にも行っていた。
そこで東京方面から来ていた愚連隊仲間と親しくなったのだ。
土曜日や日曜日には上野、渋谷、浅草などで遊び回って、違法な賭博も覚えていた。
高校を卒業した寅之助は、ヤクザ組織に加わった。
そして次第に胆力と頭脳で頭角を表していく。
組のシノギはみかじめ1本であったが、寅之助が提案して競輪のノミ屋を始めた。
寅之助は徳山徳子の弟の勝利(かつとし)を組織に引き入れた。
「お前の名前がいいんだよ」と説得したのだ。
寅之助は勝利と徳子が近親相姦の関係であったことは知らなかった。
男好きの徳子は従弟の徳山佐吉と肉体関係をもったばかりではなく、2歳年したの勝利が中学3年の時に肉体関係をもってしまったのだ。
徳子は異常な性癖の持ち主だったのだ。
「勝利、ねいちゃんが、筆おろしてやるよ」
「筆おろし?」勝利は湯あがりの寝間着姿の姉を寝床から見上げた。
勝子が突然、勝利の布団に入ってきたのだ。
性に目覚め自慰で紛らわせていた勝利は思わず姉の体に武者ぶりついた。
寝間着の姉はパンツをはいていなかった。
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筆おろしとは?
男性が初めてのセックスすること。童貞喪失。
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<参考>
戦後の愚連隊は、既存の非公認武力機構を持つ集団である博徒集団(本来は非公認ギャンブル経営組織)や的屋組織(本来は社寺における祭礼の場を中心とした露店経営者の自治・自衛的調整組織)とも対立し、抗争を繰り返した。
昭和30年代以降の暴力団再編の中、これらさまざまな古典的な非公認武力機構を持つ集団は、愚連隊組織を吸収したり融合するとともに多角的な暴力機構の中に組み込まれ、古典的な博徒集団(ヤクザ)や的屋組織から、今日的な暴力団に変質していった。
逆に、的屋組織やその構成露天商の中には、既存の非公認武力機構から離脱して、現代型の暴力団と距離を置くものも出てくるという変化も生じている。
親分と子分の間柄について、ヤクザ組織が親子関係としたら、愚連隊は兄弟関係(子分は親分を「兄貴」と呼ぶ)と言える。
ヤクザにおける舎弟(兄弟分の弟格)が、愚連隊における子分に多くの部分で当てはまり、比較的、主従関係は緩やかであった。
かつての愚連隊は地域の治安を保つために結成された集団でもった。
愚連隊とは不良になるという意味の「ぐれる」と「連帯」の合成語である。
戦後、暴力行為やゆすり、たかりといった不正行為をしていた不良少年の一団。
後にテキヤや博徒と並び、暴力団(ヤクザ)の起源のひとつとなる。
日常会話で繁華街をうろつき、暴力行為や犯罪行為をする不良集団を愚連隊と呼んだ。