「猫50~100匹殺した」 富山の男性

2019年06月06日 23時36分20秒 | 社会・文化・政治・経済

 保護団体にストレス発散と説明

6/6(木) 

県内で飼い猫が何者かに連れ去られる被害が相次いでいる問題で、県内の保護グループなどが4日夜、猫を連れ去った可能性がある富山市の男性宅を訪れ話を聞いたところ、「1年以上前から50~100匹を連れ去って殺した」などと答えていたことが5日分かった。県警は動物愛護法違反などの疑いもあるとみて慎重に調べている。

県内のボランティア団体「しっぽのこころ」(宇多利美代表)によると、5月末までに射水市や富山市、立山町で少なくとも5件以上、連れ去りの情報が寄せられた。いずれの現場でも富山ナンバーの軽乗用車、白の軍手を着けた男1人が目撃されたという。
5月に飼い猫がいなくなった射水市の飼い主や同団体は4日夜、目撃情報などを基に、猫を連れ去った可能性がある富山市内の51歳という男性宅を訪問。「本当のことを話してほしい」と問い詰めたところ、1年以上前から猫を連れ去って殺していたこと、その数が50~100匹に上ることを認めた。

 同団体によると、男性は理由について「独り暮らしで誰とも会話できず、ストレス発散のためにやった」と説明。「苦労して捕まえたのにすぐに死んでしまったら面白くない」と猫を閉じ込めていたとし、死骸は「四方の漁港などに捨てた」と話したという。男性宅を訪ねた飼い主がやりとりを携帯電話で録画した。

 ただ、殺した場所や猫を傷つけた方法に関する話の内容が二転三転しているといい、同団体は「どこまで信じていいのか分からない」と困惑した様子だった。

北日本新聞社


留置場で医師死亡 暴行で告発の警察官は不起訴

2019年06月06日 23時28分18秒 | 社会・文化・政治・経済

 遺体の鑑定書見た法医学者ら申し立て
6/5(水) 読売テレビ
勾留中の医師を暴行し、死亡させたとして、告発された奈良県警の警察官が、不起訴処分になったことを受け、法医学者らが、起訴を求め検察審査会に申し立てた。
検察審査会へ申し立てをしたのは、勾留中に留置場で死亡した男性医師の遺体の鑑定書を調べた法医学者ら。
亡くなった塚本泰彦医師は、9年前、必要のない手術で患者を誤って死亡させたとして逮捕され、その後、留置場で病死したとされている。
しかし、遺体の鑑定書を調べた法医学者が、死亡の原因は「取り調べ時の警察官からの暴行」として、奈良県警を刑事告発。
これに対し、奈良県警は「告発にあたる事実はない」とし、奈良地検が、今年4月、取り調べを行った警察官2人を不起訴処分にした。
遺体の鑑定書を調べた岩手医科大学の出羽厚二教授は「普通の人はこれは、何か殴られたんだろうと考えると思います。まだまだ、隠されているものがある」と話している。
また、遺族は「なぜ、このような外傷ができたのかを明らかにしてほしい」と話している。


特集 警察官が取調室で暴行?法医学者が異例の告発

2019年06月06日 23時10分17秒 | 投稿欄

 密室取調べの実態…「可視化」で変わるか?

6/6(木) カンテレ「報道ランナー」

■留置所で発見された遺体…「右足にアザ」
【岩手医科大学(法医学)・出羽厚二教授】(2019年5月)
「私のような立場で刑事告発するのもおかしいと言えばおかしいので、躊躇するところでした」

法医学者の出羽厚二教授。
この日、自ら刑事告発した事件について、検察官に説明を求めに行きました。

その事件とは…

【岩手医科大学(法医学)・出羽厚二教授】
「これはひどい事例だなと。今の日本でこういうことあるのかと最初は疑問に思った。取り調べていた警察官が足を蹴り上げたんじゃないか」

2010年、手術ミスで患者を死亡させた業務上過失致死の疑いで逮捕された塚本泰彦医師(当時54歳)。

逮捕から19日後、警察署の留置場で遺体となって発見されました。
遺体と面会した遺族は、右足のアザに衝撃を受けたと話します。

【塚本医師の遺族】
「本人亡くなっているよりも、右足見てびっくりしたんですよ。なぜ皮膚がこんなに変色しているんだろうと」

直後に発表された死因は「急性心筋梗塞」。
遺族は、真相を確かめようと奈良地裁に裁判を起こしました。

裁判で、警察は「留置場で座るときに右足を折り曲げて、ドーンという音を立てて座っていた」と説明しました。

【塚本医師の遺族】
「本人があぐらかく習慣もないし。普段からあぐらかいているのだったら、留置前からできているはず」

遺族は、死因究明が専門である出羽教授に鑑定を依頼しました。

■なぜ皮下出血ができたのか…取調室で何が?
2007年、大相撲の時津風部屋で起きた力士暴行死事件。

当初、病死とされていましたが、遺族の依頼で解剖を行い、暴行死であると見抜いたのが出羽教授でした。

【岩手医科大学(法医学)・出羽厚二教授】
「しっかりとした死因究明できていないのに内因性(病気)の死因をつけてしまう社会から早く脱却すべきだと思います」

「一番明らかにすべきことは、塚本さんの足にある皮下出血がなぜできたか。足で蹴るなどの打撲を受けたというのが一番考えやすいと思います」
2016年11月、出羽教授は、初めての刑事告発に踏み切りました(特別公務員暴行陵虐致死傷罪)。

しかし、翌年、奈良県警は「暴行はなかった」として書類送検。

民事裁判では、暴行があったかどうか判断されることなく、遺族の請求は退けられました(確定)。

そして、2019年4月、奈良地検は、取り調べを担当した警察官2人を不起訴処分とし、捜査は終了しました(特別公務員暴行陵虐致死は嫌疑なし、致傷は嫌疑不十分)。

密室の取調室で何があったのか。結局、明らかにされることはありませんでした。

【小坂井久弁護士】

「21世紀になっても、しばらくは大阪では(取調べ中の暴行は)よくあった」

(警察官)==取調べ中の音声==
『おい黙るな。なんか言え。殴るぞ!なめとったらあかんぞ、お前。手を出さんと思ったら大間違いやぞ!』

大阪府警では、2010年に東警察署の警部補(当時)が任意での取り調べ中に暴言をはいていたことが発覚。

翌年には、関空署の巡査部長(当時)が逮捕された外国人男性への取り調べ中に、胸を殴ったり、足を蹴ったりする暴行をしていたことも明らかになりました。

【小坂井久弁護士】
「取調室はまさにブラックボックスで、言葉良くないが、一番法にのっとらねばならない場所が無法地帯だった。可視化してちゃんと透明にしない限り、必ず問題が起こる空間と考えないといけない」

小坂井弁護士も参加した法務省の法制審議会特別部会での激しい議論を経て、2016年に取り調べの録音・録画(可視化)を義務付ける法案が成立。

2019年6月から、殺人事件など裁判員裁判の対象となる事件と検察が独自に捜査する事件(全事件の2~3%)について、逮捕・勾留中の容疑者のすべて(全過程)の取り調べが「可視化」されることになりました。

【小坂井久弁護士】
「自白偏重主義は、可視化を契機にして変わっていく。

『自白させて反省させる』ことまでが捜査機関の役割という思い込みに支配されている。

今日本の刑事司法は大きな変革期にあって、日本固有の(自白偏重の)取り調べというのが、本来の刑事司法にふさわしい取調べに変容していく過程にある」

一方、取り調べの可視化が捜査現場に与える影響について大阪府警の幹部は…

Q:個々の警察官にとって自白とらなければいけないという姿勢は変わってきている?

【大阪府警察本部刑事部・佐竹明理事官】
「当然暴言暴行など不適切な取り調べは絶対あってはならないのが大前提と思います。

一部録音録画(の試行)が始まってから10年くらい経っていますし、慣れてきたという言い方が良いかは分からないが、その時代に合わせた取り調べの在り方について各捜査員の意識改革はしっかりできていると思います」

Q:現在では行き過ぎた取り調べはありえない?
「あってはならない」

Q:ありえない?
「あってはならない。絶対してはいけない。捜査員は分かっていると思います」

■不起訴処分を受け、検察審査会へ申し立て
2019年5月、奈良地検から不起訴処分の連絡を受けた出羽教授は、その理由について説明を求めました。

「(検察官は)暴行があったともいえないし、なかったともいえないと。肝心なところは聞けなかった」

 


ロッテ-阪神戦が警告試合に 死球受けたロッテ・井上が激高 両軍入り乱れる

2019年06月06日 22時56分56秒 | 社会・文化・政治・経済

6/6(木) デイリースポーツ
7回、死球を受けた井上(右)は梅野に詰め寄る
 「交流戦、ロッテ-阪神」(6日、ZOZOマリンスタジアム)

 ロッテ-阪神戦の七回、井上に与えた死球から両軍がマウンド付近に入り乱れ、笠原球審から警告試合が宣告された。

怒りのアジャ マスクに顔を極限まで近づけて猛抗議

 この回、2番手の小野が2死から四球と左翼線二塁打で、2死二、三塁のピンチを招く。ここで4番・井上との対戦。2ボール1ストライクからの4球目。内を狙った直球が、井上の左手首付近に直撃した。

 前夜も阪神・青柳から2死球を受けていた井上。カード3つ目の死球に、捕手・梅野に詰め寄って怒りを爆発させた。ここでロッテベンチも一斉にグラウンドに飛び出て、両軍入り乱れる事態となった。

 球審から警告試合が宣告され、2死満塁のピンチを背負ったが、最後は小野が香月を左飛に抑え、なんとか無失点で切り抜けて1点リードを守った。


政治家の資質

2019年06月06日 22時10分15秒 | 社会・文化・政治・経済

国は人をつくる、人は教育がつくる。
「政治家の資質」や「人間性」が問われている。
政治家の資質。
1)倫理的であること。
2)知性の面で優れていること。
3)常に大衆の目線に立って政治活動ができること。
「政治の価値は、その政党を構成する人間の価値によって決まる。
政治評論家・森田実さん


阪神ロッテに勝ち越す

2019年06月06日 21時55分39秒 | 日記・断片

野球は最後まで、結果は分からないものだ。
9回にの裏に、3-2から1点差が同点となる。
ワイルドピッチ(パスボール)からヒットで1点となる。
午後9時20分の時点で、観客の皆さんはこれで昨日より早く帰ることができると、思っていたのだが・・・
延長戦となる。
阪神は近本、糸原、糸井で1点。
10回表4-3で再び1点リード。
投手はドリスから島本に交代。
結局、10回1点を守り切り、ロッテに勝ち、このカード2勝1敗となる。
昨夜は、海浜幕張駅を午後11時5分に乗る。
今日なら、40分くらい早く帰れただろう。

 


弱気、不信が敗因となる

2019年06月06日 19時17分27秒 | 日記・断片

ミスが出た方が負けている。
野球にありがちなことだ。

結局は、何が何でも勝たなければならいない。
勝つためには、まず、その気になることだ。

不安やマイナス感情に覆われたのでは、勝てるわけはない。
一番、問題なのは、迷いであり、自信喪失。
自分への弱気、不信が敗因となる。


ロッテ井口監督、会心のリクエスト成功で反撃の芽摘む 「微妙だったので」 6/6(木)

2019年06月06日 18時33分18秒 | 社会・文化・政治・経済

6/6(木) 

阪神近本の二盗に江村が好送球、リクエストでアウトに覆る

■ロッテ 5-4 阪神(交流戦・5日・ZOZOマリン)

 ロッテは5日、本拠地ZOZOマリンスタジアムでの阪神戦を5-4で下し交流戦今季初勝利を挙げた。

9回1アウトランナー3塁で阪神・高山が弾き返した打球を…ロッテ・清田がダイビングキャッチで劇的勝利を収めた瞬間!

 昨夜は大敗したロッテは0-1で迎えた2回、先頭中村の右前打を起点に1死一、三塁のチャンスを作ると9番吉田が左前適時打で同点に追いつく。続く1番荻野の打球を、遊撃・木浪がファンブル。相手の失策で2-1と勝ち越しに成功した。さらに3回、四球の清田を一塁に置いて、4番井上が6月4試合中3本目となる11号2ランを放ちリードを広げた。

 先発岩下は5回まで6安打、自己ワーストとなる6四死球と制球に苦しみながらも、阪神打線にあと1本を許さず、5回119球3失点と勝ち投手の権利を持って降板。その後はリリーフ陣がリードを守り5-4で逃げ切り勝ちを収めた。

 試合後、井口監督は「なんとか粘り勝てましたね」と本音がこぼれ「幸運もあったが、選手全員が頑張った結果だと思います」と、薄氷の勝利に胸をなでおろしていた。粘投を見せたリリーフ陣については「疲れているところではありますが、なんとか抑えてくれました」と、賛辞を送った。

 1点リードの7回表。2死から中安打で出塁したセ・リーグ盗塁王・近本の盗塁にリクエストを要求したことについて「あそこは(代わったばかりの)江村がしっかりと投げてくれましたし、タイミングが微妙だったので」と理由を語り「覆ってよかったです」と、振り返った。カード1勝1敗となったが「明日が大事。明日勝てるようにしっかりやっていきたいと思います」と、気を引き締めていた。

岩国誠 / Makoto Iwakuni


 ■ ESG投資の潮流と日本企業への影響

2019年06月06日 17時46分19秒 | 社会・文化・政治・経済

■「中央調査報(No.731)」より

 ■ ESG投資の潮流と日本企業への影響 

国際大学研究所 IUJリサーチフェロー
阿由葉 真司

 現在、年金資産など世界の運用資産の約 1/4、20兆ドルを超える資金が、環境、社会、ガバナンスの観点で投資銘柄を評価するESG投資といった手法に基づき、運用されている。本稿では、ESG投資やグリーン・ファイナンスの世界的な潮流や日本企業や機関投資家に与える影響を概説する。

1. はじめに
世界的にESG投資やグリーン・ファイナ ンスへの関心が高まっている。ESGとは環境 (Environment)、社会(Social)及びガバナン ス(Governance)1の略語であり、年金基金等 の機関投資家などが資金を運用する際にこれら の観点を考慮に入れ、国債や株式などの銘柄を 選択し資金を運用する投資活動を意味する。 近年、世界的に企業や機関投資家がESG情報 開示や投資について力を入れ始めている背景に は、2015年の国連サミットで提唱された「持続 可能な開発目標 (SDGs)」(図表1)や2016年 に発効したパリ協定において定められた長期目 標の導入が挙げられる。

図表1 持続可能な開発目標(SDGs)の概要

 SDGsは国連加盟193か国が2016年~2030 年の15年間で達成するために掲げた目標であり、 貧困や飢餓削減からクリーンエネルギー活用、 持続可能な都市づくり、気候変動対策といった 17目標169ターゲットが設定された。これらの 目標は達成状況についてモニタリングされるこ とから、世界的に持続可能な成長に関心が集ま るようになった。
 同様に、パリ協定では世界の平均気温の上昇 幅を、今世紀末時点で産業革命前から2度未満 に抑えるという世界共通の長期目標が定められ た。この目標達成には、今世紀後半の温室効果 ガス排出を実質ゼロにする必要があり、参加各 国は温室効果ガス排出削減の自主計画(INDCs) を作成し、対策を実施する義務を負っている。 現在、189ヵ国がこのINDCsを提出し、その 実現に向け努力を続けているが、その実現には 巨額2の資金が必要とされる。このため、世界の 金融システムを気候変動に対応するように変え る必要があると考えられるようになった。
 また、世界各地をみると、気候変動の影響に より多くの国々で飢饉や風水害といった被害が 拡大し、特に、アフリカやアジアの低所得国で はその影響が深刻化している。こういった目に 見える被害が拡大していることも、投資家が長 期的な企業価値の向上という観点でESGを投 資先の資産に影響を与える重要課題(マテリア リティ)として真剣に認識するようになる契機と なっている。
 このように各国において持続可能な社会に対 する関心や地球温暖化に対する危機感が高まり つつあり、投融資といった資金の流れそのもの を持続可能な方向に振り向ける動きが世界的に 広がっている。

2. ESG投資とその世界的なイニシアチブの歴史
 ESG投資や金融システムのグリーン化の動き は今に始まったものではない。欧米では、社会 的責任投資(SRI)と呼ばれる、武器やアルコー ルなど宗教的価値観などに反する企業を投資対 象から外すといった投資手法は古くから存在し ている。
 しかし、1992年開催の環境と開発に関する 国際連合会議(リオサミット)を契機に、金融 機関がより地球温暖化防止に貢献するべきであ るという考え方が強まり、同年、国連環境計画 (UNEP)主導により金融イニシアチブ(FI)が立 ち上げられた。これを契機に金融と環境が結び つくこととなった。現在、FIには200社を超え る世界の主要な金融機関が署名し、経済的発展 とESGへの配慮を両立する金融システムの実現 について議論を継続している3
 ほぼ同時期に欧州ではRobecoSAMといっ たESG格付会社が企業や国をESGに基づき評 価する格付手法(図表2)を開発し、ダウ・ジョー ンズ、MSCIといった大手の金融サービス企業 がこの格付を活用してESGインデックスを導入 することなどを通じて、投資活動とESGがより 密接に結びつくようになった。

図表2 ソブリンESG格付の仕組み(RobecoSAM社の事例)

 更に、2005年には元国連事務総長のコフィ・ アナン氏のイニシアチブにより、企業活動をよ り持続可能なものにするために環境等の情報開 示の世界的な標準化を目指すPRI(Principles for Responsible Investment、責任投資原則) が提唱され、UNEP等のサポートの下、ESG情 報の開示手法の標準化に取り組んでいる。PRI 署名企業数は継続的に増加し、現在、世界で 2,000社近い企業が署名している4(図表3)。 2015年にはG20財務大臣・中央銀行総裁会議 の議論を基に、金融安定理事会(FSB)が、気候 関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)を立 ち上げた。2017年6月に発表された最終報告書 では、気候関連リスクなどが財務諸表に及ぼす 影響や情報開示、今後の主要課題が記されてい る。このTCFDガイドラインに遵守義務はない が、グローバル企業や金融機関が積極的に取り 入れており、EUや英国等では同ガイドラインを 公式の法規制に反映させる動きも出てきている。 賛同企業数も264社に達するなど、多くの企業 から支持を得ている5

図表3 PRI加盟社数と運用資産残高の推移

 また、2016年に中国杭州にて開催された G20会合では、中国政府によりグリーンファイ ナンススタディグループ(GFSG)の設立が提案 され、現在、このGFSGにおいて、中国政府と 英国政府の共同運営の下、加盟国間でグリーン 投資分野への民間資金を動員するための制度面 での改善や手法について議論が進められている。 このように、環境やESG要素といった非財務 情報を考慮に入れた情報開示やフレームワーク が重層的、且つ、全世界的に金融システムに導 入されつつある。

3. 機関投資家のESG対応
 機関投資家のESG対応も欧米諸国を中心に進 んでいる。運用資産上位20機関のESG情報の 開示状況を見ると、ノルウェー、オランダ、デン マーク、米国の8機関が既にESGレポートを発 表済みであり、世界最大の年金基金である日本の 年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)も初 のESGレポートを8月に公表している(図表4)

図表4 ESGレポートを発表している主な年金基金とその運用資産規模(2016年末)

 投資手法については、ESGを考慮に入れ投 資銘柄を選定するネガティブスクリーニングや ESGインテグレーションといった手法を中心 に、投資先に対する対話と通じたエンゲージメ ントといった手法が活用されつつある。しかし、 ESG投資の導入については、試行錯誤が続けら れている。他社から購入したESGデータを基 にポートフォリオの一部をスクリーニングする 軽めの対応から、欧州の一部投資家のような独 自のESG評価手法を構築しESG評価をポート フォリオ全体に組み入れる本格的対応まで様々 となっている。
 ESG投資の拡大には、投資家や資産保有者 のESG投資に係るリスクやリターン、インパ クトについての認識の変化が大きく影響してい る。従来、機関投資家は、受託資産の利回りを 最大化するといったフィデューシャリー・デュー ティー(受託者の忠実義務)のためESG投資に は懐疑的であったが、最近では、ESG投資が必 ずしも投資利回りにマイナスに働かないという 理解が共有されつつある。更に、ESG投資の広 がりをビジネスチャンスと捉え、ESGに関心の 高い資産保有者に対してESG要素を活用した投 資商品も増加している。
 巨額の運用資金を有する機関投資家が積極的 にESGを用い投資銘柄を評価することは、企業 のESGへの対応が企業価値に影響を与えること を意味する。実際に、先日、英国の資金運用会 社が、気候変動の取り組みが不十分として日本 企業2社を含む8社から投資を引き上げたと発表 があった。
 今年6月、G7シャルルポワ・サミットに先立 ち、世界288機関の投資家がG7首脳に対し、(1) パリ協定目標の達成、(2)低炭素社会に向けた 民間投資の加速、(3)気候関連財務情報開示タ スクフォース(T C F D)に即した報告環境の整備 の3点を要求する共同声明を発表している。
 この共同声明に参画した機関投資家の運用資 産総額は26兆ドルに達すると言われる。ESG 投資やグリーン・ファイナンスが従来のSRI投 資と一線を画している理由はその市場規模に求 められる。資本市場を通じ企業活動に大きな影 響を与えるため、より真剣な対応が企業に求め られることとなろう。

4. 各国金融当局の対応
 ESG投資や金融システムのグリーン化の動き は、特に、欧州諸国で活発である。例えば、フ ランスではすでに機関投資家の環境情報開示が 義務化されている。また、今年3月にEU委員会 が持続可能な成長に係るアクションプラン6を発 表し、その中でESGの定義の標準化やその財政 インパクトの計測手法、ESG報告の内容の向上 など先進的な目標が掲げられている。
 気候変動の影響を懸念するアジア諸国も急速 に金融システムのグリーン化を進めている。例 えば、中国では中国人民銀行等のイニシアチブ の下、グリーンファイナンスガイドラインを導 入済みであり、既にグリーンボンドの発行では 世界有数の市場に成長している。
 欧州とアジアの中央銀行などの金融当局が手 を組む動きもみられる。2017年12月に気候変 動による金融システムの不安定化に対する懸念 を共通認識として、欧州5か国(英、仏、独、蘭、 スウェーデン)の金融当局と中国人民銀行、シン ガポール通貨金融庁(MAS)及びメキシコ銀行と いう8か国の金融当局が、環境や気候変動リス クを適切に管理するための情報開示制度などを 議論するボランタリーなネットワーク「気候変動 リスクに係る金融当局ネットワーク」(NGFS) を立ち上げた。このネットワークに、モロッコ 銀行、スペイン銀行、欧州中央銀行、オースト リア国立銀行、ベルギー国立銀行に加え日本の 金融庁などが加わり、現在、欧州、アジア、北 アフリカに亘る16機関のネットワークに拡大し ている。
 日本では最近、金融庁が中心になり、ESG投 資やグリーン・ファイナンスに対する枠組みづ くりが進められている。2017年5月に日本版ス チュワードシップ・コードの改訂で、ESG情報 の把握が機関投資家の責任として明確化され、 本年6月には金融庁が上記のNGFSに加盟する こととなった。このように、日本においても徐々 に対応が進んでいる。

5. ESG投資及びグリーンファイナンスの市場規模
 グローバル・サステイナブル・インベストメ ント・レビュー7によれば2016年のESG投資 の規模は全世界で22.9兆ドルであり、その規 模は全世界の運用資産の約1/4(26.3%)に達す る。地域別でみると、欧州の市場規模は12.0兆 ドル(構成比52.6%)であり、ESG投資全体の 過半を占める。米国は欧州に次ぐ8.7兆ドル(同 38.1%)の市場規模となっている。この二市場 を合計すると世界のESG投資の9割を占める。 ESG投資においては、現状、欧米市場が中心で あることが分かる。
 一方、日本のESG投資の市場規模は4,740 億ドルで、世界市場の2%を占めるに過ぎない。 しかし、2年前の市場規模は70億ドルであり、 市場が急速に拡大していることが分かる。また、 欧州のESG投資は運用資産の過半に達する一 方、日本の運用資産に対するESG投資の割合は 3%程度である。これを鑑みれば、今後、日本に おいてESG投資が更に拡大することが期待され よう(図表5)

図表5 地域別ESG投資のトレンド(単位:10億米ドル)

 また、気候債券イニシアチブ(CBI)が2018 年1月に発表した「Green Bond Highlights 2017」によれば、CBI基準に適合するグリーン ボンド発行額は世界全体で1,555億米ドルであ り、2016年の872億米ドルから倍増している。 このように、グリーン・ファイナンスやESG投 資市場はその市場規模だけでなく、今後の成長 性の観点でも魅力的と言えよう。

6. 今後のトレンド、日本企業への影響
 このように、現在、金融市場において気候変 動やESG情報を考慮した動きが、かなり早い スピードで進展している。このトレンドは、温 暖化の影響による各国の関心の高まりを背景に、 不可逆的なものであると言える。
 すでに、企業はESG分野に関する適切な情報 開示を行わないと、投資家よりESG対応をして いないと誤認されるリスクに晒されている。実 際、サステイナリックスなどのESG格付会社は 日本企業も含め世界の上場企業の格付を実施済 みであり、投資家はその評価結果を基に分析を 実施している。投資家がESG情報を加味して投 資先を評価する時代が到来しつつあり、ESG情 報開示の質が企業価値に影響を与える可能性が 高まっている。よって、金融機関や機関投資家 も含め、日本企業はグローバルトレンドを見極 め、適切に対応する必要があろう。
 ESGの評価や効果の測定は、まだ試行錯誤の 段階と言える。ESG格付についても、その指標 の取り方は各社様々であり、ESGレポートの内 容も会社毎に違いがみられる。また、EUのハイ レベルエキスパートグループ(HLEG)がEU諸 国間のESGの定義の標準化の必要性を提唱して いるように、世界的にESGの定義が定まってい ない。更に、非財務情報の開示には、かなりの労 力が必要とされるとの指摘もなされている。ESG を取り巻く環境は流動的であり、その報告体制構 築には十分な準備期間が必要とされる。情報収 集も含め柔軟かつ早めの対応が望まれよう。
 現在、多くの国が現在、自国の利益を反映さ せるべくESG投資のフレームワーク作りに積極 的に参画しているが、残念ながら、現時点では、 この分野における日本の存在感は高くないと言え る。一方、日本は世界有数の証券市場を有して いるので、ESG投資の潜在力は非常に高いと言 えよう。例えば、「世界の年金基金ランキング」8 (2016年)によれば、運用資産において日本は米 国(38.6%)に次ぐ2位(12.5%)の市場規模を有 し、3位のオランダ(6.4%)を大きく引き離す存 在感のある地位にある。この市場規模を活かし、 ESG投資の在り方について積極的にイニシアチ ブを取ることは、ESG投資分野における国際競 争力の向上だけでなく、世界的な低炭素化社会 の流れに対する貢献にもつながることとなろう。 (本稿は筆者の見解であり、所属機関やその関連 組織の見解を示すものではない。また、本稿に 有り得る誤りの全ては、筆者の責任に帰する。) 


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1環境であれば、エネルギー消費量やCO2排出量などの数値が利用される。社会については、従業員の健康・安全や機会均等の方針の導入の有無など、ガバナンスについては、女性取締役の人数やポリティカルリスクや競争力指数などのインデックスが利用される。ESGスコアはこれらの指数を一定のウェイトを用いて合算したもの。具体的な統計項目については図表2を参照。
2OECDが発表したレポート(2017年)では、2016年から2030年までの間に毎年6.3兆ドルのインフラ投資が必要と試算されている。
3日本からは13の金融機関が署名済み。
4日本企業は金融機関を中心に62社署名。
52018年4月時点。このうち、日本企業は8社。
6EU Action Plan on Sustainable Development。
7Global Sustainable Investment Review。Global Sustainable Investment Association (GSIA)が2年毎に発行している。
8英コンサルティング企業ウイルス・タワーズワトソンが毎年発表している。



 

企業評価の世界的潮流になった「ESG投資」とは/前編

環境、社会、企業統治に配慮した企業を重視して投資する時代に

2019.04.03日経

 

日頃ニュースに出てくる重要なキーワードについて、ニュース解説のプロ高柳正盛(通称・まさも)がARIAちゃん(10歳の女の子)でも分かるように、手取り足取り解説します。この動画を見れば「自分には関係ない」と思っていたニュースも身近に感じられるはずです。第2回のキーワードは最近、新聞をにぎわす「ESG投資」。この言葉の「どゆこと?」を解説します。

3つの要素に注目して企業を評価するのが世界的潮流に

ESGが一目瞭然



【この記事の続きはこちら】
→ ESGに配慮しない会社は滅びる「ESG投資」/後編


郵便局のカラオケを聞きに行く予定

2019年06月06日 12時46分05秒 | 日記・断片

明日、敢闘会の活動で埼玉へ行く予定であったが、大森さんから「金曜日は雨なので、木曜日にしたい」と電話があるが、その電話を武蔵野線車内で聞くが、良く聞き取れないので、「今、車内なので後でかけ直します」と返事をした。
海浜幕張へ着いたので、大森さんに電話をかけたが、つながらない。
そこへ佐々田さんからメールがあり、電話の内容を知る。
大森さんはメールをやらない
木曜には、郵便局のカラオケを聞きに行く予定だった。
結局、今日は大森さんと佐々田さんが二人で埼玉へ行くことになる。
その後、「金曜日、龍ヶ崎はどうか?」と佐々田さんからメールがある。
「明日は、雨の予定では?」と思ったが・・・


もう、ナイタ―野球の観戦は無理

2019年06月06日 12時33分24秒 | 日記・断片

海浜幕張は、電車のアクセスは悪い。
東京行きの電車の後に、2本新習志野行き電車が来た。
次は貨物列車の通過待ち。
やっと南船橋行きが来て、南船橋で待っていた東所沢行き電車は東京行き電車を待ち合わせ。
発車まで30分近く待つ。
やっと新松戸駅へ。
午前0時4分の千代田線の我孫子行きを待つ。
さらに、我孫子で取手行きを待つ。
午前1時過ぎに帰宅。
「もう、ナイタ―野球の観戦は無理」と家人は言う。
帰宅後、3時間睡眠で家人は午前4時30分起き、家事をして午前5時20分から、パートの仕事へ。
ご苦労さんである。
息子に指摘されたので、庭の木の道路まで伸びた枝切る。
2階の窓まで伸びた枝は届かないので、後で何とかするつもりだ。


泥酔男!となる

2019年06月06日 11時13分28秒 | 投稿欄

短気は損気とは言ったものである。

人間関係のこじれ。

感情的に対応してしまった、ことが思いだされる。

例えば、隣の人がカラオケスナック内でタバコを吸いだした途端に、どなりつけてしまう。

相手は元証券会社の人で、家人の株取引の指南役。

「帰って!」と家人は怒りだす。

「2度と来るか!」となだめたオーナーとママさんに捨て台詞である。

また、作曲家の友人Mさんとその知人に素直に謝れず、開き直ってしまった。

「カラオケ、飛び入りOK]と彼ら3人を地元新道まで藤代から連れてきたが、「飛び入りは、ダメです」と係の人に言われてしまう。

酒を飲んで平気で運転する男たちは、「センセイの知り合いか。よろしくな」と酒を勧めてきた。

白山から男の藤代の家へ寄り、車を乗り換える。

まさか、酒を飲んでいた男たちがヤクザのなかまたちと後日知る。

その時も、大声を張り上げてしまう。

「今まで、我々を待たして、何処へ行っていたんだ!」待たされていたことで、しびれを切らしていた作曲家のMさんは、強い口調で言う。

「飛び入り参加の交渉へ行っていたのです。今年はダメでした」

「何ダメだと!オイ、藤代からここまで連れてきてふざけるな」と作曲家の知人は納得しない。

目が座っていて、凄みがある男だった。

「だから、誤っているじゃないか。私が悪かったです。悪かったのは私です」卑屈になる。

カラオケの会場は子どもまつりの場でもあった。

「子ども居ます!静かにsいて下さい」

当然、家人が神社のカラオケ会場いたので、血相を変えて飛んできて「そんな大声出して、みっともない。恥ずかしい!私帰る!」と怒りを込め諌める。

「酒乱だな、話にならん!」とMさんも呆れる。

思えば、日本酒を5合、ビール1本を白山の居酒屋で飲んでいた。

その日、Mさんと出会って「飲もう」と誘われていた。

別の用事もあったのに、酒の誘いを優先した。

「あの時、出会っていなければ・・・・大切な友人の一人を失くしたと悔やまれた。

隣の店で出入り禁止になっている評判の悪い彼らと、あの店で居合わせたことも運が悪かったが・・・・

 


教科書無償配布

2019年06月06日 06時52分10秒 | 社会・文化・政治・経済

ひとしく学べる大切さ知って

日本国憲法の26条には、教育を受ける権利や義務教育を無償にすることが規定されています。

実は、この条文をよりどころに義務教育で使う教科書を無料にした歴史があったことをご存じでしょうか。

この無償化のきっかけになった取り組みが行われた高知市の小学校では、今も憲法の大切さを伝える授業が続けられています。(NHK高知局・藤島温実記者)

憲法26条教える小学校 

新学期初日、教室に山積みされた真新しい教科書を子どもたち一人一人に配る光景。多くの小学校で見られますが、高知市の長浜小学校では、この時に憲法26条の大切さを伝えています。

6年生の教室では、合野友成教諭が子どもたちに「教科書は無料で配られて当たり前と思いがちですが、日本国憲法があるおかげで無料で配られています」と語りかけていました。

教科書を無料に!声をあげた母親たち

なぜ、こうした授業を行っているのか。

この小学校には、教科書を無償にするために闘った歴史があるからです。
資料室には、昭和30年代の教科書が保管されて
います。
山中浩介校長は、「教科書の裏には60円や55円と書かれています」と当時、教科書が有料だったことを教えてくれました。

教科書をすべて購入すると700円かかりました。日給が300円ほどで仕事も少なかったこの地域では、教科書を買えない家庭もあったと言います。教科書を買える子と買えない子で学びに差が出てはいけない。

地域の母親たちが声を上げ、教科書の無償化を求める運動を始めました。着目したのは、憲法26条の「義務教育は無償」という記述でした。

憲法26条をよりどころに母親たちは、高知市や教育委員会と交渉を重ねま
した。
当時、長浜小学校の教諭だった永吉玉子さんは、「ガリ版」という道具でプリントを手作りして、教科書が無償化されるまでの間、子どもたちの学力に差が出ないようサポートしました。ワセリンなどが塗られた紙を鉄の筆で削って教科書の内容をひと文字ずつ書きおこしたと言います。

永吉さんは、「45人の生徒がいたら45回刷らなければいけないので全教科作るのは大変でした」と話していました。

母親や教員たちの運動は、政府を動かしました。

昭和37年の国会で池田勇人首相は、「憲法第26条の義務教育を無償にするという理想の実現に向かって、教科書の無償配布という大方針を決定しました」と述べました。運動から1年後、教科書を無償にする法律が成立しました。

小学1年生から無償化が始まり、その後、対象は、中学生まで広がったのです。

永吉さんは、真新しい教科書を手渡したときの子どもたちの表情が忘れられないと言います。写真を見て当時を懐かしみながら、憲法に対する思いを語りました。

「渡すときは涙が出るほどうれしかった。母親も子どもたちもよく頑張った。憲法によって教科書の無償化が実現したので憲法は本当に大事なものだと思います」

ひとしく学べる大切さ知って

誰もが平等に学べることの大切さを伝えたい。長浜小学校では、憲法や教科書無償化運動について授業で教えています。

合野教諭は、子どもたちに、「子どもに満足に教育を受けさせてあげたいというお母さんたちが立ち上がったのが、この長浜です。皆さんは教科書を大切に使いながら、がんばってもっともっと学力をつけていってください」と呼びかけました。

授業を受けた子どもたちは、「教科書を無料にしてくれたお母さんたちに感謝しています。教科書を大切に使って勉強をまじめに頑張りたいと思います」と話していました。

誰もが平等に学べる日常。憲法施行から70年のことし、その大切さを見つめ直す取り組みが続けられています。

小学1年~中学3年までの「完全実施」の実現は公明の質問が“決定打”だった

無償の教科書をもらう子どもたち(1967年9月8日 千葉県船橋市立塚田小学校)

「41年度には完全実施 首相『教科書無償』で答弁」(読売)。

1963年(昭和38年)3月13日の新聞各紙の夕刊1面には、大きな見出しが躍っていた。

その日午前、参院公明(当時は公明会)の柏原ヤス(故人)が本会議で教科書無償配布の完全実施を迫り、首相の池田勇人に決断させたことを報じた記事だった。

当初、「段階的な実施」という“小出し”で逃げていた政府が、小学1年から中学3年までの教科書無償配布を「首相が政府全体の方針として言明したのははじめて」(朝日)だった。


次代を担う子どもたちの笑顔のために闘った故・柏原参院議員(1964年10月 都内)

これらの新聞を読み終えた柏原は、かつて小学校の教員だった時代の出来事を思い出していた。

「先生! この教科書いくらですか? わたし買います! みんなと同じように買いたいんです!」。そう言って詰め寄る少女の瞳は涙であふれていた――。

春、新学期。真新しい教科書を手にして喜ぶ小学生の中で、その少女だけが暗い顔をしていた。少女の家は生活保護を受けており、教科書は国から特別に“支給”されていた。ところが、それが友達に知れ、「おうちが貧乏だから買えないんだって……」などといったヒソヒソ話がクラス中に広がってしまったのだ。

「おもちゃも、お菓子も、何もいらない。でも、教科書は自分で買いたい!」。少女は悔しくて、自宅にあった陶器製の貯金箱を壊して小銭を数えたが、数十円足りなかった。「これ教科書代です! 足りない分は、後で必ず払います。教科書を売ってください!」。必死に訴える少女の姿が柏原の目に焼き付いた。

「憲法では義務教育の無償をうたっている。せめて教科書代だけでも無料にしなければ……。あの娘のような、つらい思いを、二度と繰り返してはならない」。後に参院議員となる柏原にとって、決して忘れられない、胸痛む体験だった。

教科書無償配布実現への闘いは、56年(同31年)の国政初進出時から始まった。憲法は「義務教育の無償」を定めており、保護者の負担軽減を重要政策の一つに掲げたのだ。

国会質問では63年(同38年)1月の参院本会議で初めて取り上げた。そして、消極的だった政府に完全実施を決断させる“決定打”となったのが、3月13日の柏原質問だった。

「公明会を代表して質問いたします!」。凛とした姿で迫力のある声が議場に響き渡った。柏原は「何はさておいても中学3年までの教科書代を無償にすべきです!」と詰め寄った。場内からは「そうだっ!」との声援が数多く飛んだ。

首相は、ついに「憲法の理想を実現することに努め、昭和41年度までには義務教育の教科書を全部出したい」と明言したのだった。

その後、教科書無償配布は63年度(同38年度)から段階的に実施され、途中、政府の対応の遅れで、ようやく69年度(同44年度)に全小・中学校の児童・生徒を対象に完全実施された。

後日、柏原は、教員時代のあの少女から手紙を受け取っている。子を持つ母となり、教科書無償配布の実現を喜ぶ感謝の手紙だった。それは、「一人を大切にする政治」が参院公明の“原点”として結実した証しでもあった。

昔も今も、公明党は地方と 国を結ぶネットワーク政党

1963年度(昭和38年度)から段階的にスタートした教科書無償配布は、翌64年度(同39年度)時点で「小学1年~同3年」が対象だった。当然、小学4年以上の子を持つ保護者は、引き続き“出費”を余儀なくされた。こうした中、国政段階の取り組みに呼応して、地方議会公明党も必死の闘いを展開した。

以前は炭鉱で栄えた北海道歌志内市――。60年代前半から廃鉱が相次ぎ、人口が急減していた。収入の少ない“ヤマ”の人たちには、教科書代などの教育費負担が重くのしかかっていた。

「国の施策で恩恵を受けられない家庭には、市が独自に光を当てるべきだ」。一人の公明党市議が立ち上がった。無償配布の必要性を市長や他の市議に説いて回った結果、市は64年度(同39年度)から、独自に「小学4年~中学3年」を対象に加え、教科書無償配布の完全実施を国に先駆けて実現したのだった。しかも、こうした動きは地方議会公明党の力で各地に広がり、埼玉県の所沢、川口、大宮(当時)の各市、東京都東村山市、大阪府泉大津市なども、相次いで独自に対象年齢を拡大していった。

公明党の前身である公明政治連盟(公政連)は、61年(同36年)に結成され、参院議員9人と地方議員270人超でスタートした。そして64年(同39年)の公明党結成時には、国会・地方議会で1200人を超える議員を擁し、既に“ネットワーク”政党としての機能を存分に発揮していたのである。


阪神 ロッテに競り負け 九回は1死三塁で勝負かけるもまさかの幕切れ…

2019年06月06日 06時43分30秒 | 社会・文化・政治・経済

6/5(水) デイリースポーツ

9回1死三塁、高山俊の左飛で三走の阪神・植田海(中央)は飛び出しアウトで試合終了=ZOZOマリンスタジアム(撮影・中田匡峻)
 「交流戦、ロッテ5-4阪神」(5日、ZOZOマリンスタジアム)

 阪神はミスが響き、ロッテ相手に競り負けた。3連勝ならず、首位カープとのゲーム差は4と開いた。

あっけない幕切れに矢野監督もぼう然

 1点を追う九回、マルテが左前打で出塁。代走・植田が二盗に成功し、無死二塁と好機を拡大した。ここで梅野が執念の二ゴロで走者を三塁に進めた。

 1死三塁。高山の放った打球は左前への強烈なライナー。清田が体を投げ飛ばしながらダイレクトで好捕したが、三塁走者の植田が本塁へ。ボールは三塁へ送られ、植田もアウトなった。この場面、阪神ベンチは打った瞬間に植田がスタートを切る作戦を仕掛けたが、結果は最悪の形となった。

 試合後、矢野監督は「俺がそういう(バットにボールが当たったらスタートの)サインを出しているし、(植田)海を責めることはない」と説明。植田については緊迫した場面での二盗を評価し、「いや、すごいよ。あれが海のよさだし。あそこで走るっていうのは勇気もいるし。最後はああいう形になったけど、俺の責任の中やからよくやってくれたと思う」とうなずいた。

 守りではミスが続いた。1点リードの二回。無死一塁から菅野の放った二塁ベース付近のゴロを、遊撃・木浪がお手玉(記録は内野安打)。併殺が狙えるタイミングでもあったが、ここで一、三塁とされ、吉田には左前適時打を打たれた。

 なおも無死一、三塁では、遊撃前の打球を木浪が痛恨のファンブル。失策で勝ち越しを許した。

 この回は2点で踏ん張ったが、三回。先頭の清田に四球を与えると、続く4番・井上に左翼越え2ランを浴びた。序盤から3点のリードを許す厳しい展開になった。それでも青柳は粘って7回まで投げ、7安打5失点(自責4)で降板。

 悔しい4敗目(4勝)となり、シーズン自己最多となる5勝目はお預けになった。降板後は「なんとか粘って、最低限イニングを多く投げることはできましたが、味方に先制してもらった直後に逆転を許してしまうなど、攻撃のリズムを作るような投球ができませんでした」と反省した。

 一方、攻撃は四回に糸原、糸井の連続タイムリーで2点を返すと、六回には大山の左前適時打で1点差まで迫った。光ったのは3安打の近本。マルチ安打は3試合連続の22度目で、シーズン55度ペースは佐々木信也(高橋)が1956年にマークした、プロ野球新人最多の54度を上回る。さらに1試合3安打以上は2試合連続の今季7度目。シーズン17度ペースは長嶋茂雄(巨人)が1958年にマークした、プロ野球新人最多の14度を上回る。

 1勝1敗で迎える第3戦は、高橋遥が先発する予定。若虎の快投で勝ち越しを狙いたい。

 


被災した地域をサポート 災害時の連携・コーディネーション

2019年06月06日 06時29分46秒 | 社会・文化・政治・経済

特定非営利活動法人

全国災害ボランティア支援団体ネットワーク
英語名称
Japan Voluntary Organizations Active in Disaster
略称
JVOAD
JVOADが目指す社会
災害時においても、すべての市民が多様性を認めあって支えあい、
尊厳のある生活が守られる社会を目指します。

JVOADの活動指針
支援者の力を最大限に活かすため、多様な担い手とともに全国ネットワークを築きます。
災害時には、支援の「もれ・むら」をなくすため、被災した地域をサポートし、災害時の連携・コーディネーションを行います。
円滑かつ効果的な支援をするため、コミュニケーションの場を作ります。
災害に備え、多様な担い手とともに啓発・理解促進、政策提言などを行います。
特定非営利活動法人全国災害ボランティア支援団体ネットワーク
設立趣旨書
東日本大震災では、多くのボランティアやNPO/NGO等の支援団体が現地に駆けつけ、被災者支援に大きな役割を果たしたと評価されました。

しかし、緊急期においては、支援のニーズに対して、「誰が」、「どこで」、「どのような」活動を行っているかを把握し、支援の必要なところへ効果的に支援を届けるコーディネーション(調整)が行われていないために、被災地域において支援の濃淡が顕著になるなどの混乱が生じました。

また、支援者同士の連携や、行政や企業などとのセクター間の連携についても、関係構築に時間がかかるなど限定的であり、有効に機能したとは言えない状況でした。
現在、日本では、南海トラフ巨大地震や首都直下地震などの大規模災害、頻繁に発生する水害などに対して、早急に支援体制を整備する必要があります。特に、支援全体を把握し、支援のコーディネーションを行う仕組みをつくることは不可欠です。
2013年7月に東日本大震災を経験したNPO等の有志が集まり、第1回広域災害調整機関設立に関する準備会(2015年4月「全国災害ボランティア支援団体ネットワーク準備会」(以下、「JVOAD準備会」)に名称変更)が発足しました。

これまでに、災害時の支援調整の先進事例である米国への視察や、災害対応の関係者が一堂に会して災害時の連携について考える全国フォーラムを開催するなど、連携や調整のあり方について検討を重ねてきました。

また、2015年9月から、関東・東北豪雨水害の対応として、茨城県常総市において、行政・社会福祉協議会・NPOとの情報共有会議のとりまとめを行うことで課題解決に寄与してきました。
一方で東日本大震災以降、支援を取り巻く環境も変化してきました。

2013年月6月、国は災害対策基
本法を改正し、「国及び地方公共団体は(中略)ボランティアとの連携に努めなければならない」旨が記載されました。

また、2014年10月から翌年2月にかけて、内閣府において「大規模災害時におけるボランティア活動の広域連携に関する意見交換」が行われ、JVOAD準備会からもメンバーとして参加し、最終提言には災害時の支援調整のための連携組織の必要性が盛り込まれました。

経済界からも、災害時の現地情報の提供や、支援のマッチングなどを行う連携組織の役割について期待が高まっています。
JVOAD準備会は、継続して災害対応の課題解決に取り組むことができる体制が必要との認識に至り、全国規模の災害対応に関わるネットワークや中間支援組織が協力して、「特定非営利活動法人」を設立することに至りました。

今後は、災害時の被災者支援活動が効果的に行われるため、地域、分野、セクターを超えた関係者同士の連携の促進および支援環境の整備につとめ、将来の災害に対する脆弱性を軽減することに貢献することを目指して活動をしていきます。

2016 年 6 月 7 日

岐阜県瑞穂市穂積1743番地1

栗田 暢之 設立代表者