居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書

2019年06月17日 21時20分50秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
商品の説明
大学院で博士号まで取得した著者は、「ケアじゃなくてセラピーをしたい(p.22)」と考え、沖縄のある精神科クリニックで働き出す。しかし、彼に求められたものは、クリニックの一部である精神科デイケアのスタッフとしての仕事であり、著者はそこで働くなかで「セラピーとは何か。ケアとは何か。(p.28)」「『ただ、いる、だけ』の価値とそれを支えるケアの価値(p.337)」について等、根源的に考えざるを得なくなる。
 本書は、そういう著者の思索を、デイケアでの様々な出来事と重ね合わせて辿っていく。全体としては、著者の「成長物語」にもなっており前向きなのだが、最終章だけはデイケアの「ダークサイド」について論じており、トーンが違う。
 本書に登場するメンバー(デイケアに来る人たち)について「私のさまざまな臨床体験を断片化し、改変し、新しく再構成した(p.345)」と著者は記し、また「この本の体裁は物語とかエッセイに見えるかもしれないけど、僕はね、これをガクジュツ書のつもりで書いてます(p.268)」とも述べるが、メンバーや同僚と著者のやり取りは実に生き生きとして「物語」として魅力的である。
 いくつかの引用。
「心の深い部分に触れることが、いつでも良きことだとは限らない。(p.49)」
「自立を良しとする社会では、依存していることそのものが見えにくくなってしまうから、依存を満たす仕事の価値が低く見積もられてしまうのだ。(p.107)」
「人は本当に依存しているとき、自分が依存していることに気がつかない。(p.114)」
「この本は精神科デイケアを舞台にしたお話ではあるのだけど……これはケアしたりされたりしながら生きている人たちについてのお話……そう、それは『みんな』の話だと思うのだ。(p.347)」
 それにしても、「生き延び」るために、同僚にICレコーダーを貸したり贈ったりする必要がある職場っていったいどういう職場なのだ。「僕のいたデイケアが……ブラックデイケアであったというわけではない(p.305)」と著者はわざわざ書くのだが。
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ケアとセラピーの比較表(P277)にある、ケア:風景、セラピー:物語をみると、
東畑さんが、デイケアの風景を観ながら、物語を語ってくれて..."「ケアとセラピー」
は成分のようなものです。誰かを援助しようとするとき、それはつねに両方あります"
を実際にやってみせてくれていることがわかります。
 ケアは「ニーズに応えること」、セラピーは「ニーズを変更すること」...ここなどは、
しっかり本質を教えてくれていると思います。
 考えさせてもらって、勉強させてもらいました。


内容紹介

「ただ居るだけ」と「それでいいのか?」をめぐる
感動のスペクタクル学術書!
京大出の心理学ハカセは悪戦苦闘の職探しの末、ようやく沖縄の精神科デイケア施設に職を得た。
しかし、「セラピーをするんだ!」と勇躍飛び込んだそこは、あらゆる価値が反転するふしぎの国だった――。
ケアとセラピーの価値について究極まで考え抜かれた本書は、同時に、人生の一時期を共に生きたメンバーさんやスタッフたちとの熱き友情物語でもあります。
一言でいえば、涙あり笑いあり出血(!)ありの、大感動スペクタクル学術書!

難しいことを難しく説明するのは簡単だが(いや多分前提として頭が良くないとダメでしょうが)、本当はとても難しいことを面白く表現するのというのは難しいですよね。本著はそれに成功しているのですね。面白かった。書いてくれてありがとうございました。
読む前は、え?なんですと?京大大学院卒?高学歴で頭良すぎてスパイラル起こしちゃってんじゃないのか?大丈夫なのぉと、偏見とひがみと先入観で懐疑満載でしたが、読み終わってみれば、嘘くさいハッピーエンドでお茶を濁されることなく、一緒に四年間働いてきたデイケアの同僚だったような気分にさせてもらった。そして考えさせられた。何か友との別れの虚無感のような、疲労感と爽快感と。筆者が成長した物語なので一緒に成長した気持ちになれる。だから爽やかな後味なんだろう。
そっか、河合隼雄先生の門下生ということか、見直したぜ。いえごめんなさい、お見それしました。
円環的な時を筆者と共有できて良かった。
うん、超頭のいい理想に燃える人が理想と現実を知り現場で傷つき疲労困憊し、それを恐れずに言葉にしてくれた。ありがとう。
そしてとても大事なことをこういう風に面白く読み手に受け止めやすく書いてくれたおかげで、受け止めるだけじゃなく、頭で理解するだけじゃなく、自分自身の言葉で語れる人も増えてくるんじゃないかな。そうすると、いずれここで書かれている『いる』を支えることというか、人同士の関わり…、集まり、つながり、意味、意義、そんなものの概念に対して意識改革が起こったりして。『いる』ことの本質がみんな共有できる感覚になっていけば、今は見えづらいそれが、いつか形をとり、チカラを持ち、いつの日か『会計の声』に対抗しうる何かになるかもしれない、……ならないかもしれない。
昔、デイで働き2年間で退職した酸っぱい経験を思い出した。あれは何だったのか未だ総括できていない私にはとてもとても必要な一冊でした。

セラピーで身を立てようと意気込んで沖縄にやってきた著者が、勤務先でデイケアに出会い、「ただ、いる、だけ」というあり方に戸惑いながらもその意味を探求していくプロセスが、物語のようにして紡がれていきます。

著者の体験の記述と、それがどうして起こったのかを考える省察とのバランスが絶妙だと思いました。
たとえば、突如勃発したメンバー同士のトラブル(事件!)に際し、著者がビビッて動けなかった、というシーンは印象的です。
著者は看護師の迅速な対応を見て自身のチキンな性格を嘆き、それだけでは終わらず看護師と心理職との専門性の違いを知的に考察してみるものの、やっぱり割り切れずに「ケア」とは何なのかと悩んでいく…というように、生々しい体験と論理的思考とが行ったりきたりする描写がダイナミックで、読んでいて引き込まれました。

最終盤は意外な方向に論が展開し、そこが非常に刺激的で、考えさせられました
てっきり「ケア」の意義や重要性を提示して、同じように戸惑っている在野の数多の心理職に支持と勇気を与えるような結びかなーと思いながら読んでいたのですが、良い意味で裏切られました。著者の視点は、臨床心理学だけでなく、広く社会に開かれています。

出版社からのコメント

主人公の若き心理士は、ようやく見つけたデイケアの職場で、上司からいきなり「トンちゃん」と命名され、こう言われた。
「とりあえず座っといて」
座ってみる……。凪の時間……。
トンちゃんは1分と間が持たない。そこで隣で新聞を読みふけっているおばさんに話しかけてみた。

「あの……何を読んでおられるんですか?」
「新聞だけど」
 そりゃそうだ、見りゃわかる。
「……なんか面白いことありますか」
「別に。ただのスポーツ新聞だけど」
「……ですよね」

心理学ハカセの専門性ははかなく砕け散った。
しかし、甲子園に出た興南高校をテレビで一緒に応援したり、朝夕ハイエースでメンバーさんを送迎したり、レクの時間に一生分のトランプをすることによって、やがて「ただ居るだけ」の価値を見出していく。
それにしても、なぜこの「ただ居るだけ」の価値が人々に伝わらないのだろうか。
トンちゃんは、「居場所」「暇と退屈」「愛の労働」「事件」「遊び」「中動態」「会計」「資本主義」などの概念を足がかり、探求を始めた。

この探求の旅は、彼自身の一身上の変化とともに、意外な方向に転換する。なぜこの「善きケア」がときにブラック化していくのか、という問いが彼を衝き動かしたのだ。
一般社会で居づらい人たちのためのアジール(避難所)が、なぜアサイラム(収容所)に転化するのか?
それは偶然の出来事なのか?
ケアという行いに内在した構造的な原因があるのか?
そして、いったい何がケアを損なうのか?
トンちゃんは血を吐きながら(実話)、じりじりと真犯人を追いつめていく。

――本書の価値は、これらの考察が、見事な物語として展開しているところにあります。
主人公をとりまくハゲ、デブ、ガリの看護師三人組にはケアの何たるかを教えられ、強気の事務ガールズのヒガミサと「ケアのダークサイド」に挑み、月の住人ユウジロウさんには内輪受けのギャグで心底癒されます。
そして最後、主人公がこのデイケアを去るとき、やくざに追われ続けて20年のヤスオさんとのキャッチボール風景はじつに感動的です。ここでは詳細は書けませんが、代わりに著者の言葉を引いておきましょう。

「ただ居るだけ」の価値を、僕は官僚や会計係を説得する言葉にすることはできない。
だけど、僕は実際にそれを生きた。だから、その風景を、そのケアの質感を、語り続ける。

本書はケアとセラピーについて考え抜かれた思想書であると同時に、沖縄で知り合った人々との魂の交流を描く、極上の物語です。

著者について

東畑開人(とうはた・かいと)
1983年生まれ。2010年京都大学大学院教育学研究科博士課程修了。
沖縄の精神科クリニックでの勤務を経て、2014年より十文字学園女子大学専任講師。
2017年に白金高輪カウンセリングルームを開業。
臨床心理学が専門で、関心は精神分析・医療人類学。
著書に、『美と深層心理学』京都大学学術出版会、『野の医者は笑う』誠信書房、『日本のありふれた心理療法』誠信書房、監訳書に『心理療法家の人類学』(J.デイビス著)誠信書房がある。
*著者より
「この本は僕の青春物語です。夢見る青年が現実と出会って、完膚なきまでに打ちのめされるお話だからです。そのほろ苦い、いや苦杯を一気飲みするようなきつい敗北を経て、僕は友情と知を得ました。ですから、沖縄のデイケアで人生の一時期を共に生きた人々の物語、そしてケアとセラピーという心の援助をめぐる中核的問題についての僕なりの答えが、この本です」――東畑開人

 



「やればできる」という達成感と自尊心

2019年06月17日 20時53分10秒 | 社会・文化・政治・経済

「国」は「人」をつくる。
「人」は「教育」をつくる。
児童虐待や、いじめ、親の経済格差による子どもの教育格差など、教育現場は多くの課題を抱えている。
また、教員の長時間労働、教員不足も深刻化している。

「やればできる」という達成感と自尊心を芽生えさせる。
人格を育む独自教育の実践を確立する。
「子どもが輝く<教育立国>を目指す。
今、政府は教育支援を最優先課題としている。


映画『泣くな赤鬼』

2019年06月17日 20時13分04秒 | 社会・文化・政治・経済

重松清の短編実写化、堤真一&柳楽優弥が教師と余命半年の元生徒の絆を描く

2019年6月14日(金)より全国ロードショー。

映画『泣くな赤鬼』は、ベストセラー作家の重松清による短編集『せんせい。』に収録されている物語「泣くな赤鬼」を実写化した作品。

物語の主人公は、陽に焼けた赤い顔と、鬼のような熱血指導から「赤鬼先生」と呼ばれていたが今では野球への情熱が衰えてしまった、城南工業野球部監督・小渕隆。小渕はある日、かつての教え子・斎藤智之(愛称ゴルゴ)と偶然、病院で再会する。野球の素質はあるものの、途中で挫折してしまったゴルゴだったが、結婚して家庭を築き、立派な大人に成長していた。しかし、そのゴルゴが末期がんで余命半年であることを知らされる。

あの時、かけてやれなかった言葉、厳しくすることでしか教え子に向き合えなかったあの頃の後悔―。赤鬼は、ゴルゴのために最後に何ができるのか――。今だからわかり分かり合える教師と生徒の、感動の物語を描く。

堤真一、柳楽優弥、川栄李奈が出演

 

主人公・赤鬼先生を演じるのは堤真一。『DESTINY 鎌倉ものがたり』や『海街diary』、『銀魂2 掟は破るためにこそある』にも出演。重松清原作の作品はドラマ『とんび』に続いて2作目の出演となる。

また、赤鬼先生の元教え子・ゴルゴは、『銀魂』シリーズをはじめ、『響 -HIBIKI-』、『夜明け』などの話題作で存在感を放つ柳楽優弥が、ゴルゴを献身的に支える妻・雪乃は、『センセイ君主』、『人魚の眠る家』、『嘘を愛する女』にも出演した川栄李奈が演じる。

また、提真一演じる主人公・小渕隆の妻・小渕陽子役には麻生祐未、柳楽優弥演じるゴルゴの母・斎藤智美役にはキムラ緑子が選ばれた。

ゴルゴのライバル和田圭吾役には、映画『泣き虫ピエロの結婚式』の竜星涼が抜擢された。かつてゴルゴと共に甲子園を目指した和田は、ゴルゴとの再会によって感動的なストーリーを繰り広げる予定だ。

また、監督は、『キセキ-あの日のソビト-』でヒットを飛ばした兼重淳が務める。

主題歌は竹原ピストル「おーい!おーい!!」

主題歌は、竹原ピストルの「おーい!おーい!!」。作詞・作曲ともに竹原ピストルが担当した、自身初の映画主題歌の完全書き下ろしとなる。情熱的な歌声と、胸に染み入る歌詞で物語を盛り上げる。

ストーリー

城南工業野球部監督・小渕隆(堤真一)。陽に焼けた赤い顔と、鬼のような熱血指導でかつては「赤鬼」と呼ばれていた。その厳しさで、甲子園出場一歩手前までいきながらも、その夢は一度として叶わぬまま、10年の月日が流れた。今では、野球への情熱は随分と衰え、身体のあちこちにガタもきている50代の疲れた中年になっていた。

ある日、診察を受けた病院でかつての教え子、斎藤智之<愛称ゴルゴ>(柳楽優弥)と偶然再会する。ゴルゴは非凡な野球センスがありながら、堪え性のない性格ゆえに努力もせず、途中で挫折し、高校を中退した生徒である。今では、20代半ばを越え、妻・雪乃(川栄李奈)と息子・集と幸せな家庭を築き、立派な大人に変貌していた。そのゴルゴが末期がんで余命半年であることを知らされる。赤鬼はゴルゴのために、かつて彼が挑むはずだった甲子園出場を賭けた決勝戦の再現試合を企画する。10年という歳月を経て、それぞれの秘めた思いを胸に、ゴルゴにとって最後の試合が行われるのであった―。

詳細

映画『泣くな赤鬼』
公開日:2019年6月14日(金)
出演:堤真一、柳楽優弥、川栄李奈、竜星涼、キムラ緑子、麻生祐未
原作:重松 清『せんせい。』所収「泣くな赤鬼」(新潮文庫刊)
監督:兼重淳
※「汗と涙をふこう☆オリジナルミニタオル」付きムビチケカード(1,400円(税込))は、4⽉19⽇(⾦)~⼀部の劇場を除く全国の上映劇場にて販売。

© 2019「泣くな赤鬼」製作委員会




阪神 急降下の原因は貧打にあり…

2019年06月17日 20時07分18秒 | 社会・文化・政治・経済

クリーンアップよ、奮起せよ!レジェンドがカツ

 奇跡的な猛追で16日のオリックス3回戦(京セラ)を延長12回の末に引き分けた矢野阪神。だが、パ最下位のオリックスに2敗1分と1勝もできず、首位・広島との差は「3」に広がってしまった。敗戦濃厚の試合をドローにした粘りは評価できても、連敗が止まらないまま18日から始まる楽天、西武との6連戦を迎えるのはやはり厳しい。16日の試合を現地で取材した虎のご意見番・小山正明氏は「投手陣は踏ん張ってる。とにかくクリーンアップや」と指摘、糸井、大山、福留の奮起を促した。

大山の走塁に…指揮官「論外」と断罪

  ◇  ◇

 ソフトバンクの左腕・大竹に完ぺきに抑えられた13日(木)の完封負けはやむなしとしても、その後は“痛恨”の連続。オリックス3連戦初戦の14日(金)は八回に西を継いだ藤川が逆転を喫し、15日(土)は守護神・ドリスが自らの失策からピンチを招いて逆転サヨナラ負け。16日(日)も負の流れを止められず、七回まで左腕・田嶋の前に無安打の貧打ぶり。九回2死から代打・福留の起死回生となる同点二塁打で延長12回ドローに持ち込んだものの、わずか3安打でパ最下位に沈むチームに1勝もできずに終わったのは、やはり痛恨と言わざるを得ない。

 2週間ぶりに虎のレジェンドOB・小山正明氏の携帯を鳴らすと、案の定、怒りに満ちた低い声が飛び込んできた。16日の長い延長戦を現地で取材してきただけに「点が取れんよなぁ…」という第一声は疲労困憊の様子。一番与しやすしと思われたオリックス相手に2敗1分という内容は、怒りよりも呆れ、と言った方がいいトーンだった。しかし、話すうちに徐々に怒りがこみ上げてきたようだ。こちらの質問を遮って自説を展開した。これはもう黙って聞くしかない。

 「とにかく点が取れん。きょう(16日)でもよう引き分けたとはいえ、たった3安打や。先発陣は何とかゲームを作っとるんやが、打線の援護がない分、終盤にへたる。オリックス戦の藤川、そしてドリス。勝ちパターンに入りながら逆転負けを喫したんやが、打線がもう少し頑張ってれば両方とも拾えたはず。今の状況は投手陣が可哀想やと思うね」

 「僕は開幕直後から言ってきてるんやけど、やっぱりクリーンアップがしっかりせんと勝てん。オリックス2回戦は糸井が同点二塁打、大山が勝ち越し適時打を打ってはおるが、より厳しい局面では打てん。3回戦も追いついてから延長12回のチャンスで大山が凡退。勝ち越しを逃した」

 小山氏が最初に指摘した15日の第2戦。矢野監督は勝ち越した後の大山の走塁を『論外』だと切り捨てていたが、個人的には1点リードで迎えた九回表の打席が大いに不満が残る。先頭打者で登場した大山は、フルカウントからオリックスの助っ人投手が投じた完全なボール球に手を出して三振に倒れた。続く福留が四球で歩いたことを考えると、大山が選んでいれば願ってもないチャンスが広がったと想像できる。なのに…。

 -大山三振後、四球で出塁した福留の代走・荒木が盗塁死。阪神・矢野監督のリクエスト要求も実らず、次の梅野も三振で追加点を逃しました。この時点で不穏なムードがプンプン漂ってました。

 「僕もそう感じた。とにかく阪神の打者はボール球に手を出し過ぎや。コースに決まったストライクが打てないのに、まだ外れたボール球が打てるはずない。1つのボールの見極めがどれほど局面を変えるか、阪神の打者はどれだけ理解してるのか…。フリー打撃でもただポンポン打てばええ、ちゅうもんやない。そのあたりを考えながら練習せんとあかんわな」

 開幕からずっと4番を任されている大山は、5月30日の巨人10回戦(甲子園)に9号3ランを放って以来、15試合本塁打なし。その前を打つ糸井も今季わずか4本塁打で、以前のような“超人的”な活躍は望むべくもないし、福留も疲労を考慮しつつの起用。これと他球団のクリーンアップと比べた時、やはり“脆弱感”は否めない。投手出身の小山氏が嘆くのもよく理解できる。ただ、そんなクリーンアップ以上に気になるのが切り込み隊長の近本。16日の試合も犠打が一つあるだけで5打数無安打と快音は聞かれなかった。

 -難敵だったソフトバンク戦を1勝1敗1分の五分で終え、リーグ最下位のオリックスにまさかの勝ちなし。苦しい状況で楽天、西武との交流戦最終週に突入します。クリーンアップも気になりますが、先週の6試合で最も苦しんだ近本に目がいきます。小山さんは彼をどう見てますか。

 「ここにきて強弱のポイントを各球団を突かれてきてる感じがするね。それにスイングにもキレがない。体力的なバテもあるやろうが、スタメンで出る以上、それは言い訳にならん。いつかも言うたが、何度か訪れる試練を自分で乗り越えてこそ本当のレギュラーとして周囲に認められる。彼には頑張ってほしいね」

 小山氏の言う通り、近本には早く本来の姿を取り戻してほしい。ここまで貯金生活のチームを引っ張ってきた彼が元気にグラウンドを駆け回れば、大山らクリーンアップも負けじとついてくる。交流戦残り6試合。18日からの楽天3連戦では兵庫・社高校の後輩・辰己と相まみえる。ここでいい意味での刺激を受け、何とか浮上のきっかけをつかんでもらいたい。18日は星野仙一元監督の出身地・倉敷での試合。天国で見守る“闘将”に、無様な試合は見せられない。(デイリースポーツ・中村正直=1997~99年阪神担当キャップ、前編集長、現販売局長)

 
 

生きながらえる術

2019年06月17日 12時39分36秒 | 社会・文化・政治・経済
生きながらえる術

鷲田 清一著

商品の説明

生きるために必要で、必要であるがゆえにあたりまえのこととして日常に組み込まれてきたため、つよく意識されなかった手わざ。
専門家と称する人にお金を出してなにかをやってもらうのではなく、身近なだれかが持っている兼業的な能力を信頼し、顔を知っている人たちのもう一つの「面」を使わせてもらう、融通の余力はかつてはあった。
いつか、なにかに役立つときがくる。
そういう感覚を人々はだいじにしていたし、職人たちは自分の仕事を成り立たせてくれる仲間との無言の連携を大切にして、互いのために手を抜かなかった。
利便性や効率より、貧しさと不便さのなかの豊さを実践していた。
しかしいま、そういう日々の営みが分断され、分業化されて、個々の仕事が見えにくくなっている。
特定多数への発信を可能にした通信機器の進化は、同時に一対一のつながりを外に持ち出し、相手以外の存在に目を向けなくさせうことで、逆に周囲から人を孤立させることにもなった。
このままでいいはずはない。
戦争や災害、人為による大事故が生じたら、生活を生活たらしめていたものが一瞬のうちに断ち切られる。
そうなるともう、ひとりではなにもできなくなる。
では、失った手のわざと協働の術をどのように回復したらいいのか。

内容紹介

モノの形の味わい、生きることの難儀さ、芸術の偉力、考えることの深さ。

多面体としての人間の営みとその様々な相に眼差しを向け織りなされる思索。日常を楽しみ味わいながら生きるための技法を、哲学者が軽やかに、しかも深く語るエッセイ80編余を収録。

内容(「BOOK」データベースより)

行きづまる社会に、“空き地”をひらくためにデザイン、芸術、哲学、地域活動の“声”を聴く。

著者について

鷲田 清一
1949年京都生まれ。哲学者。大阪大学学長、京都市立芸術大学学長を歴任。現在、せんだいメディアテーク館長。現象学研究に始まり「臨床哲学」を提唱・探求する。

朝日新聞で「折々のことば」を連載中。
著書に『顔の現象学』『〈弱さ〉のちから』『京都の平熱』『じぶん・この不思議な存在』『「ぐずぐず」の理由』『「待つ」ということ』『「聴く」ことの力――臨床哲学試論』『哲学の使い方』など多数。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

鷲田/清一
1949年生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得。大阪大学文学部教授、大阪大学総長、京都市立芸術大学理事長・学長を歴任。現在、せんだいメディアテーク館長、サントリー文化財団副理事長。現象学研究に始まり「臨床哲学」を提唱・探究する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



35人の演奏家が語るクラシックの極意

2019年06月17日 12時27分39秒 | 投稿欄
 
 
商品の説明

インタビューのさなか、よく相手から「メモを取らないで大丈夫?」と心配されたという。
優れたインタビュー記事は、会話を、筆記したり、テープを起こしたりしたのでは生まれない―との信念に驚かされる。

内容紹介

国際舞台の第一線で活躍するアーティストへの取材を通じて見えてくる彼らの素顔。それは、ひたむきで真摯な人間像である。様々な試練を乗り越え、克己して今日の名声を確立した彼らの確信に満ちた言葉の数々は、読む者に生きる力、勇気を与えてくれる。

内容(「BOOK」データベースより)

取材経験豊かなヴェテラン音楽ジャーナリストが深い信頼と共感の中で演奏家に聞く「音楽の力」。

伊熊/よし子
音楽ジャーナリスト、音楽評論家。東京音楽大学卒業。レコード会社、ピアノ専門誌「ショパン」編集長を経てフリーに。クラシック音楽をより幅広い人々に聴いてほしいとの考えから、音楽専門誌に限らず、新聞、一般誌、情報誌、WEBなどに記事を掲載。アーティストへのインタビューの仕事も数多く、最も多い年で年間74人のアーティストに話を聞いている。クラシックは「生涯の友」となり得るものであるという信念のもとに、各アーティストの演奏、素顔、人生観、音楽観を自分の言葉で人々に伝えることに全力を傾けている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

 

映画「ニューヨーク公共図書館」 エクス・リブス

2019年06月17日 11時46分57秒 | 社会・文化・政治・経済

解説

世界中の図書館員の憧れの的である世界屈指の知の殿堂、ニューヨーク公共図書館の舞台裏を、フレデリック・ワイズマン監督が捉えたドキュメンタリー。

19世紀初頭の荘厳なボザール様式の建築物である本館と92の分館に6000万点のコレクションを誇るニューヨーク公共図書館は、地域住民や研究者たちへの徹底的なサービスでも知られている。

2016年にアカデミー名誉賞を受賞したドキュメンタリーの巨匠ワイズマンが監督・録音・編集・製作を手がけ、資料や活動に誇りと愛情をもって働く司書やボランティアの姿をはじめ、観光客が決して立ち入れない舞台裏の様子を記録。

同館が世界で最も有名である理由を示すことで、公共とは何か、そしてアメリカ社会を支える民主主義とは何かを浮かび上がらせていく。リチャード・ドーキンス博士、エルビス・コステロ、パティ・スミスら著名人も多数登場。

第74回ベネチア国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞。

「図書館は単なる書庫ではない。図書館は人。主役は知識を得た人々」
目下の難題は、インターネットにつながっていない人々や路上生活者への支援だ。
図書館とは、未知の異なる考え方や見方に出合い、世代を超えて生涯をかけて学ぶ場、進化し続ける民主主義の学校だった。

予算の半分を民間の寄付で運営するからこそ「公共」を名乗る。
そこに市民生活の土台を担う強い自負を見る。
「エクス・リブス」は、「これは図書館のほんの一部にすぎない」という意味をワイズマン監督は込めたという。

ポスター画像
 

良い歌に接することで

2019年06月17日 11時21分18秒 | 社会・文化・政治・経済

如何なる逆境にも、理想を掲げ抜く。

人間的成長とは「自身が苦しい時でも他者に手を差し伸べることだ」。

何のたに学ぶのか。
生きるのか。
その問いの答えを、自らの人生を通して示す―と自らに誓う。

貢献的人生を生きるために。

<言葉は文化であり、肌触りである>奈良大学文学部教授の上野誠さん
「良い歌に接することで心に<気づき>が起こる。すると世の中の見え方が変わる。そこから人生も変わっていく。そのような循環が起きます。それが<古典の力> <文学の力>だと思います」


今が勝負だ!

2019年06月17日 11時00分52秒 | 社会・文化・政治・経済

闘争せよ!
その中で自分自身を鍛えよ!

中途半端に終わった事は未練の記憶として残る。

時を逃さず全力で。

強くなってほしい。
志の種を心に植えてほしい。

まず、<必ずそうなろう><勝とう>と決めることだ。

今が勝負だ!

一人の人を大切に。

一対一の励ましを根本にスクラムを広げていく。

「新しい力」が「新しい道」を開いていく。


なお消えることなき情熱

2019年06月17日 10時50分58秒 | 社会・文化・政治・経済

「情熱」を意味する英語の「パッション」は、ラテン語の「苦しむ」が語源だそうだ。
一つの物事を成し遂げる人間は、いかなる試練にも屈することなく、心を燃やして自ら決めた道を歩み抜く。
誰に何を言われようと、決してとどまらない。
「40代、50代、60代、70代、さらに80代と年齢を刻みながら、なお消えることなき情熱こそ、本物だ」。
万人の人生を輝かせる、人間主義の運動に熱い思いで挑みたい。  

   


香港 逃亡犯条例とは?

2019年06月17日 03時28分04秒 | 社会・文化・政治・経済

「完全撤回」求め200万人デモ=逃亡犯条例改正、政府トップが謝罪
【香港時事】香港で身柄を拘束した容疑者の中国本土への移送を可能にする「逃亡犯条例」改正に関して、反対派の民主派団体が16日、香港で大規模デモを行った。

逃亡犯条例とは?
香港以外の国・地域で犯罪に関わり香港内に逃げ込んだ容疑者の扱いについて、協定を結んだ相手国の要請に応じて引き渡すことができるよう定めた条例。
出典:時事通信 6/12(水)


逃亡犯条例改正になぜ反対?
香港市民が中国に身柄を引き渡されるようになれば、深刻な欠陥を抱える中国本土の司法制度に香港市民がさらされることになると懸念。
出典:BBC News 6/15(土)
香港デモが政府を動かす 逃亡犯条例改正の延期を決定
出典:時事通信 6/16(日)

【香港時事】香港で身柄を拘束した容疑者の中国本土への移送を可能にする「逃亡犯条例」改正に関して、反対派の民主派団体が16日、香港で大規模デモを行った。

中国、米との火種を回避=対香港「一国」優先に誤算

 主催した民主派団体「民間人権陣線」によると、約200万人が参加(警察発表では33万8000人)。香港政府は改正の無期限延期を決めたが、参加者はあくまで「完全撤回」を主張し、デモ隊の一部は立法会(議会)周辺の道路を占拠した。

 香港の人口は約750万人で、4人に1人が参加した計算。9日の100万人デモを大幅に上回り、香港史上最大級のデモとなった。市民の民意が改めて示された形で、政府は16日夜、トップの林鄭月娥行政長官が「多くの市民の失望と心痛を招いたことを謝罪し、誠意と謙虚さをもって批判を受け入れる」意向だとする声明を発表した。

 午後3時(日本時間同4時)に始まったこの日のデモでは、香港島中心部の公園から立法会前までの約4キロを「延期ではなく撤廃を」などと叫びながら行進。林鄭長官の辞任と、12日の大規模な抗議行動で警察が催涙弾などの武力を行使したことへの憤りも併せて訴えた。

 参加者の多くが黒い服を着用し、政府や警察への「怒り」を表現。友人と参加した女子学生(17)は「同じ学生に暴力を振るった警察が許せない。改正案も、完全撤廃されるまではまたいつ審議が始まるか分からず、今の状態では納得できない」と話した。 


西郷隆盛は明治新政府の初期の腐敗ぶりに涙した

2019年06月17日 03時01分04秒 | 社会・文化・政治・経済

2018, 02. 01 (Thu) 

Category版籍奉還から廃藩置県

岩波文庫に『西郷南洲遺訓』という本がある。この本に西郷隆盛の遺訓をまとめた『南洲翁遺訓』などが収められているのだが、この『南洲翁遺訓』は戊辰戦争で薩摩藩と敵対した旧庄内藩の旧家臣の手によって、明治23年に制作され広く頒布されたものである。

南洲翁遺訓

なぜ薩摩藩ではなく庄内藩の旧家臣によって西郷隆盛の遺訓集が作成されたのかと誰でも思うところなので、その点について少し説明しておこう。

薩摩藩邸襲撃による火災
【薩摩藩邸襲撃による火災】

薩摩藩は慶応3年(1867)12月9日の王政復古の大号令の後、芝三田の薩摩藩邸に浪人を集めて江戸の治安を攪乱させていた。当時江戸市中の警備を担当していたのは庄内藩であったが、12月25日には薩摩藩邸の浪人が庄内藩邸に発砲する事件が発生したことから、老中稲葉正邦は庄内藩に命じ薩摩藩邸を襲撃させている。

この事件がきっかけとなって戊辰戦争が始まり、庄内藩は官軍と戦いの末敗れてしまったのだが、共に列藩同盟の盟主であった会津藩が解体と流刑となったのとは逆に、庄内藩は比較的軽い処分で済み旧庄内藩主の酒井忠篤(さかいただずみ)は明治3年に庄内藩に復帰している。これには明治政府軍でも薩摩藩の西郷隆盛の意向があったと言われ、この後に庄内地方では西郷隆盛が敬愛されることとなる。

【酒井忠篤】

西郷は戊辰戦争が終了した後は東京残留を断って鹿児島に戻っていたのだが、明治3年(1870)に酒井忠篤は旧藩士らを従えて鹿児島に西郷を訪ねてその教えを請い、その後も旧庄内藩士らは鹿児島を訪れて、西郷から直接話を聞いたという。
明治22年(1889)に大日本帝国憲法が公布されると、西南戦争で剥奪された官位が戻されて西郷の名誉が回復されることとなり、酒井忠篤が旧庄内藩の旧藩士たちに命じて、西郷生前の言葉や教えを集めて遺訓を発行することになった。それが『南洲翁遺訓』なのである。

『南洲翁遺訓』は今では誰でもネットで訳文や解説文が読むことができる。
いろんなサイトがあるが、例えば『敬天愛人フォーラム21』の『西郷南洲翁遺訓集』は読みやすくてお勧めである。
この遺訓を読むと、西郷が、出来たばかりの新政府にかなり批判的であったことが垣間見えてくる。いくつかを紹介しよう。
この遺訓を読むと、西郷が、出来たばかりの新政府にかなり批判的であったことが垣間見えてくる。いくつかを紹介しよう。

「第一ケ条
第一ケ条
【原文】
廟堂に立ちて、大政を為すは、天道を行ふものなれば、些とも私を挟みては済まぬもの也。いかにも心を公平に操り、正道を踏み、広く賢人を選挙し、能く其職に任ふる人を挙げて、政柄を執らしむるは、即ち天意也。夫れ故真に賢人と認める以上は、直に我が職を、譲る程ならでは叶はぬものぞ。故に何程国家に勲労有るとも、其の職に任へぬ人を、官職を以て賞するは、善からぬことの第一也。官は其の人を選びて之を授け、功有る者には俸禄を以て賞し、之を愛し置くものぞと申さるる…
【訳文】
政府に入って、閣僚となり国政を司るのは天地自然の道を行なうものであるから、いささかでも、私利私欲を出してはならない。だから、どんな事があっても心を公平にして、正しい道を踏み、広く賢明な人を選んで、その職務に忠実に実行出来る人に政権を執らせる事こそ天意である。だから本当に賢明で適任だと認める人がいたら、すぐにでも自分の職を譲る程でなくてはならい。従ってどんなに国に功績があっても、その職務に不適任な人を官職に就ける事は良くない事の第一である。官職というものはその人をよく選んで授けるべきで、功績のある人には、俸給を多く与えて奨励するのが良いと南洲翁が申される…」

西郷は国政を担う人物は、私利私欲で動く人物であってはだめで、いかに功績があったとしても、相応しくない職を与えるなと言っている。具体的な名前を挙げてはいないが、西郷から見て不適任な人物が多数政府にいたのであろう。西郷はこう述べている。

「第二ケ条
【原文】
賢人百官を総べ、政権一途に帰し、一格の国体定制無ければ、縦令人材を登用し、言路を開き、衆説を容るるとも、取捨方向無く、事業雑駁にして成功有るべからず。昨日出でし命令の、今日忽ち引き易ふると云様なるも、皆統轄する所一ならずして、施政の方針一定せざるの致す所也。
【訳文】
立派な政治家が、多くの役人達を一つにまとめ、政権が一つの体制にまとまらなければ、たとえ立派な人を用い、発言出来る場を開いて、多くの人の意見を取入れるにしても、どれを取り、どれを捨てるか、一定の方針が無く、仕事が雑になり成功するはずがないであろう。昨日出された命令が、今日またすぐに、変更になるというような事も、皆バラバラで一つにまとまる事がなく、政治を行う方向が一つに決まっていないからである。」

立派な人物がいて発言の場を与えたとしても、新政府には、わが国をどのような国にするかという基本方針がしっかり定まっていなかった。
明治2 (1869) 年の「版籍奉還」で、諸藩主が土地と人民に対する支配権を朝廷に返還したものの、新政府は旧藩主をそのまま知藩事に任命して藩政に当たらせたため、地方に権力を残したままとなってこれでは中央集権国家は成立しえない。朝廷に兵力も財力もなく権威もなければいずれ天下は遠からずして瓦解してしまうことになる。
しかしながら新政府には、そのような危機感も持たずに自分の藩や自分の利益ばかりを追い求めるようなレベルの人間が少なからずいたことは第四ケ条を読めばわかる。

「第四ケ条
【原文】
万民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし、驕奢を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して、人民の標準となり、下民其の勤労を気の毒に思ふ様ならでは、政令は行はれ難し。然るに草創の始に立ちながら、家屋を飾り、衣服を文り、美妾を抱へ、蓄財を謀りなば、維新の功業は遂げられ間敷也。今と成りては、戊辰の義戦も偏へに私を営みたる姿に成り行き、天下に対し戦死者に対して、面目無きぞとて、頻りに涙を催されける。
【訳文】
国民の上に立つ者(政治、行政の責任者)は、いつも自分の心をつつしみ、品行を正しくし、偉そうな態度をしないで、贅沢をつつしみ節約をする事に努め、仕事に励んで一般国民の手本となり、一般国民がその仕事ぶりや、生活ぶりを気の毒に思う位にならなければ、政令はスムーズに行われないものである。ところが今、維新創業の初めというのに、立派な家を建て、立派な洋服を着て、きれいな妾をかこい、自分の財産を増やす事ばかりを考えるならば、維新の本当の目的を全うすることは出来ないであろう。今となって見ると戊辰(明治維新)の正義の戦いも、ひとえに私利私欲をこやす結果となり、国に対し、また戦死者に対して面目ない事だと言って、しきりに涙を流された。」

このように西郷は、維新の事業が始まったばかりの大事な時に、新政府の中で私利私欲に目がくらんだような連中の振舞いが多いのを見て、何のために戊辰戦争を戦ったのかと涙を流したというのだが、出来たばかりの明治新政府の官吏の働きぶりは、具体的にはどのようなものであったのだろうか。

横山安武
【横山安武】

明治3年の7月27日に薩摩藩士の横山安武という人物が、明治政府に仕える官吏の驕奢な暮らしぶりに憤慨して『時弊十箇条』を挙げた書を集議院門扉に公示して割腹自殺を遂げる事件があった。彼は初代文部大臣を務めた森有礼の実兄で、儒学者の横山安容の養子となって藩に出仕し、後に島津久光に側近として仕えた人物である。
西郷は後に彼の死を惜しんで碑文を作って弔ったのだが、この横山が死を以て訴えた『時弊十箇条』は、『南洲翁遺訓』の第四ケ条の内容をもう少し詳しく、具体的に記した文書としてもっと注目されてよいと思う。

『時弊十箇条』写
【『時弊十箇条』写】

『時弊十箇条』の全文は明治44年刊の河村北溟著『西郷南州翁百話』に出ている。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/755544/85
が、昭和6年刊の望月茂 著『憲政史物語』の方が解説がなされていて読み物としてわかりやすい。引用部分の『』の太字斜字部分が『時弊十箇条』の原文で、その他の部分は望月茂氏の解説で、ある。文中の『三條公』というのは三条実美、『岩倉徳大寺』は岩倉具視と徳大寺実則のことである。また『集議院』というのは、「五か条の誓文」中に「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」と定められたことにより設置されたが公選により選ばれたものではなく、ほとんど機能しなかったという。
望月茂は『時弊十箇条』をこう解説している。

「彼は、わずかに28歳の一青年に過ぎなかったが、建白の十ケ条は悉く時弊をついている。
『一、 輔相の大任をはじめ、侈靡驕奢、上朝廷を暗誘し、下飢餓を察せざる也。』
この時代は、明治も早や三年。維新当時の緊張しきった心持がうせて、大臣諸公がぼつぼつ贅沢をはじめ、青公卿が威張りだした。三條公などでさえ、白昼公然、流行の馬車を駆って吉原の大門を潜る始末。…
『二、 大小官員も、外には虚飾を張り、内に名利を事とする少なからず』 
これは、いつの世も泰平になると免れない。
『三、 朝令夕替、万民、狐疑を抱き、方向に迷う。畢竟牽強付会。心を着実に用いざる故なり。』
痛いところを抉っている。全く明治初年の制度は、ああでもないこうでもないと猫の眼玉のように変わっている。それでは民衆が、疑いをさしはさむは当然である。
『四、 道中人馬賃銭を上増し、五分の一献金等、すべて人情事実を察せず。人心の帰不帰を省みず。剥刻の処置なり。』
『五、 直を崇ばず、能者を尚び、廉恥上に立たざるがゆえに世風日に軽薄なり。』
これは、昭和の今日も同じらしい。
『六、 官の為に人をもとめずして、人の為に官を求むる故に、毎局己れの任に尽くさず。職事、賃取仕事のように心得る者あり。』
どうも、今聞いても耳がいたい。
『七、 酒食の交厚く、道義の交薄し。』
明治3年、已に然りとせば、今日の道義の交わりおとろえたるは、致し方ないことかもしれない。
『八、 外交人に対し、約定(条約の意)の立法、軽率なるをもって、物議沸騰を生ずること多し。』
『九、 黜陟の大典立たず。多くは愛憎をもって進退す。春日某の如き廉直の士はかえって私恨を啣み、冤罪に陥る数度なり。岩倉徳大寺の意中に出づると聞く。』
ここに春日某としてあるのは、春日潜庵をさしている。彼は硬骨の陽明学者。維新後奈良県知事となったが、讒を蒙って囹圄(れいご)の人となって以来、又出でて仕えず。明治11年没するまで、一処士として終わった。南洲翁の兄事していた人物である。
『十、 上下、こもごも利を征りて、国危うきこと。』
この十ケ条をあげているが、これを要するに、今日の言葉で言えば綱紀粛正である。彼は、なお最後に付け足し、朝鮮から頻りに侮られるが、それくらいのことで、兵を動かすというようなことは、とんでもないことだと言っている。口に一新を唱えて、一新の実あがらざる今日、外国へ兵を構えることなどは、国事をもって遊戯視する徒輩の暴論である。朝鮮は、文禄時代の朝鮮ではない。今日、国力の充実せざる矢先血気にかられて左様なことをするのは、国を亡ぼすものだと極言している。
集議院あれども無きが如く、草莽の議論が行われぬ折柄、ただ一片の建白ぐらいでは、政府の大官の意中を動かすことが出来まいと信じた彼は、ついに死をもって諫言しようとした。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1268721/33

横山が批判した通り、当時の政府は課題や問題が山積みで、その政情は混迷をきわめていた。明治2年(1869)5月に榎本武揚以下旧幕臣が立てこもっていた函館の五稜郭が開城し戊辰戦争が終結すると、翌月には王政復古や戊辰戦争に功績のあった者に対し賞典禄や位階が与えられるなど論功行賞が行われたが、それら恩賞は薩摩藩、長州藩出身者に手厚いものであり、両藩に対する非難が出ていたという。また薩長両藩の間でも、政府の人事について争いが生じて、新政府は発足当初からかなり問題を抱えていた。
それだけではない。明治2年は天候不順で全国各地で農作物が不作を極めて物価が高騰し、農民の暴動が各地で起こっている。

廃仏毀釈

そんな情勢であるにもかかわらず、新政府の役人どもは仕事らしい仕事をせず、各藩の元大名屋敷を分捕って、使用人を雇い妾を囲うなど、旧大名さながらの驕奢な生活をするものが少なくなかった。この時期に明治新政府が率先して推進したのは、廃仏毀釈という文化破壊と、東京奠都と、中途半端な版籍奉還ぐらいで、評価に値することは殆んど何もしていないのだ。

横山は「官の為に人をもとめずして、人の為に官を求むる故に、毎局己れの任に尽くさず。職事、賃取仕事のように心得る者あり。(仕事の為に人材を求めるのではなく、人のためにポストを与えるために、やるべき任務が尽くされない。給料のための仕事と考える者がある)」と書いているが、西郷にとっても同じような気持ちであったと思われる。

横山安武顕彰碑
【横山安武顕彰碑】

明治5年に西郷が横山安武の顕彰碑の碑文を書いているが、この全文が青空文庫で読める。西郷が個人の為に碑文を書くことは珍しく、この碑文の他に1例があるだけだ。いかに西郷が横山の死を惜しんだかがわかる。

西郷の碑文で注目していただきたいのは次の部分である。
「この時にあたり 、朝廷の百官 、遊蕩驕奢(ゆうとうきょうしゃ)にして事を誤るもの多く 、時(じ)論(ろん)囂々(ごうごう)たり 。安武すなわち慨然(がいぜん)として自ら奮つて謂く 、王家(おうけ)衰弱(すいじゃく)の極ここに兆す 。」

税金泥棒のような政治家や官僚がはびこることは何も明治初期だけの現象ではなく、程度の差はあれいつの時代もよく似たものだと思うのだが、今のわが国はかなりひどい状態と言っては言い過ぎであろうか。

重大な安全保障上の問題が多々あるにもかかわらず、国会ではどうでも良いことばかりを議論して、官僚は省益ばかりを追い求める連中があまりにも多い。
国益に関わる重要な問題を何一つ解決できないのなら、職を辞してもらいたいと言いたいところだ。
もし西郷隆盛や横山安武がもし今も生きていたとしたら、わが国の政治家や官僚やマスコミなどに対して決して黙ってはいないことだろう。

 


明治政府の過ち

2019年06月17日 02時55分00秒 | 社会・文化・政治・経済

歴史家の井上清氏は『日本の歴史20』の中で、新政府高官についてこう記している。
「驚くほどの高給をむさぼり、広大な邸宅を与えられ、まるで大名暮らしであった。とくに財政経済担当の官僚は、三井組、小野組をはじめ、大商業資本家と結びついてぜいたくをきわめていた。会計官の大隈重信はその典型と見られた。その反面、士族とりわけ下級士族の窮迫を、政府はいっこうに気にもかけない」
 西郷はこのような高官たちに嫌気がさしていた。
井上氏はこう続ける。「士族を社会のじやまものにすることは、西郷には絶対にゆるせなかった。このようなかれは、士族を無視する中央政府にでる気にはどうしてもなれなかった」
 こうした西郷の心情は、1871(明治4)年6月25日、参議として政界に復帰する際、桂に宛てた手紙の中の一文、「政府を一洗する」が表している。
 また、西郷が政治家としても有能だったことは、西郷が下野したのち、岩倉や大久保が政府への復帰をしきりに要望していることが証明している。
そして実際、各藩ならびに士族たちの不満が爆発するとみられた廃藩置県の際には、薩摩藩の島津久光に協力を仰いでまで西郷の復帰を要請。
大久保は西郷に直談判して、協力を懇願したのだ。
 盟友の依頼を受けた西郷は再び政府に入り、廃藩置県を断行。
1871(明治4)年10月8日、岩倉具視を特命全権大使とする米欧使節団が日本を発ったあとのいわゆる「留守政府」の筆頭参議として、地租改正、封建的身分制度の廃止、徴兵令・学制の発布、太陽暦の採用など、後年「明治維新」とされる諸改革を行なった。
 このような改革は、西郷が薩摩藩、あるいは旧士族だけにこだわっていれば、とうてい、なしえないものである。


矢野監督執念継投でドロー「感謝」救援7投手無失点

2019年06月17日 02時42分19秒 | 社会・文化・政治・経済

2019年6月16日日刊スポーツ

延長12回引き分けで選手を出迎える矢野耀大監督
オリックスと引き分けマウンドでハイタッチする阪神ナイン

<日本生命セ・パ交流戦:オリックス5-5阪神>◇16日◇京セラドーム大阪

阪神が執念継投で引き分けに持ち込んだ。チームは前夜まで2試合連続で終盤の逆転劇を食らっていたが、ラファエル・ドリス投手(31)が好救援するなど悔しさを晴らした。

5-5の10回。回またぎした能見が先頭の佐野に二塁打を許した直後だ。前夜黒星を喫していたドリスが火消しの期待を背負い、マウンドに上がった。「今日はフォークをよく使った。内野フライや内野ゴロに抑えたかったので、そういう選択になりました」。1死一、二塁で迎えた大城に対し、フォークでカウントを整え、最後は二ゴロに仕留めた。続く後藤は140キロフォークで一ゴロに打ち取った。自らの悪送球も絡んで暗転した前日から一転。狙い通りの投球で、バトンをつないだ。

11回は藤川がしのぎ、最終回を締めたのはリリーフ陣最年少、20歳の浜地だった。「ずっとピッチャーの先輩がつないできてくださって、なんとか抑えたいと思っていました。そういう場面を任せていただいて、意気に感じました」。3番佐野を遊ゴロに打ち取ると、4番ロメロには146キロ直球で空振り三振。中軸を相手にわずか10球で3者凡退に抑えた。「監督にいくぞ、と言われた時は少し緊張しましたが、1球投げていつも通り投げられたかなと思います。いいバッターでなおさら気合が入って良かったかなと思います」。最後の投手だったため、初ホールドはつかなかったが、チーム今季2度目の8人継投で、救援7投手オール無失点を完結させた。

矢野監督も「中継ぎもみんな疲れている中、球児もみんな、なんとかゼロで帰ってこようというのでやってきた。みんなに感謝だね」。8回の男ジョンソンを欠く中で、藤川が3日連続登板するなど、まさに総力戦でもぎ取ったドローだった。【磯綾乃】