江戸の読書会

2019年09月03日 21時26分43秒 | 社会・文化・政治・経済
 
前田 勉 (著)

内容紹介

読書会は江戸の儒学塾で始まる。明治の政治的公共性を準備したのは平等で相互的な議論の場=会読だった。

驚くべく新鮮な政治思想史。

読書をはさんだ自由な討論。
そこに身分を超えた対等な空間を生み、異なる意見を受け入れ、フェアな競争、知的な遊びとなった。
殿様といえどもそんな場での討論では対等と考えられた。
その意味で純粋な知的な競いの場であった。

内容(「BOOK」データベースより)

仁斎・徂徠のもとで始まり全国に広がった読書会=会読は、身分制社会のなかではきわめて特別な、対等で自由なディベイトの場だった。

その経験とそこで培われた精神が、横議横行する志士たちを、近代国家を成り立たせる政治的公共性を準備した。思想史の傑作。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

前田/勉
1956年、埼玉県生まれ。東北大学大学院博士後期課程単位取得退学。現在、愛知教育大学教授。博士(文学)。専攻、日本思想史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


 
 

体罰は犯罪です 体罰に教育効果なし

2019年09月03日 21時13分23秒 | 社会・文化・政治・経済

体罰は躾にまったく効果がなかった! むしろ逆効果であることが判明! 

精神疾患にかかる恐れも!
今でも子どもをしつけるのには体罰が必要だという考えを持つ人が多いようです。
ところが最近の米大学研究チームがまとめた分析結果によると、子供は更生するどころか、より反抗的かつ攻撃的になりやすいことが判ったということです。
また精神疾患にかかってしまうリスクもあるということで、大きな注目を浴びています。
「両親や社会に対して反抗的になる」「攻撃性が強くなる」「精神疾患を発病する」「認知機能が低下する」
体罰する親というのは、子供が憎くてやっているのではなく、「子供に少しでも良い子になってほしい」そう思って叩いている親が大半。
けれど、そんな親の願いに反して、叩かれた子供には真逆の感情が芽生えてしまう、ということがわかりました。
さらに、幼少期によく体罰を受けた子供はそうでない子に比べ、大人になってから精神的に不安定になったり、社会にうまく順応できないという問題に直面する傾向があるとわかりました。


「心=身体」の声を聴く

2019年09月03日 20時56分36秒 | 社会・文化・政治・経済

泉谷 閑示 (著)

内容紹介

大自然の叡智を備えた人間の「心=身体」。
だが近現代の人間は「頭」と理性でその豊潤な泉にフタをして生きてきた。そして様々な心身の不調が生まれた。
心に由来する「深い感情」が抑圧され、「浅い怒り」が撒き散らされる現代社会には孤独への恐れ、同調過多のムラ社会、何をすればいいか分からない悩みといった生きにくさの要因が蔓延する。
規則正しい生活への信仰や「大通りを行くこと」を疑い、自分自身の内面と向き合って「にぎやかで豊かな孤独」や「深い怒り」の声に耳を傾けよう──。

医師であり音楽・舞踏にも造詣の深い著者による、「心の復権」をめぐる多彩な小論集。 

〈著者のことば〉
これまで私が一貫して唱えてきたことは、大自然の叡智を備えた「心=身体」の声に耳を傾け、その導きを正しく受け取ることの大切さです。近現代の人類は、たしかに「頭」の理性の働きによって文明の飛躍的進歩を成し遂げてきました。しかし、それが私たちをどれだけ幸せにしたのかと考えてみると、その進歩を手放しで喜ぶわけにもいきません。
「頭」を過度に重視し「心=身体」をないがしろにし続けた結果、現代人には様々な心身の不調が増加してきていますし、これに対する現代の医療もまた「心=身体」を軽視した皮相的・実利的な方法論が主流で、本質を見失った閉塞状況に陥っています。
また、「心=身体」とのつながりを失った人間たちが社会の主要なポジションを占めるようになって、「ロゴス」なき言動が我が国のみならず、世界中のあちらこちらで力を持ちつつあります。
このように、「心=身体」を無視して「頭」の欲望が肥大化している昨今の風潮は、大げさに聞こえるかもしれませんが、今後の人類の命運すら左右しかねないほどに、重大な問題ではないかと思います。そんな流れの中で私たちに今求められているのは、ひとりひとりが人間の精神構造というものについて理解を深め、流布される非人間的な言動に惑わされることなく、人間らしい社会を死守することではないかと思うのです。
本書では、日常生活にまつわる身近なテーマから、教育やしつけの問題、いわゆる新型うつ病の問題、引きこもりの問題、さらには芸術や文学、哲学など多種多様のテーマを扱っています。
(「おわりに」より)

内容(「BOOK」データベースより)

「頭」の支配と「心=身体」の悲鳴。「頭」を過度に重視し、「心=身体」を軽視する現代人の心身の不調と自閉的世界観による究極のエゴイズム。気鋭の精神科医が、人間の精神構造を見きわめ、「人間であること」の復権をもとめた好エッセイ。

著者について

1962年秋田県生まれ。東北大学医学部卒業。精神科医。
東京医科歯科大学医学部附属病院、神経研究所附属晴和病院等に勤務したのち渡仏、パリ・エコールノルマル音楽院に留学。
現在、泉谷クリニック(東京・広尾)院長。
クライアントの個性を尊重し、ポテンシャルを最大限に引き出す精神療法を専門に行っている。
舞台演出家、作曲家としても活動。
著書『「普通がいい」という病』、『反教育論』(以上、講談社現代新書)、
『あなたの人生が変わる対話術』(講談社+α文庫)、
『仕事なんか生きがいにするな』(幻冬舎新書)、
『クスリに頼らなくても「うつ」は治る』(ダイヤモンド社)、ほか多数。


 


レオナルド・ダ・ヴィンチの名言・格言

2019年09月03日 20時25分54秒 | 野球

レオナルド・ダ・ヴィンチの創造の人生は、<一人の人間に、どれほど豊な可能性が秘められている>を如実に証明している。

「人間はやり通す力があるかないかによってのみ、称賛、または非難に値する」ダ・ヴィンチの言葉

「苦労せざるものは幸運に値せず」

私の仕事は、他人の言葉よりも自分の経験から引き出される。
経験こそ立派な先生だ。

何かを主張をするのに権威を持ち出す人は全て、知性を使っているのではなく、ただ記憶力を使っているだけである。

自分の判断以上に自分を欺くものはない。

美しいものと醜いものは、ともにあると互いに引き立て合う。

その手に魂が込められなければ、芸術は生まれないのだ。

あらゆるものは、他のあらゆるものと関連する。

レオナルド・ダ・ヴィンチの名言・格言

 1452年4月15日、フィレンツェ共和国のヴィンチにて、裕福な公証人の家庭に生まれる。

14歳のときにフィレンツェの画家ヴェロッキオの工房に弟子入り。この工房で理論面、技術面ともに目覚しい才能を見せる。

さらにレオナルドの才能は、設計、化学、金属加工、石膏鋳型鋳造、機械工学などの幅広い分野におよんだ。

この地での3年間を弟子や友人たちとともに過ごし、1519年5月2日、レオナルド・ダ・ヴィンチは67年の生涯を閉じた。

現存するレオナルドの絵画作品は15点程度と多くはない。これは完全主義者で何度も自身の作品を破棄したことや長年にわたって何度も作品に手を加える習慣があったことなどによる。

レオナルドは科学的創造力の面でも才能を発揮し、ヘリコプターや戦車の概念化、太陽エネルギーや計算機の理論なども理解していた。解剖学、土木工学、光学、流体力学の分野でも重要な発見をしている。

30歳からミラノ公国でミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァに仕えて活動。

1499年、47歳のときに第二次イタリア戦争が勃発するとミラノ公国はフランスに敗れ、レオナルドはヴェネツィアへ避難。ヴェネツィアではフランス軍の海上攻撃からヴェネツィアを守る軍事技術者として雇われる。

1500年、48歳で故郷フィレンツェに帰還。その後、1516年にフランス王のフランソワ1世に招かれ、フランソワ1世の居城近くの館が邸宅としてレオナルドに与えられる。


レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年~1519年)

 

イタリアのルネサンス期を代表する芸術家。史上最高の画家の一人とされ、また人類史上最も多才な人物といわれる。

レオナルド・ダ・ヴィンチの英語の名言へ

 

 

【 概略 】 ⇒ 名言へスキップ


日本軍への残虐な戦犯 首狩り行為

2019年09月03日 16時47分42秒 | 社会・文化・政治・経済

 吊るされる日本兵の首。(1945年ビルマ、アメリカ軍撮影とされる)

日本軍への残虐な戦犯
原題:Headhunters of WWII

ダヤク族首狩り

ナショナル ジオグラフィック (TV)

日本軍への残虐な戦犯
原題:Headhunters of WWII

1945年、全世界で戦争が行われていた頃、驚くべきドラマが人里離れたボルネオ島のジャングルで展開されていた。
日本兵が現地のダヤク族の女性たちを強姦。
その憎しみから、首狩り行為を復活させた。
日本兵士は1000人ほどが、首を切られたとされる。
関わったのは取り残された飛行機が墜落して島に取り残されたアメリカ空軍の兵士たちに、現地のダヤク族、そしてイギリス陸軍で最も変わった人物の1人、トム・ハリソン少佐だ。
ハリソン少佐は軍事行動の中で、ダヤク族の古い慣習である首狩り行為を、日本人に対して復活させる。
こうして嘘のようだが興味深い、追いつ追われつの状況が起きたのだ。

自身の所属する集落以外の(時に敵対関係にある)人間を殺害し、切断した犠牲者の首級を持ち帰る。頭骨を除去した後、土鍋などで煮込み、乾燥するという事を繰り返すことで縮小させ、最終的に拳大の大きさまで小さくする場合もあった(干し首)。両目と口唇を糸で縫い合わせたり、全体を煙で燻す処理を施したりする場合もある。頭骨の保存に重点が置かれる場合、頭蓋崇拝と呼ばれることもある。

米軍兵による日本軍戦死者の遺体の切断は、第二次世界大戦時、太平洋戦線においてアメリカ軍兵の一部が日本軍戦死者の遺体に対して行った戦争犯罪、猟奇行為。
アメリカ軍より公式に禁止されていたと考えられているが、禁止令は戦場の兵士の間で常に遵守されていたわけではない。
これらの猟奇行為がどの程度行われ、公的に認識されていたかは不明である。

 
 
日本兵の頭部を煮るアメリカ兵(1944年)頭蓋骨は一体につき35ドルで販売されていた

 
日本人の頭部で遊んでいるマクファーソン中尉アメリカ海軍魚雷艇341の甲板にて。(1944年4月30日ニューギニア)

 

 


大学等における知的財産活動

2019年09月03日 13時41分13秒 | 社会・文化・政治・経済

知的財産の創造において、我が国の研究資源の多くを有する大学の役割は大きい。

このような認識の下、全国各地で大学知的財産本部や技術移転機関(TLO)
が設置され、また、産学連携知的財産アドバイザーの派遣
(2016 年度から実施)
や特許料・審査請求料の減免措置 4 などの施策も導入されてきた。

学等における知的財産活動の取組について紹介する。
大学等における知的財産活動
知的財産の創造において、我が国の研究資源の多くを有する大学の役割は大きい 。
このような認識の下、全国各地で大学知的財産本部 2 や技術移転機関(TLO)が設置され、また、産学連携知的財産アドバイザーの派遣 
(2016 年度から実施)
や特許料・審査請求料の減免措置 4 などの施策も導入されてきた。

学等 5 における知的財産活動の取組について紹介する。
共同研究
2016 年度の大学等における共同研究件数は、前年度より 2,377 件増加して 26,994 件であった。

相手先別の内訳を見ると、民間企業が 23,021 件と最も多く、独立行政法人等が1,897 件と続いている。
また、2016 年度の大学等における共同研究費受入額は、前年度より 2,588 百万円増加して 64,032 百万円であった。

相手先別の内訳を見ると、民間企業が 52,557 百万円と最も多く、独立行政法人等が 6,119 百万円と続いている。
また、2016 年度の大学等における共同研究費受入額は、前年度より 2,588 百万円増加して 64,032 百万円であった。

相手先別の内訳を見ると、民間企業が 52,557 百万円と最も多く、独立行政法人等が 6,119 百万円と続いている。

(1)特許出願件数の推移
我が国の大学等からの特許出願件数を見ると、2007 年をピークに漸減傾向にあったが、2014 年から漸増に転じている。

2017 年の特許出願件数は前年比 0.8%増の 7,281件であった。
2018年版

2018年、特許の国際出願件数1位は中国の華為技術(ファーウェイ・テクノロジーズ)で、出願件数は4,024件だった。 2位は同じく中国の中興通訊(ZTE)で、前年と1位2位が入れ替わった。

今回ファーウェイはZTEに1,000件以上の差をつけている。

日本企業で1位は三菱電機で出願件数2,521件、世界全体では4位にランクインしている。

その他、日本はソニーやパナソニックなど50位以内に15社が入った。

ランキング50位以内では、アメリカ、日本、中国の企業が多く、中国の台頭が目立つ。 電機、ITなど様々な事業を行っている中国のLeEcoブランドの楽視控股は、前年より2,257も順位を上げて13位に入った。 その他、テンセント・テクノロジー、宇龍計算機通信科技(Yulong)、OPPO移動通信、小米科技(Xiaomi)など中国企業が順位を上げて50位以内に入った。

企業以外では、大学としてアメリカのカリフォルニア大学がトップ50に唯一ランクインしている。 ちなみに前年も50位以内に入っている。

世界全体の出願件数は243,500件で、前年比4.5%増加し、過去最多となった。
国別
特許の国際出願件数を国別に見ると、1位はアメリカで56,624件だった。 ただ、アメリカは前年比の伸びが小さく、中国の躍進が続けば、将来中国が1位になる可能性もある。 日本は前回2位だったが、中国に抜かれて3位となった。 4位はドイツだが、トップ3と比べると件数がだいぶ減る。

これはトップ50だけでなく、全体の出願件数の合計である。
分野別
特許の国際出願を分野別に見ると、コンピュータ・テクノロジーが最も多く、19,122件で、分野別のシェアで8.6%を占めている。
順位
1 コンピュータ・テクノロジー
19,122件 8.6%
2 デジタル通信
18,400件 8.2%
3 電機、装置、エネルギー
15,223件 6.8%
4 医療技術
15,024件 6.7%
5 計測機器
10,082件 4.5%

 

 


【主張】事業承継支援 後継者の“お試し雇用”も一案だ

2019年09月03日 13時11分32秒 | 社会・文化・政治・経済

019年9月3日 公明党

後継者不在の中小企業の経営者が第三者に事業を譲る事業承継を、より一層支援していきたい。

 

経済産業省は2020年度予算の概算要求に、事業を譲り受ける意欲のある人があらかじめ入社して、一定期間働くトライアル雇用を支援する新たな制度を盛り込んだ。雇用期間中の人件費の一部を国などが負担するものだ。

中小企業の経営者は、事業内容だけでなく、これまで築き上げてきた企業風土も含めて引き継がれることを望むため、親族から後継者を探すケースが多い。

また事業承継に向けた交渉の中で、自社の帳簿など重要な情報を親族以外の第三者に示すことにためらいを感じる経営者もいるという。

 こうした理由から事業承継が思うように進まないのであれば、実効性のある手だてを急ぐ必要がある。その意味から、経産省のトライアル雇用は注目に値しよう。

 言うまでもなく事業承継支援は、日本経済にとって喫緊の課題である。国の試算では、中小企業の経営者のうち、約245万人が25年までに70歳を迎え、そのうち127万人は後継者が決まっていない。廃業が増えれば、25年までに約650万人の雇用と約22兆円の国内総生産(GDP)が失われる恐れがあるという。

 こうした中、公明党の強い訴えにより、事業承継を支援する取り組みは着実に前進している。

 例えば、18年度税制改正で事業承継税制が抜本的に拡充され、18年4月から10年間の特例措置として、事業承継を行う際の贈与税・相続税の納税を猶予する仕組みが始まった。これにより、年間400件程度だった事業承継税制の申請件数は10倍以上増え、年間4000件を超える勢いだ。トライアル雇用がこうした流れを加速させることを期待したい。

 ただ課題はある。トライアル雇用で働く人が支援対象としてふさわしいかどうか明確に判断する基準が必要だ。また、経営者が第三者の後継者を見つけても、事業に精通させ、取引先から信用を得るのは容易ではない。中長期的な視点に立った制度設計が求められよう。こうした点への目配りも忘れてはならない。


1945年のクリスマス―日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝

2019年09月03日 13時01分28秒 | 社会・文化・政治・経済

ベアテ・シロタ ゴードン (著), Beate Sirota Gordon (原著), 平岡 磨紀子 (編集)

商品の説明

 

内容(「BOOK」データベースより)

戦争と芸術と愛に彩られたエキサイティングな女性の生涯。

ロシアのピアニストの娘として生まれ、5歳の時父に伴い来日。のちに単身渡米、戦後GHQ民放局のスタッフとして再来日。日本で苦しい生活をしていた両親と劇的な再会を果たす。戦争と芸術と愛に彩られた女性の生涯。

こんなことがあったなんて、知らなかった!! という感じです。

日本国憲法に記載されている男女同権は、実はアメリカの若い女性が原案を作成していたとは知りませんでした。

当時の日本を考えると、実に革新的な内容だったのだと思います。今を生きていると、なぜそんな不平等があったのか?と思えるほどですが。また、著者の若々しい感性もとても魅力的です。事実ベースの自伝ですが、ドラマよりも面白いかもしれません。

巷での憲法議論はさておき、ベアーテさんの日本への思い、同じ女性として生きることについて、思いを巡らす良き機会であると思います。私個人としては、激動の時代を生き抜きながら、彼女が自然体な知性を携えつつ極めてバランスのとれた権利意識に共感するものがありました。

日本国憲法がどのような過程で創られていったか、作成に関わった本人の言葉で知ることができる歴史的に貴重な一冊です。日本国憲法を進駐軍の「押しつけ憲法」とけなす人々が政権を取っている現在、主権者国民の必読書と思います。日本国憲法は敗戦日本と連合軍によって、全世界の英知を結集して創ったものであり、私はこの時点での世界で最高の憲法と理解しました。

これを戦争できるようにすることは、日本が大きな歴史的あやまちを犯すことになり、汚点を残すことになると考えます。むしろ、今こそれ、世界に向かって各国の憲法に日本国憲法のような戦争放棄の条文を入れるよう働きかけてこそ、世界史に記録される国になると考えます。我々国民は、もっともっとこの日本国憲法の制作過程を良く学び、歴史的な到達点より後退することなく、前進していきましょう。(杉浦公昭)

ベアテ・シロタ・ゴードンが戦後GHQが作成した憲法に男女平等を書き込んだ女性だということは、一応知っていた。しかし彼女の人となりについては、全く知らなかった。日本人の編集者が書いた伝記とはいえ、色々なことを知ることができた。ユダヤ系ドイツ人、父が有名なピアニスト、彼女の身内の何人かは、アウシュビッツで亡くなっていること、もっとも驚いたのは、彼女が日本女性の地位を書くに当たり、参考にしたのは、ソビエトの憲法とワイマール憲法だったということであった

。彼女が書き込んだ日本女性の地位は、世界的にみても、当時最高だったという。市川房枝女史が渡米した時は、彼女が通訳を務めたというが、アメリカの女性のために、日本憲法に書き込まれた日本女性の地位について、数回以上も講演したという。
彼女の功績が知られたのは、最近のことだが、GHQでこの仕事にかかわった時、秘密にするように言い渡されたのを、忠実にまもったためだということもわかった。
今、GHQに押し付けられた憲法だから、改正しなければならないと語られることが多いが、その憲法のもとで、60年間築いてきた現在をもっと重視した方がいいと思う。

 

 

 


ベアテ・シロタ・ゴードン GHQ憲法草案制定会議のメンバー

2019年09月03日 12時48分28秒 | 社会・文化・政治・経済

ベアテ・シロタ・ゴードン(Beate Sirota Gordon, 1923年10月25日 - 2012年12月30日)は、アメリカ合衆国の舞台芸術監督、フェミニスト。ウィーン生まれでユダヤ系ウクライナ人(ロシア統治時代)の父母を持ち、少女時代に日本で育った。
1946年の日本国憲法制定に関わった人物として知られており、このうち2012年まで存命した唯一の人物であった。
22歳で連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)民政局に所属し、GHQ憲法草案制定会議のメンバーとして日本国憲法の人権条項作成に関与した。
日本では日本国憲法第24条(家族生活における個人の尊厳と両性の平等)草案を執筆した事実が1990年代になって知られ、著名となった。
戦前の日本で10年間暮らしたベアテさ。
就労や婚姻などに関する男女不平等を是正したいと考えていた。
それは、日本女性が置かれていた境遇に対する哀れみだけが理由ではなかった。
夫から渡される給料の使い道や子どもの教育などで女性が実権を握っていることを知る。
ベアテさんは、日本の女性について「すごく尊敬しています、賢いです。
よく働きます。、日本女性の心と精神は強いです」と高く評価していた。
ベアテさんが、心から称えた日本女性の真価が存分に発揮される社会づくりは、これからが本番。

長い沈黙

戦後米国でのジャパン・ソサエティ、アジア・ソサエティ活動で活躍したベアテだが、1990年代半ばまで自らが憲法草案に関わったことは公表していなかった。

その理由について「(法律の専門家でもない22歳の女性だった)自分の存在が改憲派の学者に悪いように利用されると思っていましたから」という。

実際、ベアテは通訳として日本側との交渉に同席した自分を「ハデな化粧と服装(の女)」と揶揄する文章を目にしたことがあるという。

ただ、憲法制定過程について発言してきた元上官ケーディスが自らの高齢を気にかけ、生き証人としての役割をベアテに求めると「ケーディスさんが女性の権利起草についてみなさんに話しなさい、というんですもの。何年たってもボスの命令には逆らえませんから」と重い口を開き始めた。憲法草案を作成した実務者達が全員物故した後での活動と改憲反対の姿勢が殆どで有り、彼女が亡くなった後もベアテの発言や証言がどこまで信頼できるものなのかしばしば疑問視される。

映画『ベアテの贈りもの』

記録映画『ベアテの贈りもの The Gift from Beate』は、2002年暮れのクリスマスの夜、赤松良子(元労働大臣・文部大臣)や元ソニー社員・落合良らが「ベアテも八十を過ぎた。彼女が生きているうちに映画でも作りたいね」と雑談していた際、居合わせた岩波ホール総支配人・高野悦子が、映画は作ろうと思えば作れると即答したのがきっかけとなり、全国に呼びかけて製作された。

当初から藤原智子の監督起用は決まっていたが、製作資金がネックとなっていた。2003年11月の東京国際映画祭・女性映画祭のパーティーの席上、製作資金の大口出資をもちかけた赤松良子と、その要請を二つ返事で引き受けた岩田喜美枝(元労働省雇用均等児童家庭局長・現資生堂取締役執行役員)が中心となって製作委員会(代表が赤松・事務局長が岩田)が発足。製作委員会は、歴代労働省婦人少年局長、女性有識者、大学教員、草の根運動の女性らを中心に拠金を広く呼びかけた。

監督として正式に依頼を受けた藤原智子は、2004年春から製作を開始、半年で完成させ、2005年4月30日に東京都千代田区神田神保町の岩波ホールで封切り、全国で順次上映。

内容は、戦後の日本女性が憲法24条をどう受けとめたか、ベアテによる草稿のうち削除された部分はどう法的整備がされてきたかを焦点に、ベアテの両親、生い立ち、戦争経験、日本国憲法起草への参加のほか、山川菊栄(労働省初代婦人少年局長)、市川房枝(元参議院議員)、ピアニストであった父レオの教え子や、労働省婦人少年局局長時代に男女雇用機会均等法を成立させた赤松良子、難民高等弁務官・緒方貞子などさまざまな動きやその行動と言動を紹介することにより、戦後の女性史を概観している。

  • 藤原智子監督・脚本『ベアテの贈りもの The Gift from Beate』「ベアテの贈りもの」製作委員会(赤松良子代表)・日本映画新社、企画:赤松良子/岩田喜美枝/落合良

戦後はニューヨークに居を構え、ジャパン・ソサエティ、アジア・ソサエティのプロデューサー・ディレクターとして世界の民俗芸能を米国に紹介。アジア・ソサエティを退職後、パフォーミング・アーティストを集めて世界中を公演するキャラバン(文化交流事業)の実現を目指した。
2012年12月30日、膵臓がんのためニューヨークの自宅で死去。89歳没。


日本国憲法の真実 偽りの起草者ベアテ・シロタ・ゴードン

2019年09月03日 12時28分21秒 | 社会・文化・政治・経済

 

[高尾栄司]の日本国憲法の真実 偽りの起草者ベアテ・シロタ・ゴードン (幻冬舎単行本)

憲法には門外漢の若い女性ベアテ・シロタが、なぜ日本国憲法起草委員会のキーパーソンになったのか
「日本国憲法は“押しつけ憲法”だから全面改憲」「国民の支持を得てきたから護憲」といった論争もありますが、そもそも日本国憲法が作られたその実態は――。
GHQ民政局で日本国憲法の起草に関わり、90年代頃から日本で突如、「男女平等条項の起草者」「戦後民主主義の女神」と注目されたベアテ・シロタ・ゴードン。憲法の門外漢だった当時22歳の若いベアテに本当に起草ができたのか、という素朴な視点から日本国憲法の成り立ちを解き明かした。

 一九四六年二月四日から九日間、GHQ司令部民政局で日本国憲法の起草作業が行われた。その作業に参加した米国人二十数名の中に、ウィーン・ヴェーリンガー通り五十八番から五歳半のときに来日したベアテ・シロタもいたのである。

 彼女はその後、日本のテレビメディアなどで、男女平等条項の起草者として紹介されると、戦後民主主義の「女神」のような存在として称賛される。日本国憲法の骨子となる人権条項は、当時二十歳そこそこだったベアテ・シロタの起草になるものだということも、日本の主な憲法研究者・学者の間で「常識」化された。なぜ、一介の、憲法には門外漢の若い女性が、憲法起草委員会のキーパースンとして受け入れられたのか?

 これを不思議に思い、この人物が有名になったプロセスをつぶさに調査してみると、Wikipedia「ベアテ・シロタ・ゴードン」に記されている数々の美談の裏には、全く別の契機があることが判明したのである。

 

高尾栄司 

 

1947年、群馬県伊勢崎市生まれ。ノンフィクション作家。上智大学を経てイギリスおよびインドに留学。集英社の特派記者としてヨーロッパ、中東各地を取材。著書に『ビートルズになれなかった男』『国際金融都市東京が日本をこう変えるーー香港消滅』『安全国家日本の終焉』『韓国車が日本車を駆逐する日』『「天皇の軍隊」を改造せよ――毛沢東の隠された息子たち』等。

元GHQ(連合国軍総司令部)民政局のベアテ・シロタ・ゴードン女史(1997年8月、写真提供:共同通信社)。日本国憲法の起草に関わった一人。1990年頃のテレビ放映から日本で有名となり、回想録『1945年のクリスマス』がベストセラーに。日本での講演依頼が殺到し、来日回数は200回以上。日本国憲法に男女平等を書いた話をし続けた。2012年12月30日死去

 








掛布氏は、このまま監督になれないのか 「阪神は大きな財産を失った」OBも嘆息

2019年09月03日 12時25分11秒 | 野球

9/3(火) J-CASTニュース

阪神の掛布雅之オーナー付きシニア・エグゼクティブ・アドバイザー(64=SEA)が今季限りで球団を退団することになった。スポーツ各紙が報じたもので、昨2018年10月の契約更新時に今季限りの契約であることを言い渡されていたという。

 球団から引退勧告を受けた鳥谷敬内野手(38)に続いて功労者がチームを去ることになり、虎党からは失望の声が上がっている。

■球団が掲げる指導者の「世代交代」

 掛布SEAは2013年オフに阪神に復帰。ゼネラルマネジャー付育成・打撃コーディネーターの職に就き、若手の育成に尽力した。16年からは2軍監督として縦縞のユニフォームに袖を通し、前1軍監督の金本知憲氏をバックアップ。そして17年オフに球団が新設した現職のSEAに就任した。

 6年前に「現場」に復帰してから、虎党をはじめとする野球ファンから掛布監督待望論が幾度となく上がってきた。2軍監督に就任してからは、いかんなく手腕を発揮。決して偉ぶらず常に選手と同じ目線で物事を考え、丁寧に根気よく指導に当たる姿勢は評価が高く、なかでも若手選手から絶大な信頼を得ていた。

 掛布1軍監督への機運が高まる中、育成方針に関して金本前監督の考え方とズレが生じ2軍監督を「解任」された。球団は金本前監督の意向をくみ取った形となったが、2018年シーズン終了直後に今度は金本前監督を事実上「解任」した。すでにSEAの職に就いていた掛布氏に再度、監督待望論が持ち上がったが、「世代交代」を掲げる球団が選択したのは、矢野燿大新監督(50)だった。

「野球論も非常に明確で分かり易かった」
 掛布SEAは現役時代、酒気帯び運転で警察沙汰を起こし、当時の久万俊二郎オーナーの怒りを買った。この事件がきっかけで、掛布SEAは阪神の指導者の道が断たれたとされ、実際、現役引退後は長らく縦縞のユニフォームに袖を通すことはなく、指導者としてグランドに立つまで30年近くを要した。

 若返りを図る球団の意向もあり、64歳の掛布SEAが1軍の監督に就任するには現実的に厳しいだろう。だが、多くの虎党からは「ミスタータイガースの監督姿を一度は見たい」との声が上がっており、掛布SEAの監督待望論は根強いものがある。今回の掛布SEAの退団に失望する虎党が殺到しており、悲しみの声が上がっている。

 かつて掛布SEAの指導を受けた経験を持つ若手OBは「掛布さんが退団するという報道を目にし、残念でなりませんでした。掛布さんは若い選手に対して気軽に話をして下さり、野球論も非常に明確で分かり易かった。阪神のいちファンとして掛布さんには現場に残ってほしかったし、指導者としてとても優秀な方でしたので阪神は大きな財産を失ったと思

 


阪神鳥谷は「自分で引退を決められる選手」

2019年09月03日 11時52分55秒 | 野球

球団OBは“引退勧告”に「ちょっと冷たい」

9/3(火) 

阪神OBの野口寿浩氏が指摘「鳥谷は今チームにいる選手の中で一番の功労者」

 阪神の鳥谷敬内野手が球団から“引退勧告”を受けたことを31日に明らかにし、今季限りで退団する意思を示した。大ベテランは開幕から出場機会に恵まれず、成績も低迷。5年契約最終年の今季は推定年俸4億円だが、56試合出場で77打数16安打の打率.208にとどまっている。

今回の“引退勧告”に対しては様々な意見が出ているが、球団OBはどう見ているのか。ヤクルト日本ハム、阪神、横浜の4球団で捕手としてプレーし、昨季までヤクルトで2年間バッテリーコーチを務めた野球解説者の野口寿浩氏は「ちょっと冷たいよな、と思います」と胸の内を明かす。野口氏は日本ハムからトレードで阪神に移籍し、2003~08年までプレー。03、05年にはリーグ優勝を経験し、鳥谷とも04年から5シーズンに渡ってチームメートとしてプレーしたが、「彼は自分で引退を決められる数少ない選手」と後輩を気遣った。

 一連の“騒動”について、野口氏は率直な思いを明かす。

「私も報道で出ていることしか知らないので、それを信じるしかないですが、ちょっと冷たいよな、とは感じます。鳥谷は今チームにいる選手の中で一番の功労者です。ピッチャーなら藤川球児、野手なら鳥谷。そういう選手に対して、引退してくれ、というのはちょっとあまりにも冷たいんじゃないかなとは思います」

 確かに、近年の成績は年俸4億円に見合わないかもしれない。だが、それでも、もっと違う方法があるのではないかと、現在も阪神戦の解説を務めることが多い野口氏は指摘する。

「いつかは辞めなければいけない」も…「自分で(引退を)決めていい選手」

「絶対に規定を超えるだけの年俸ダウンにはなります。それは間違いない。今年の成績を見たら仕方がありません。それでも、しっかりとした対応を取っていれば、ここまでずっとタイガースでやってきて、このままタイガースで辞めたいと鳥谷が思うようになってくれるかもしれない。そこの対応の仕方を今回間違っていないかな、という気はしますね。

 本人は、体の状態も万全だし、まだまだ自分はやれますから、と常日頃からずっと一貫して言ってきています。試合出場が少なく、(シーズンの)早い時期にもうちょっと機会をもらえていればやれた、というのが本人の中には恐らくあります。そういう機会がほぼなくて、この時期にポツンポツンと出ても、という感じだとも思います。自分でもっともっとやれると思っているのは間違いない。ただ、そこ(出場機会)は監督の方針があるからしょうがない部分もあります。プレーヤーとしては、しっかり練習して(出番に)備えておくしかないのですが……」

 いずれも球団史上1位の通算2151試合出場、2082安打を誇る名選手。だからこそ、どのような形で区切りをつけるかは難しい。ただ、野口氏は鳥谷への敬意を込めて、自分で引き際を決めていい選手だと言い切る。

「引き際が難しいのは間違いありません。鳥谷本人としては『絶対にできる。絶対にどこかでやってやる』と言って、どこか他球団が獲った後に成績が今年より酷かったときに『ほら見たことか』となってしまいますし。ただ、自分の中で確固たる自信がなければ、まだやれるとも言わないでしょう。それを言ったということは、あれだけの選手なのですから、そこそこの成績は残すと思います。

 もちろん、いつかは絶対に(現役を)辞めなければいけません。あとは自分でどうやって線が引けるか。阪神でヒットを2000本打って、優勝もした。自分で(引退を)決めていい選手だと思います。給料の上下はあっても、球団が『契約はします。辞めるときは言ってください』と。そうであっておかしくない選手だったと思います。それを功労者と呼ぶのですから」

 偉大な選手だからこそ、その引き際にも敬意を払ってほしいと球団OBは願っている。

Full-Count編集部


ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ(1984年製作の映画)

2019年09月03日 10時44分13秒 | 社会・文化・政治・経済

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ <ディレクターズ・カット>

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ(1984年製作の映画)
8月26日のCSテレビのムービープラスで再度観る。
ロバート・デ・ニーロが41歳の時の映画であろう。

解説

1920年代のニューヨーク。仲間と悪事の数々を働いていた少年ヌードルスはある日、仲間たちと酔っ払いから財布を抜き取ろうとするが、一人の少年にそれを阻まれる。
その少年はブロンクスからやってきたマックスといった。
マックスと運命的な出会いを果たす。
ヌードルスとマックスは最初こそいがみ合うものの、やがては友情で結ばれていく。
そして彼らは禁酒法の隙間をぬって荒稼ぎを続け、ギャング集団として頭角を現わしていった。禁酒法を利用して次々と犯罪行為に身を染めていく少年たちは、束の間の栄光を味わう。しかし、彼らの挫折は思わぬところで待ち受けていた。
ヌードルス(ロバート・デ・ニーロ)、マックス(ジェームズ・ウッズ)ら4人のギャングたちは、禁酒法下、もぐり酒場の経営で大成功を収め、裏社会で名を馳せた。
マックスは次なる計画として巨大銀行襲撃を決断するが、ヌードルスは権力志向に凝り固まったマックスと相容れず、袂を分かつことに。
仲間たちの身を案じ、ヌードルスはあえて襲撃計画を密告するが、その願い虚しく3人の仲間たちは待ち伏せしていた警官隊に射殺されてしまう―。
30年後、未だ自責の念に駆られるヌードルスは、ある一通の手紙を受け、久々にニューヨークへ戻って来たのだが…。
かつての面影をわずかに残すほどしかなかった老人を、再び呼び戻した人物とは、一体誰なのか。
主人公の少年期、青年期、初老期という3つの時間軸を交差させる緻密な構成、サスペンス的な要素も織り交ぜたドラマティックな展開が熱狂的ファンを生んだ傑作です。
監督 セルジオ・レオーネ
出演者 ロバート・デ・ニーロ
ジェームズ・ウッズ
エリザベス・マクガヴァン
ジェニファー・コネリー
あるユダヤ系ギャングの数十年に及ぶ友情と裏切りの記憶を、バイオレントかつノスタルジックな夢のように綴った巨篇。クリント・イーストウッド主演のマカロニ・ウエスタン3部作で世界的なヒットを飛ばした巨匠セルジオ・レオーネの遺作にして一世一代の超大作。哀切のメロディは『ニュー・シネマ・パラダイス』のエンニオ・モリコーネ。
こぼれ話
1984年にカンヌ映画祭でプレミア上映されたのは3時間49分版。同年、有楽町マリオンの日本劇場で開館記念公開されたのは3時間25分版。今回「午前十時9」で上映されるのは、映画の修復と保存のため、マーティン・スコセッシ監督が設立した「フィルム・ファンデーション」がイタリアのブランドGUCCIのサポートによって2012年に修復・復元した最長の4時間11分版となっている。延べ4週間の日本全国での上映は世界初の規模。

ロバート・デ・ニーロ(Robert De Niro、1943年8月17日 - )は、アメリカ合衆国の俳優、映画監督。アカデミー助演男優賞を受賞した『ゴッドファーザー PART II』、アカデミー主演男優賞を受賞した『レイジング・ブル』、および『タクシードライバー』をはじめとするマーティン・スコセッシ監督の一連の作品への出演で知られる。アメリカ芸術科学アカデミー会員[1]である。 撮影の前に徹底した役作りを行うことで有名。また、『グッド・シェパード』などの作品で映画監督も務めている。

251分のエクステンデット版を鑑賞。
超大作、まずそれを全部見たってだけで今すごい達成感に満ち溢れてる。
しっかり全部理解出来たわけじゃないけど、すごい心に残る映画。シンプルに面白かった。過去と現代を行ったり来たりする構成で、その時間を移行するときの演出が良い。音楽も良い。モリコーネの素晴らしく美しいメロディがそれぞれの映像をより引き立ててる。
名曲『アマポーラ』をバックに少女時代のデボラ(ジェニファー・コネリー)が踊る場面の美しさで、この点数になりました。
渋くて締りのある演出で主には友情を描いた映画。時間軸を追うのは難しくないし人間関係もあまり難しく描からていないのだが、最終局面で何が暗示されているのか自分なりの答えを出すことが出来ずになにか引っかかっている。時間が経てばスッキリするかもしれない。
ヌードルズの阿片窟での静かに微笑む
シーンの意味

4時間越えの物語はこの衝撃的なスマイルに凝縮されてるよね
セットがものすごく凝ってて、完璧な世界観に引き込まれる。
禁酒法時代のニューヨークで、生きるためにギャングの世界に身を投じた二人の男の生涯を、時間軸をシャッフルした構成で描いている。
映画のラスト、アヘンに溺れていた頃の若きヌードルス(ロバート・デ・ニーロ)が、陶酔の中で不気味な笑みを浮かべて終わる。
この「笑み」の意味が論議されるが、このときヌードルスは少年時代からの仲間を(モーを除いて)すべて失い、阿片によって現実逃避し、夢の世界に漂っていた。
そこで見せた不気味な笑顔は、やり切れない悲しみと切なさに満ちた「笑うしかない」という絶望の淵からの笑みなのだろう。
そう解すると、人生の晩年に友人の裏切り、愛する人の背信などすべてを知り、茫然自失となったヌードルスの心情とも重なるものがあって、この若き日の「笑み」をエンディングに持ってきた(シャッフルの)意図が理解できる気がする。
友情を何より大切にしてきた男が、仲間を殺された怒りから刑務所入りし、仲間を助けようとした密告で追われる身となり、恋人とは最悪の別れを迎え、老いて友の裏切りを知る。
悲哀という一語では尽くせない悲しすぎる男の物語である。
あの笑いだけでラストの解釈を観客に委ねる力量はさすが。

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幼少期に読書で考えを深めることだ

2019年09月03日 10時31分08秒 | 社会・文化・政治・経済

日本の教育現場が育て、企業が求めてきたのは「我慢強く協調性があり、上司の言うことをよく聞く人だった。
グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルやユニコーン企業の創始者の共通項は「好きなことを徹底的に突き詰める力」や「常識を疑い、根底から考える力」。
人間は顔が皆違うのだからそれぞれ考え方ややり方がちがって当たり前。
日本の教育界から<平均>や<普通>という発想をなくすことがスタートだ。
日本の教育界で最も危惧していることは、<根拠なき精神論の蔓延>。
情報を正しく伝える。
科学的に考え、根拠は何かを考える-などの力のほか、「新たな価値を生み出す、あるいは新たな使い方」を考える感性や好奇心がとても大事になる。
教師は、教育のプロとして、勉強は楽しいと思わせることが必要だ。
学び方を身につけていれば、新しい課題に直面しても必要な情報を集めたり、解決策を探したりできる。
どうなるか分からないことを心配してもしょうがない。
読み書き、計算などといった基礎的な力をきちんと鍛えておけば問題はないだろう。
基礎を身につけさせる学校教育の根幹は今後もかわらないはずだ。
「考える力」を育むためには、幼少期に読書で考えを深めることだ。
数字、ファクトチェック、ロジック(論理)で物事を見極める訓練が必要だ。
まずは、大人自らが探究力を身につけることに尽きるだろう。

 ユニコーン企業は、評価額10億ドル以上の非上場、設立10年以内のベンチャー企業を指す。

ファクトチェックとは、社会に広がっている情報・ニュースや言説が事実に基づいているかどうかを調べ、そのプロセスを記事化して、正確な情報を人々と共有する営みです。一言でいえば、「真偽検証」です。





鳥谷に続く激震!阪神掛布SEA今季限り退団真相

2019年09月03日 09時33分48秒 | 社会・文化・政治・経済

9/3(火) 5:31配信 THE PAGE

今季限りで阪神を退任する掛布SEA。今春キャンプでは近本、木浪の新人2人を激励した(写真・黒田史夫)
阪神の掛布雅之オーナー付きシニア・エグゼクティブ・アドバイザー(64、以下SEA))が今季限りで退団することが2日、明らかになった。2017年9月に2軍監督を“解任”になってから1年契約で現職に就いていたが、昨年10月の契約更新時に「来年1年で契約は終わらせていただきます」と予告されていたもの。“引退勧告”により退団が確実になった鳥谷敬(38)に続き“ミスタータイガース”と呼ばれたレジェンドも球団を去ることになった。ネット上では阪神に対して批判、失望の声が多く寄せられているが、掛布退団の真相は何だったのか。

「1年前に今季限り退任を通告」
 1年前の10月。矢野新監督の就任発表が終わった頃だった。
 掛布氏は甲子園に隣接している球団事務所に呼ばれた。
 掛布氏だけでなく契約のフロントマンは11月1日から翌年10月末日の1年契約を結んでおり、毎年、この時期に契約更改を行うことになっている。部屋には、揚塩球団社長と、契約に関する担当者の2人がいた。
 揚塩社長は開口1番、こう言い放った。
「来年1年で契約は終わらせていただきます」
 掛布氏はこの職へしがみつくつもりなど毛頭なかった。
「わかりました。これまでありがとうございました」
 承諾し、感謝の意を伝えた。
 故・中村勝広GMの尽力のおかげで2013年オフにゼネラルマネジャー付育成・打撃コーディネーターとして阪神に復帰。2016年からは、金本監督の要請で2シーズン2軍監督としてユニホームを着た。そして、その後もフロントの職を用意してもらった。掛布氏には感謝の気持ちしかなかった。

 だが、このやり方には疑問を抱いた。失礼だと感じた。
 今年1年で、あなたは終わりと、言われた人間が、どれだけ、その仕事に懸命になれるのだろうか。掛布という人間は、たとえ、そうであっても与えられた場所でベストは尽くす。
 契約上、更新しない場合は2か月前に通知することになっている。ならば、翌年の契約更新の2か月前に通知すればいいだけの話ではなかったのか。
 温厚な掛布氏の口調が少し強くなった。揚塩社長は、平謝りするだけで、わざわざ1年前に通告した理由も、そして、そもそも、なぜ契約を更新しないのかの理由も説明しなかった。藤原オーナーの“メッセンジャー”に過ぎない揚塩社長の立場では、それができなかったのだろう。鳥谷が揚塩球団社長から“引退勧告”を告げられたときも、開口一番、「今年で辞めてくれませんか」だったという。野球選手という人種の繊細さをこの人は理解していない。

 掛布氏がSEAに就任したのは2年前だ。金本前監督が育成方針に関してズレのある掛布2軍監督の退任をフロントに求め、球団が了承、ユニホームを脱ぐことになった。当時の球団社長だった四藤氏は、“解任”理由を「指導者の世代交代」としたが、その通告時に同時に「フロントに職を用意したので、これからも力を貸して欲しい」と打診した。何も掛布氏が要望したわけではない。

 坂井オーナーの“ブレーン”としての仕事だが、フロントに入りワンクッションを置くことでファンから絶大なる人気のあった掛布氏を斬ったことに対する虎党の反発、世論、阪神OBからの逆風を和らげる目的があったと見られる。また阪神の内側に置くことで、その言動を封じこめておきたかったとも取れる。球団の許可さえあれば、解説や講演などの活動も自由にできるという特別待遇。故・星野仙一氏が、監督退任後、オーナー付きシニアディレクターに就任した際にも同じく自由な活動が許可されており、その前例に習ったものだ。
SEAの1年目、掛布氏は、当時の坂井オーナーの要望に応じて甲子園に足を運び関連会社との接待や野球観戦に同席した。坂井オーナーが甲子園でのほぼ全試合を観戦したため時には2人きりで見て意見を求められる機会も少なくなかった。だが、昨年オフに金本前監督の電撃解任事件が起き、同時にオーナーも坂井氏から藤原氏に交代した。オーナ―付きという立場上、ここで退任してもおかしくなかったが、そのままSEAの職は藤原オーナーに引き継がれることになった。

 球団は「坂井オーナーの提案で藤原オーナーが野球に詳しくないので、掛布さんに勉強させてもらったらどうかとなった」という理由で継続契約したと説明したが、実際には、この1年、掛布氏と藤原オーナーが、突っ込んだ野球談議を交わすことや、掛布氏が意見を求められることは、ほとんどなかった。

 藤原オーナーからすれば1年前に通告しておくことで、掛布氏の退任後の仕事の準備を早めにスムーズに行えるように配慮したのかもしれない。だが、退任時のゴタゴタを避けるためのリスク管理のひとつとして、契約更新時から「1年で終わり」と、念を押させたものとも考えられる。”

 掛布氏は、揚塩社長との、その契約更改の席で球団事務所につめている記者の取材に応じて、今季限りで終わりになることを明かすと、揚塩社長に伝えたが、「それは止めてもらいたい」とストップをかけられた。当時は、金本監督の電撃退任の不手際で、ファンのバッシングを受けている最中。ここで、また掛布氏に「1年限りでの退任」を通告するという、あまり例のない処遇をしたとなると、どれだけ波紋を広がるかわからない。影響を危惧して“隠ぺい”したかったのだろう。

 掛布氏も納得はいかなかったが、大人の対応をして、その申し入れを承諾した。記者と顔を合わせないように球団事務所を後にして、その契約内容を嗅ぎつけられることはなかった。今回、サンケイスポーツのスクープという形で表沙汰になったが、球団は、どの段階で発表しようと考えていたのだろうか。
2軍監督をしたことで育成に興味を持ち、それが阪神の未来に最も重要なことだと痛感した掛布氏は、当初、日ハム、広島など育成に成功している他球団のシステムを視察しながら、育成についての理論を突き詰め、それを球団に還元したいと考えていた。球団からは他球団の視察などにOKは出たが、そういう意見や情報を吸い上げようとするような姿勢はなかった。またスカウト登録をして、アマチュアの指導者世代では、知らない人のいない、その顔を使いスカウト活動の手伝いをしたいとの提案もしたが採択されなかった。

 坂井オーナーと違って藤原オーナーと2人きりで野球を見ることは一度もなかった。 
 甲子園に呼び出されるのは、本社との深いお付き合いのある関連企業や、スポンサーなどの要人、客人がくる際の“接待役”。藤原オーナーの出身高である大阪府立大のトップが来たときも掛布氏がナビゲーター役を務めた。その解説や野球知識、経験談は、来客には評判だったというが、藤原オーナーからチームに対する意見を求められるようなことはほとんどなく、あるとすれば、報道陣に囲まれたときに、どう答えるか、という程度のもの。掛布氏も一歩引いて自らチーム編成や采配について具申するようなこともしなかった。

 掛布氏は、現場の矢野監督に迷惑が及ぶことを懸念してグラウンドに出ることも控えるようにしていた。それでも一部のフロントからの要請、声かけもあり、不振の糸井から助言を求められると神宮球場の裏のロッカーで実際にバットを振りながらヒントを伝えたし、先日も、矢野監督から「助言してやって下さい」と言われ、悩める大山にアドバイスも送っていた。
 一部のファンの間からは、掛布氏のSEAの仕事内容について疑問を抱く声もあるが、経営者が、その給料に見合う仕事を掛布氏に求めなかったことも逆に問題だ。

 藤原オーナーの“ブレーン”は、元松下電器野球部の監督で、高校野球の解説でも知られ、現在、県立岐阜商監督をしているアマチュア界の重鎮、鍛治舎巧氏で、野球に関する相談は、この人にしているという。なぜ身近にいる“ミスタータイガース”を活用しなかったのか。不思議でならないが、元々、それくらいの信頼しかなかったから1年限りで“お引き取り願う”と決めたのだろう。村上ファンドに企業買収をかけられた阪神に阪急が“ホワイトナイト”として手を差し伸べて、経営統合、阪急阪神ホールディングスとなって13年目。これまで“聖域”だったタイガースへの干渉を徐々に強めている旧阪急グループが、古い阪神色を消し、新しいタイガース像を構築したいとの意向を持っていることも掛布氏の退任に影響しているのかもしれない。

 今回、サンスポの報道が出たことを受けて掛布氏への取材をNGとすることが球団から報道各社に回った。掛布氏はコメントしていないが、親しい関係者には、「肩の荷が下りた。阪神には感謝の気持ちしかないし、ある意味、すっきりとしている。今後は、客観的な立場で阪神を見守っていきたい」と漏らしているという。
 鳥谷に続き、掛布氏というレジェンドの退団。個人的には、経営者判断として2人への処遇は間違っていないと思う。ファンの間に蔓延る「阪神は情けがない」という感傷論も時間が経てば静まるだろう。

 だが、選手や功績を残したOBの後ろにはファンがいることを忘れては、エンターテインメントビジネスを行う資格はない。彼らへのリスペクトがなければ、それはファンをリスペクトしていないのと同じこと。球団は、新しい阪神を模索しているらしいが、伝統を軽じて、やり方を一歩間違えることが、暗黒時代へ逆戻りすることに気づいていないのだろうか。
(文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)