だれが何をしたら「ポピュリズム」なのか その本質を深く考えてみる

2019年09月19日 21時43分14秒 | 社会・文化・政治・経済


「朝日地球会議2018」に向けて 連続インタビュー企画②吉田徹氏に聞く(上)
昨今の流行語「ポピュリズム」とはいったい何だろうか。「台頭するポピュリズム、危機に瀕する民主主義」を主要テーマに、朝日新聞社主催の国際シンポジウム「朝日地球会議」が9月24日~26日、東京で開かれるのを機に、内外の専門家にシリーズでインタビューする。第2回は、比較政治が専門で「ポピュリズムを考える」(NHKブックス)などの著書がある北海道大学の吉田徹教授に聴いた。(聞き手=GLOBE編集長・国末憲人)
実はあいまいな定義 気に食わなければみんなポピュリスト
 ――「ポピュリズム」という言葉には、何か怪しさ、不透明さが伴います。何より、定義がはっきりしません。
「学者の間でも定義の一致をみない部分があります。ただ、最近では、ポピュリズムを政治的、経済的、文化的なエリートに対する抗議だとする理解がだいぶ広まってきました。ただ、こうした定義が一般的になったのも最近のことです。例えば、欧州のポピュリズムは、かつてであれば『極右』と呼ばれていた政治勢力でした。1998年から99年にかけてオーストリア政権入りした自由党のイェルク・ハイダー氏は、当時『ポピュリスト』ではなく、『極右政治家』と呼ばれていました。『ポピュリズム』という言葉が一般的になったのは、2000年代後半から。これには2つの出来事が作用しているといえます。ひとつは、2001年に米9・11テロが起き、文明の衝突がささやかれ、「ヨーロッパの近代文明対野蛮なイスラム」といった構図が出来上がり、これに難民・移民危機が加わったこと。もうひとつは、2008年以降のリーマン・ショックとユーロ危機、続く各国政府の緊縮政策で、これによって国内社会の格差と貧困が深刻なものとなったこと。いわば中期的な政治的、経済的な既存の政治エリートが十分に対処できなかったことに対する不信から出てきたのが21世紀に入ってからのポピュリズムです。これらの多くは政治社会的立場には保守的で、経済的には保護主義的です。既成政党が政治的、経済的な危機に対応できない中で、その隙間を埋めたのがポピュリスト勢力といえるでしょう」
移動そのものをひとつながりのサービスと捉える「MaaS」の概念 日本でも地方の課題解決に力点を置いた「日本版MaaS」について国交省を中心に検討
SPONSORED CONTENT 三菱商事

吉田徹氏=国末憲人撮影
 ――実際、一部の「ポピュリズム」は近年、自らを「イスラムの脅威に対してヨーロッパの価値観を守る役目を担う」と位置づけているようですね。そう見ると、「極右」より随分ましな存在のように思えてきます。
「議論の大前提として、ポピュリズムという言葉は、分析概念でもなければ、記述用語でもないということに注意すべきです。一般的にポピュリズムという言葉は、相手を攻撃し、侮蔑するための言葉に過ぎないというところに、理解の難しさがあります」
「実際、ヨーロッパや日本で『自分はポピュリスト』と名乗る政治家はまずいない。つまり、ポピュリズムは、常に誰かを名指しする時に使われ、気に食わないものを『ポピュリスト』と呼ぶ。そう考えると、ポピュリズムに何か本質があるわけではない。これがまた、ポピュリズム理解を難しくしているゆえんです」
 ――確かに、ポピュリズムと簡単に言う割には、それが何だかはわかりません。
「端的にいえば、何をポピュリズムと言うかは、時代に応じて変化してきました。まだ『ポピュリズム』という言葉がなかった時代ですが、1851年に国民投票で皇帝となったナポレオン3世などは、現在でいうところの『ポピュリスト』の定義に当てはまることが、マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を読むとよくわかります。1960年代は、中国の最高指導者毛沢東をはじめ、途上国の指導者などが『ポピュリスト』と呼ばれていましたし、アメリカのジミー・カーター氏が1977年に大統領になった時も、彼は『ポピュリスト』と呼ばれていました。つまり、既存の政治エリートや文化エリートからみて何かしら違和感のある存在、従来の枠組みでは理解し得ないものがポピュリズムとされてきた。これこそがポピュリズムの歴史そのものといっても過言ではありません」
【関連】朝日地球会議インタビュー①クリスチャン・ヨプケ氏 世界はどこにいくのか リベラルな社会の建設は可能か
なぜ小泉純一郎氏はポピュリストと呼ばれたのか
 ――ポピュリズムは、果たしてイデオロギーなのでしょうか。研究者によって立場が違うようですが。
「イデオロギーとは確固たる世界観や体系であり、それらが言語化されたものと定義するなら、ポピュリズムは、イデオロギーではありません。何か別のイデオロギーと結びついたり、それを利用したりすることはあっても、ポピュリズム自体に体系だった理念があるわけではない。唯一核心的なものがあるとしたら、「政治的な代表制を奪われた人々の声を代弁する姿勢」のようなものかもしれません。ただ、これをマルクスがいったようなイデオロギーとして見なすことは難しい。『ポピュリズムと呼ばれてきたもの』の歴史を見ても、必ず既存のイデオロギーに憑依したり、寄生して出現したり、収束していったりします。だから、ポピュリズムは右翼のものでも、左翼のものでもあり得る。これをイデオロギーと解するのは難しいでしょう」
「ただ、ポピュリズムをつくりあげている文脈というのは時代ごとに存在します。日本では小泉純一郎氏がポピュリストと呼ばれましたが、それはバブル崩壊後の「失われた10年」の喪失感があったから。2000年代以降では西欧の価値観を守ろうとしたり、福祉国家を擁護する、あるいは白人労働者層の代弁者となったりするなど、社会的、経済的グローバル化に対するバックラッシュという文脈があります。ポピュリズムが何と結びつくかは、その時々の時代状況によって変わります」
「西ヨーロッパやアメリカの場合は、移民や多文化主義といった社会的グローバリズムに抵抗する形でポピュリズムが出てきて、ナショナル・アイデンティティーと結びつきました。反対に、南ヨーロッパでは若年層の失業問題や不平等が課題となったことで経済グローバリズムに対する対抗意識が高まり、これが左派ポピュリズムとして表れました。つまり時代や国の文脈に応じて、無定形に生まれるのがポピュリズムの特徴といえます。それは人々の政治的な不満や怒りが時代や国によって多様であることの証左でもあります」
ポピュリズムとファシズム、つながるとは限らない
 ――ドイツ出身で米プリンストン大学教授ヤン=ヴェルナー・ミュラー氏の著書「ポピュリズムとは何か」が昨年翻訳されて話題になりました。ポピュリズムの危険性を厳しく指摘し警告した本です。彼は朝日地球会議にも登壇する予定ですが、ポピュリズムをある種のイデオロギーとしてとらえているように思えます。

ヤン=ヴェルナー・ミュラー氏の著書「ポピュリズムとは何か」(左)と邦訳。邦訳は板橋克己氏
「ミュラー氏の『ポピュリズムとは何か』はそうした捉え方が強いですね。ミュラー氏は1920-30年代のヨーロッパ思想が専門ですから、彼のポピュリズム理解の前提にはファシズムがあります。だから、ポピュリズムを分析しているようでいて、実はファシズムを分析しているようにも読めます。だからこそ、ポピュリズムを危険視する人々にとっては読みやすく、支持されたという部分もあるかもしれません」
【関連】ミュラー氏インタビュー 「ポピュリズムとは何か」の著者が見る「トランプ大統領誕生」の本質
「ミュラー氏の指摘のように、ポピュリズムが権威主義的で窮屈な社会を生む可能性は、もちろんあります。ただ、南米の事例をみればわかるように、ポピュリズムは場合によって、民主化を促し、人々を解放するきっかけを提供する時もある。ポピュリズムがどのような形で機能するかは、文脈次第で違ってくるという点にも注意を向けるべきです」
 ――ポピュリズムをファシズムと関連づける考え方は他にもあるようです。アルゼンチン出身の歴史学者フェデリコ・フィンケルシュタイン氏は「ファシズムから暴力を差し引いたものがポピュリズムだ」などと言っています。
「ポピュリズムとファシズムで大きく違うのは、ファシズムは戦争で敗北するまで、資本主義とコミュニズムに挑戦する先端的なイデオロギーでもあったことです。これは歴史家シヴェルブシュ氏の『三つの新体制』、最近ではメディア史家の佐藤卓巳氏の『ファシスト的公共性』などの研究が指摘しているところです。その意味で、ファシズムには政治体制や運動以外にもイデオロギー的側面がありました。しかもファシストは、イタリアの「ファッシ党」のように、自らがファシストであることと公言していました。ポピュリズムはファシズムに似ている部分もあります。社会的、制度的な多元主義を嫌ったり、人民の一体性を掲げたり、既成政治の否定だったり。ただ、これはコミュニズムにも共通している面もある。既知のものと似ているところだけを拡大して納得してしまうと、ポピュリズムの本質を見誤ることになると思います」
「もし両者が同じなら、ポピュリストを『ファシスト』と呼べば済むでしょう。でも、そうは呼ばせない「何か」がある。その「何か」を考えることこそがポピュリズム理解の鍵だと思います」

米大統領選でトランプ氏の支援集会に集まった支持者たち=16年2月、米フォートワース(国末憲人撮影)
「ポピュリストか否か」は本質的な問いではない
 ――イデオロギーか否かの論議を続けますと、共産主義は間違いなくイデオロギーですか。
「政治を教義的に捉えるという意味でコミュニズムは間違いなくイデオロギーです。そのイデオロギーを支える確固とした歴史観もある。これから実現されなければいけない社会があるという意味では、未来志向のイデオロギーです」
「反対に多くのポピュリズムは、過去より悪くなっているとされる現状に対する異議申し立てであることが特徴です。そうした意味では『過去志向』の政治です」
「異議申し立てを本質にしているということは、反対にポピュリズムが実権を握ってしまうと失速したり、『正常運転』に戻ったりすることもあります。トランプ大統領も派手な政策を打ち出しますが、それで社会がどこまで変化するのか、見極める必要があります」
「フランスの政治学者タギエフ氏はポピュリズムを『否定の政治』と呼びます。本質的には現状を支配しているエリートに対する異議申し立ての政治です。言い換えると、ポピュリズムは代表制民主主義やリベラル・デモクラシーの後をついてまわる影のようなものです。代表する者(政治家)と代表される者(有権者)との間には、いつもズレが生じる。その影が濃くなる瞬間、ズレが大きくなる瞬間が歴史にはあって、それは代議制民主主義がうまく機能していないことの証しです。ポピュリズムがリベラル・デモクラシーを危機にさらしているというより、リベラル・デモクラシーが危機にあるからポピュリズムが結果的に強くなっているとした方が因果関係としては正しい。その危機にエリートの側が適切に対処しないと、ポピュリズムがファシズムに転化する場合もあるでしょう。ナチス政権の誕生もヒトラーの能力というより、ワイマール共和国の旧エリートたちの長い失敗の過程の結果だとするのが定説です」

吉田徹氏=国末憲人撮影
 ――つまり、ミュラー氏のようにポピュリズムを権威主義的な体制と結びつけて考えるのでなく、ポピュリズムが果たす機能と権威主義が果たす機能とを分けて考えるべきだということですね。
「私たちはなぜポピュリズムと聞いてそれに否定的反応をするのか、ということを考える必要があります。その裏には、戦後になってはじめて政治的な正当性を獲得したリベラル・デモクラシーへの信頼があります。ポピュリズム政治への反感が最も強いのは、日本とドイツという、実際に権威主義体制を経験した国です」
「ただし、こうした政治的議論と、ポピュリズムが何であるのかという学術的議論とは一端は分けて考える必要があります。そうでないと、文脈や歴史に応じてポピュリズムがどういう機能を果たしてきたのかが説明できなくなってしまうからです。そして通時的にみた時、ポピュリズムと呼ばれてきた政治は、その時々のシステムに対する異議申し立てに過ぎなかったといえます」
 ――ポピュリスト政治家は、私たちにある種の警告を発してくれる存在である、というのはよく理解できます。ただ、ポピュリストと呼ばれる政治家の中には、警告を発するだけでなく、政権を握ってしまう場合もありますよね。たとえば、フランスでは2007年にニコラ・サルコジ氏が大統領に就任しましたが、彼をポピュリストと呼ぶ人もいました。
「その頃のポピュリストと今のポピュリストでイメージされるものも、かなり異なっていますよね。当時は日本の小泉純一郎首相やイタリアのベルルスコーニ首相もポピュリストと呼ばれていて、サルコジ大統領と同類と認識されていました。国末さんの『サルコジ――マーケティングで政治を変えた大統領』でもつまびらかにされていますが、改革志向で市場主義的な政治家こそが『ポピュリスト』と呼ばれていました。ただ、小泉氏も、ベルルスコーニ氏も、サルコジ氏も、それまでの政治家や政党に対する不信が彼らの活躍の場を与え、旧来の政治を批判したという点では共通しています。ポピュリズムのコンテンツは時代で違っても、そのスタイルは同じです」
「ただ、もしこの時代にミュラー氏の本が出版されていたら、それほど説得力を持たなかったでしょう。彼がポピュリズムとしているのは社会的に保守的で、経済的に保護主義的な2010年代のポピュリズムの話であって、サルコジ氏やベルルスコーニ氏ではない。時代をさかのぼってポピュリズムの普遍的な特徴は何かと考えるのと、時代ごとに違うポピュリズムがあるとするのとでは、ポピュリズム理解には大きな違いが出てくることになります」
 ――ポピュリストと呼ばれる中には、道化師のような政治家の一群と、もっと真剣で怖い政治家の一群がいますよね。本質的なポピュリストというのはむしろ、道化師的な人々だと思えます。
「そうですね。道化師的にみえるのは、それがリベラル・デモクラシーの影だからかもしれません」
 ――フランスの「国民戦線」の場合、父親の前党首ジャン=マリー・ルペン氏は道化師のようで、つまり民主主義の機能不全を警告してくれる存在だと思えました。しかし、娘の現党首マリーヌ・ルペン氏はもっと凄みがあって、政権を握ったらやばいなと思えます。
「『ヤバいポピュリスト』という括りでいうと、ロシアのプーチン大統領やトルコのエルドアン大統領、ハンガリーのオルバン首相等が当てはまるでしょう。ただ、彼らをポピュリストと呼んでも、何もなりません。プーチン大統領をポピュリストと呼んだところで何が変わるのか。どうにもならないですよね、たぶん。プーチンやエルドアンがポピュリストであるかどうかは本質的な問いではないと思います。彼らの怖さはもっと他の所にあります」

「政治制度の違いも考慮に入れないといけません。新興民主主義国と欧米の古い民主主義国におけるポピュリスト、それらが野党政治家なのか与党政治家なのかで意味合いは変わってきます。ロシアやハンガリーのように1990年代に民主化した国でポピュリストが政権をとってしまうと、国際情勢に予測不可能性が飛躍的に高まるという意味で『ヤバい』のは確かです」
「新興民主主義国のヤバいポピュリストと対比させると、古い民主主義国の野党政治家がいわば道化師的なポピュリストでしょう。ただ、彼らが目に見える脅威となったのは、保革を問わず、既成政治家がリーダーシップとヘゲモニーを喪失して、本来道化師的だったポピュリストが棚ぼた式に押し上げられているからです」
「イギリスのキャメロン前首相に典型ですが、ポピュリズムを利用しようとして、逆に振り回されてしまうようなケースもあります。2018年春にあったイタリアでも、過去に政権を担った保革の2大政党が有権者の不信をかこった結果、左右両極のポピュリズムが台頭して、連立を組むまでに至りました」
 ――あれはハプニングでしょうか。
「イタリアの場合、政権を握った両極が強かったというよりも、それまでに保革それぞれの連立内閣が政権交代を繰り返してきたものの、いずれも社会的、経済的グローバル化に有効に対処できなかったために、より急進的な左右のポピュリズムを招きよせた、という構図です。イギリスもキャメロン首相は保守党内のEU懐疑派を抑え込むことができずに国民投票に逃げ込んで、敗北しました。フランスもルペン氏が積極的に支持されたというよりも、当時のオランド大統領の低支持率とポスト・サルコジのリーダーがいない保守政党の間隙(かんげき)を彼女が縫ったからです。だから、やはり新顔で既成政党批判を繰り広げ、政策論争で競り勝ったマクロン氏が結果的に次の大統領に選ばれた。反対に2007年のサルコジ大統領誕生時のように、保守の再編の中で既成政党が党を右傾化させると、極右のルペン氏(父)は抑え込まれた。既成政党が劣化したり、統治能力を欠如させたりすると、そこにポピュリストがつけこんでくるのというのが常套(じょうとう)です」

「アリストテレスは『自然は真空を嫌う』と書いていますが、政治も同じです。政治的真空を埋めようとする新しい勢力が頭をもたげようとする。そのような勢力を私たちは『ポピュリズム』と呼ぶのではないでしょうか。名付け得ないものをとりあえず『ポピュリズム』と呼ぶ。だから『あれはポピュリズムだ』と言われると、みんな何となく納得する。理解不能な殺人事件などが起きると『心の闇は深い』といって納得を得ようとするのと似た論理です。もっとも、大事なのは、どう名付けるかではなくて、何がその闇をつくったのかを知ることではないでしょうか。ポピュリズムと名付けたからといって、それで何か言った気になるのは、本質を遠ざけてしまうゆえ、むしろ危険なことです」
 吉田氏との語らいはさらに続く。(下)で、世界中で労働者層がポピュリズムに喝采を叫ぶ理由、安倍政権とポピュリズムの関係を読み解いていく。
■吉田徹氏に聞く(下) 再分配の政治が行き詰まり、そして労働者はポピュリズムに引き寄せられる

国末憲人
朝日新聞GLOBE編集長
国末憲人の記事一覧へ


原子力発電所操業を開始を称賛した日本共産党

2019年09月19日 21時15分20秒 | 社会・文化・政治・経済

ソ連がアメリカに先んじて原子力発電所の操業を始めた。
当時の「アカハタ」の1面で、「ソ同盟 原子力発電所操業を開始」
「平和的利用実現」
「人類史に新しいページ」
「社会主義の勝利」と称えた。
「ソ同盟が原子力の平和的、産業的利用に成功したのは、一貫した平和政策の結果」
「大々的な平和利用をやれるのは社会主義だけ」
「利潤を目的とする資本主義では不可能」と指摘した。
コミンテル(世界共産党)の日本支部として事実上誕生した日本共産党は、この時期、ソ連の完全支配下にあった。
そして、1961年、日本共産党は中央委員会において「原子力問題にかんする決議」を採択した。
だが、今日の日本共産党は過去を封印して、「原発と人間社会は両立しえない」
「日本からいっさいの原発をなくすしかありません」と態度を豹変させているのだ。


自身の希少性を高める

2019年09月19日 11時07分30秒 | 社会・文化・政治・経済

教育改革実践家藤原和博さん

おもしろい方向にリスクを取る
persol-group.co.jp

「マイナス・モード」自分の弱み、挫折や挫折などの体験-の大切さ!
人には長所もあれば、短所もある。
人生前半の「マイナス・モード」は人生後半でで大きな強みにんってゆく。
教育改革実践家 藤原和博さん

実践しなければ意味がない。自ら教育改革実践家を名乗り、波乱万丈でありながらも挑戦し続けてきた。
40代後半にリクルートから教育界に転身し、初の民間校長となった藤原和博さんの「はたらいて、笑おう。」とは。
会社員、フェロー、民間人校長と働き方が変化

「教育改革実践家」として、初の公立中学校民間校長や奈良市立一条高校の校長を務められましたが、前職はリクルート社。どのようなお仕事をたどってきたのでしょうか。

大学3年生までに単位をすべて取り終え、イギリスに4か月語学留学するために、割のいいバイトを探して、日本リクルートセンターで働いたのが入社のきっかけです。その頃のリクルートは中小企業で、知名度も低かった。でも、営業補助のバイトが楽しかったのと、肩書によらず「さん付け」で呼び合うところや、風通しの良い社風がとても良かった。周囲になかなか味わいのある人がそろっていたし、この会社ならおもしろく働けそうだな、と思って入社しました。

ゼミの仲間が官庁や大企業に就職する中、“正式に踏み外した”わけです。
リクルートでの仕事は本当におもしろかった。同僚と夕食をとりながら、「お客さまをどう驚かせるか」「採用の決定権を持つトップにどう会うか」「担当の会社をどう良くしていくか」・・・そんな話ばかり。何かひらめくと、そのまま会社に帰り、当時はパソコンもないから、企画書を手書きで書き直して。営業成績はトップで、どんどん出世していきました。

ただ、そのころ、昇進したことで仕事内容も変化し、やりたい仕事とやるべき仕事の板挟み。多忙と不規則な生活で、ついに30歳でメニエール病を発症してしまいました。それで、出世レースから降りて、自分のやりたいテーマを探すため、会社からの留学生として、37歳で家族を連れてヨーロッパに留学しました。

どんなテーマが見つかったのですか?

前後しますが、留学前に出版社「メディアファクトリー」を設立しました。市場調査をするうちに、これは絶対に“時代が変わるな”と思ったんです。高度成長期の価値観が、今後がらりと変わるだろうと。実際1997年が高度成長のピークで、98年から成熟社会に入ったんです。それが手前で分かったから、移住先を成熟社会を迎えていたヨーロッパに選びました。

そして、日本の成熟社会をまともに迎えるためには、3つの分野で社会システムを一新する必要があると気付きました。教育、介護を中心とした医療、そして住宅問題です。

そのうちの1つ、「教育」というテーマを追うために40歳で18年間勤めたリクルートを退社しました。その代わり、業務委託契約のような「フェロー」制度を設立してもらい、評価によって年収が変化する働き方に“モードチェンジ”したんです。退社することで権力と保障を捨てて、フェローで働くことで自由な時間と時価評価を手に入れたというわけです。

フェロー契約終了後、2003年から民間人校長に。52歳で名刺を捨てて、「教育改革実践家」を名乗りはじめました。

仕事を選ぶときは「おもしろい」かどうか

藤原さんが提唱する、戦略的に人生のモードを変えていく“モードチェンジ”。47歳で杉並区立和田中学校の校長になったのも大きなモードチェンジでしたね。

普通ならやらないですよ。これまで働いてきたリクルートの営業やプレゼンの経験は役に立たないし、年収は3分の1ですし。でも、「これ以上おもしろいことはない!」と思ったから飛び込んだんです。

そして、教育改革を“実践で”変えていきました。「校長室の開放」を宣言し、「よのなか」科(科目の枠にとらわれず、世の中に関連した、生涯使えることを教えることが目的の授業)を総合学習に取り入れたり、教職志望の大学生が先生役を務める土曜日限定の自主的な学習の場「土曜日寺子屋(ドテラ)」をはじめたり。校庭を開放して、地元の方々にボランティアで協力してもらって、緑のある学校に生まれ変わらせたりもしました。

結局、僕が仕事を選ぶのは「おもしろい」かどうかで、論理じゃないんです。何と表現すればいいのかな・・・「美意識」かもしれない。

働き方は、おもしろいほうへ、おもしろい方向へふるというのが原則。それが僕の美意識です。


常に新しいことに挑戦し、向き合う中で、「働く」ことをどのようにとらえているのでしょうか?

そもそも、働くことと生活の「オン」と「オフ」という考え方をしていないんです。ですから、もうすぐ63歳ですが、“定年”や“いつまで働く”といった区切りもありません。

私は一人っ子ですから、基本は寂しがり屋です。我が道を行くように周りから見られているかもしれませんが、かまってもらえないと寂しいし、仲間に“ウケたい”という思いが強いんです。次に挑戦するときも、「どこに踏み出したら、僕の仲間たちは笑ってくれるかな」って。そういう判断なんです。

もし僕が、有名になるだけ、お金のためだけに何かをはじめても人はついてこないと思うし、応援してくれないでしょう。リスクのある道を選んで進むからこそ、仲間が助けてくれるんです。


畑違いで難しいと言われた教育改革もそう。イメージは、仲間がゲームのコントローラーを持っていて、僕はアバターなんですよ。皆も日本の学校教育が柔らかくなったり、もっとおもしろくなって欲しいと思っている。だから、僕をアバターにして、仲間が動かしてくれている。不利なことをすればするほど、仲間が盛り上がって、助けてくれるという感じですね。

率先してやる「仕事」はエネルギーをもらえるもの

いま働きすぎが問題になったり、働くことをネガティブとらえらる人もいます。藤原さんも、仕事で大変だったり、辛かったりしたことはありますか?

僕は、自分からイニシアチブをとってやるのが「仕事」、させられるのが「作業」だと思っているんです。「仕事」と「作業」はまったく違うものです。つまらないと感じているのなら、それは「作業」なのかもしれないですね。「作業」をやり続けるのは、エネルギーを奪われてしまうだけです。でも、自ら率先してやる「仕事」は、むしろエネルギーをもらえるものです。僕は営業だったから、担当するお客さまに喜んでもらえたり感謝されたりする。それがうれしくて、楽しくて、しょうがなかったですね。
今後のビジョンを教えてください。

メディアアーティストの落合陽一君とある番組で話したんだけど、中学校と高校の校長を務めたから、今後は幼稚園と小学校をやる手があるなと。日本の小学校のカリキュラムは世界的に見ても素晴らしい。ただ、幼児教育はまだ手付かずの部分があると考えているんです。そのうち、“「よのなか」科の幼児版”みたいなことをやりたいと思っています。

そしたら落合君から、「そこまでやるなら、最後は大学の学長ですね」と言われて、なるほどな、と思ったんです。少子化で大学はすでに半分の私立大が定員割れです。今後は付加価値を付けていく必要があると考えたら、やってみたい気がしますね。そしたら、幼稚園から大学まで、70歳までに“ロイヤルストレートフラッシュ”ですから(笑)。

最後に、藤原さんの「はたらいて、笑おう。」とは?

僕が仕事を選ぶのは「おもしろい」かどうか。おもしろいほう、おもしろい方向、に進んで行くということは、“みんなと一緒の方向に行かない”ということです。みんなと同じ方向に進めば、自分の希少性が下がってしまうから。

「おもしろい方向」は、おもしろいかもしれないけど、同時に相当タフでもあります。けっこう厳しい道かもしれないし、おそらく便利で安定な方向ではないでしょう。きっと、権力や保障も得られない。「おもしろい」ということは、そういうことだと思うんです。ただし、リスクをおかさないと、おもしろいことなんてありえない。

だから、「はたらいて、笑おう。」というのは、“安心して笑おう”じゃないと思う。リスクをとった人が、さまざまなことを乗り越えたからこそ、笑えるんだと思うんです。
取材・構成:児玉 奈保美
写真:井手 康郎(GRACABI inc.)


教育改革実践家 藤原和博さん
リクルートのトップセールス、新規事業部長を経て初代フェローというスーパービジネスマンの世界から転じ、東京都初の民間中学校長や奈良市一条高校校長として様々な改革を断行。講演回数1400回超の人気講師で書籍も81冊累積145万部。2月6日新刊『僕たちは14歳までに何を学んだか』(SB新書)発売。詳しくは「よのなかnet」 に。

 


一夫多妻制

2019年09月19日 08時28分20秒 | 社会・文化・政治・経済

一夫多妻制は、1人の男性が多数の女性を妻とすることを認める社会、もしくは法律上の結婚制度。

本来は「複婚」を指す「ポリガミーpolygamy」の語が充てられるが、一夫多妻は術語としてはpolygynyという語を用いる。
また、結婚と同様、婚姻についての厳密な一般的定義は不可能である以上、文化人類学/歴史学的に一夫多妻の結婚状態として扱う範囲も定義によって変容する。
その点で「一夫多妻制」という言葉を用いる際は「一夫多妻」以上に制度的・法律的側面を強調することになるが、一般にはほとんど区別されない。

生物学的意義
ヒト以外の動物にも一夫多妻制は確認されており、生物学的にいうと、一夫一婦制や乱婚制との関係は、雄(男性)から雌(女性)への繁殖投資の有無と深く関係していると考えることができる。
一夫多妻制を営む動物の雄は、配偶関係にある雌に対して保護や食物の供給を通じて投資を行わず、より多くのエネルギーを、より多くの雌と配偶行動をとることにつぎ込むことで自らの遺伝子を持つ子孫をより多く残す繁殖戦略をとるものが多い。乱婚制との違いは、なわばりなどの手段によってより多くの雌を囲い込み、そこからライバルの雄がそれらの雌と配偶関係を持つことを排除する、すなわち雌という繁殖資源の資源防衛を行う点にある。つまり、繁殖に費やすエネルギーの投資をより多くの雌を獲得することだけに注ぐのではなく、雌の囲い込みとライバルオスの排除に相当量投資することで、より確実に自らの子孫を残そうとしているわけである。このような繁殖戦略を取る動物としては、繁殖期に非常に多くの雌を囲い込み、ライバルオスを激しい闘争によって排除して交尾にはげむ、チンパンジー、
ゴリラなどの霊長類やゾウアザラシやアシカ、ライオンなどが代表的なものとして挙げられる。

文化人類学的観察
一夫多妻制は世界的にかなり広範に観察されるが、その成立要因については多様な説が並立しており、単純に論ずることはできないものの、原始的な成立要因という論点においての婚姻適齢期の両性の人口不均衡を原因とする説は否定されている。
一夫多妻制を形態の面から観察する場合、姉妹型一夫多妻制と非姉妹型一夫多妻制に大きく分けることができる。
姉妹型一夫多妻制は一人の男性が姉妹を妻として娶る婚姻の形態である。姉妹型一夫多妻制は社会的階層分化の進展にともなって減少する場合が多く、原始社会で多い一方で古代から減少する。姉妹型一夫多妻制が婚姻する双方の両親の結合を重視する社会において、婚姻を社会的紐帯の非常に重要な要素とみなし、社会的安定性の担保としたためと考えられる。社会の階層分化や権威の発達にともない、このような結合の重要性が比較的減退していき、姉妹型一夫多妻制が一般的にはあまり見られなくなってゆく。
古代においても経済的に上層に位置する人々のあいだでは遺制を残していることもあるが、中世に入るとほとんどみられない。

一方、非姉妹型一夫多妻制は、単に妻たちが姉妹ではないというだけであって非常に広範なものであり、一概に論ずることはできない。冒頭の語義定義にあるように、婚姻の定義の範囲によって妻が一人で妾が複数という状態を一夫多妻制とみるかどうかが変容するからである。法的・制度的側面から考慮した場合、妾を持つことが事実上認められている状態であっても一夫一妻制となる一方、社会的・人類学的側面から考慮した場合は一夫多妻制となる。この際着目すべきは、妻たちのあいだに存在する差異であるが、これも正妻と妾らという形態のほかに、多数の正妻、また正妻以下順次序列のある形態などさまざまである。
したがって婚姻と同様、一夫多妻制についても、個別社会的文脈からの把握が中心とならざるを得ない。

歴史的観点
先述のように一夫多妻制は概念史的に論ずることは困難であり、個別具体的な社会的文脈から把握せざるをえない。したがって本節では各文化での一夫多妻制のあり方を記述する。婚姻は生活の重要な要素であり、生態的・地域的な要素と同様に宗教的規範として規制が行われる分野である点に注意が必要である。

イスラームにおける一夫多妻制
一夫多妻制社会の具体例として採り上げられることが多いのがイスラーム社会である。ここではイスラームにおける一夫多妻制を説明するが、イスラーム世界は地域的には非常に多様な世界からなり、それらの地域が必ずしもイスラーム的規範のみから婚姻制度を確立しているわけではなく、地域的慣行なども影響する点は注意が必要である。これらについては地域別の婚姻制度についても参照。
イスラームにおける一夫多妻制は法源をコーランとするイスラーム法的制度である。男性は4人まで妻を娶ることができる。しかしコーランの規定上、夫は妻を保護し扶助を与える義務があり、またそれぞれの妻のあいだに差異を設けることは決して許されない。これらの条件を満たせないときは一夫一妻が奨励され、夫が義務を怠ったりそれぞれの妻の扱いに差異を設けた場合は離婚申し立てと賠償の根拠となりうる。ただし、この妻を平等に扱う規定に対しては、実際のイスラームの歴史において特に強調されるようになったのは、近代に入り女性の人権を擁護する動きが強まってからである。近代以前は、(イスラームに限ったことではないが)やはり女性の権利は制限されていた。 なお、東京イスラミックセンターのWebSiteの「イスラム教入門」では、「人間の男性の性の能力は一夫一妻制を遥かに超えており、不自然な姿である」としている。


一夫多妻社会への考察

2019年09月19日 08時13分58秒 | 社会・文化・政治・経済

一夫多妻社会における女性の社会関係:西アフリカ・バンバラの事例を中心に

 

保坂 実千代  京都大学, 大学院・アジア・アフリカ地域研究研究科, 助手 (90293935)

研究期間 (年度) 1998 – 1999

研究概要
本研究の目的は、マリ共和国バンバラ社会のある村落において1991年以来継続してきた調査で得た資料、ならびにフランス国立東洋言語文明研究での言語学的研究に基づいて、バンバラ社会における一夫多妻制の諸相を明らかにするとともに、女性の社会関係に関する女性の側からの認職について彼女たちの言説を通して考察することであった。

初年度には、バンバラ社会において女性の占める位置、一夫多妻婚の実態について主に考察を行なったため、本年度の研究計画は、女性へのインタヴューなどを録音したテープのテキスト化を継続しつつ、これらのテキストの分析を通して女性の社会関係について考察し、女性の社会的実現を明らかにすることであった。
本年度の研究実施内容は以下の通りである。
村落社会に暮らす女性にとっては、一夫多妻拡大家族という場での人間関係が彼女たちの社会関係の大半を占め、彼女たちの人生において非常に重要な意味をもっているため、父系原理によって秩序づけられた一夫多妻拡大家族の構造とそこにおける既婚女性の位置づけを明確にした。

そして、ある既婚女性の語ったライフ・ヒストリーに基づきながら、その女性と家族成員との関係を分析した。また、共妻間の関係については、この関係が共妻同士の二者間の関係にとどまらず、そこに夫も加えた三者間の関係の反映であることを明らかにしようとした。

そのため、jegiya(精神的・経済的に頼りにしているという関係)とteriya(友情関係)という語を選び、女性がそれらの語を使うとき、どのような含意が伴っているかを具体的な発話状況を考慮しながら分析し、これらの含意を通して、一夫多妻社会における夫と妻の関係や共妻の関係のあり方について考察を試みた。


青春とは、心の若さである

2019年09月19日 07時37分39秒 | 社会・文化・政治・経済

サムエル ウルマン  (著), 作山 宗久 (翻訳)

 内容紹介

 年を重ねただけでは人は老いない。人は理想を失うとき初めて老いる。温かな愛に満ち、生を讃える詩の数々。困難な時代の指針を求めるすべての人へ贈る、珠玉の詩集。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。

困難の時代に生きた著者・ウルマンは、80歳という人生の頂に立ち、来たるべき死を自覚しながらもなお、理想を追うことの大切さを歌い続けた。温かな愛に満ち、生を讃えた彼の詩は、時代を超えて我々にさわやかな感動をもたらす。多くのトップビジネスマンに愛され続けたベストセラー詩集。


[サムエル・ウルマン, 作山 宗久]の青春とは、心の若さである。 (角川文庫)

 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ウルマン,サムエル
1840年、ドイツ生まれのユダヤ人。1851年に両親とともにアメリカに移住、南北戦争従軍などを経て、アラバマ州バーミングハムで、金物屋を開業。市の教育委員、イスラエル寺院の会長などを務めながら、青少年の教育にあたる。1924年、没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 

マッカーサー将軍が愛した詩としても有名。
青春とは人生のある時期ではなく、心の持ちかたを言う。

青春とは憶病さを退ける勇気、安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年より60歳の人に青春がある。
年を重ねるだけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる。

年を重ねた人は、経験や知恵がある。
人格も磨かれる。
その上で人が行動するために必要な<魂の若さ>について述べている。

「青春とは心の若さである。信念と希望にあふれ、勇気にみちて日に新たな活動をつづけるかぎり
青春は永遠にその人のものである」松下幸之助の言葉
「青春というのは、結局、肉体の若さではなく、心の青春、青春の若さだと考えるようになりました」同。



バッキー氏の娘 引退メッセに「父が生きていれば」

2019年09月19日 07時32分38秒 | 野球

今季限りでの現役引退を表明した阪神ランディ・メッセンジャー投手(38)が18日、兵庫・西宮市内のホテルで引退会見を行った。

引退会見で涙とともに笑顔を見せるメッセンジャー

甲子園のマウンドの問いかけに号泣。5年連続を含む6度の開幕投手を誇りに、打倒巨人に燃えた10年間だった。9月29日の中日戦(甲子園)で外国人選手では異例の引退試合を開催。最後の先発マウンドに上がる。

   ◇   ◇   ◇

メッセンジャーと親交があり、阪神外国人唯一の100勝を成し遂げた故ジーン・バッキー氏の長女リタさんがメッセージを送った。「もし父が生きていれば、彼の引退をどれほど悲しんだでしょう。阪神での自身の記録を破ってくれることを、本当に楽しみにしていましたから。父は生前、100勝を達成する外国人投手が出ることを『次の世代にトーチが渡るところを見たい』と表現していました」。メッセンジャーからはバッキー氏の葬儀に、花が届いたという。

 
 

 

 
 

バッキー氏の娘 引退メッセに「父が生きていれば」

2019年09月19日 07時32分38秒 | 野球

今季限りでの現役引退を表明した阪神ランディ・メッセンジャー投手(38)が18日、兵庫・西宮市内のホテルで引退会見を行った。

引退会見で涙とともに笑顔を見せるメッセンジャー

甲子園のマウンドの問いかけに号泣。5年連続を含む6度の開幕投手を誇りに、打倒巨人に燃えた10年間だった。9月29日の中日戦(甲子園)で外国人選手では異例の引退試合を開催。最後の先発マウンドに上がる。

   ◇   ◇   ◇

メッセンジャーと親交があり、阪神外国人唯一の100勝を成し遂げた故ジーン・バッキー氏の長女リタさんがメッセージを送った。「もし父が生きていれば、彼の引退をどれほど悲しんだでしょう。阪神での自身の記録を破ってくれることを、本当に楽しみにしていましたから。父は生前、100勝を達成する外国人投手が出ることを『次の世代にトーチが渡るところを見たい』と表現していました」。メッセンジャーからはバッキー氏の葬儀に、花が届いたという。

 
 

 

 
 

敢闘会の案内を届ける

2019年09月19日 06時30分26秒 | 日記・断片

敢闘会の会合の案内を届けに行く日であった。
「午前10時だよ。いいね」と寺川さんが言ったのは、式次第を決めた日のこと。
ところが、その時間に待っていたのに、寺川さんが来ない。
自宅の固定電話に3回、携帯に2回かけてみたが出ない。
午後になって、「何の用?」と外出先(東京・新橋)に連絡がある。
待っていたことは、沈黙して「明日、午前10時、いいですか?」と言うと「わかった、10時に、ミスターマックスの駐車場だね」と彼は答えた。
打ち合わせの会合も報せて来ない。
本人は連絡したつもりになっているのだ。
「認知症が少し、入ったのかもしれないね」と介護施設で働く春川会長は言っていた。
そこで、敢闘会の打ち合わせの日程は、佐々田さんから聞くことにした。
昨日、式次第を届けに、小堀地区(おおほり)へ行く。
大型トラックがあおり運転する。
初めての経験で恐怖を感じた。
背後にぴったりと接近する。
時速80㌔~90㌔となるが、それでもトラックはピタリ着いて来るではないか。
相手は異常性格の人間の様である。
右折する道を3度も間違えるほど、寺川さんはあっている様子。
結局、4度目に右折する。
1㌔は余分に走ったことになる。
日ごろからあおり運転をしている寺川さんが、初めてあおられたのだ。
実に皮肉なものだ。
赤峰さんは在宅で、2階のベランダからテレビアンテナの向きを修正していた。
「おおい!テレビ映ってるか?」と1階の奥さんに叫ぶ。
奥さんは「寺川さんたちが来ている。降りて来て」と1階の玄関で叫ぶ。
だが、「おおい、テレビどうだ?」と彼は繰り返す。
奥さんは「寺川さんだよ、降りて来て」と叫ぶ。
「敢闘会の案内だよ」と寺川さんが2階を見上げる。
「分かったポストに入れておいて」と寺川さんが言ってからアンテナを再度調整する。
「最近、支部の会合に来ないわね」と奥さんに言われて、「足が痛くて、通院している。右肩も痛くて、年だな」と寺川さんは苦笑する。
この後は、井上宅へ。
井戸のポンプを直していた井上さんは、手作業を止めない。
「敢闘会の案内」と当方が声をかける。
「ポストへ入れて置いて」と井上さんが言う。
次に石田宅へ。
留守で奥さんに案内を手渡す。
大利根橋を戻り、台宿地区へ。
亡くなっていることは伝えていたのに、寺川さんは鈴木宅向かう。
「鈴木さんは、死にましたよ」と言うが、「そうだったけ」と忘れていた。
そのあと平田宅へ向かうが道を間違える。
本人は石井宅へ向かう意識のようだった。
「いけねい。次は平田さんだったな。忘れていた」
平田さんは在宅していた。
週に何日かは、働いている。
もしもの話であるが、その仕事は中川さん当方に依頼した「パソコンの仕事」だった。
あの時期、当方は京都まで行っていたので、その仕事を断ったのだ・・・。
当方の代わり引き受けたのが平田さんだった。
次の石田さんは不在、また倉田さんは仕事で不在、奥さんも車がないので、外出のようであった。
なお、中川さん、新井さんへは当方が後日、案内を届ける予定だ。


「哲学」というのは、生き方の根本となる考え方

2019年09月19日 05時31分49秒 | 社会・文化・政治・経済

▽人生の「基軸」をつくる。
幸福になるには、「幸せとはなにか」を明らかにした「哲学」が必要になる。
「哲学」というのは、生き方の根本となる考え方である。
▽なぜ、自分の人生は、苦悩が続くのだ。
あまりにも不公平だ、と暗雲を仰ぐ思いで宿命を嘆く人もいるだろう。
過去の言動や心が宿業を形成する。
そして、現在の自身の生き方が未来を決していく。
「宿命・宿業」は自身の生き方の変革によって「使命」へと変えることができる。
▽悩みや苦難に直面した時、弱い心やわがままに従ってしまえば、乗り越えることはできない。

▽生き方の規範を示す「心の師匠」が必要なのだ。

▽苦労は全部、自分のためである。
甘えようと思えば、いくらでも甘えられる。
<鍛練がない>時代である。
こうした時代だからこそ、自分から「苦労しよう」と自覚した人が鍛えられる。
何ものにも「負けない」自分へと鍛練しぬいた人が勝つ。

▽着実に粘り強く進もう。