毎日新聞2019年9月4日
高齢者は病気の治療で薬の数や種類が増えがちだ。不必要な薬を出されたり、薬による有害な症状に悩まされたりするケースもある。
確かな医療の賢い選び方を紹介するシリーズ「賢い選択」の新企画では、ポリファーマシー(多剤処方)を巡る問題を4回報告する。
初回は、ポリファーマシーと有害症状との関係について取り上げる。
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高齢者と薬「多すぎる薬と副作用」
高齢者では、処方される薬が6つ以上になると、副作用を起こす人が増えること
が分かっています。ですから、医師は薬剤数を減らせないか見直しをしたり、
増やさずに済む方法を考えたりしています。
高齢者は、多くの薬を使うと副作用が起こりやすいだけでなく、重症化しやす
くなります。高齢者に起こりやすい副作用はふらつき・転倒、物忘れです。特に
ふらつき・転倒は薬を5つ以上使う高齢者の4割以上に起きているという報告
もあります。また、高齢になると骨がもろくなるので、転倒による骨折をきっ
かけに寝たきりになったり、寝たきりが認知症を発症する原因となる可能性
もあります。
そのほかに、うつ、せん妄(頭が混乱して興奮したり、ボーっとしたりする症状)、
食欲低下、便秘、排尿障害などが起こりやすくなります。
高齢者に薬の副作用が多くなる理由は、薬の種類が多い事だけではありません。
加齢によって薬の効き方が変化することも影響しています。飲み薬を例にとって
説明しましょう。
口から飲んだ薬は胃や小腸で吸収され、血液にのって全身に運ばれ、目的の組
織に到達(分布)すると、効き目を発揮します。薬は、徐々に肝臓で代謝(分解)さ
れたり、腎臓から排泄されたりして、効き目がなくなります。ところが、高齢者
になると、肝臓や腎臓の機能が低下して、代謝や排泄までの時間がかかるよう
になります。そのため、薬が効きすぎてしまうことがあるのです。
毎日新聞 2019年9月4日
緩和ケアを受けるがん患者について、学会所属の病院薬剤師の約7割が、多剤服用で有害症状が出るポリファーマシーなど不適切な処方を確認したとする調査結果を、日本緩和医療薬学会の委員会が日本医療薬学会誌「JPHCS」に発表した。医師が患者の求めに応じて不必要に漫然と処方したり、症状が治まったのに気づかず薬を出し続けたりしたためとみられる。調査した学会は「薬剤師が適切に介入すれば改善できるはずだ」と指摘する。
2軍で1号&マルチ
9/4(水) デイリースポーツ
1回、ソラーテは右越えに本塁打を放つ
「ウエスタン、阪神1-6オリックス」(3日、鳴尾浜球場)
逆転CS進出へ、起爆剤となるかもしれない。阪神・ソラーテが2軍降格後初アーチを含む、3打数2安打1打点。着実に状態を上げてきており、「これがいつもの自分の感触です」と納得の表情を浮かべる。
初球を豪快に振り抜いた。一回2死走者無しで迎えた第1打席。鈴木優が真ん中高めに投じた145キロ直球を捉えると、打球は右翼フェンスを越えた。納得の先制ソロに、三本間では上機嫌で“クロコダイルポーズ”も披露した。
「日本の投手にタイミングを合わせるということを意識している。それがいい結果につながっているのかな」と手応えを実感。八回2死一塁で迎えた第4打席では、3番手・沢田から中前打を放ち、左打席でのマルチ安打を達成した。
4試合連続安打の助っ人に、平田2軍監督も「ノってきたねえ。明るいし打撃練習からずっといい。配球を読んだり、慣れてきたんだろうね」と絶賛。その上で「CSや残り試合でソラーテが(1軍に)呼ばれるチャンスはある」と明言した。
その道しるべが「三塁・ソラーテ」だ。5日の同オリックス戦(鳴尾浜)では、来日後初の三塁守備に就く予定。ブルージェイズ時代の昨季は三塁で最も多く出場しており、“本職”と言える。
1軍に目を向ければ大山が打撃不振でスタメン落ちが続き、北條も3試合で9打数1安打と結果が出ていない。残り20試合、サードで“セクシータイム”が発揮されれば、間違いなくチームは勢いに乗る。
「対話対話型鑑賞」が生きる力を培う
意識的に「みる・考える・話す・聴く」という四つの力を用いる。
意識を持って、作品を隅々まで観察する。
これが「みる」。
きれい、かわいい、怖い、好き、嫌い・・・。
直感を大切にしながら、作品のどこがそう感じたのか、その根拠を作品の中に見つけること。
それが「考える」。
心に湧き上がる気持ちや疑問を言葉にして、他者に伝わるように「話す」。
他の人の考えを、意識を持って「聴く」。
福 のり子さん(京都造形芸術大学 教授)
アート・コミュニ ケ ー ション 研 究 センター 所 長
コ ロン ビ ア 大 学 大 学 院 で 美 術 教 育 学 を 学 ん だ 後 、ニュー
ヨーク近 代 美 術 館( M o M A )に て 研 修 。9 0 年 代 はじ めより
イン ディペ ン デ ント・キュレ イタ ーとして 活 躍 するととも
に 、作 品と鑑 賞 者 の コミュニ ケ ーション の 重 要 性 を 唱えて
きた。
2004年 度より京 都 造 形 芸 術 大 学 に て、対 話 型 鑑 賞 を 体 系
的 に 学 び 実 践 す る 、日 本 の 大 学 で 唯 一 の カリキュラム
「 アート・コミュニ ケーション・プ ロジェクト( A C O P / エ イコップ )」を 展 開 。
ま た 、2 0 0 9 年 に は 同 大 にアート・コミュニ ケ ー ション 研 究 セ ンタ ー を 設 立し 、鑑 賞 者 の 育 成 お よび作品と鑑賞者をつなぐファシリテイターの養成を目的とした 講 座 やワークショップを数 多く開 催 する。
そ の 他 、主 に 現 代 写 真 の 展 覧 会 を 日 米 お よ びヨ ー ロッパにて多数企画している。
『 な ぜ 、これ が アートな の?』アメリア・アレ ナス 著 、『 学 力を の ば す 美 術 鑑 賞 』フィリプ・ヤノウィン 著 を 翻 訳 出 版 。
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―「対話型アート鑑賞」をとは、そもそもどのようなものなのでしょうか?
ニューヨーク近代美術館(MoMA)が教育プログラムとして開発した鑑賞法です。
特に日本人はその傾向が強いのですが、アートは作品の背景に注目されがちです。作家が誰だ、どんな状態で描いたとか。でも、「アートの本質はそんなもんじゃない。知識を確認するだけで終わらせず、もっと多くのことを鑑賞から手に入れて欲しい」という思いで、対話型アート鑑賞法が作られました。内容は、参加者全員が一つの作品をじっくりと鑑賞し、その後、決められたテーマで自由に語り合うというもの。1人の学芸員(ファシリテーター)と10人未満の参加者で開催されることが多く、現在アメリカでは100以上の美術館と300以上の学校で実施されているんです。私たちは、そこにさらに独自のアイデアを加えて観賞プログラムにしています。
福島 治さん
1958年広島生まれ。日本デザイナー学院広島校卒業。浅葉克己デザイン室、株式会社アサツーディ・ケイを経て、1999年福島デザイン設立。被災地支援プロジェクト「unicef祈りのツリー」「JAGDAやさしいハンカチ」「おいしい東北パッケージデザイン展」など、デザインにおける社会貢献の可能性を探求、実践する。東京2020オリンピック正式プログラム「PEACE ORIZURU」プロジェクトメンバー(→)として活動中。世界ポスタートリエンナーレトヤマ・グランプリ、メキシコ国際ポスタービエンナーレ第1位、カンヌ広告フィスティバル・金賞など国内外の30以上の賞を受賞。AGI、JAGDA、TDC会員。東京工芸大学デザイン学科教授、株式会社フクフクプラス(→)取締役、日本デザイナー学院顧問、公益財団法人みらいRITA理事、一般財団法人森から海へ理事。障害のあるアーティストの社会参加と収入支援をライフワークとして実施。商業ベースと一線を画した社会課題に向き合うアートにこだわりを持つ。
大変だな、辛いなと思うことも、挑戦していくならば、むしろ、成長のための養分とし、自身の跳躍台にすることができる。
今日も学べ
今日も動け
今日も働け
そして今日も一歩意義ある前進を
明日も朗らかな前進を
臆病なら、勇敢になればよい。
裸のまま、ありのままの自分でよい。
困難はドラマの始まりだ。
逡巡は挑戦へのステップだ。
苦闘は感動を生み出すためにある。
胸を張り、腕を振り、勇気の一歩を踏み出すのだ。
時は今だ!
常に慈悲の心を持ち、仏使の使命を果すために身命を惜しまぬ人生を。
仏使とは:如来より遣わされた者。仏の使者の意味。仏の代理として仏のように振る舞う者のこと。
安穏な社会 のための「仏使」の姿。
仏使の舞台は、あくまで現実の社会である。
社会を離れて仏法はない。
社会の誰が見ても立派だという、人格の人に育って、誰からも慕われ、信頼される人へ。
時代は<人格の時代>に入ったことを銘記(心にきざむ)して前進を。
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「常修慈心」著者 上田本昌 掲載誌名 印度學佛教學研究
漢訳法華経の響喩品の中に、「常修慈心 不惜身命」とある。
「慈悲」の在り方につき、きわめて重要な意義を含んだものではないかと考えられる。
主として仏の大慈大悲にもとずく衆生救済の本願が挙げられている。
仏使の使命を果す者が、当然修し具足しなくてはならない徳目の一つとしてこの慈悲行を挙げ、具つ他の修すべき諸行よりも重くみて「常に修すべき」ものとしたのである
法華経では、慈悲について、いずれにより多くウエイトが置かれている。
「仏は平等の慈悲なり」とも論じて、仏とは慈悲の所有者であり、ついては慈悲そのものを仏と名付けるのである、という段階にまで至つているものの如くである。
智慧とは、世の中のありとあらゆる出来事や、その背後にある真理を見極める働きのことです。
古代インドの僧で、八宗の祖師と知られる龍樹菩薩は、著書の大智度論で、
「決定して知り、疑うところなきが故に名づけて智となす」
と記しており、智慧は仏さまの智であり真理そのものであると説いています。
知恵と智慧
私たち一般の人間にとっての知恵とは、頭のよさや判断力の意味であり、頭がいい人や判断力に優れた人のことを「知恵がある人」といいます。
一方、仏教における智慧とは頭の良さを指すことではなく、世の中の真理を知る頭の働きを指し、知恵は時代とともに変化しますが、智慧は普遍的なものです。
六波羅蜜
六波羅蜜(ろくはらみつ)とは、大乗仏教において悟りを開くために実践すべき6つの善行で、
1.布施(施し・親切)
2.持戒(戒律を守る)
3.忍辱(忍耐)
4.禅定(精神統一)
5.精進(努力)
6.智慧(修養)
であり、智慧は他の5つの拠り所となるものです。
この波羅蜜を実践することによって、真理を見極め真実を認識する力を得ることができます。
人間は誰もが生まれながらにして仏さまと同様の心を持っていますが、煩悩が強くなると、知恵だけで物事を考えてしまいます。
知恵ではなく智慧を得て人間にとって本当に何が幸せかを考えること重要ではないかと思います。
生きとし生けるものはすべて仏の本性をそなえている―日本人の思想形成に大きな影響を及ぼした、仏性思想の本質を明快に説き明かした名著、待望の増補新版。
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人間を軽賤(見くだし、馬鹿にする)。
人間を、自分に利益をもたらす<手段>や<道具>としか見ない。
つまり、人間の尊厳性が分からない。
その本質は、自他の生命に具わる仏性への不信である。
仏性とは仏の性質や仏になり得る可能性の事。
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著者は、“仏性・如来蔵については、この書が出版された後にいろいろと批判的な見解が現れた。一言で言えば、「如来蔵の教えは要するに外道の我の教えと同じだ」から仏教ではない、というものである。”(p.i)と回顧する。そうした批判の代表は、『本覚思想批判』(袴谷憲昭著)であり、『縁起と空―如来蔵思想批判』(松本史朗著)であるが、両書の仏教理解は本書の著者に遙かに及ばない。しかし、本書の丁寧で客観的な仏性・如来蔵の説明を読んでも、なぜ2〜3世紀のインドで龍樹の中観思想と同時期に如来蔵思想が成立したのかを説明しない。さらに、如来蔵思想が大乗思想を貫いて、密教まで続いているのは分かるが、それほどまでに重視された理由が分からない。
そんな時、『仏教的ものの見方』(森章司著)の“原始仏教や部派仏教の教えの基本的な構造は、智慧によって煩悩を断じるところに覚りが現れるというものであった。ところが、大乗仏教は、「煩悩を断ぜずして覚りを得る」と教える。”(引用書のp,161)を読んだ時、見えない関係が姿を現し始めたのである。
キーワードは、「煩悩を断ぜずして覚りを得る」であった。龍樹著とされる『十住毘婆沙論』は十地の初地に入ることの重要性とその容易性を強調している。如来蔵思想はキーワードそのものである。両者の接点は、「四沙門果のシュダオン=預流=初地では、煩悩がまだ断ぜられていない」ということである。
『律蔵 大品』によれば、“仏陀釈尊が在家の青年ヤサに「施・戒・生天」を説き、ヤサが業報思想を理解し、因果の道理を正しく信ずるようになると、四聖諦を説いた。その結果、ヤサに塵なく汚れなき真理を見る眼(清浄無垢の法眼)が生じ、初歩の聖者(シュダオン)になった”とある。シュダオンは、まだ身見・疑惑・戒禁取の三結を断じた第一段の聖者に過ぎないのである。これこそ、龍樹が目指したものであり、如来蔵思想が訴えようとしたものである。
人材育成の3指針と言えるだろう。
人間関係の悩みから小学校講師を退職、帰郷する。
地元の特別支援学校の講師となる。
その後、特別支援学校の教諭免許を取得し、正採用となる。
一時の挫折も通過点。
帰郷したことで、地元で全県的に活動する場が与えられた。
若者の体験談はとても刺激的である。

◎国立科学博物館「3万年前の航海徹底再現プロジェクト」はこの本から生まれた!
約十万年前、アフリカを出た私たちの祖先は、
四万八千年前、ヒマラヤ山脈を挟んで、南北に別れて拡散、
一万年後、東アジアで再会する。
そして、古日本列島に、三ルートから進出した。
世界各地の遺跡の年代調査比較
DNA分析、石器の比較調査、
しかし、最後の謎、台湾沖縄ルートが残った。
台湾から黒潮を横断し
100キロを超える航海は可能だったのか?
国立科学博物館気鋭の人類学者は、
科学者のチームをつくり、
当時の草舟を再現、
実際に航海をし、検証してみることにした!
はじめに 私たちはどこから来たのか?
遺跡調査は日本の国内で閉じているかぎり本当のことはわからない。
本書は、海外の遺跡との比較とDNAの研究という重層的なこの10年の
研究で浮かび上がってきた、人類がこの日本に到達するまでの新しい仮説である
第1章 海岸沿いに広がったのか?
私が強く違和感をいだいてきたのが、欧米研究者の間でいつのまにか
定説となっている「海岸移住説」だった。アフリカを出た人類は、
中東から海岸沿いに広がっていったというものだが、はたしてそれは本当だろうか?
第2章 私たち以前の人類について
かつて私たちホモ・サピエンス以外にもいくつもの種類の人類がいた。
北京原人やジャワ原人らの原人、より人間に近いネアンデルタール人らの旧人。
これら滅びてしまった人類のことをまず、整理しておく必要がある
第3章 ヒマラヤ南ルート
世界各地の遺跡年代をマッピングすると、ホモ・サピエンスは4万8000年前、
ヒマラヤ山脈を南北に隔てて、別れて拡散していったことがわかる。
インドから東南アジアへ進んだ「南ルート」をたどった者たちを見る
第4章 ヒマラヤ北ルート
ヒマラヤの北ルートへ回った集団は予想外に早く南シベリアに進み、
北極圏に至った者までいた。さらにモンゴルを経て、4万年前頃には
中国、朝鮮半島など東アジアに到達したらしいことが、石器の特徴から見えてくる
第5章 日本への3つの進出ルート
日本では3万8000年前から、突如人類遺跡が爆発的に現われる。
それ以前の遺跡には確証がない。それまでいわば無人の野だった日本へ、
対馬、沖縄、北海道の3ルートから別々に、初めて祖先が足を踏み入れた
第6章 対馬ルート、最初の日本人の謎
3ルートで最も早く日本に入ったのが対馬。学界では見過ごされてきたが、
対馬から本州へは海を越える必要がある。しかも到来直後の遺跡からは、
世界最古の往復航海を示す証拠が。最初の日本人は、航海者だったのだ
第7章 沖縄ルート、難関の大航海
沖縄に来た祖先は誰だったのか。本州と全く異なる遺跡の証拠は
南ルートを示唆する。だがそれには台湾から黒潮を横断し100キロを
はるかに超える航海が必要。その本当の困難さを知るには、航海の再現実験しかない
第8章 北海道ルート、シベリアからの大移動
北海道の人類出現は3ルートで最も遅い。すると彼らは大陸でなく
本州由来の可能性もあるのか? だが北海道の2万5000年前の石器文化は
北ルートと共通する。やはりシベリアから南下してきた祖先がいたのだ
第9章 1万年後の再会
対馬から入ってきた「最初の日本人」のルーツはどこなのだろう。
今わかる証拠から考えられることはひとつ。ヒマラヤ南北ルートをたどった
それぞれの集団は、東アジアで1万年ぶりに再会し、混じり合ったのだ
第10章 日本人の成立
3つのルートからそれぞれ日本列島に入ってきた3つのグループはいかにして
今日の日本人までつながっているのだろうか? 朝鮮半島や中国で発掘される
人骨や石器などとの比較やDNA研究で、ここまでわかった
内容(「BOOK」データベースより)
約10万年前、アフリカを出た私たちの祖先は、4万8000年前、ヒマラヤ山脈を挟んで、南北に別れて拡散、1万年後、東アジアで再会する。そして、私たちの遙かなる祖先は、古日本列島に、3ルートから進出した。3万8000年前の航海術の証拠そして実験、世界各地の遺跡の年代調査比較、DNA分析、石器の比較研究。国立科学博物館気鋭の人類学者の重層的な調査によって浮かび上がる日本にいたる人類の「グレート・ジャーニー」その新たなる仮説―。
著者について
海部/陽介 人類進化学者。1969年東京都生まれ。東京大学理学部卒業、東京大学大学院理学系研究科博士課程中退。理学博士。1995年より国立科学博物館に勤務し、現在は人類史研究グループ長。第9回(平成24年度)日本学術振興会賞。化石などを通して約200万年にわたるアジアの人類史を研究し、ジャワ原人、フローレス原人などの研究で業績をあげてきた。アジアへのホモ・サピエンスの拡散についての、欧米の定説に疑問を抱き、これまでグローバルに結び付けて考えられてこなかった日本の豊富な遺跡資料を再検討(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
(追記)2019年7月9日、丸木をくりぬいた船で渡航に成功しました。
自分の心に潜む攻撃性や残忍性を児童に向ける構図。
その心理をどう分析すべきであろうか?
認識の歪み<しつけ>>という大義名分。
怒りの感情や行動をコントロールができない。
錯覚・勘違いつまり、自分は正しいことをしているとの思い込み。
虐待されている児童への痛みや恐怖心への想像力の欠如が根本的な問題。
なぜ児童虐待をするのか?
殴る、蹴る、投げ落とす、激しく揺さぶる、やけどを負わせる、溺れさせる、首を絞める、縄などにより一室に拘束する など。
家に閉じ込める、食事を与えない、ひどく不潔にする、自動車の中に放置する、重い病気になっても病院に連れて行かない など
言葉による脅し、無視、きょうだい間での差別的扱い、子どもの目の前で家族に対して暴力をふるう(ドメスティック・バイオレンス:DV) など
良い親か悪い親かだけをジャッジするような社会では、虐待はより発覚しにくく深刻化する
が「良い親」であると周囲に見られるためには、子供を「良い子供」にしなければいけないと考える人もいるでしょう。すると、親の思う「良い子供」の行動ができなかった場合、罰として子供に何らかの暴力をふるってしまう可能性があるかもしれません。
児童虐待の報道を見ていると、保護者の主張として「しつけのつもりだった」という言葉が口にされることがあります。これらは「良い親」や「良い子供」を演じようとするあまりに、暴力を「しつけ」だと思い込んでしまっている可能性があるでしょう。
子どもの安全感を著しく損ない、想像以上に子どもに強い恐怖の感情や不安を引き起こします。トラウマ体験は、不当で理不尽なできごとでもあります。このため子どもは、周囲の人たちや世の中全体に対する信頼感を失い、怒りや抑うつなどの感情をもつようになります。
幼い子供でも、虐待を受けている状態は異常であることは分かるでしょう。しかしどうして異常な事態が起こってしまったのか、その理由を上手に把握することができません。虐待の理由が不明確であることが、「悪いのは自分なのではないか」という気持ちを引き起こしてしまうのです。
中には「自分が良い子になれば、お父さんやお母さんは優しくなるのではないか」と思い、両親の言うことをより忠実に聞こうとする姿勢を見せる子供もいるでしょう。子供はただ、両親から愛されたいのです。
どれだけひどい目に遭っていても、相手が保護者であれば子供は愛情を受けたいと思うでしょう。その気持ちが子供に虐待を受け止めさせてしまい、時にはひどく傷ついてしまうのです。
抑うつは子どもの自己評価を低下させ、友人関係や異性関係における不適切な選択を助長してしまうことがあります。さらには、トラウマを体験した子どもを、自傷行為や自殺企図、物質乱用、危険な性的行動などに駆り立ててしまうこともあります。
トラウマを抱えた子供は精神状態が不安定になってしまいます。その結果、危険な行動を起こしやすくなってしまうのです。
また、自傷行為以外にも突然暴力的になったり、注意が散漫になりやすかったりなど異常な行動を起こしやすくなってしまいます。虐待のトラウマによって生まれる心の不安定さは、精神だけでなく身体的にも子供をむしばんでしまうのです。
2019年09月05日~2019年09月08日 レース展望・推奨選手情報
2019年9月3日時点の記事です。
開設69周年記念 みちのく記念競輪
青森競輪場開設69周年記念「みちのく記念競輪 善知鳥杯争奪戦」は9月5日~8日の日程で開催される。今シリーズは関東勢の層が厚い。平原康多、武田豊樹のS班2名に吉田拓矢、木暮安由で強力な布陣を敷く。迎え撃つ北日本勢も地元の新山響平をはじめ、ワールドクラスのスピードがある渡邉一成とそろっている。さらに昨年の当大会覇者である山賀雅仁もいるだけに、熾烈なV争いが繰り広げられるのは間違いない。ファン必見の4日間だ。なお、最終日第6レースにおいてS級ブロックセブンが一発勝負で行われる。こちらも注目だ。
平原康が束ねる関東勢
今年は安定した走りは相変わらずながら、なかなか優勝に手が届かなかった平原康多。しかしながら、前期最終戦の6月久留米記念で今年の初Vを飾ると、その後は一戦ごとにスピードの切れが増した印象がある。サマーナイトフェスティバルの準決では、鮮やかなまくりで清水裕友らを破ると、8月西武園記念では沈着冷静な走りで地元記念Vをものにした。さらにオールスターは2315着と決勝に進出。決勝は先制した菅田壱、新田祐、渡邉一、佐藤慎の北日本勢に対し、5番手から最終2角で仕掛けると、新田祐との激しいつばぜり合いに敗れたものの、飲み込むかと思われた迫力満点の脚勢を披露している。今シリーズは関東勢の戦力が充実しているのも平原には追い風と言える。武田豊樹、木暮安由、吉田拓矢と頼れる面々ばかりだ。吉田はサマーナイトフェスティバルの決勝では、平原の前で駆けているし、オールスターの一次予選は力強い先行勝負で木暮とワンツーを決めている。武田は8月富山記念で7カ月ぶりの優出。ようやく復調してきた。木暮は8月小田原記念で準V。好調を維持している。
北日本勢は新山響平、渡邉、藤根俊貴と強力な自力型がズラリとそろった。新山はオールスター9392着、オリオン賞以外は先行している。強豪相手の準決は末脚を欠いて沈んだものの、自分のペースで駆けられた2次予選と最終日は粘り腰を発揮した。まだ地元記念のVはないだけに、今年こそは…という強い気持ちで挑んでこよう。渡邉はさすがのスピードを披露している。8月玉野決勝では宮本隼、桑原、松浦悠の中国勢を上がり10秒9の快速まくりで飲み込み優勝。オールスター1124着、決勝は最終2センターでバックを踏み直線は外へ持ち出すロスが響いたがG前は伸びていた。スピードを遺憾なく発揮できれば圧勝しても不思議ではない。最近の藤根俊貴は2着が目立つが仕掛けは早く、ほとんどのレースで最終バックを取っている。北日本勢のけん引役として期待がかかる。
中四国勢は清水裕友が欠場となったが、追加で太田竜馬が参戦する。オールスターはシャイニングスター賞で失格と悔しい思いをしているだけに、ここで結果がほしい。香川雄介に小川真太郎、桑原大志ら援軍も充実している。
昨年の覇者である山賀雅仁も忘れてはならない。今年はまだ優勝はないものの、8月西武園記念1117着、オールスターでも1勝を挙げていて最近の調子は申し分ない。
9/3(火) ニッポン放送
話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、球団からの“引退勧告”を受け、今後の動向が注目されている阪神・鳥谷敬選手にまつわるエピソードを取り上げる。
「(8月)29日に球団の方に呼ばれて、『引退してくれないか』と言われました」
「タイガースのユニホームを着てプレーするのは、今シーズン(2019年)で最後になります」
8月31日、報道陣を前にそう語った鳥谷。阪神ひと筋16年。守備の負担が大きいショートで、プロ野球歴代2位の1939試合連続を記録。その間、腰椎を折っても、肋骨を折っても、ケガは試合に出ながら治しました。2017年5月、顔面に死球を受けて鼻骨を折った際も、翌日黒いフェイスガードを着けて、代打で登場したのは伝説になっています。
入団2年目の2005年、岡田彰布監督のもと全146試合にフル出場し、リーグ制覇に貢献。鳥谷は前回のVを知る、数少ない現役選手の1人です。以来13年間、年平均150本ペースでヒットを積み重ね、2017年に通算2000安打を達成。阪神の生え抜き選手では、藤田平以来2人目の快挙。甲子園で決めたのは史上初でした。
そんなミスタータイガース・鳥谷に、球団がシーズン終盤、突然突き付けた“引退勧告”。29日、揚塩球団社長も同席した会談の席で、実際にどういう言い方をしたのかは分かりませんが、フロントは「来季(2020年)は戦力として考えていない」ことを鳥谷に伝えました。
鳥谷が選ぶ道は2つ。このまま引退するか、それとも他球団で現役を続けるか……本人は現役続行の意思を明言していますが、いずれにせよ、タテ縞のユニフォームを着てプレーする鳥谷の姿は、今季で見納めということになります。
現役時代はチームの牽引役として、2003年・2005年と2度のリーグ優勝に貢献した金本前監督。鳥谷とは2005年、一緒に優勝を味わった間柄です。
入団会見の際、鳥谷は理想の選手像について「金本選手」と答え、「試合に出続けるのが目標」と語りました。練習時間が終わってもトレーニングを欠かさず、体のケアに力を入れるようになったのも金本前監督の影響です。そんな鳥谷を見て、金本前監督も「あいつはプロとしての見込みがある」と唯一認めていました。
その金本前監督が最初に指揮を執った2016年、主将を務めた鳥谷はかつてないスランプに陥ります。それまで鳥谷は1番か3番を打っていましたが、「超改革」を掲げる新監督の方針から、開幕は6番に回ることになりました。
慣れない打順や、フォーム改造の影響もあって打撃のリズムが崩れ、結果、鳥谷は北條史也にショートのポジションを明け渡すことに。7月には、当時続けていた連続フルイニング出場記録も「667試合」で途切れました。全試合に出場したものの、ヒット数は前年(2015年)の155本から106本に激減。打率は.236と低迷し、チームもCS圏外の4位でシーズンを終えました。
この屈辱をバネに、鳥谷は奮起します。「ここで踏ん張れたら、まだまだ現役でやれる。ダメなら引退も辞さない」という覚悟で臨んだ翌2017年、故障した新外国人・キャンベルの代役でサードに回ると、黙って役目をこなしました。通算2000安打も達成。最終的に143安打を放ち、打率も.293と見事に復活。チームの2位躍進に貢献したのです。
一転、昨年(2018年)は厳しいシーズンになりました。プロ1年目の途中から15年がかりで続けて来た連続試合出場が「1939試合」でついにストップ。1492試合連続フルイニング出場の世界記録を持つ金本前監督も、その重みをよく知っているだけに、苦渋の決断となりました。しかしこれは、鳥谷本人とも開幕前からよく話し合って決めたこと。「記録のための出場はしない」というのが、鳥谷の本意でした。
ところが……若手たちは伸び悩み、チームは最下位に転落。金本前監督は責任を取って辞任しましたが、その悔しさを誰よりも感じているのが鳥谷です。力をまったく発揮できていない今シーズンですが、それでも矢野監督がファームに落とさない2つめの理由は、いざという場面で、優勝経験のある鳥谷の力が必要になると思っているからこそ。
鳥谷も、現役続行を明言した8月31日、こんな言葉で会見を締めくくりました。
「クライマックスシリーズ(CS)に出れば、(CS)優勝というチャンスも出て来る。そこをいちばんに考えて。自分自身がどうというよりは、しっかりチームに貢献できることを常に考えてやって行きます」
9月2日の時点で、3位・広島との差はわずか2ゲーム。2014年以来5年ぶりの日本シリーズ進出、そして1985年以来34年ぶりの日本一は、決して手が届かない目標ではありません。勝ってCS、日本シリーズに出場すれば、鳥谷の阪神ラストゲームはそれだけ先に延びることになります。
最後の勇姿を花道で飾ってあげたい……それはファン、タイガースナイン共通の思いであり、矢野監督が鳥谷を1軍ベンチに置き続ける、もう1つの理由でもあるのです。
このことが明らかになるや、ファンの間では「戦力外の判断はともかく、この時期にいきなり引退を迫るのは、功労者に対する敬意が欠けているのでは」という批判の声も上がりました。鳥谷グッズも飛ぶような売れ行きで、いま品薄状態になっています。
2015年、春季キャンプ前に結んだ「総額20億円(年俸4億円)」と言われる5年契約は、今年が最終年。今季の成績は、9月2日現在、56試合に出場し打率.208。ヒットは16本打っていますが、打点・本塁打は「0」と、確かに年俸に見合う数字ではありません。
「なぜファームに落とさないのか?」という厳しい声もあり、鳥谷に1枠使うことは、若返りを図るチーム方針にも反するのではないか……それが“引退勧告”の背景でもありました。
ではなぜ矢野監督は、開幕から鳥谷を1軍ベンチに置き、1度も登録を抹消していないのでしょうか?……1つの理由は、暇さえあれば練習で汗を流し、控えとなったいまも常に試合への準備を怠らない姿勢です。若手たちの良き手本となっている鳥谷。そのバックボーンには、金本知憲前監督の存在がありました。