▽「時」を逃すな。
「何時か」ではなく「今」立ち上がる。
▽悲観的な口癖は行動に表れる。
▽<虐待>は社会全体で考えべき問題だ。
「子どもの心の声を聴こう」
▽子ども大切にすること、未来を大切にするという考え方が大切だ。
▽<子育て>から学ぶことは多い。
子どもは、今、目の前にあるものに感動し喜ぶ。
私たち大人も、感動と感謝の心を忘れず、生きていきたいものだ。
▽家族は学び合う得がたい仲間。
▽文化を守ることは、人類の宝を守ること。
文化を育むことは、人類の心は育み、平和を育むことにほかならない。
文化の力で人類を結び、平和を築く。
7月2日は金閣寺焼失事件が起こった日です。
この事件は三島由紀夫の「金閣寺」、水上勉「五番町夕霧楼」「金閣炎上」などの題材になりました。
金閣寺は1397年、室町幕府三代将軍・足利義満の別荘として創建が始められ、義満の遺言によって禅寺に改められました。焼失後、1955年に再建された金閣寺。
最近では100メートルを超える「幻の塔」の存在をうかがわせる破片が見つかるなど、新たな発見も生まれています。
胸を短刀で突き睡眠薬
1950(昭和25)年7月2日午前3時前、鹿苑寺(通称:金閣寺)庭園内の国宝・舎利殿(金閣)から出火し、全焼しました。犯人は当時21歳の金閣寺の従弟僧でした。
本人の供述によると、当初は金閣と心中するつもりで火を放ったが、怖くなり、寺の裏の左大文字山に逃げたそうです。
胸を短刀で突きカルモチン(睡眠薬)自殺を図りましたが、果たせずにいたところを逮捕。
懲役7年の判決を言い渡されますが、1955年10月に恩赦で出所します。
再建された新生・金閣の落慶法要から20日後のことでした。
そして、半年たらずで、肺結核で26年の生涯を終えています。
当時従弟僧は西陣署の調べに対し、「美に対する嫉妬と、自分の環境が悪いのに金閣という美しいところに来る有閑的な人に対する反感からやった」と供述していたそうです。
彼の供述は、三島由紀夫の「金閣寺」の主題になっています。三島のノートに「主題 美への嫉妬/絶対的なものへの嫉妬」と記されていました。
1950(昭和25)年7月2日午前3時前、京都市の臨済宗相国寺派鹿苑寺(金閣寺)庭園内の国宝・舎利殿(金閣)から出火し、全焼した。大谷大学1回生だった金閣寺の21歳の徒弟僧が放火容疑で逮捕された。寺の裏の左大文字山で胸を短刀で突いて自殺を図ったが、果たせずにいたところを発見された。
出典: 2009年5月9日:(昭和史再訪)金閣炎上 25年7月2日 戦前と戦後のはざまで:朝日新聞紙面から
寺の裏の左大文字山で胸を短刀で突いて自殺を図ったが、果たせずにいたところを発見された。この事件は三島由紀夫「金閣寺」、水上勉「五番町夕霧楼」「金閣炎上」など、小説やルポの題材になった。
出典: 2009年5月9日:(昭和史再訪)金閣炎上 25年7月2日 戦前と戦後のはざまで:朝日新聞紙面から
事件の年の暮れに懲役7年を言い渡されて服役。恩赦で55年10月に出所した。再建された新生・金閣の落慶法要から20日後である。そして半年たらずで、父と同じ肺結核で26年の生涯を終える。
出典: 2009年5月9日:(昭和史再訪)金閣炎上 25年7月2日 戦前と戦後のはざまで:朝日新聞紙面から
西陣署の調べに対し、彼は一時、こう供述したという。「美に対する嫉妬(しっと)と、自分の環境が悪いのに金閣という美しいところに来る有閑(ゆうかん)的な人に対する反感からやった」
出典: 2009年5月9日:(昭和史再訪)金閣炎上 25年7月2日 戦前と戦後のはざまで:朝日新聞紙面から
三島由紀夫は『金閣寺』のノートに「主題 美への嫉妬/絶対的なものへの嫉妬」と記した。「人間最後のコンプレックスの解放が必ず犯罪に終るという悲劇」の幕切れの一行は、印象深い。「一ト仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った」
出典: 1993年7月2日:金閣寺、焼亡(きょう):朝日新聞紙面から
三島由紀夫の『金閣寺』実際する人物をモデルに
三島由紀夫の『金閣寺』の主人公は徒弟僧がモデルになっていますが、作品に登場する丹後由良駅の駅員も実在の人物をモデルにしていることがわかっています。
三島は『金閣寺』出版の1956年の前年、小説のモデルになった放火事件の容疑者の徒弟僧の出身地、舞鶴を取材。由良まで歩いて、3日間滞在しました。
主人公が駅に立ち寄った場面が描かれ、「陽気な若い駅員が、この次の休みに行く映画のことを、大声で吹聴していた」や「彼はたえず駅長をからかい、冗談を言い……」という部分は当時丹後由良駅で駅長をしていた人がモデルとなっているそうです。
放火で焼失から4年、再建計画が進みむね上げ式を迎える金閣寺=1954年9月
放火で焼失から4年、再建計画が進みむね上げ式を迎える金閣寺=1954年9月
出典: 朝日新聞
丹後由良駅は元国鉄の駅で、現在は北近畿タンゴ鉄道の駅になっている。三島は「金閣寺」出版の1956年の前年、小説のモデルになった放火事件の容疑者の徒弟僧の出身地、舞鶴を取材。由良まで歩いて、3日間滞在したとされる。本では主人公が駅に立ち寄った場面が描かれ、三島は「陽気な若い駅員が、この次の休みに行く映画のことを、大声で吹聴していた」と書いている。
出典: 2007年1月19日:「金閣寺」の駅員、実在した 「丹後由良駅の修さんだ」 研究誌寄稿:朝日新聞紙面から
“幻の塔”京都タワー並みの高さ?
金閣寺の境内に七重塔があったのではないか説が京都市埋蔵文化財研究所から発表されました。高さ110メートルの説もあります。
現存する最大の木造の仏塔は東寺(教王護国寺〈きょうおうごこくじ〉)の五重塔で、高さは約56メートルですから、金閣寺の塔はその倍ぐらいだった可能性があります。ちなみにJR京都駅前の京都タワーのタワー部分や大阪・通天閣の高さは約100メートルあります。
記録では七重塔と推定されていましたが、規模など実態は不明の“幻の塔”でした。その“幻の塔”に関してついに、塔頂についていたとみられる相輪の破片が見つかりました。
“幻の塔”は「北山大塔」と呼ばれており、1416年、完成間近に落雷で焼失してしまいました。そして、再び再建が行われましたが三度落雷に見舞われ、消失してしまいました。
市埋蔵文化財研究所の前田義明次長は朝日新聞の取材に「北山大塔は相国寺七重大塔に匹敵する巨大な仏塔とみられる。東寺五重塔の倍程度で、日本の建築史上最も高い仏塔だった可能性がある」と話しています。
境内(けいだい)の発掘(はっくつ)調査で、仏塔(ぶっとう)の頂部に立てる「相輪(そうりん)」の破片が見つかった。元は直径2・4メートルの円形だったとみられ、普通(ふつう)の相輪に比べて相当大きい。そこで、室町(むろまち)幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が建てたという「北山(きたやま)大塔」の一部ではないかと推定されたんだ。
出典: 2016年8月8日:(いちからわかる!)京都の金閣寺に七重塔があったのか? :朝日新聞紙面から
仏塔に詳(くわ)しい冨島義幸(とみしまよしゆき)・京都大准教授(じゅんきょうじゅ)によると、現存する最大の木造の仏塔は、JR京都駅に近い東寺(とうじ)(教王護国寺〈きょうおうごこくじ〉)の五重塔。高さは約56メートルというから、金閣寺の塔はその倍ぐらいだったかも。ちなみにJR京都駅前の京都タワーのタワー部分や大阪(おおさか)・通天閣(つうてんかく)の高さは約100メートルある。
出典: 2016年8月8日:(いちからわかる!)京都の金閣寺に七重塔があったのか?:朝日新聞紙面から
義満は1399年、最初は京都御所(ごしょ)に近い相国寺(しょうこくじ)の東側に、高さ約110メートルの「七重大塔」を建てたという。しかし、落雷(らくらい)で焼失してしまい、1404年から自分が住んでいた北山殿(きたやまどの)(金閣寺の前身)に塔を再建した。高さの記録はないが、再建なのでほぼ同規模とみられる。この塔も義満の死後、1416年に落雷で焼失したそうだ。
「お金のために走る」来年3月の東京マラソンで挑戦へ
11/3(日) 14:36配信 中日スポーツ
リラックスした表情でレースを見守る設楽悠太
陸上の男子マラソン前日本記録保持者の設楽悠太(27)=ホンダ=が3日、東日本実業団対抗駅伝(埼玉県庁~熊谷スポーツ文化公園の7区間76・9キロ)にホンダの3区で出場した。
14位だったグランドチャンピオンシップ(MGC)以来となるレースで区間2位でチームの2位に貢献した設楽。レース後、東京五輪のマラソン会場が札幌に移転したことに「今は中村(匠吾)選手や服部(勇馬)選手を応援する立場。決まった以上、選手は従うだけ」と話した上で、自身の東京五輪代表挑戦については「そっちよりも1億円がほしい。お金のために走る」と明かした。
次のマラソンは来年3月の東京マラソンを予定しており、そこで大迫傑(ナイキ)の日本記録2時間5分50秒を破り、12月の福岡国際マラソンと3月のびわ湖毎日マラソンを含めた中で日本人最速なら東京五輪代表と報奨金1億円の両方を手にできるが「五輪の切符よりそっち(1億円)が大事」とあくまでモチベーションは1億円。「(日本記録を)切れたとしても自分の中で『出ます』とは言えない。世間の人は大迫選手が走った方がいいと思う。彼なら絶対やってくれると思うので、彼に任せるのは納得いく」とMGC3位の大迫に代表権を譲る考えまで示唆した。
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中日スポーツ
取手合唱祭 2019年
今日の支部の会合で合同演奏取手祭の案内をいただく。
二人の方は、それぞれの団体に所属していた。
取手市内に17団体もあることに驚く。
- 日時
- 11月17日(日)
- 会場
- 取手市民会館
- 開場
- 12:00
- 開演
- 12:40
- 全席自由
- 入場無料
お問合せ
公益財団法人取手市文化事業団
〒302-0005
茨城県取手市東1-1-5
TEL.0297-73-3251
FAX.0297-72-5400
《取手地区17団体による演奏と250名の圧巻の合同演奏》
合同演奏「まっかな秋」

1、男声合唱団取手オルフェン
2、取手少年少女合唱団
3、すみれコーラス
4、ブランニュー☆スターズ
5、ハミングバード
6、ガネーシャ・ソーナーレ
7、コール・キラット
8、四季の歌をうたう会&うたごえトレーニングクラブ
【合同演奏 14:20~】
【第2部 14:56~】
9、コーロ・フローラ
10、男声合唱団(TMC)
11、女声合唱団リベラ
12、Prime Tone
13、Coro Tutti
14、Sparkling Voices
15、The Seeds Of Sound(SOS)
16、取手混声合唱団
17、のばらコーラス
塩澤 実信 (著)
内容紹介
18歳、アルバイトで迷い込み、週刊誌編集長10年、45歳で失職。著書は108冊、現在87歳。出版界のレジェンドがいま明かすエピソードの数々!!
塩澤/実信
昭和5年、長野県生まれ。双葉社取締役編集局長をへて、東京大学新聞研究所講師等を歴任。日本ペンクラブ名誉会員。元日本レコード大賞審査員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
著者が東京タイムズ社出版局の「スターストーリィ」編集部に所属していた時、初めの後輩が団鬼六だったというのです。「この編集部で私ははじめて、後輩編集者を持った。
後年のSM文学の巨匠となる団鬼六である。当時は本名の黒岩幸彦を名乗り、翻訳要員として入ってきた。関西学院大出の黒岩は、大阪訛の巧みな語り口で、自らをつねに三枚目において相手を立てる一見幇間のような若者だった。・・・いまにして恰好をつけ、『今日の異端は明日の正統』と言う私だが、当時(私が週刊誌『週刊大衆』の編集長だった昭和30年代)は稿料も弾めずアイデアも貧困で、一流作家の門は叩けなかったのだ。
そこで団鬼六、阿佐田哲也、川上宗薫、大藪春彦といった異端視されていた作家を起用、エンターテインメントに充ちた小説や読物、さらには特集記事を掲載することで実売部数アップに腐心していたのである。・・・『快楽なくして何が人生』の主張のまま生きた団鬼六と、野暮な私とは『水と油』の感があった。しかし、慣れ合いで、貶しあっていても、二人の間には、いたわりの友情があった」。
東京タイムズ社時代の同僚に、後に田中角栄の秘書となる早坂茂三がいたと記されています。
著者は阿佐田哲也とも深い関係で結ばれていたのです。「私が編集長を務める週刊誌(『週刊大衆』)で、(純文学作家志望の)鬼才・色川武大氏に懇願して『麻雀をやると徹夜になるから<朝ダ徹夜ダ>』と急ごしらえのペンネーム『阿佐田哲也』で、『麻雀放浪記』を連載していただいた。
吉行淳之介に『これだけの面白い悪漢小説(?)には、めったに出会えるものではない』と激賞された傑作である。スタートするや大好評で、低迷久しかった掲載誌の伸長に絶大な貢献をしてくれたばかりか、実名では容易に筆をとらない『食客』色川氏の生活擁護? に、きわめて大きな役割をはたしたのである」。
著者自身が書いた処女作品が『出版社の運命を決めた一冊の本』(塩澤実信著、出版メディアパル。出版元品切れだが、amazonで入手可能)と知り、びっくりしました。私は、この本に痛く感銘を覚えていたからです。
著者70年の出版界での経歴・著作を披瀝した本。著者が自からそう記すように、ただの「落ちこぼれ編集者」で「出版界の落穂拾い」であるなら、「自分史」の名のもとに自慢話を書いたものとして辟易するにちがいない。しかし、著者は、りっぱな元編集者であり、作家であり、本書はその108冊目である。
先行レビューにあるように、作品の名前は知って高く評価してきたものの、作者の名前を知らずにいて、あとで誰が書いたかを知って驚くということがある。たとえば、『大魔神』と筒井康隆との関係といったものだ。
残念ながら著者は、筒井のように直木賞を取ることはなかった。しかし、著者にはたいへんな財産がある。交友の広さと、彼らから得ている信頼、敬愛である。本書には、団鬼六、野坂昭如、早坂茂三、夏目房之介、夏目純一、紀田純一郎、色川 武大(阿佐田哲也)らの名が綺羅星のように出て来る。自称「落ちこぼれ」編集者として彼らと関わり、また、あまたの出版人から寄稿執筆を依頼されて、自称「落穂」のような作品を書いてきた。
しかし、著者の「落穂」の一つ『名編集者の足跡』は、知の巨人・立花隆の週刊文春「私の読書日記」で取り上げられ「出版界に関心を持つ人に、ぜひ一読をおすすめしたい」と高く評価されている。出版界に関心のある方には、本書もお勧めできる。
また、本書には、これまで書いてきたものの、一冊の本として上梓されなかった中の選りすぐりが掲載されている。いわば「落穂」であるが、それらも、りっぱな作品である。。
本書で、一点、気になるのは、双葉社時代に阿佐田哲也『麻雀放浪記』に関わった身でありながら、なぜ本書タイトルを『出版放浪記』としなかったのだろうということだ。その方が語呂がいい。そうするのは、憚られたのだろうか。著者の謙虚な人柄のなせるところか。きっと、それだから、敬愛されてきたのだろうな・・・など思う。
支部の会合へ行く。
富田さんが仕事なので林さんの車に乗せてもらう。
とりで産業まつり、取手市文化祭も開かれているので、道は渋滞していた。
赤峰宅に到着してから、敢闘会の案内を井上宅へ届けに行く。
娘さんが玄関に出てきたので、「お父さんに渡してください」と渡す。
今日は林さん担当の講義だった。
病気は全く自然の摂理である。
病気になること自体、なんら恥かしいことではない。
まして、病気になったことが人生の敗北などでは断じてない。
病気は誰も避けることはできない。
嘆くこともない。恐れることでもない。
大事なことは、病気になったという現実に、いかに向き合い、どういう一念で立ち上がるかである。
一日を生きるが尊い。
無意味な、悔いが残る一日を送っては、もったいない。
「絶望」を「希望」に、「宿命」を「使命」に転じていく究極の力について語る。
友人の菅野さんの筋萎縮性側索硬化症ことを話題とする。
口に棒をくわえて文字を入力し、友人たにスマホでメールを送っているのだ。
その長文のメールを受けた友人たちは感嘆するばかり。
筋萎縮性側索硬化症とは
筋萎縮性側索硬化症(ALS)とは、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気です。
しかし、筋肉そのものの病気ではなく、筋肉を動かし、かつ運動をつかさどる神経(運動ニューロン)だけが障害をうけます。
その結果、脳から「手足を動かせ」という命令が伝わらなくなることにより、力が弱くなり、筋肉がやせていきます。
その一方で、体の感覚、視力や聴力、内臓機能などはすべて保たれることが普通です。
この病気の患者さんはどのくらいいるのですか
1年間で新たにこの病気にかかる人は人口10万人当たり約1-2.5人です。
全国では、平成25年度の特定疾患医療受給者数によると約9,200人がこの病気を患っています。