2014年3 月13日 (木曜日)
金がすべてはないが、金で解決できることもある。
金に困ると人は犯罪者にもなりかねない。
一番安易なのは、人を殺してまで金を奪うことだ。
奪った金はわずか500円。
財布には500円しか入っていなかったのである。
「500円?! 日当にもならん。この若者は無期懲役だろう」
真田は新聞の3面記事を読んで暗澹たる気持ちになった。
「愛と慈悲」について真田は考え、図書館で宗教関係の本を探し読んでみた。
さらに「最高の善とは何か?」と考え哲学書も読んでみた。
金儲けと博打などに生活の大半を注いできた真田には、心の栄養が不足していた。
思えば映画もほとんど見なかった。
ましてや元音楽教師でありながら歌劇やコンサートとは無縁な生活を送ってきた。
真田は取手音楽クラブの創設を思い立った。
音楽で取手の街を活性化する。
取手交響楽団が誕生したらそれを経済的に支える。
あるいは多くの著名で優れた音楽家や楽団を取手に招聘する。
真田は「最高の善」は、人に感動を与えることだと思った。
木村は割烹「きむら」で再スタートしていた。
「マスターに俺の料理を食べてもらって、こんなに嬉しいことはない」
木村の顔は温和で端正になっていた。
人間は生きがい、やりがいがあれが蘇生するのもだ。
初子も紆余曲折があったが、木村の元へ戻っていた。
「私、家へ戻れない」と初子が言うので、しばらくみどりに託した。
「マスターの頼みだもの、しばらく初子さんをあずかるわ」
姉御肌のみどりは快く初子を受け入れた。
そして半年後、木村が初子を迎えに行き心のわだかまりが解けた。
「家へ戻れる資格はないのだけれど、許してもらえるなら・・・」
「一度、死んだも同然の俺だ。何もかもマスターのおかげだ。帰ってきてくれ」
木村は畳に頭をこすりつけるようにした。
「初子さん良かったわね。いい旦那さんなのだから、大切にしてね」みどりは初子の背中を押すようにした。
2014年3 月12日 (水曜日)
創作欄 真田の人生
人を如何に励ますことができるか?
真田は思いを巡らせた。
あるいは生命をダイナミックに変革していく方途はあるのか?
死に神に取り憑かれたような虚無的な木村哲夫が、生きていくためには、夢と希望、生きがい、やりがいなどが不可欠だ。
木村に期待されるのは、「精神的回復力」「抵抗力」「復元力」「耐久力」であった。
兄に請われて、割烹料理店の板前から建築業へ転身したことが、木村の人生や生活の歯車を狂わせた。
「もう一度、木村が板前に戻ればいいのだ」と真田は思いついたのだ。
同時に家を出た木村の妻初子を呼び戻さねばならないと決意し、的屋の小島健作と交渉した。 料亭「高島」に小島は舎弟の近藤進を連れてやってきた。
小島は浴衣姿であった。
「マスターなんの用かい?」 席に着くなり小島は上目で睨むように切り出した。
「まあ、食事をしながらのことだ」真田は仲居に鰻重と刺身の盛り合わせなどを注文した。
それにビールを頼んだ。
「どうなの? 商売の方は?」穏やかな口調で問いかけた。
「ボチボチだね。マスターのような才覚が無いんで、肉体で稼いでいるよ」
舎弟の近藤はかしこまって正座のままだ。
「かたい、席ではないのだから、楽にしなさい」と真田は促したが近藤は膝を崩さなかった。 注がれたビールを小島は一気に飲み干した。
「マスターのことは競輪仲間にも聞いているが、凄いギャンブラーなんだね。この店は冷えていいや。外は暑いな。露天商は本当のところ肉体労働なんだ」小島はニヤリとしたが目は笑っていない。
「冬は寒くて大変だね」
「そう、寒くてな、でも焼き鳥だから、暖は取れるがね」 小島が真田にビールを注いた時、右手の上部の刺青が見えた。
小島は早食いであり、真田が鰻重を半分食べているともう食べ終わっていた。
ビールの後は酒にした。
小島は熱燗であり、真田と近藤は常温で日本酒を飲んだ。
真田は人づてに小島が多額の借金をしていることを聞いていた。
そこで切り出したのだ。 「初子のことだが、家へ帰してやってくれ。場合によっては手切れ金を出す」
「マスター、手切れ金。本気なのかい?」小島は頬を緩めた。
そして舎弟の近藤へ目をやった。 「証人もここにいるんだが、手切れ金をよこすんだね」
「そうしても、いいんだ」真田は穏やかに言った。
「この俺もマスターには、かなねい。わかった」と小島は承諾した。
真田は麻のスーツから財布を取り出し、小切手を小島に示した。
「500万円?! マスター、こんなにいただいて、いいの」 小島は近藤を見ながら目を丸くした。
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<参考>
的屋(てきや)は、縁日や盛り場などの人通りの多いところで露店や興行を営む業者のこと。
祭礼(祭り)や市や縁日などが催される、境内や参道、門前町において屋台や露店で出店。
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レジリエンス(resilience)は「精神的回復力」「抵抗力」「復元力」「耐久力」などとも訳される心理学用語である。
心理学、精神医学の分野では訳語を用いず、そのままレジリエンス、またはレジリアンスと表記して用いることが多い。
「脆弱性 (vulnerability) 」の反対の概念であり、自発的治癒力の意味である。
元々はストレス (stress) とともに物理学の用語であった。
ストレスは「外力による歪み」を意味し、レジリエンスはそれに対して「外力による歪みを跳ね返す力」として使われ始め、精神医学では、ボナノ (Bonanno,G.) が2004年に述べた「極度の不利な状況に直面しても、正常な平衡状態を維持することができる能力」という定義が用いられることが多い。
1970年代には貧困や親の精神疾患といった不利な生活環境 (adversity) に置かれた児童に焦点を当てていたが、1980年代から2000年にかけて、成人も含めた精神疾患に対する防衛因子、抵抗力を意味する概念として徐々に注目されはじめた。
2014年3 月11日 (火曜日)
創作欄 真田の人生
生きることへの明確な意思と目的、そして新しい視点をもつ必要がある。
真田は死に囚われ人の心の病を想ってみた。
人は多くの困難を抱えているが、それを何とか乗り越えて生きてきている。
つまり、日々の厳しい現実の生活に流されているが、それ相応に何とか対応して生きている。
木村哲夫に欠如しているのは、他者を思いやる温かい心情であったと真田には思われた。
的屋の小島に誑かされ、夫と子どもを棄て家から出た初子の姿を夫の木村に見せる。
それは木村にとっては酷であったが、現実逃避の木村へのカンフル剤になると想われたのである。
「愛しているなら女房を取り返せ」真田は木村の背中を押したのである。
木村は取手に在住してから喫茶店「たまりば」、スナック「みどり」、幼稚園「ひまわり」、古本屋「本の町」、旅行代理店「世界は友」などを経営した。
さらに木村のために割烹料理店「きむら」のオープンを構想していた。
戦後の闇取引や不動産取引、株の運用などで当時10億円余を得た真田は、何とか在住した取手の活性化を念じていたので、その構想の中で木村の立場も活かしたいと念じていたのだ。
的屋の小島の女となった初子は、八坂神社の祭の露天で焼き鳥を焼いていた。
「初子」と木村は声をかけた。
初子は木村が声をかけたことに動揺したそぶりを見せない。
したたかな女に変貌していた。
木村の腰は引けていた。
そこで真田は微笑みかけた。
「初子さん、今は幸せかい?」 初子は真田の問いかけに明らかに動揺した。
「真田さん、それ以上聞かないで!」 初子は露骨に嫌な表情を浮かべた。
真田は木村の背中を押して促した。
「初子、家へ戻ってくれ」 木村の声は弱く震えていた。
「初子さん、後は心配ない。私が話をつけるからね!」
真田は言葉に力を込めたのであるが、初子は木村の力量を信じていなかった。
2014年3 月10日 (月曜日)
創作欄 真田の人生
自殺したいと思う人は、視野狭窄に陥った人でもある。
「自分以外に目を向けてこそ人は刺激や生きがいを感じるはずだ」と真田は思った。
八坂神社の祭に木村を誘ったのは、木村の妻の初子の姿を見せる意味もあった。
的屋(露天商)の女になった初子の姿を真田は度々目撃していた。
それは取手競輪場内であった。
JR取手駅東口を降りて直進、30m程先を右折した通りが「大師通り」である。
ここは、古刹「長禅寺」の門前通りとして古くから人が往来した通りだ。
駅から歩いて2、3分の距離に位置するこの通りは、昭和の時代には駅前商店街として大変賑わいをみせた通りであったあった。
取手に一時在住した作家・坂口安吾と所縁があるの海老屋酒店も大師通りに現存する。
大師通りは漬物屋の新六と地酒の田中酒造が並ぶ旧水戸街道へ続く。
この旧水戸街道と平行するのが新道である。
八坂神社の祭は新道を交通止めにして屋台が店を連ねていた。
木村の妻の初子は屋台で焼き鳥を焼いていた。
昭和20年生まれの初子はこの年、29歳であった。
初子は8歳の息子を置いて家を出ていた。
31歳の木村は的屋である40歳の小島健作に女房を寝取られた身であった。
小島は脇で的屋仲間と談笑していたが、真田と目を合わせると逃げるように姿を隠した。
「初子を家へ帰せ」と真田に言われていたのである。
戦後の闇社会にも身を置いた真田は60歳に近い年代であったが、威圧感のある存在であったのだ。
真田は競輪場では、マスターとか社長と呼ばれコーチ屋や飲み屋、ヤクザ者たちからも一目置かれている存在であった。
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<参考>
コーチ屋とは:
「次のレースは○○がくるぞ!間違いない!!相手はコレとコレや!しっかり儲けてや!」と声をかける。
コーチ屋の予想が的中すると「おい!ナンボほど買うてん?教えてやったんやから半分よこせや!」となる。
ノミ屋(ノミや)とは:
日本に於ける公営競技などを利用して私設の投票所を開設している者のことである。
また、その行為を「ノミ(呑み)行為」と言う。
2014年3 月 9日 (日曜日)
創作欄 真田の人生
「何とかできなかったのか?」と悔しさや落胆、心の傷などを残された者たちにもたらすでしょう。
だから、自殺は思い止まったほしいのです。真田は木村哲夫に手紙を書いた。
思えば、真田はほとんど手紙を書かない。
心は目には見えないが、真田の心を木村に届けるために手紙を書いた。
「木村哲夫様 ここ数日、見せてもらった遺書について考えてみました。
現在、哲さんはうつ状態にありますね。
うつ病は心の風邪とも言われ、誰でも罹るものです。
ですから、それに押しつぶされて死を選ぶのは、できれば避けてほしいですね。
生きてさえいれば、人生はどうにでもなると思うのです。
南の戦場で九死に一生を得た私は、死んだ戦友のためにも、また、東京大空襲で亡くなった妻子のためにも、生き続けたいと今日まで生きてきました。
つまり、儲けものような生をありがたく思って生きてきました。
自殺は自分だけの問題ではありません。
『何とかできなかったのか?』と悔しさや落胆、心の傷などを残された者たちにもたらすでしょう。
だから、自殺は思い止まったほしいのです。
哲さん何時でも相談に乗ります。
朝の散歩では八坂神社で哲さんのことを祈っています。
真田」
手紙を出してから、数日後、真田は木村を八坂神社の祭に誘った。
真田は加賀友禅の浴衣姿であった。
「俺も浴衣を着るか」と木村は笑顔で言い、部屋へ戻った。
玄関へ出てきた木村は頭に白地に藍染めの手ぬぐいを巻いて板前時代のように、粋な雰囲気であった。