多重人格障害(解離性同一性障害)

2019年11月25日 21時24分56秒 | 医科・歯科・介護

解離性障害

解離性障害は、自分が自分であるという感覚が失われている状態といえるでしょう。たとえば、ある出来事の記憶がすっぽり抜け落ちていたり、まるでカプセルの中にいるような感覚がして現実感がない、いつの間にか自分の知らない場所にいるなど、様々な症状があります。
こうした中で、自分の中にいくつもの人格が現れるものを多重人格障害(解離性同一性障害)といいます。ある人格が現れているときには、別の人格のときの記憶がないことが多く、生活面での様々な支障が出てきます。
これらの症状は、つらい体験を自分から切り離そうとするために起こる一種の防衛反応と考えられています。治療では、安心できる環境にすること、家族や周囲の人が病気について理解することがとても大切です。
解離性障害の症状

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解離性障害には様々な症状があります。世界保健機構の診断ガイドラインICD-10では、解離性障害のカテゴリーには次のようなものがリストアップされています。

解離性健忘:ある心的ストレスをきっかけに出来事の記憶をなくすものです。多くは数日のうちに記憶がよみがえりますが、ときには長期に及ぶ場合もあります。
解離性とん走:自分が誰かという感覚(アイデンティティ)が失われ、失踪して新たな生活を始めるなどの症状を示します。学校や職場において極度のストレスにさらされ、しかもそれを誰にも打ち明けることができない状態で突然始まり、それまでの自分についての記憶を失うことが多くみられます。
カタレプシー:体が硬く動かなくなること。
解離性昏迷:体を動かしたり言葉を交わしたりできなくなること。
離人症:自分が自分であるという感覚が障害され、あたかも自分を外から眺めているように感じられます。
解離性てんかん:心理的な要因で、昏睡状態になる、体が思うように動かせなくなる、感覚が失われるなどの症状が現れます。
ほかにも、ヒステリー性運動失調症、ヒステリー性失声症、解離性運動障害、失立、心因性失声、心因性振戦、解離性痙攣、憤怒痙攣、解離性感覚障害、心因性難聴、神経性眼精疲労、ガンサー症候群、亜急性錯乱状態、急性精神錯乱、心因性もうろう状態、心因性錯乱、多重人格障害、反応性錯乱、非アルコール性亜急性錯乱状態なども解離性障害の一種です。

多重人格障害:これらの中でも多重人格障害はDSM(アメリカ精神医学会の診断ガイドライン)では解離性同一性障害と名づけられ、きわめて特徴的な症状を示します。患者は複数の人格をもち、それらの人格が交代で現れます。人格同士はしばしば、別の人格が出現している間はその記憶がない場合が多く、生活上の支障をきたすことが多くなります。
これらの解離性の症状は、それを周囲に理解し、信じてもらうことが困難な場合も少なくありません。とくに疾病利得が絡んでいる場合には、詐病ではないかと疑われることもあります。また専門医でも、その診断が難しいケースもあります。
解離性の障害を理解するうえで重要な点は、過去にこれらが解離という言葉を用いられずに、様々な形で精神医学の関心の対象となってきたことです。文化結合症候群(特定の文化に特有の精神医学的疾患)という一連の精神障害がありますが、そこで記載されているもののほとんどすべてが解離性の障害と考えることができます。

治療の基本

解離性障害の治療の基本は、安心できる治療環境を整えること、家族など周囲の人の理解、主治医との信頼関係です。解離性障害の主な原因は、心的なストレスによりほかの人に自分を表現することができないことです。つまり解離されている心の部分は、安心できる関係性でしか表現できません。
解離性障害の症状の多くは、ある程度の時間を経れば自然に解消されるか、別の症状へ移行するのが一般的です。早い段階で、催眠や暗示によって、解離性の健忘や、失立、失声、麻痺等を解消することは効果が期待できないだけでなく、症状を悪化させることもあります。安全な環境や自己表現の機会を提供しながら、それらの症状の自然経過を見守るという態度も重要です。

心理教育・情報提供について

治療者が解離性障害一般について十分な知識をもち、患者や家族に積極的に情報を提供することは重要です。大半の解離性障害の患者は、まずその病態を信用してもらえない、演技と思われてしまうという問題を抱え、そのことが解離性の症状をさらに悪化させることもあります。また本人が自分に起きていることを理解していない場合も少なくありません。本人やその家族がまずこの障害を理解し、症状を受け入れることが環境調整の第一歩ともいえます。

薬物療法

解離性障害に有効な薬はないといわれています。統合失調症と混同されやすい幻覚についても、抗精神病薬もあまり有効とはいえないようです。むしろ解離性障害の症状を悪化させているような併存症に対する薬が処方されます。たとえば、うつ症状に対する抗うつ剤や、PTSDを含む神経症症状に対する精神安定薬などです。

 


ユッキーナ、書類送検も?

2019年11月25日 20時42分33秒 | 社会・文化・政治・経済

SNSで“命取り”復帰はいばらの道

 【芸能ニュース舞台裏】

 「今後、逮捕とまではいかないまでも書類送検もあり得る」と情報番組デスクがささやくのは、タレントの木下優樹菜(31)の“タピオカ恫喝”騒動だ。沢尻はMDMAだったが、木下はDMが命取りになった。

 姉が勤務していたタピオカ店と木下がもめ、恫喝まがいのDM(ダイレクトメール)をSNSに投稿したことで無期限活動休止に追い込まれた。夫婦と言って夫のお笑いコンビ、FUJIWARA藤本敏史(48)にまで影響が及ぶのはどうかと思うが、実際に及んでいるという。

 「ヤンキー臭を抑えながら、理想的な“ママタレ”として好感度が高かっただけに、世間は一斉に反発する。謹慎明けがいつになるのか、誰にも分からない。薬物事件のように刑期が終われば、その人なりに復帰の道を模索できますが、こういうケースは復帰のタイミングが難しい」と前出・情報番組デスクはみる。

 「タレント本人が自由にSNSで発信すれば、こういう騒ぎになる。マネジャーが確認してからアップする事務所もありますが、そんな危機管理をしないと取り返しがつかないことになる前例ですね」(女性誌デスク)

 SNSは災いの元だ。

 



 

 

 

桶川ストーカー殺人20年(上)

2019年11月25日 20時38分25秒 | 野球

「娘は3度殺された」 教訓を忘れるな―遺族の訴え 

11/25(月) 47NEW

 

 埼玉県桶川市で1999年、大学生の猪野詩織さん=当時(21)=がストーカー被害の末に殺害された「桶川ストーカー殺人事件」から今年で20年。ストーカーという言葉が広まり、法整備のきっかけにもなった事件を振り返るとき、遺族は「娘は3度殺された」と強調する。犯人だけでなく、2度目は警察に、3度目はマスコミに―。(共同通信=沢田和樹、全3回)

 ▽脅迫、中傷

 自宅の居間にある祭壇には、今も詩織さんの遺骨が置かれている。「亡くなったのを信じたくなくて。無念な死に方をし、1人でほっぽり出す気にはなれないんです」。そう話すのは、詩織さんの父、憲一さん(69)だ。遺骨を囲むように飾られるのは、詩織さんの笑顔の写真、大好きだったひまわりの花、キティちゃんの縫いぐるみ。憲一さんと妻の京子さん(69)は毎晩、ここで布団を並べて眠る。京子さんは「靴も洋服も、詩織の物は何一つ捨てられない」と語る。2階の詩織さんの部屋は、ほとんど事件当時のままだ。

 事件が起きたのは99年10月26日。詩織さんは通学中、桶川市のJR桶川駅前で待ち伏せしていた男に刺殺された。約2カ月後、殺人容疑で逮捕されたのは計4人の男たち。実行犯らに指示をしていた首謀者の男は、詩織さんの元交際相手の兄だった。

 詩織さんは事件前、元交際相手のグループによる嫌がらせに悩んでいた。99年3月、詩織さんが別れを切り出して以降、当時の交際相手は「家族をめちゃくちゃにしてやる」「弟を学校に通えなくしてやる」と脅迫するようになった。

 7月には「男を食い物にしているふざけた女です」などと書かれた詩織さんの写真入りのビラが自宅周辺に貼られ、憲一さんの勤務先にまで数百枚の中傷文書が送り付けられた。元交際相手は肩書を自動車販売業と偽って詩織さんと交際していたが、実際には風俗店を経営し、部下らを動員して嫌がらせを続けた。後に名誉毀損容疑で10人以上が逮捕される組織的な犯行だった。指名手配された元交際相手は、逃亡先の北海道・屈斜路湖で水死体で見つかった。自殺とみられている。

「早く捕まえてください」。詩織さんと京子さんが相談した県警上尾署の刑事第2課長は、単なる男女間のトラブルだとして本格捜査に着手しなかった。揚げ句の果てに、詩織さんが提出した名誉毀損容疑の告訴状を被害届に見せかけるため、署員が調書の「告訴」を「届出」に改ざんした。被害届であれば告訴と違って速やかに捜査する義務が生じないからだ。捜査を先延ばしする間に、事件が起きた。

 遺族は報道にも苦しめられた。約3カ月間、朝から晩まで自宅の周りを報道陣が取り囲んだ。取材が過熱し、まるで詩織さんに非があるかのような事実と異なる報道があふれた。「詩織の苦しみ、悔しさに比べればマシだ」。家族はそう言い聞かせ、数え切れない屈辱を乗り越えてきた。

 ▽詩織さんの手紙

 憲一さんによると、詩織さんは幼いころ「お父さん、ハンカチ持った?」と玄関まで見送りに来てくれた。テレビでサッカーを見て、一緒にヤジを飛ばして盛り上がった。弟2人の面倒もよく見てくれた。

 憲一さんは今も、大学生ぐらいの女性がいると「詩織じゃないか」と視線を向けてしまう。脳裏に焼き付くあのころの娘も、年を重ねていれば41歳。「『早く寝なさいよ』『駄目よ、飲み過ぎちゃ』なんて言われちゃうんだろうな」。深い悲しみに襲われることは減ったが、怒りと悔しさは消えない。

 詩織さんの友人が子どもを連れて訪ねてくることもある。京子さんはうれしさに時間を忘れるが、ふと寂しくなる瞬間がある。「生きていれば私たちにも孫がいたのかな」。自分はなぜ娘を助けられなかったのか、考え込んでしまう。

 両親には忘れられない思い出がある。殺害事件の公判が進んでいた2001年の正月のことだ。両親の元に、死んだはずの詩織さんからはがきが届いた。幼い筆致で書かれた文字には見覚えがあった。1985年のつくば科学万博で、7歳の詩織さんが未来の自分に宛てた手紙だった。「2001ねんのわたしはどんなひとになっているかな。すてきなおねえさんになっているかな。こいびとはいるかな。たのしみです」。2人は涙をこらえられなかった。

2人は事件後、再発防止を訴える活動に取り組んでいる。京子さんは全国犯罪被害者の会(昨年解散)の中心メンバーとなり、犯罪被害者基本法の制定や、刑事裁判の被害者参加制度導入に尽力した。憲一さんは弁護士会や市民団体から数多くの講演依頼を受けてきた。必死に活動することで、つかの間だが、つらさや怒りを忘れることができた。自分たちが詩織さんに生かされていることを思い知らされた。

 会社を退職し、地元で子どものサッカー大会の審判をしながら暮らす憲一さんは、今も講演会で全国に足を運ぶ。犯人だけでなく、捜査を怠った警察、娘の名誉を汚す報道を繰り返したマスコミへの怒りは変わらない。「娘は3度殺されました」。その言葉は、警察とマスコミに教訓を忘れるなと訴え掛けている。(年齢は取材当時、続く)





ケーキの切れない非行少年たち

2019年11月25日 19時24分03秒 | 社会・文化・政治・経済
 

ケーキの切れない非行少年たち

 宮口 幸治  (著)

内容紹介

児童精神科医である著者は、多くの非行少年たちと出会う中で、「反省以前の子ども」が沢山いるという事実に気づく。少年院には、認知力が弱く、「ケーキを等分に切る」ことすら出来ない非行少年が大勢いたが、問題の根深さは普通の学校でも同じなのだ。人口の十数%いるとされる「境界知能」の人々に焦点を当て、困っている彼らを学校・社会生活で困らないように導く超実践的なメソッドを公開する。

はじめに

第1章 「反省以前」の子どもたち
「凶暴で手に負えない少年」の真実/世の中のすべてが歪んで見えている?/面接と検査から浮かび上がってきた実態/学校で気づかれない子どもたち/褒める教育だけでは問題は解決しない/一日5分で日本が変わる

第2章 「僕はやさしい人間です」と答える殺人少年
ケーキを切れない非行少年たち/計算ができず、漢字も読めない/計画が立てられない、見通しがもてない/そもそも反省ができず、葛藤すらもてない/自分はやさしいと言う殺人少年/人を殺してみたい気持ちが消えない少年/幼児ばかり狙う性非行少年

第3章 非行少年に共通する特徴
非行少年に共通する特徴5点セット+1【/ 認知機能の弱さ 】見たり聞いたり想像する力が弱い「/不真面目な生徒」「やる気がない生徒」の背景にあるもの/想像力が弱ければ努力できない/悪いことをしても反省できない【/ 感情統制の弱さ 】感情を統制できないと認知機能も働かない/ストレス発散のために性非行/ “怒り"の背景を知らねばならない/ “怒り"は冷静な思考を止める/感情は多くの行動の動機づけである【/ 融通の利かなさ 】頭が硬いとどうなるのか?/BADS(遂行機能障害症候群の行動評価)/学校にも多い「融通の利かない子」/融通の利かなさが被害感につながる【/ 不適切な自己評価 】自分のことを知らないとどうなるのか?/なぜ自己評価が不適切になるのか【?/ 対人スキルの乏しさ 】対人スキルが弱いとどうなるのか?/嫌われないために非行に走る?/性の問題行動につながることも【/ 身体的不器用さ 】身体が不器用だったらどうなるのか?/不器用さは周りにバレる/身体的不器用さの特徴と背景

第4章 気づかれない子どもたち
子どもたちが発しているサイン/サインの「出し始め」は小学2年生から/保護者にも気づかれない/社会でも気づかれない「/クラスの下から5人」の子どもたち/病名のつかない子どもたち/非行化も懸念される子どもたち/気づかれないから警察に逮捕される

第5章 忘れられた人々
どうしてそんなことをするのか理解不能な人々/かつての「軽度知的障害」は人口の14%いた?/大人になると忘れられてしまう厄介な人々/健常人と見分けがつきにくい「/軽度」という誤解/虐待も知的なハンディが原因の場合も/本来は保護しなければならない障害者が犯罪者に/刑務所にかなりの割合でいる忘れられた人々/少年院にもいた「忘れ られた少年たち」/被害者が被害者を生む

第6章 褒める教育だけでは問題は解決しない
褒める教育で本当に改善するのか「?/この子は自尊感情が低い」という紋切り型フレーズ/教科教育以外はないがしろにされている/全ての学習の基礎となる認知機能への支援を/医療・心理分野からは救えないもの/知能検査だけではなぜダメなのか「?/知的には問題ない」が新たな障害を生む/ソーシャルスキルが身につかない訳/司法分野にないもの/欧米の受け売りでは通用しない

第7章 ではどうすれば? 1日5分で日本を変える
非行少年から学ぶ子どもの教育/共通するのは「自己への気づき」と「自己評価の向上」/やる気のない非行少年たちが劇的に変わった瞬間/子どもへの社会面、学習面、身体面の三支援/認知機能に着目した新しい治療教育/学習の土台にある認知機能をターゲットにせよ/新しいブレーキをつける方法/子どもの心を傷つけないトレーニング/朝の会の1日5分でできる/お金をかけないでもできる/脳機能と犯罪との関係/性犯罪者を治すための認知機能トレーニング/被虐待児童の治療にも/犯罪者を納税者に

あとがき

内容(「BOOK」データベースより)

児童精神科医である筆者は、多くの非行少年たちと出会う中で、「反省以前の子ども」が沢山いるという事実に気づく。少年院には、認知力が弱く、「ケーキを等分に切る」ことすら出来ない非行少年が大勢いたが、問題の根深さは普通の学校でも同じなのだ。人口の十数%いるとされる「境界知能」の人々に焦点を当て、困っている彼らを学校・社会生活で困らないように導く超実践的なメソッドを公開する。

著者について

みやぐち・こうじ 立命館大学産業社会学部教授。京都大学工学部を卒業し建設コンサルタント会社に勤務後、神戸大学医学部を卒業。児童精神科医として精神科病院や医療少年院に勤務、二〇一六年より現職。困っている子どもたちの支援を行う「コグトレ研究会」を主催。医学博士、臨床心理士。

 
 
一言で言えばレビュータイトルのように評するしかない。

著者は医療少年院に勤務経験がある児童精神科医。
職務を通して、非行少年の多くが知的障害にかろうじて含まれない「境界知能」の少年であり、「反省」→「更生」のステップを踏む以前に「反省」の意味すら認知できないことに気づいた。

彼らは知能や認知能力が低いがゆえに、他者と上手くやっていけず学校や社会から落ちこぼれるが故に非行に走ると考察したのだ。
その視点から、そのような子供の存在を早い段階で汲み上げ、普通教育以外の特別プログラムを練習させることで学校や社会生活で困らない程度のソーシャルスキルを身に付けさせるというメソッドの普及に尽力している。

成る程、非行の実情は確かにそうなのだろう。
だが、この本は内容のバランスが悪すぎて著者の意図と異なる読み方をされるだろう。

タイトルに代表されるように「いかに非行少年たちの知的能力が低いか」の例を第1章から第6章まで延々と並べている。
中には前頭葉に腫瘍があるため衝動を止められず大量殺人を犯したアメリカ人青年の例すら挙げている。
それなのに、最後の第7章で初めて自身が考案し普及させようとしている認知機能トレーニングが紹介されているだけである。

これでは読者が「ソーシャルスキルを身に付けさせることが非行の抑止につながる」との著者の考えに賛同する前に「やっぱり非行に走るのは知能が低いからだ」と考えてしまうに違いない。

最近売れている「残念な動物」シリーズに乗っかったようなセンセーショナルなタイトルも出版社の思惑なのだろうか。
その意義は高いはずなのに、本末転倒な構成が残念である。


少年犯罪を犯した子供たちに長期に深くかかわった専門家の経験や意見は読むに値します。が、読者側に忍耐が必要な読みづらい本です。内容が難しいのではありません。3割ほど読んだあたりから、いわゆる「耳タコなほど聞かされた話をまた聞かされている」という感覚になってくるんです。前半は1章に1,2回そういう感覚になりますが、その感覚はどんどん増え、後半はほぼ「はいはい、またさっき言ってたアレね」感でいっぱいに。後半は新しい記載がある部分を探しながら読むという感じになりました。内容は悪くないので、是非とも編集し直してほしい。

著者が強調したいのは、境界知能の子達にはコグニティブトレーニング(認知機能の訓練)が必要という点のようです。説明は丁寧なのですが、「人を殺したい衝動の強い少年Aにコグトレをやりました」だけで終わっている部分もあって、不発感があります。で、トレーニングの結果はどうだったの?読者が知りたいのはそこです。それが本当に効果的だったかどうかは、その子が犯罪を重ねることなく人生を終えるまでわからないわけだし、評価が難しいのはわかります。でも、著者がトレーニング効果をどう感じたのかくらいは書いてほしかった。効果があると感じてるから本にしてるんだろうな、という程度の読後感で残念です。

上記以外の要点は下のような感じでしょうか。
・犯罪を犯す子供たちの中には、「犯罪を犯したという認識自体を持てない子」がたくさんいる。問題を抱えているのに、その自覚がなく、困っていると表現できない子達(例:俗に言う、IQが低いが、知的障害者というほどには低くない程度の子とか)
・今の矯正プログラムは、"認知機能が正常であること"が前提になっているので、上のような子供たちを対象としてない。だから、十分な効果がない。
・そもそも、今の知能判定法はあまり正確ではなく、「知的には問題がない」と誤って判定されてしまうことがある。すると、適切なプログラムにつなげられなくなる。
・そういう子供の支援には「学習面(認知面)」「身体面」「社会面」の3方面からの支援が必要。特に、認知面・社会面が大事。
・一般の学校では、境界知能の子の認知面・社会面を育てる教育・支援を行うのは難しいし、そういった支援に対する理解も乏しい。
・認知機能の低い子はあらゆることを歪んで捉えてしまう。例えば、誤った被害感情を持つ(目があっただけなのに"睨まれた"とか。他にも、悪口をいわれている、嫌われている)など
・イジメられた経験のある子がとても多い。知能が低いことや不器用なことなどが原因。
・周囲との軋轢やイジメは、ストレスや怒りになって、本人の中に蓄積していく。しかし、こういう子達は適切な表出方法を持たないので、どんどん溜まっていき、そのはけ口として犯罪に走ってしまう。そのため、なぜ犯罪を犯したのか(何がストレスだったのか、何が怒りの原因だったのか)がわからない子も多く、悪いことをしたという認識につながらない(「よくわからないけどイライラしてやった」とか)。
 →この部分を説明するために、多数の例が本書の中で挙げられています。とても複雑です。無理に簡潔にまとめましたが、この解釈が正しいのかはわかりません。認知機能の低い子供達の認知の仕方を理解するのは本当に難しいのだと思います。

というわけで、"認知機能に困難を抱える境界知能の子" には適切な支援が必要なこと、それによって少年犯罪を防げるかもしれないこと、今の矯正プログラムは認知機能が正常なことを前提にしているので、それでは不十分であること、著者はそういう子供たちを対象としたコグトレをやっていること、の4点はよくわかりました。

それにしても、編集者は著者の書き散らしをそのまま本にしてしまっていて、仕事してないんじゃないかと。こういう本にセンセーショナルなタイトルをつけて、少年犯罪をおかした子供たちがいかに普通とは違うか、「ケーキも切れない!」と煽るように売っているのはやっぱり違和感があると思いました。

あと、矯正施設では少年も少女も「少年」と呼ぶらしく、この本では専門用語を優先して、性別に関わらず「少年」で統一しています。ただ、一般読者を対象としている本なので、やはり、区別するか中性的な言葉を使うかしたほうがよかったのでは、と思います。了承の上で読んではいますが、どうしても少年と言われると男の子のイメージで読んでしまって…。無意識的に男の子の問題という風に、脳内変換されてしまいます。

内容自体は興味深いので、ぜひ編集しなおして内容を深めて再出版してほしいです。


児童精神科医から少年院の法務技官になり、そして現在は大学教員として臨床心理系の講義を担当する著者が「コグトレ」の開発者です。もうおわかりでしょうが、「1日5分で日本を変える」方法とは、朝の会で「コグトレ」をやって学習の土台である認知機能のトレーニングをすることです。医療少年院での経験を元に、その必要性を説いたのが本書です。認知行動療法が「認知機能という能力に問題がないこと」を前提に考えられた手法であるとか、学校現場では境界知能の支援まで手が回らないなど、あらためて気づかされることが本書にはたくさんあります。小学校低学年が最大のチャンスです。思春期真っ只中の中学生になってからでは遅すぎます。是非とも、多くの学校関係者に読んでいただき、子どもたちのためにできる範囲で取り組んでいただきたいと願っています。学校の「朝の5分」は貴重であり、とても忙しいのです。


何か問題を起こしたときに、その行為を反省できれば、その人は成長できるであろう。しかし、自分の行為やそれが周囲に与える影響を認知することができなければ、反省することすらできない。その結果として、成長できずに同じ問題を繰り返してしまう。本書は、このような認知機能が低いがゆえに問題行動を起こす人々をいかに更生させるか、認知機能を向上させるか、そしていかに社会をよりよくしていくかをテーマにしている。

多くの事例は、著者が勤務している少年院での体験が語られているのだが、彼らに共通する特徴、つまり認知機能が低いことによる行動の傾向というのは、我々が実生活で出会う人々にも見て取れる傾向でもある(詳しくは本書を参照されたい)。つまり、程度の差はあれ、実生活をなんとかこなせるレベルではあるが認知機能が低い人々は、我々の周囲にも多数存在するのだ(本書では「境界知能」と表現されている)。

読了後に思ったのだが、職場にいるあの働かない人はもしかしたら「境界知能」なのかもしれない。あれだけ働かず、周囲を腐らせ、組織に悪影響を与えているにもかかわらず、一切悪びれず、かつ周囲を批判している。確かに認知機能が弱く反省することが出来ないならば、全ては他人のせいとなり、自分は正当化されるのだろう。この認知機能の問題、少年院や刑務所の塀の中だけの問題ではない。我々の実生活の場でも、この問題を検証する必要があるように思う。


公立小学校で通級指導教室を担当しています。
本書を批判します。

①「認知」という言葉に含まれる意味が未整理(知覚、情報処理〜スキーマまで)

②特性について未整理(情報処理システムとASD、ADHD、LD等の特性が整理されていない)

③非論理的な文章(事実と、感想・個人的印象の飛躍的な結び付け)

④非行少年の「頭の中(認知)」だけに非行の原因を矮小化している点。(貧困、愛着など、脳以外の社会的な要因の無視)

⑤専門機関(療育施設や心理士、ST、OT)、指導の専門家(SENS、通級、児童デイ等)の無視および過小評価。(そもそもWISCの解釈を丁寧にしてくれる人が周りにいない?そんなはずは…)

「困り感には背景があって、それには特別な支援が必要である」ということ、

「現行の教育システムでは、通常学級で適切に彼らを見ていくには限界がある」

ということを広く伝えている点は素晴らしいので☆2

本書が物足りないなら、
あるいは本書に感銘を受けたなら

藤川洋子(2010)「非行と広汎性発達障害」、日本評論社

の一読をおススメします。

また、認知に弱さのある子への指導内容について知りたい方は類書を参照。他にもたくさんあります。

(聞く話す読む書く計算推論の困り感の背景と指導)
特別支援教育の理論と実践[第3版]―II 指導

(見る:レイの複雑図形の再生が悪い子に)
「漢字の基礎を育てる形・音・意味ワークシート1 空間認知 編」、苫廣・今村(2019)、かもがわ出版

(きく)
「ワーキングメモリを生かす効果的な学習支援」 、湯澤正通(2017)、学研プラス

(アセスメントと指導)
「子どもの達成感を大切にする通級の指導: アセスメントからつくる指導のテクニックと教材」、山田充(2019)、かもがわ出版






 

 
 
 

SNSで事件被害、少年少女1811人 小学生も55人

2019年11月25日 16時19分52秒 | 社会・文化・政治・経済

八木拓郎 2019年11月24日

 

行方不明になっていた大阪・住吉の小6女児が栃木県小山(おやま)市の交番に駆け込んで保護された事件で、未成年者誘拐の疑いで逮捕された伊藤仁士容疑者(35)は女児とソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)でやりとりをし、大阪で待ち合わせて自宅へ連れて帰ったという。

 

 スマートフォンの普及などを背景にSNSを通じて、事件に巻き込まれる18歳未満の少年・少女は後を絶たない。

 

 警察庁によると、昨年は警察が把握しただけで1811人に上る。統計を取り始めた2008年以降では2番目に多かった。近年、小学生の被害が徐々に増えつつあり、昨年は過去最多の55人。高校生は991人、中学生は624人だった。

 

 SNSへのアクセス手段は「携帯電話」が1632人と全体の9割を占めた。このうち1621人は子どもへの普及が進むスマホだった。パソコンは13人、ゲーム機は10人だった。

 

 被害者が使ったSNSでは短文投稿サイト「ツイッター」が最も多い718人だった。ほかは、学生限定のチャット型交流サイト「ひま部」214人、無料通話アプリ「LINE」80人、雑談チャットアプリ「マリンチャット」78人、動画配信サービス「ツイキャス」46人――など。


 



房思琪(ファン・スーチー)の初恋の楽園

2019年11月25日 13時07分00秒 | 社会・文化・政治・経済

 文学にどんな意味があるのか、とも問いかける。

文学は彼女たちを救いはしない。
それどころか、ぬかるみに陥れる手立てにもなる。
この痛みを伝えるのもまた文学なのだ。

 

 

房思琪(ファン・スーチー)の初恋の楽園 単行本(ソフトカバー) – 2019/10/25


内容紹介

台湾で25万部突破! 台湾社会を震撼させた、実話にもとづく傑作長篇

著者は1991年生まれの女性作家。デビュー作である本書に「実話をもとにした小説である」と記したことから、著者の実体験なのではと大騒ぎとなった。刊行2か月後に著者が自殺。台湾社会を震撼させた。
文学好きな房思琪と劉怡婷は高雄の高級マンションに暮らす幼なじみ。

美しい房思琪は、13歳のとき、下の階に住む憧れの五十代の国語教師に作文を見てあげると誘われ、部屋に行くと強姦される。

異常な愛を強いられる関係から抜け出せなくなり、房思琪の心身はしだいに壊れていく…。房思琪が記した日記を見つけた劉怡婷は、5年に及ぶ愛と苦しみの日々の全貌を知り、ある決意をするが…。
一方、同じマンションの最上階の裕福な家庭に嫁いだ二十代の女性・伊紋の物語も同時に描かれる。伊紋は少女二人によく本を読んであげていた。だが実は夫からのDVに悩み、少女らに文学を語ることが救いとなっていたのだ。
人も羨む高級マンションの住民たちの実情を少女の純粋で繊細な感性によって捉えることで、社会全体の構造的な問題が浮かび上がってくる。過度な学歴社会、格差社会、権力主義の背後にある大人の偽善、隠蔽体質…。なぜ少女の心の声を大人が気づけなかったのか。文学の力とは何か。多くの問いを投げかける。

内容(「BOOK」データベースより)

台湾・高雄の高級マンションに住む13歳の文学好きな美少女・房思琪(ファンスーチー)は下の階に住む憧れの50代の国語教師に作文を見せに行き強姦され、その関係から抜け出せなくなる…世界の裏側を見てしまった少女のもう一つの愛の物語。台湾社会を震撼させた、実話に基づく傑作長篇。

著者について

林 奕含(リン・イーハン)
1991年3月16日~2017年4月27日。
台湾・台南で名の知られた皮膚科医の娘として生まれ、幼少期から作文や数学で優秀な成績を収め、学内外で多くの表彰を受ける。

高校二年のときにうつ病を患う。2009年、台北医学大学医学部に入学するが、二週間で休学。その後、三度の自殺未遂。

2012年に国立政治大学文学部中国文学科に入学、三年生のときに再び休学。2017年2月初めに、デビュー作であり唯一の著作である本書『房思琪の初恋の楽園』を出版。その二か月後に自殺。「これは実話をもとにした小説である」と本書に記されていることから、台湾社会に大きな波紋を呼んだ。

泉京鹿(いずみ・きょうか)
1971年、東京生まれ。フェリス女学院大学文学部日本文学科卒業。北京大学留学、博報堂北京事務所を経てライター、メディアコーディネーター、翻訳者として16年間北京で暮らす。主な訳書に、余華『兄弟 上・下』(文春文庫)、閻連科『炸裂志』(河出書房新社)、王躍文『紫禁城の月――大清相国 清の宰相 陳廷敬 上・下』(共訳、メディア総合研究所)、九把刀『あの頃、君を追いかけた』(共訳、講談社文庫)など。朝日新聞GLOBE「世界の書店から」で中国のベストセラー紹介を2009年より連載。大学非常勤講師。

 


血液1滴でがん13種99%検出

2019年11月25日 12時53分40秒 | 野球

 東芝は25日、1滴の血液から13種類のがんいずれかの有無を99%の精度で検出できる技術を開発し、2020年から実証試験を始めると発表した。東京医科大や国立がん研究センターとの共同研究に基づく成果で、数年以内の実用化を目指す。

【図表】国立がん研究センター「がんの10年生存率の推移」

 血液中に分泌される「マイクロRNA」と呼ばれる分子の種類や濃度を検査し、乳がんや膵臓がん、食道がん、胃がん大腸がんなど13種のがんについて、ごく初期の段階でも発見できる。実用化すれば、生存率が高まることが期待される。

 東芝はRNAを短時間で簡便に検出できるチップや小型機器の開発に成功した。2時間以内に結果が判明するという。

 



 

 


ふりだしに戻る (下)

2019年11月25日 11時51分46秒 | 社会・文化・政治・経済
 

タイムスリップの話は好きです。
タイムスリップものは、スリップの理由とスリップ先の出来事が車の両輪となります。
スリップの理由は、タイムマシンのように計画的なものと、たまたま時空の裂け目に落ち込んだような偶発的なものに大別できます。
スリップ先での出来事は、歴史上の有名人物と出会って影響を与えるものか、市井の人物や風俗の活写に重きを置くものかに大別できます。
この作品は、理由部分では計画型を取っていますが、実質的には偶然型で、少し無理がありすぎたかなという感じでした。
出来事としては市井型で、よく書けていますが、昔のニューヨークにどれほどの興味を持てるかによって、読後感は大きく異なってきます。
私は、このキモの部分にあまり関心を抱けませんでした。
我が国の作品で言うなら、マイナス・ゼロより大江戸神仙伝に近く、この作品より大江戸神仙伝のほうがおもしろかったという感想です。


S・キングの最新作「11/22/63」が本書へのオマージュであることから、再々読してみた。

以前に読んだ時は、フィニイという作家はとことんノスタルジックな作家だと、そして、ほとんど現代を憎んでいる作家だと思っていたのだが、
大きな読み違いをしていたことに愕然とするとともに、改めてファンとなった。

上巻は、他のレビューにもあるように、1882年冬のNYの、人々の服装、馬車の描写がエンエンと続き、もどかしさと苛立ちを感じてしまう。フィニイ本人が「私の正確さへの努力は執念に近いものとなった」と述べているが(訳者あとがき)、読者も忍耐を強いられる。
そして、下巻に入り、急展開となり、ともすれば忘れられがちな布石が息を吹き返し、一挙に謎解きとなる。

全ての謎の発端であり、サイを過去への旅へ駆り立てる青い封筒の持ち主であるケイト。サイが19世紀に生きるジュリアにあっさりと(?)心奪われ、ケイトとの関係が「お互いにさっぱりした気分」となってしまうところ。さらに、逃避行の末、ジュリアを現代に連れてくるところは、ご都合主義ともいえるだろう。
ケイトは短時間とはいえ、一度はタイムトラベルに同行しているのだから尚更だ。

いっぽう、ジュリアがテレビや冷蔵庫に仰天するシーンも、はたして必要なのだろうか?と思ってしまう。

以上の疑問、読みづらさはあるものの、最後の数頁で共感とほろ苦さが胸を満たすこと、請け合いである。
最初に書いたように、「11/22/63」の後に再読した今回は、共感よりもほろ苦さのほうが、いや、はっきりとした「苦さ」が残った。
なぜなら、サイのタイムトラベルの成功に勢いづいた「プロジェクト」が次に企てたのはアメリカに利する歴史の改変、具体的には、キューバをアメリカに隷属させることだからだ。

それに対し、サイは叫ぶ:「ぼくはキューバのことで議論するつもりはない。(ケネディ暗殺の)真相がどうであれ、ぼくはただ、どんな人間にも、過去を変えて現在を作り替えるなどという神のような知恵はないと思うんだ。(略)今日までの成り行きを見てみるがいい」
「ぼくにわかるもんか!誰にだってわからないさ。ただしかし、ぼくにわかっているのは、どんなに重大な決定でも、皆と同じように何もわかってはいない人間によって行われているということだ。(略)しかも彼らは残りの99.9%を占めるわれわれの同意を求める必要さえないんだ」

本書は1970年刊だが、フィニイは執筆に8年間をかけており、執筆中にケネディ暗殺、ベトナム戦争、マーチン・ルサー・キング暗殺が起こっている。
勿論、サイの叫びは米国のみに向けられたものではなく、環境汚染の問題、世界的規模の異常気象などを考えあわせれば、畢竟、読後は苦い。

「花はどこへ行ったの」、「風に吹かれて」が否応なしに耳にこだまする。

キングがオマージュとしたのもむべなるかな。

フィニイは決して、単なる卓越したファンタジー作家でもなければ、ノスタルジックな作家でもない。
歴史の有り様と世界の行く末を見据え、「もう間に合わない」とつぶやきつつ、それでもなお、市井の人々の生きる喜びを筆の先から紡ぎ続けた作家なのである。


ジャック・フィニイ(Jack Finney, 1911年10月2日 - 1995年11月16日) は、アメリカ合衆国SF作家推理作家ファンタジー作家。
姓はフィニイ早川書房角川書店)の他、フィニーフィニィの表記もある。代表作は『盗まれた街英語版』と『ふりだしに戻る英語版』で、前者は1956年の映画『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』とその後のリメイク作品の原作である。

来歴[編集]

ウィスコンシン州ミルウォーキーで生まれ、ジョン・フィニイと名付けられた。3歳のころ父を亡くし、父の名をとってウォルター・ブレイデン・フィニイと改名された。しかし通称は「ジャック」のままであり、生涯そう呼ばれることになった。イリノイ州ノックス大学を1934年に卒業する。マーガレット・ゲストと結婚し、2人の子供をもうけた。ニューヨーク広告代理店コピーライターを務めていたが、1950年代初めごろにカリフォルニア州に移住する。カリフォルニア州ミルバレーに住んでいたが、肺炎肺気腫が原因で同州グリーンブリーで死去した。

作家としての経歴[編集]

1947年、ミステリ専門誌『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』の短編コンテストで、短編「未亡人ポーチ」(The Widow's Walk (Weak Spot))によって特賞を受賞し、作家デビューした。処女長編『五人対賭博場』は1954年に出版され、翌年には映画化された。

長編『盗まれた街』(1955年)は1956年の映画『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』の原作とされ、その後何度かリメイクされた。豆の莢から出現し、付近の人間に成り代わることで地球を侵略していく異星人を描いた話である。

もう1つの長編『クイーン・メリー号襲撃』(1959年)も映画化され、フランク・シナトラが豪華客船クイーン・メリー号から大胆な強奪を図るギャングのボスを演じた。

フィニイの最高傑作とされているのがSF長編小説『ふりだしに戻る』(1970年)である。ニューヨークで広告の仕事をしていた主人公サイモン・モーリーは、タイムトラベルを達成しようとする政府の秘密のプロジェクトに勧誘される。物理的な機械を使うのではなく、参加者が自身を特定の時代と場所の歴史や文化に置き、催眠または自己催眠によってタイムトラベルを達成するというのである。モーリーは1882年のニューヨークへと旅立つ。

この小説は当時のニューヨークの市民生活を鮮明に描いている。モーリーは執筆当時には既に無くなっていた史跡(例えば、1939年まであった郵便局。現在のニューヨーク市庁舎南側の公園にあたる)や現存する史跡(例えば、セント・パトリック大聖堂は当時は5番街付近で最も背の高い建物だった)を多数目にした。

1987年、フィニイはナッシュビルで開催された世界幻想文学会議で世界幻想文学大賞生涯功労賞を受賞した[1]

短編「おかしな隣人」はスティーヴン・スピルバーグの『世にも不思議なアメージング・ストーリー』の一編として映像化されている。

『ふりだしに戻る』から25年後の1995年、フィニイは続編『時の旅人』を出版した。主人公は同じで、今度は1912年のマンハッタン中心部へと旅立つ。この作品を書き上げて間もなく、フィニイは84歳で亡くなった。

1998年にはフィニイの短編「愛の手紙」(1959年)を原作としたテレビ映画The Love Letter』(出演: キャンベル・スコットジェニファー・ジェイソン・リー)が放映された。

ノックス大学のSFおよびファンタジーについての雑誌 "The Third Level" [1] は、フィニイの短編と同名の短編集『レベル3』に因んで名付けられたものである。

 



 

 

 

 
 
 
 

 
 

 

 

ふりだしに戻る〈上〉

2019年11月25日 11時44分34秒 | 社会・文化・政治・経済
 

内容紹介

ニューヨーク暮らしにうんざりしていたサイモン・モーリーは、九〇年前に投函された青い手紙に秘められた謎を解くため「過去」‐一八八二年のニューヨークへ旅立つ。鬼才の幻のファンタジー・ロマン。

 

1970年代に書かれた、タイムトラベル小説です。
舞台はニューヨークなので、少しわかりにくい描写もあると思いますが、全体的なテーマはわかりやすく、楽しむことができます。
タイムトラベルものにつきものの、「過去や未来への干渉」などもしっかり書かれています。
ラストシーンが秀逸で、誰かにしゃべりたくなります。


この書を求めたのは「ある日どこかで」の類書として挙げられていたから。しかし、最初の100ページくらいは苦痛だった。しかし、過去のマンハッタンの緻密な描写はどうだろう。どんどん引き込まれていった。だいぶん前にNYに住んでいた時の記憶から連想がふくらんでいった。この著者の、NY、しかも昔への強い愛情をしみじみと感じた。ジュリアを連れてきたことに対する悩みと決断には心震わされました。これこそが最大の愛だったのだなと。


映画『ある日どこかで』からの連鎖でこの作品にたどり着きました。とっつきは翻訳調に難渋
したのですが,読み進むうちどんどん引き込まれました。3年前,マンハッタンに数日滞在し,
地図を片手に歩き回ったので,もう一度その地図を取り出し,街の情景をあれこれと
思い浮かべながら読み進みました。(『鬼平』を読む時も『江戸切絵図』が座右です)
アン通り,ナッソー通りなどは観光地図には載っていないので,Google Mapを印刷しました。

古いモノクロの風景写真や肖像写真なども読者をノスタルジーに引き込む良い小道具にな
っています。古き良き時代のNY・・・目の前1メートルにその当時の人が座り,息遣いが聞こえた
ら,本当に顔や服装にじっと見入ってしまいますよね。

テレビもラジオもない下宿屋での暮らしってこんなだったのか。馬ソリで行きかう人々が声を
掛け合ったり,一緒に歌を歌ったり・・・情景を思い浮かべるだけで堪らなく胸が躍ります。

読後3日がたつのですが,ジュリアのことが忘れられません。僕の心は今の暮らしに対する多少
の未練と,100年前に戻って暮らす自信のなさの間で揺れ動いています。
それほど100年前に生きたジュリアは魅力的な女性に描かれています。
最後に一言・・・ダンジガー博士よりもルーブの奴をギャフンと言わせたかった。

上下とも古本で手に入れましたが大切に仕舞っておきます。きっとまた読み返すでしょう。

作品に出てくるオールステート保険会社と作者あとがきに名前の出るホーム保険会社。
どちらも,かつて日本に支店があり,その両方に僕は勤めていたことがあります。
偶然でしょうか。今はどちらの支店もありません。ビックリするやら懐かしいやら,
遠い思い出の彼方です。とてもすばらしい作品でお薦めします。


主人公サイの語る街や人の描写が緻密で、その分展開が進まず、読んでいてじれったく感じることもありましたが、
その描写の長さも、描かれている時代のゆったりとした時間感覚を体験しているように思えてきます。
そのうちに主人公を介して語られた、当時の生き生きとした街や人間の様子を自分の頭の中でじっくりと
再現する作業が楽しくなってきました。当時の写真を提示しつつ、それに関連して話が進み、
色々な角度から当時を見せてもらうことで、次第に当時の様子が自分の中で現実感を帯びてきます。
ただなかなか単調な描写がつづくなあというところで、ふいにサスペンスを差し込んできますので
、その辺りでは頁をめくるのがとても速くなります。
話の筋や情景描写、謎の提示など、小説内でのそれらの配分があやういようでおもしろいです。

情景描写が長いと何度もいいましたが、サイがこの緻密な描写ができる観察眼を備えていたからこそ、
彼はこの物語の主人公たり得たのではないかとも思いました。
というのは、過去に干渉してはいけないという条件下で行われる観察者としてのタイムトラベル小説の
主人公としても(途中から積極的に干渉し始めますが)、謎を追うサスペンス小説の主人公としても、
彼のこの状況描写力は話の筋に必要だったように思うのです。(なので長い描写も必要のうちなのかと…)

他に全体としては、人間性や倫理、歴史観などについて考える契機もちりばめられています。
単純にアメリカンなノスタルジーを味わいたい方にもおすすめですし、また現代の殺伐とした
空気から逃走したい方には主人公の気持ちにめりめり入り込めます。共感し通しです。
なにより「ふりだしに戻る」というタイトルが何を指しているのかが気になれば、読んでみてほしいとおもいます。


成8年4月20日(四版)の下巻の帯に「映画化決定! 監督ロバート・レッドフォード」
という記載があったので、楽しみにしているのですが未だに映画化されていないようですね。
この続編である「時の旅人」や「ゲイルズバーグの春を愛す」とともに、
”タイムスリップ+淡いラブストーリー”が好きな人にはお奨めの作品です。
「ある日どこかで [Somewher in Time]」が好きな人なら、多分ハマっちゃうと思いますよ。

 
 
 ジャック・フィニィの「ふりだしに戻る」をジャンル分けするのは不可能です。時空間移動を主人公が移動する様はSF。古き良きニューヨークを語る様は上質の紀行文。ふとした事から巻き込まれる逃避行は迫力満点のサスペンス。ヒロインとの恋は甘酸っぱい恋愛小説。そして最後のどんでん返しは通を唸らせるミステリー。小説の面白さが一杯に詰まった傑作です。


「人生、終わった」副業サイトに登録した女性

2019年11月25日 11時40分06秒 | 社会・文化・政治・経済

ポイント購入を繰り返し数日で30万被害…電子マネー詐欺の実態

 「人生、終わった。どうやって子育てしていけばいいのだろう」。声を震わせ、詐欺被害を語る本島在住の女性は今年7月から8月にかけて、県内で横行している電子マネーが絡む詐欺被害に遭った。子ども3人を抱えたシングルマザーの女性が、わずか数日で貯金の大半の約30万円を奪われた。その状況を涙ながらに明かした。 
 パートの収入だけでは生活が厳しかった女性は今年7月、携帯電話から副業サイトに登録した。資産家とメールのやりとりをするという手軽な副業との説明だった。やりとりを数回したある日、「優良会員になれば多額の報酬がもらえる。それにはポイントの購入が必要」などと記載されたメールを受信した。

 女性はコンビニエンスストアで電子マネーを購入。記載された指定先に電子マネーの使用に必要な暗証番号をメールで送信した。以後、女性の元には「報酬の支払いは外資系金融機関を経由するのでさらにポイントを購入してほしい」などと、言葉巧みに電子マネー購入を要求するメールが頻繁に届く。要求に応じ電子マネー購入や金融機関への送金を繰り返し、わずか数日で預金は底を突いた。

 「あなたの副業サイトは詐欺です。お金を取り戻しましょう」。女性の支払いが滞ったころ、弁護士を名乗る人物からメールが届いた。渡りに船と金を工面し、弁護士登録料などの名目で電子マネーを購入。これまでと同様に暗証番号をメールで送信した。しかし、これも詐欺だった。「電子マネーの購入方法もシステムもよく理解していなかった。24時間コンビニで支払いができ、慣れると銀行よりも手軽だった」と振り返る。

 一日に何度も来店する女性を不審に思ったコンビニ店員が「電子マネーは何に使うのですか?」と尋ねてくることもあったが女性は複数のコンビニを回り、何度も支払いを続けた。「購入し、暗証番号を伝えるだけで、現金を支払っている感覚がなかった」と証言する。

 8月、友人の勧めで女性は警察を訪ね、詐欺の被害が発覚した。現在のところ犯人の特定には至っていない。女性によると、登録した副業サイトはネット上に今もあるという。
■県内の電子マネー被害総額、倍増
 県内で電子マネーを狙う特殊詐欺被害が深刻化している。県警が2019年に認知した特殊詐欺は23日現在、18件で、そのうち電子マネーが関連した架空請求詐欺が13件と大半を占める。被害総額は約1180万円で、18年の年間被害額約600万円の約2倍となったことが23日、県警のまとめで分かった。県警は「電話やメールで電子マネーを要求するのは詐欺の手口だ。家族や警察へ必ず相談してほしい」と警鐘を鳴らしている。

琉球新報社

 

最終更新:11/24(日) 16:47
琉球新報

 

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連れ去る約1週間前にSNSで知り合う

2019年11月25日 11時34分11秒 | 社会・文化・政治・経済

…誘拐容疑の男 “真面目な性格”という声も

11/24(日) MBSニュース

 大阪市住吉区の小学6年の女の子を誘拐したとして逮捕された栃木県の35歳の男は、女の子とは連れ去る約1週間前にSNSを通じて知り合ったということです。

 栃木県小山市の伊藤仁士容疑者(35)は11月17日、大阪市住吉区の小学6年の女の子(12)を自宅に連れ帰った未成年者誘拐の疑いで、23日に逮捕されました。警察によりますと、伊藤容疑者は女の子が行方不明になる1週間ほど前にSNSで知り合い、その4、5日後には会う約束をしたということです。

 女の子は24日午前中に大阪に戻り、1週間ぶりに母親と再会しました。母親は抱き合って泣いていたといい、「娘は無事、帰ってくることができました。本当に感謝をしております」とコメントを出しました。

 警察によりますと、伊藤容疑者は女の子のスマートフォンを自宅に着いた直後に取り上げたうえ、靴も隠し、外に出られないようにしていたと見られています。大阪府警は栃木県に捜査員を派遣し自宅を家宅捜索していて、軟禁していた状況や動機などについて明らかにしていく方針です。

 女の子が無事だったことを受け、女の子の地元・大阪市住吉区では安堵の声が聞かれました。

 「近所でこんなことが起こるんだなと。見つかってよかった。」(男性)

 また、関係者によりますと、伊藤容疑者は、性格は真面目でおとなしく正義感が強い一面もあったということです。一方、最近は定職についていなかったということです。伊藤容疑者を知る人たちは…

 「自分から話しかけにいって友達を作ってという社交的なタイプではないんじゃないか。確か模範的な真面目な生徒だった。」(伊藤容疑者の中学の同級生)
 「真面目、穏やか、優しい。何かいじめられている人がいれば助けに入るよね、彼は。」(伊藤容疑者が以前に働いていた自動車教習所の社長)

MBSニュース

 
 

小6誘拐、捜査意識し居場所隠し 伊藤容疑者供述

2019年11月25日 11時08分48秒 | 社会・文化・政治・経済

 大阪市の小学6年女児(12)を誘拐したとして、未成年者誘拐容疑で逮捕された栃木県小山市の自称派遣社員伊藤仁士容疑者(35)が、逮捕前の調べに「公開捜査になっているのは知っていた」と話していたことが25日、大阪府警への取材で分かった。女児のスマートフォンを使えなくしており、警察を意識して位置情報を隠す意図があったとみられる。

【記事】「1日1食」「風呂も2日に1回」監禁の様子

 府警によると、伊藤容疑者は女児に「スマホは使うな」と指示していた。24日の家宅捜索で伊藤容疑者宅から女児のスマホが見つかったが、契約者情報を記録した「SIMカード」が抜かれていた。電源も切られ、外部と通信できない状態だった。

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〈大阪女児誘拐〉助けた女の子に「余計なことをしないで」と言われ……

2019年11月25日 10時53分53秒 | 野球

伊藤容疑者の正義感と挫折

11/24(日) 

「この日の朝、伊藤容疑者は大阪府警に送致されました。小山駅から新幹線でしたが、伊藤はいったん普通席に座らされた後、多目的室に入れられた。移動する際は一般客が降りてから。つねに捜査員に囲まれていて、フードで顔を隠し、記者の問いかけには無言でした」(社会部記者)

24日に行われた家宅捜索 ©文藝春秋

 大阪市の小学6年生の女児が誘拐された事件で、未成年者誘拐の疑いで逮捕された栃木県小山市の伊藤仁士容疑者(35)の自宅で、11月24日(日)午後、家宅捜索が行われた。13時過ぎ、警察のトラックが現場に到着し、青いビニールシートによる目隠しの衝立を立て始めた。14時半頃、立会人の車が到着。14時40分、大阪府警の捜査員が入った。

【写真】伊藤容疑者の写真(24枚)をすべて見

 

現場付近は新興住宅地で、これから家を建てるという土地も多い。外で遊ぶ子供の姿もよく見かけるが、「伊藤家に子供(容疑者)がいたことには気が付かなかった」(近隣住民)という証言もある。

自動車学校の正社員の誘いに「うーん」

 伊藤容疑者がかつてアルバイトをしていた自動車学校の社長はこう話した。

「半年以上1年未満ほど働いていた。無断欠勤はしたことがなく、勤務態度はいたって真面目で正義感の強い子だった。主な仕事は教習生の送迎。他は雑務やコース管理などを担当していました。辞めるときもトラブルがあったわけではない。しっかりと働いてくれていたので、『正社員になってほしい』という話をしたところ、『うーん』と悩んでいました」

 この自動車学校には、幼い頃から伊藤容疑者が遊びに来ていたという。

「仁士君が7歳くらいのときに弟と教習所によく遊びに来ていた。しりとりや車の絵本を読んでいました。明るくて弟の面倒を見て、母親を支えようとしていた。弟が道に飛び出しそうになると、仁士君が注意していた」(近隣住民)

「県内トップクラスの高校に伊藤くんだけが落ちた」

 伊藤容疑者が小学生時代に通っていたという剣道教室の関係者が話す。

「道場には小学校3年生の頃からから3年間通っていた。真面目で堅物だった。でも、成績はイマイチ。2、3回戦くらいまでかな。下の弟や妹が優秀だったから印象がどうしても薄い。妹さんはお医者さんになられてるしね」

 勉強はよく出来たという。中学の同級生の証言。

「皆から伊藤君って呼ばれていました。比較的におとなしいグループに属していた。受験のとき、うちのクラスからは4、5人、県内トップクラスの高校を受験したのですが、伊藤くんだけが落ちた。『えっ? あの伊藤君が?』って皆が驚いていて、本人もショックを受けていた。誰も声をかけられないほど落ち込んでいました」

 

助けた女の子から「余計なことをしないで」と言われた

 前出の自動車学校の社長は伊藤容疑者との会話を覚えているという。

「世間話でニュースの話をしたときに、世界情勢について語っていたのを覚えています。『なんで日本がこうなっているのか。世界の情勢が、イラクや中東とかが間違っている。世の中は矛盾している』と話していました。休み時間は本を読んでいた。小説。タイトルはわからない。中学生の時に男子数人に虐められてる女子を助けたことがあるとも言っていました。でも、その女子から『余計なことをしないで』と言われたのだそうです。優しい子だったんですが……」

 正義感が強く、真面目で優しい青年だったという伊藤容疑者。30代半ばの大人になった今、なぜ未成年誘拐に手を染めてしまったのだろうか。

 


女子中学生「“監禁”でなかった」 男を7月に事情聴取も

2019年11月25日 10時42分32秒 | 社会・文化・政治・経済

11/25(月) 関西テレビ

11月17日から行方不明になっていた、大阪市の小学6年の女の子が栃木県で発見され、35歳の男が逮捕された事件で、女の子の母親が心境を語った。

女児の母親「皆さまには本当に感謝しかございません」

自称・派遣社員の伊藤仁士容疑者(35)は、11月17日午前10時半すぎ、大阪市住吉区に住む小学6年の女の子を、栃木・小山市の自宅に連れ込んだ未成年者誘拐の疑いで、23日に緊急逮捕された。

23日午後に、女の子が小山市内の交番を訪れたことから事件が発覚。

警察によると、女の子は「食事は1日1食程度だった」と話しているという。

女の子と母親は24日朝、再会をした。

女児の母親「わたしを抱きしめるそぶりを見せなかったのですが、途中からぎゅっとしてくれて本当に安心しました。もう生きた心地がしなかったです。長すぎた1週間でした」

調べに対し、伊藤容疑者は容疑を否認している。

一方、茨城県警によると、伊藤容疑者宅で保護された別の15歳の女子中学生は、「見つからないように外出を控えていた。監禁状態ではなかった」と話しているという。

県警は6月に行方不明届を受理し、7月に伊藤容疑者宅を訪れ事情を聴いていたが、その際、女子中学生はいなかったという。

(関西テレビ)

 


自公結びつけたのは「平和」への使命感

2019年11月25日 10時36分16秒 | 社会・文化・政治・経済

古賀誠・元自民党幹事長
2019年11月25日 毎日新聞

 1998年に自民党が参院選で惨敗し、参院で与党が過半数割れする「ねじれ」が生じる中で、連立案が浮上した。当時は自民党にも公明党にも抵抗感があり、自公のみで最初から連立を組むというわけにはいかなかった。

衆院は94年に小選挙区制度が導入されるまでは中選挙区制度で、公明と激しい戦いをした人が私を含めて自民党にもいっぱいいて、最後の1議席を自公で争うという構図も多かった。
 そのため、まず模索したのが旧自由党との連立だった。(99年1月に)自自連立政権が発足する前年の98年8月15日は今でも忘れない。

全国戦没者追悼式の後、(官房長官だった)野中広務さんらと集まり、参院のねじれを何とかしないと、小渕内閣はもたないと話し合った。ただ、互いのアレルギーを考えると、自民と公明を結びつけるには真ん中に「座布団」を敷く必要がある。当時の政界地図からすれば、自由党にお願いするのが一番現実的な路線だろうというのが、私と野中さんの結論だった。それで自自連立から自自公連立に進んでいくことになった。
 私と自由党の二階俊博国対委員長、公明党の草川昭三国対委員長の3国対委員長で連立の基礎を作った。小渕恵三首相も「それでよし、やってくれ」ということだった。

二階さんとは古い付き合いがあり、非常に前向きで助けていただいた。(自由党党首の)小沢一郎さんの言うことは難しくて、無理難題をよく言ってきた。一つずつそれをクリアしたのだが、二階さんと顔を見合わせては苦笑いの連続だった。
 自自公の連立がまとまるときには、最終的には小渕首相と公明党の神崎武法代表が何回かトップ会談を隠れてやったと思う。マスコミには我々の会議に注目させておいてひそかにね。自自公連立には、小渕内閣の政治の安定というだけではなく、平和に対して強い信念のある公明党への期待もあった。
 自公連立が長く続いているのは、政治が安定する大切さに対し、それぞれの政党がしっかりと責任を持ったことが一番大きい。自公連立が果たしている大きな役割に対する使命感がしっかりあったのだと思う。
選挙協力ありきの連立は本末転倒で、やはり公明党の政策、理念、哲学が自民党と一致していたことが重要。一番はやはり「平和」だ。一方で、連立で必要な過半数の議席の確保は常に重要で、選挙協力は当然のことだろう。
 だが、結果的に創価学会票が上乗せされ、自民党議員の、特に若手の足腰が弱くなって・・・