コラム:ソフトバンクのファンド、ウィーワーク投資失敗のつけ

2019年11月18日 10時48分27秒 | 社会・文化・政治・経済
2019年10月9日
 
[ロンドン 7日 ロイター BREAKINGVIEWS] - ハイテク株に投資するベンチャーキャピタル(VC)に失敗はつきものだ。例えばVC界の大立者、マーク・アンドリーセン氏は自身のファンドについて、投資案件の半分は減損処理を強いられているが、一握りの大成功によって失敗は取り返せると語っている。
ソフトバンクグループ(9984.T)が運営する1000億ドル規模のビジョン・ファンドも同様に、共有オフィス「ウィーワーク」を運営する米ウィーカンパニーの上場延期を華麗に切り抜けられるだろうか。おそらく無理だろう。

ソフトバンクの孫正義社長は8月、ビジョンファンドの資金の85%を企業80社以上に投資済みか、投資を決定していると説明した。バーンスタインのアナリストによると、ウィーカンパニーへの投資は20億ドルで、仮に同社が破綻してもビジョン・ファンド資金の2%が消えるにすぎない。

問題は、ウィーカンパニーが孫氏の投資命題を象徴していることだ。その命題は、ビジョン・ファンドが白羽の矢を立てて巨額を注ぎ込んだ有能な創業者が、業界の勝ち組になるという前提に立っている。

孫氏はソフトバンク自体からの投資を含め、ウィーカンパニーとその共同創業者アダム・ニューマン氏に約110億ドルを投資したが、同氏は先月CEO退任に追い込まれた。同氏は利益の出ない事業に投資して出資金を浪費し、同社株の株式価値は現在、孫氏の投資総額をおそらく下回っている。

ウィーカンパニーの失態は、ビジョン・ファンドが投資企業を過大評価しているのではないかとの疑問も生じさせる。ソフトバンクは今年実施したウィーカンパニーへの投資で、同社の純キャッシュを除く企業価値を470億ドル、昨年の売上高の25倍相当と評価した。その数カ月後、ウィーカンパニーの新規株式公開(IPO)計画は評価額を100億ドルまで切り下げたが、その評価額でさえ投資家からは鼻であしらわれた。この最新の投資にビジョン・ファンド自体は参加していないとはいえ、同ファンドは概ねソフトバンクの試算に基づいて企業価値を評価しているため、ファンドに出資するサウジアラビアなどは他企業の評価にも疑問を投げ掛ける可能性がある。

今回の一件により、ビジョン・ファンドの投資企業が将来実施するIPOに対しても、投資家は警戒を強めるだろう。孫氏はIPOによって投資収益を回収し、ファンドに出資してくれたサウジおよびアラブ首長国連邦に還元する必要がある。ファンドが投資して既に上場した6社のうち、5社の株価がここ3カ月で下落している。中でも目玉投資だった米配車大手ウーバー・テクノロジーズ(UBER.N)と職場向けメッセージアプリの米スラック・テクノロジーズ(WORK.N)は、上場以来29%と35%、それぞれ値を下げた。

やけどを負った投資家は今後、孫氏が投資する他の巨大な赤字新興企業の上場で大幅な価格切り下げを要求するか、もしくは上場

参加を見送るだろう。ビジョン・ファンドにとって最大のリスクは、ウィーカンパニーの失敗が一度限りの出来事に終わらず、潮流の始まりになることだ。

●背景となるニュース

*ロイターは4日、ソフトバンクグループが設立を目指すビジョン・ファンド第2弾による資金調達が難航していると報じた。

*孫氏の周辺からは第2弾の設立延期を促す声も出ており、ファンドの規模はソフトバンクが当初発表した1080億ドルを大きく下回る公算。

*ウィーカンパニーは9月30日、IPOの延期を申請した。その1週間前にはアダム・ニューマン氏がCEOを退任していた。

 

*ソフトバンク株は10月4日までの6カ月間で24%下落した。

(筆者は「Reuters Breakingviews」のコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています)

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原子力時代における哲学

2019年11月18日 09時02分57秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 

1950年代に、「原爆ではなく、原子力そのものが問題だ」とドイツの哲学者ハイデガーが指摘した。
このことを真剣に受け止めた為政者は存在したのだろうか?
「我々は、原子力を、いったいいかなる仕方で制御できるのか、この途方のないエネルギーが突如、檻を破って出奔し、一切を破滅に陥れるという危険から人類を守ることができるのか?」
ハイデガーは科学技術の価値を認めつつも懐疑的だ。
<現代人は思惟(しい)から逃走の最中である>
<不気味なことは、人間がこのような世界の変動に対して少しも用意を整えていないことだ>

内容紹介

3.11で原子力の平和利用神話は崩れた。人間の叡智は原子力に抗し得なかった。哲学もまた然り。しかし、哲学者でただ一人、原子力の本質的な危険性を早くから指摘していた人物がいる。それがマルティン・ハイデッガー。

並み居る知識人たちが原子力の平和利用に傾いていくなかで、なぜハイデッガーだけが原子力の危険性を指摘できたのか。その洞察の秘密はどこにあったのか。

ハイデッガーの知られざるテキスト「放下」を軸に、ハンナ・アレントからギリシア哲学まで、壮大なスケールで展開される、技術と自然をめぐる哲学講義録。3.11に対する哲学からの根源的な返答がここに。 

「核技術そのものの問題をほとんど誰も取り上げていなかった時代、誰もがそれに大きな期待を寄せていた時代に、ハイデッガーがおそらく哲学者としてはただ一人、その問題点を鋭く指摘していたというのは見逃せない事実です。或る意味では哲学という営みのすごさを実感させてくれる事実でもあります。つまり、彼は哲学者であったからこそ、これを指摘できたのではないか。(…)哲学的な思考は、周囲に流されることなく物事の本質を観ることを可能にする──ハイデッガーの原子力を巡る思考は、そうした可能性を示す一つの証拠ではないかという気さえします。(本文より)」 

【目次】
第一講 一九五〇年代の思想
1 原子力を考察した二人の思想家
2 核技術を巡る一九五〇年代の日本と世界の動き
3 ハイデッガーと一九五〇年代の思想

第二講 ハイデッガーの技術論
1 技術と自然
2 フュシスと哲学

第三講 『放下』を読む
1 「放下」
2 「放下の所在究明に向かって」

第四講 原子力信仰とナルシシズム
1 復習――ハイデッガー『放下』
2 贈与、外部、媒介
3 贈与を受けない生
4 結論に代えて

付録 ハイデッガーのいくつかの対話篇について──意志、放下、中動態

内容(「BOOK」データベースより)

3.11で原子力の平和利用神話は崩れた。人間の叡智は原子力に抗し得なかった。哲学もまた然り。しかし、哲学者でただ一人、原子力の本質的な危険性を早くから指摘していた人物がいる。それがマルティン・ハイデッガー。

並み居る知職人たちが原子力の平和利用に傾いていくなかで、なぜハイデッガーだけが原子力の危険性を指摘できたのか。その洞察の秘密はどこにあったのか。

ハイデッガーの知られざるテキスト「放下」を軸に、ハンナ・アレントからギリシャ哲学まで、壮大なスケールで展開される、技術と自然をめぐる哲学講義録。3.11に対する哲学からの根源的な返答がここに。

著者について

國分功一郎(こくぶん・こういちろう) 1974年、千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。高崎経済大学を経て、現在東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専門は哲学・現代思想。著書に『スピノザの方法』(みすず書房)、『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社、増補新版:太田出版)、『ドゥルーズの哲学原理』(岩波現代全書)、『来るべき民主主義』(幻冬舎新書)、『近代政治哲学』(ちくま新書)、『民主主義を直感するために』(晶文社)、『中動態の世界』(医学書院)、『いつもそばには本があった。』(互盛央との共著、講談社選書メチエ)など。訳書に、ジャック・デリダ『マルクスと息子たち』(岩波書店)、ジル・ドゥルーズ『カントの批判哲学』(ちくま学芸文庫)などがある。『暇と退屈の倫理学』で第2回紀伊國屋じんぶん大賞、『中動態の世界』で第16回小林秀雄賞を受賞。

 

反原発運動に対する大きな声では言えない違和感と、ハイデガーの原子力時代への先見性と、筆者の注目する中動態とハイデガーの放下との親和性、この3つが筆者の足場であるようです。

面白く読み進められましたが、中沢新一とフロイトを経由してナルシシズムに落とし込んだところは「あれ? ここなの?」という感じです。

原子力への偏愛は失われた全能感の回復としてのナルシシズムだという負の烙印を押して、それからの脱却を熟慮するというのでは、結局、イカロスは罰せられて落下するという倫理的なお話の焼き直しにしかなりません。

ハッピーエンドを前提とせず、神の領域を侵すところまで、科学があるいは技術が驀進していくことは止められないのではないか? 

行けるところまで行ってしまうという吉本隆明の洞察を踏まえて、遺伝子操作による医療や生殖の問題とともに論じてほしかった。いったいどこで何を足がかりにして私たちは止まらなければならないのでしょう? あるいは止まる必要はない? イカロスは太陽に到達する?


アンダース、アレント、ハイデガーを参照して、「原子力利用の可否を考える哲学」の在り方を考究している。
とりわけ核兵器の悲惨に耳目が集まった1950年代に、ひとり核兵器よりも原発の方が人類にとってより危険だと指摘したハイデガーの認識方法を追求する。
そこに「放下」という方法論のあることをハイデガーが指摘していることに注目して、その方法論を解説していく。
原子力に次いでAIのような、人間の管理の限界を逸脱する恐れのある技術が現れつつある。
この本は、人間が管理を手放さないためにどうしたらよいかという方法論追及の営みを論じている。


読み始めたら、本書を一度も手から放すことなく、読み終えた。
読後感は、ハイデガーの思考への憧れを強くしたことにある。
原子力が主題になっているが、真の主題は思考、思惟であろう。

原子力の問題は材料でしかない、ように思えた。
原子力の問題を取り上げ、限界を彷徨うように、ハイデガーは思考について思考したのではないか。
それは反プラトニズム、反西洋哲学を語ることを通して、である。

ハイデガーが示す「放下」は、肯定でも否定なく、そもそも意志しないことであろう。
世界内存在として、自ずから世界に超越的に向き合う方途である。
著者が指摘するように「体験としての真理」へ向かう、歩みとしての思考でもある。

ハイデガーが論じる真理としての、開示性がある。
世界内存在としての自己が、自己を開き、世界を構成する存在者を明るみに出す。
そこでは、自己は、存在者を知る自己へと変容している。

自己と世界とは、相互構成なのである。
自己が世界を構成する存在者を明るみに出し、それを存在させる。
同時に、自己は世界を構成する自己として存在する。

そこには、主観も客観もない。
また、主体も客体もなく、実在もない。
自己と世界との一体的な構造のなかで、明るみとしての、世界と自己とを存在させるのみである。

こうして、「放下」は明るみの光が自己と世界とを照らし始めることを待つ行為だと言えよう。
表象や概念、先入見や常識、習慣や他者との関係にとらわれることなく、世界のなかに存在することなのである。
それは、『存在と時間』における先駆的決意性を欠いた、本来的自己の実存なのではないか。

プラトンから現代まで、近代科学も加わって、このような存在論的な相互構成の視点を見失ってきた。
そのため、原子力開発が始まり、津波が直接的な原因ではあるが、原子力発電所の事故を招いたことがある。
同様に、たとえばAIについても、その意味を深く問うことがなければ、危惧は高まるであろう。

原子力やAIなどの存在とは、何か。
その意味は何か、と問い続けなければならない。
それらの存在を可能にする条件、それらの必然性、それらが指示するもの、それらの価値は何か、と問い続ける。

本書は、原子力発電所の廃止に向けての、原子力の存在論となっている。
また、ハイデガーの存在論へのすぐれた案内の書でもある。

さらには、どこまでも深く思考すること、いつまでも思考し続けることの不可欠性をも示している。


著者は『放下』をテキストにハイデガーの技術論を取り上げ、原子力時代の哲学を論じる。ハイデガーには邦訳『技術について』(平凡社ライブラリー、講談社学術文庫)があり、原子力を論じるにはこちらのテキストの方が適している。
ハイデガーの技術論としては「ゲシュテル」(集立態・総駆り立て体制)が鍵概念である。人的資源・物的資源が大量生産のために総動員され、人間(現存在)は存在を見失う事態=「故郷の喪失」に陥り、存在を忘却する。この事態に対処するために、現存在は存在の「守護者(牧人)」として行動することが求められる。これが原子力時代における人間に求められる技術論である。
現在でも脱原発路線へ向けて世界各国が進んでいるが、無資源国日本がいきなり脱原発へ乗り出すのは困難な現状にある。ハイデガーの原子力時代における技術論は参考になる論点を含む。お勧めの一冊だ。また、故吉本隆明氏は『反原発異論』を著し、技術上の困難にどこまでも向き合う人間の努力の必要性を述べている。 こちらも参考になる本だ。本書を読んで、原子力に日本人がどのように向き合うべきかを考えたい。お勧めの一冊だ。



 
 


日蓮主義たち

2019年11月18日 07時01分15秒 | 社会・文化・政治・経済

日蓮その人は時の権力(鎌倉幕府)を批判したために弾圧を受けたのに対し、田中智学の政治主義は明治日本の帝国主義を肯定し、国体論的ナショナリズムと親和的なものだった。

ゆえに、日蓮主義は軍人や統治エリートのあいだで信奉者を増やすことができた。
だが一方で、御用仏教にすぎないという批判にもさらされた。
日蓮宗を国教とした天皇の国=日本が政治的かつ道義的な世界統一を果たすというヴィジョンは、国家の論理と信仰の純粋性を一応整合させているものの、かかる整合性は理屈の上でのものにすぎないことは明らかである。
しかし、思想史の面白さは、いったん生み出された思想がそれ自身の生命を持ち始めるところにある。

「現実の日本」と「在るべき日本」との乖離が大きくなるほど、日蓮主義者たちの国体観念は現実否定へと傾斜せざるを得なくなる。
戦前期昭和とはまさにそのおうな時代だった。
石原莞爾は、満州国を「王道楽土」にせんと熱望したものの、東条英機らとの権力闘争に敗れ、日中戦争拡大を防げず、ついに陸軍中枢を追われるのでる。
昭和ファシズムと最も鋭く対立した日蓮主義者は、創価学会の創立者たちである。

田中 智學(たなか ちがく、1861年12月14日文久元年11月13日) -1939年11月17日)は、第二次世界大戦前日本の宗教家。本名は巴之助。

10歳で日蓮宗の宗門に入り智學と称した。1872年明治5年)から田中姓を称している。その後、宗学に疑問を持って還俗し、宗門改革を目指して1880年(明治13年)に横浜で蓮華会を設立。

4年後の1884年(明治17年)に活動拠点を東京へ移し立正安国会と改称、1914年大正3年)には諸団体を統合して国柱会を結成した。

日蓮主義運動を展開し、日本国体学を創始、推進し、高山樗牛姉崎正治らの支持を得た。

1923年(大正12年)11月3日日蓮主義国体主義による社会運動を行うことを目的として立憲養正會を創設し総裁となった。

田中智学.jpg
田中智學(1891年)
田中巴之助
生地 武蔵国江戸日本橋
宗派 日蓮宗国柱会


石原 莞爾(いしわら かんじ、1889年1月18日 (戸籍の上では17日)- 1949年8月15日)は、日本陸軍軍人

最終階級は陸軍中将

世界最終戦論」など軍事思想家としても知られる。

 関東軍作戦参謀として、板垣征四郎らとともに柳条湖事件満州事変を起こした首謀者であるが、後に東條英機との対立から予備役に追いやられ、病気及び反東條の立場が寄与し戦犯指定を免れた。

日蓮主義

石原が田中智学国柱会に入会したのは1920年会津時代であり「兵にいかにして国体を叩きこむか」に悩んで、この時期、天皇主権を唱える筧克彦の『古神道大義』を読んだり、神道キリスト教仏教などを研究したが「ついに日蓮に到達」し、国体日蓮主義同一性を説く国柱会に入会した。

田中智学日露戦争の際に「日蓮主義は日本主義なり」と戦勝祈願し、以来国柱会は「日本は特別な価値ある国」として『日本書紀』と『妙法蓮華経』(法華経)が同一であるとしており、入信の動機もその国体論にあるが、伊勢弘志は、入会動機は教えより予言であり、対米悪感情と排他的教義への共鳴だとも考察している。

石原 莞爾
Kanji Ishiwara2.JPG
石原莞爾大佐(1934年)
渾名 帝国陸軍の異端児
軍事の偉才
生誕 1889年1月18日
日本の旗 日本 山形県西田川郡鶴岡
死没 1949年8月15日(60歳没)
所属組織 War flag of the Imperial Japanese Army.svg 大日本帝国陸軍
軍歴 1909年 - 1941年
最終階級 帝國陸軍の階級―肩章―中将.svg 中将
除隊後 立命館大学教授

 


 

宮沢 賢治
(みやざわ けんじ)
Miyazawa Kenji.jpg
誕生 宮沢 賢治
1896年8月27日
日本の旗 日本岩手県稗貫郡里川口村
(現・花巻市)
死没 1933年9月21日(37歳没)
日本の旗 日本・岩手県稗貫郡花巻町
(現・花巻市)
墓地 身照寺(花巻市)
職業 詩人童話作家

仏教法華経)信仰と農民生活に根ざした創作を行った。

1933年(昭和8年)9月21日、午前11時半、突然「南無妙法蓮華経」と唱題する声が聞こえたので家族が急いで二階の病室に行ってみると、賢治は喀血して真っ青な顔になっていた。

政次郎が「何か言っておくことはないか」と尋ねると、賢治は「国訳の妙法蓮華経を一千部つくってください」「私の一生の仕事はこのお経をあなたの御手許に届け、そしてあなたが仏さまの心に触れてあなたが一番よい正しい道に入られますようにということを書いておいてください」と語った。

没時年齢は満37歳。葬儀は宮沢家の菩提寺で営まれた。

18年後の1951年(昭和26年)、宮沢家は日蓮宗に改宗し、墓所は花巻市の身照寺に移された。また国柱会から法名「真金院三不日賢善男子」が送られた。

東京都江戸川区の国柱会には賢治の遺骨の一部が納められている。


日蓮主義とはなんだったのか

2019年11月18日 06時19分31秒 | 社会・文化・政治・経済
 
近代日本の思想水脈 単行本 

 

内容紹介

【担当編集ノート】
本書の著者の大谷栄一さんは近代日本における仏教と社会の関係、なかでも「日蓮主義」が果たした役割を若き日から30年近く精力的に研究してきた方です。

そのお仕事をこのたび大部の著作にまとめるお手伝いをするにあたり、編集者として感じたことを以下に記し、「刊行の主旨」「内容紹介」に代えるしだいです。
明治以降、内村鑑三、高山樗牛、宮澤賢治や北一輝などの思想家や文学者、満洲事変を主導した石原莞爾、血盟団事件の指導者・井上日召、「死なう団」の江川桜堂、創価学会創設者の牧口常三郎、新興仏教青年同盟の妹尾義郎など、さまざまな分野の多彩な人物が日蓮に傾倒しました。

作家にして浄土宗僧侶だった寺内大吉はその著書『化城の昭和史』において「極右テロリズムから左翼の守備範囲へまで浸潤できる日蓮思想……」と述べているくらいです。

いったい日蓮のどこにそんな魅力があるのか?

また多くのインテリの心をとらえた親鸞に比してなにが違うのか……?

帝国日本の勃興期にあって日蓮の「思想」をイズムとして編成することに成功した二大イデオローグが、国柱会創始者の田中智学と顕本法華宗管長で統一団を結成した本多日生でした。

二人とその支持者はいったいどのような国家像と社会のありようを求めていたのでしょうか。必ずしも日蓮主義はファナティックなものではありません。

もともとそれは法華経を文献学的に吟味することを認め、同時に教義に基づいた個々人の純粋な信仰(belief)を重視する点できわめて近代的、ある意味でルター的プロテスタンティズムに近いものであるとさえ言えるでしょう。

内村鑑三の信仰がJesusとJapanという「二つのJ」に支えられたものであったように、やがて日蓮主義の信仰はNichirenとNipponという「二つのN」の一致にこそ全世界を救う道があるという確信にいたります。

智学・日生以降の世代においてその回路がテロリズムや東亜連盟、仏教社会主義などのさまざまなかたちで「国家社会のあるべき姿」として「模索」されるのです。
いずれにせよ日蓮主義に顕著なのは強烈な「此岸性」「在家性」「能動性」です。

仏国土はこの地上にあり(娑婆即寂光)、人はそのために生きねばならない。

あの林先生ではありませんが、「仏の国は、いつ、どこに?」と自問して「今でしょ! ここに造るんでしょ!」と奮闘していくのが日蓮主義者であると言っていい。

その延長線上に敗戦後の創価学会の大躍進、公明党の結党が見えてくるでしょう(じつは田中智学も立憲養正会という政党をつくり、挫折しています)。つまり「日蓮主義」はいまでも生きているのです。本書は現代日本にまで伏流する思想水脈を問う渾身の一冊です。

内容(「BOOK」データベースより)

高山樗牛、宮沢賢治らの心をとらえ、石原莞爾や血盟団の行動を促した日蓮主義とはいかなるものだったのか?帝国日本の勃興期に「一切に亘る指導原理」を提示し、国家と社会と宗教のあるべき姿(仏教的政教一致)を鼓吹した二大イデオローグ=田中智学と本多日生の思想と軌跡を辿り、それに続いた者たちが構想し、この地上に実現しようと奮闘したさまざまな夢=仏国土の姿を検証する。

現代日本にまで伏流する思想水脈を問う大著

著者について

大谷 栄一
1968年、東京都生まれ。東洋大学大学院社会学研究科社会学専攻博士後期課程修了。博士(社会学)。

(財)国際宗教研究所研究員、南山宗教文化研究所研究員を経て、現在、佛教大学社会学部教授。専攻は宗教社会学・近現代日本宗教史。

明治期以降の「近代仏教」の展開や、現代の宗教者や宗教団体がおこなう社会活動、「地域社会と宗教文化」の関係を研究している。著書に『近代日本の日蓮主義運動』(法藏館)、『近代仏教という視座―戦争・アジア・社会主義』(ぺりかん社)、『地域社会をつくる宗教』(共編著、明石書店)、『人口減少社会と寺院―ソーシャル・キャピタルの視座から』(共著、法藏館)、『近代仏教スタディーズ―仏教からみるもうひとつの近代』(共編著、法藏館)、『日本宗教史のキーワード―近代主義を超えて』(共編著、慶應義塾大学出版会)、『ともに生きる仏教―お寺の社会活動最前線』(編著、ちくま新書)などがある。