ソフィア 京都新聞文化会議
2019年11月15日
京都の番組小学校は今から150年前、全国の学区制小学校に先駆けて、1869(明治2)年に64校創設された。岸田俊子(1861~1901年)は下京第十四校(修徳校)か第十五校(有隣校)、あるいは両方に通った子どものひとりであり、俊秀の児童としてたびたび表彰され、新聞にも報道されている。
やがて京都府知事の推薦により、昭憲皇太后に孟子を進講する宮中御用掛に抜擢(ばってき)され、地方特産物のひとつのようにして東京へと送り出されるが、1年半後に自ら辞職願を書いた。その後は結婚と破婚、母親と西へむかう長旅に出た、との言い伝えが縁者の記憶に残るが詳細は不明。
ふたたび新聞に登場するのは、土佐の高知の立志社にあつまる民権論者たちの動向を報じた新聞においてであった。民権演説のかたわらで女権演説をはじめると評判になった。
京都の北座で1883年10月2日に女子大演説会開催、おなじく10月12日、大津四の宮の演劇場で「函(はこ)入り娘」の題でした演説が、集会条例、出版条例と強化されつつある言論弾圧を諷(ふう)した内容であるとされて劇場から拘引(こういん)、未決監へ送られ、裁判で罰金刑が決まった。その一部始終もまた、全国に報道された。
わたしは34年前に、今年、文庫版になった『花の妹 岸田俊子伝 女性民権運動の先駆者』(岩波現代文庫、2019年9月)を『京都新聞』の朝刊連載小説として書いた。担当記者であった故中村勝さんはそのころ、「読者と共につくる新聞」という壮大な企画を考えておられた。
じっさい連載中に読者によびかけたところ、明治の学校教育の記憶、岸田俊子の演説をきいた言い伝え、書家として旅した俊子が残した揮毫(きごう)作品の数々の提供があり、日記帳も2冊別々に出現した。
バルザックやスタンダールといったフランス19世紀の小説家たちは、1789年のフランス大革命に遅れてきた青年として、大革命という社会変動と個人の運命を題材にした歴史小説を書いている。
個人は社会変動に翻弄(ほんろう)される存在であると同時に、個人の小さな声や行動が社会変動の大きな波をつくる。わたしは、岸田俊子の伝記をとおして、身分制社会をおわらせ近代国家を形成しようとした明治革命を考えてみたかった。
このたびの文庫本版は、気鋭の近代史研究家田中智子さんと和崎光太郎さんお二人が注をつけ、解説を書いてくださったおかげで、付注歴史小説という新しい読み物に生まれ変わった。歴史は生きているわたしたちが読むことにより、日々の更新をする。 (作家)