舛添 要一 (著)
内容紹介
ヒトラーはいまも生きている!
アドルフ・ヒトラー。20世紀最恐と言っていい暴君ですが、一方で彼が当時最も民主的な国家といわれた「ワイマール共和国」から生まれた事実を忘れてはいけません。
なぜ人びとは、この男を支持したのか。
悲劇は、止めることができなかったのか。
戦争中、ナチスに処刑されたユダヤ人はおよそ 600万人と推計されています。現代に生きる我々は、ホロコースト(大量虐殺)を知っており、どんなことがあってもこの男を許してはならない。ただ、歴史には必ず教訓がある。その汚点から眼を背けているばかりでは、現代のポピュリズムや排外主義を正しく恐れることができません。
ヒトラーについて書かれた本は無数にあります。いまも世界中で専門的な研究が進められている。しかし、難しい専門書を読みこなすのには手間も時間もかかります。ヒトラーについて手軽に読める入門書のような本があれば便利だ。そんな考えのもと、筆者が構想したのが本書です。
【編集担当からのおすすめ情報】
筆者が若い研究者としてドイツのミュンヘンに就いていたとき、下宿屋の主人が「ヒトラー時代が一番良かった」と言い、当時の写真アルバムを懐かしそうに見せたことに驚いたそうです。学者時代にナチズムを研究対象としていた筆者の原体験です。それから約40年。政治家を経て、ヒトラーを改めて見つめ直した筆者が、実体験を交えつつ、平易な言葉で、ヒトラーを解説しました。図版や写真も多く使用されており、入門書としてまず手にとっていただきたい一冊です。
内容(「BOOK」データベースより)
20世紀最恐の暴君アドルフ・ヒトラー。戦争中、ナチスに処刑されたユダヤ人は約600万人と推計される。現代に生きる我々はホロコーストを知っており、どんなことがあってもこの独裁者を許してはならない。一方で、ヒトラーが当時最も民主的な国家と言われたワイマール共和国から誕生したことを忘れてはならない。なぜ人びとは、この男を支持したのか。悲劇は止められなかったのか。歴史には必ず教訓がある。ヒトラーを正しく恐れるための入門書。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
舛添/要一
1948年福岡県北九州市生まれ。1971年東京大学法学部政治学科卒業。パリ(フランス)、ジュネーブ(スイス)、ミュンヘン(ドイツ)でヨーロッパ外交史を研究。東京大学教養学部政治学助教授を経て政界へ。2001年参議院議員(自民党)に初当選後、厚生労働大臣(安倍内閣、福田内閣、麻生内閣)、都知事を歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
いまヒトラーを語るワケ
舛添 ヒトラーとの出会いは、かれこれ40年以上前になります。学者時代、ドイツのミュンヘンで仕事をしていたことがありました。滞在していた下宿屋の親父と仲良くなって、ときどき、「おまえ、お茶でも来い」と呼ばれるわけです。
その親父がアルバムを持ってくるんですよ。聞くと、「これはヒトラーの時代のアルバムだ。俺の人生の中で、この時代が一番よかった」というわけですよ。私には、ユダヤ人虐殺(ホロコースト)、アウシュヴィッツ強制収容所というイメージでしか、ナチスを捉えていなかったから、この親父は何てことを言うんだろうなと思いました。
適菜 戦前を知るドイツ人にとって、ヒトラー=絶対悪とは限らなかった。
舛添 そうです。それどころか、神格化している国民がいるわけです。ヒトラーを生んだワイマール共和国は、その当時、世界で一番民主的な憲法をもっていると言われていました。選挙制度をみても、日本では第二次大戦が終わってから女性は選挙権を持ちましたが、当時のワイマール共和国には既にありました。
では、世界一民主的な憲法を持っている国でなぜヒトラーは生まれたのか。しかもクーデターではなくて、完全に自由な選挙をやって第一党に選ばれています。さきほどの親父の言葉もそうですが、なぜヒトラーに人びとは従ったのか、について研究したいと思いました。
「個人」と「大衆」
舛添 その答えは、拙著『ヒトラーの正体』に詳しく書きましたが、大きな要因の一つは経済対策です。
第一次大戦の責任をドイツはベルサイユ条約によって負わされました。多額の賠償金と再軍備の禁止が課されたドイツは、経済状況が落ち込み、インフレも留まることをしらない。パンの値段が一日で倍になるような状況のなか、国民の不満は溜まっていきます。
そうした不満を経済対策などによって解消したのがヒトラーだったんです。
高速道路アウトバーンの建設などを通じて、公共事業を創出したことは有名ですね。600万人いた失業者を、政権を獲ってたった3年で完全雇用に近い状態までもってきたことは功績と言ってもいいでしょう。ベルサイユ条約で、多くの領土をとられ、自尊心も傷つけられていた国民にとって、ヒトラーは救世主に映ったことでしょう。
適菜 仰るように経済的な要因はとても大きいと思いますが、なぜワイマール体制でナチスみたいなものが生まれたかという疑問に即せば、むしろワイマール体制だからナチスが出てきたという側面もある。まずはこのあたりから考えていきたいと思います。
ナチスの独裁は、きわめて近代的な現象です。近代革命により階層社会やギルド、村落共同体が崩壊した結果、社会的紐帯は消滅し、人々は自己を喪失してしまう。
舛添さんのこの本でも紹介されていたエーリヒ・フロムの『自由からの逃走』には「自由は近代人に独立と合理性とをあたえたが、一方個人を孤独におとしいれ、そのため個人を不安な無力なものにした。この孤独はたえがたいものである。かれは自由の重荷からのがれて新しい依存と従属を求めるか、あるいは人間の独自性と個性にもとづいた積極的な自由の完全な実現に進むかの 二者択一に迫られる」とあります。
近代は判断の責任を引き受ける「個人」と同時に「大衆」を生み出した。彼らは、共同体から切断され、不安に支配された人々です。彼らは自由の責任に耐えることができない。そして、自分を縛り付けてくれる権威、疑似共同体を求めるようになる。この「大衆」が存在しなければ、全体主義は発生しません。
舛添 そうですね。
適菜 前近代的な専制と独裁は違います。専制は前近代において身分的支配層が行なうものであり、独裁は近代において国民の支持を受けた組織が行なうものです。つまり、暴君が上から下に向かって権力を振るうのではなく、上と下が一体化し、大衆運動として、全体主義は進行していきます。
孤独な群衆
舛添 かつてアメリカの社会学者デイヴィッド・リースマンが「孤独な群衆」という言葉を使いましたが、孤独な群衆の「結局さみしい」「誰かと一緒になりたい」という心情に、独裁者の言葉は響くのだと思います。
では現代に「孤独な群衆」はいないのか。否、ここにきて急激に増えているのではないか、というのが私の見立てです。
トランプ大統領誕生にも、そうした人びとが熱狂的に支持したという背景があります。アメリカのさびついた工業地帯(ラストベルト)は、もともとキリスト教の信仰が非常に厚くて、コミュニティもしっかりしているところでした。しかし、石炭産業が廃れ、自動車産業をはじめとするメーカーがいなくなって、白人の失業者が増えていった。飯も食えない人びとは、不満を滾らせ、ドラッグに染まっていきます。
そんなコミュニティが崩壊した状況下に、トランプが現れた。「あなたたちが苦労しているのは、あなたたちのせいではない。移民が増え、中国から安い製品が来るからだ」といったセリフを連呼し、熱狂を生んでいきました。ヒトラーが、経済恐慌の原因を、ベルサイユ条約を押しつけた連合国や、ユダヤ人に求めたのと相似します。
適菜 今の話にひと言付け加えると、大衆=労働者や貧困層ではないということです。庶民という曖昧な概念とも違います。私が「大衆」という言葉を使うと、「適菜は上から目線」「大衆を差別するのか」と言われたりもしますが、まったく逆なんです。階層社会の消滅により、「上から目線」が成立しなくなったのが近代です。
N国はなぜ成功したか
舛添 そうですね。そうした大衆を、いかに政治に目を向けさせるか。平成以降の政治のテーマは、そのひと言に尽きると思います。アメリカだけでなく、日本もそうです。
先日の参議院選挙では、「NHKから国民を守る党」(N国)とれいわ新選組(れいわ)の躍進が注目されました。国会議員をやっていた立場から見ると、よく議席とったなぁと感心せざるをえない部分があります。
私も自民党を出て「新党改革」という新しい党をつくったことがあります。参議院で1議席とるために、100万票要るんですよ。実際にやってみるとわかるんですけども、その100万票取るのがいかに大変か。
シングル・イシューと既得権攻撃
舛添 次に政党要件を揃えないといけません。国会議員5人以上いればいいんだけども、それ以下だと、直近の選挙で一定のパーセンテージとらないといけません。両党はそれをクリアした。
それは、大衆からの支持あってのものだと思います。では、その手法をつぶさに分析する際、どうしてもナチス党の選挙運動と比較したくなります。誤解してほしくないですが、れいわやN国に、ユダヤ人迫害を連想させるような差別意識があるというわけでは決してありません。あくまで手法に関しての分析です。
N国のやり方は、シングル・イシュー・ポリティクスに尽きると思います。つまり、単一相対主義です。NHKをぶっ潰す――。このスローガンにすべての政治的主張を集約しました。ヒトラーは、政権奪取前、「ベルサイユ条約をぶっ壊す」というスローガンで、国民の支持を得ていきました。あえて主張を減らし、しかしそれを繰り返すことで、効果的な選挙戦を展開しました。
適菜 N国の手法は、ヒトラーと同じ既得権攻撃です。わかりやすい敵をつくり出して攻撃し、社会にたまっている鬱憤やルサンチマンを集約していく。「NHKをぶっ壊す!」というフレーズも、20年近く前の小泉純一郎の「自民党をぶっ壊す!」の二番煎じです。既得権を叩くことにより、新しい利権を狙う。あの手の連中が繰り返していることは同じです。
舛添 ヒトラーは、そうした手法を『わが闘争』のなかで、「大衆の受容能力は非常に限られており(中略)効果的な宣伝は、重点をうんと制限して、そしてこれをスローガンのように利用」することだと断言しています。
参院選では、そうした手法が現代でも、そして日本でも有効だということが改めて証明されました。立憲民主党や国民民主党のスローガンより、よっぽど人びとの印象に残ったに違いありません。その後、丸山穂高ですとか、渡辺喜美までリクルートされてしまったことには驚きましたが。
適菜 渡辺喜美の行動原理はカネの匂いがするところに近寄るだけ。あれはあれでわかりやすい。
舛添 なるほど。次にれいわです。山本太郎は、私は左のポピュリストだと思っています。
彼らの主張をざっと並べてみましょう。最低賃金1500円、奨学金返済免除、消費税廃止、所得税や法人税の累進課税、財政出動、野宿者支援・・・・・・。こうした主張に通底するメッセージは明確です。国民を飢えさせない。ヒトラーが初期に言っていた条件に非常に似ています。
れいわは右か、左か
舛添 ナチスは右翼政党のように日本人に思われていますが、違います。そもそもナチスはドイツ人がそう呼んだわけではなく、敵陣営による蔑称です。ジャパニーズをジャップと呼ぶようなものです。正式にはナチオナールゾチアリスティッシェで、「国家社会主義」という意味です。ドイツ国民のための社会主義といったところでしょうか。具体的には、日々労働に従事する一般大衆のための政党を意味します。
適菜 今、舛添さんが、山本太郎は左だと仰いましたが、反新自由主義、反グローバリズム、反構造改革という点においては、保守的な要素がかなり強いと私は見ています。「もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました」と言い放ち、国家の根幹を破壊し続ける安倍政権に比べたら、本質的に保守的な主張をしているのは山本太郎ではないかと思います。ポピュリズムという観点から、れいわとN国を並べて論じるメディアは多いですが、私は違うと思っています。
舛添 なるほど、その指摘は、とても興味深いですね。
適菜 反構造改革、反グローバリズムを全面に打ち出しているという意味で、私はれいわに期待している部分もあります。平成の30年にわたる構造改革が今の日本をダメにしたと考えるなら、やはりその反省が出てきたということだと思います。 現代