内容紹介
地域の覇権を獲得しようとするサウジアラビアの
他国への干渉や国内における人権問題を、
米国が非難することはない。
また、パレスチナ問題においても、
「イスラムの盟主」を任ずるサウジアラビアが、
米国に異を唱えることもない──。
「反イラン」を軸に形成される“黒い同盟”。
その特殊な関係性の内実を読み解く。
内容(「BOOK」データベースより)
地域の覇権を獲得しようとするサウジアラビアの他国への干渉や国内における人権問題を、米国が非難することはない。また、パレスチナ問題においても、「イスラムの盟主」を任ずるサウジアラビアが、米国に異を唱えることもない―。「反イラン」を軸に形成される“黒い同盟”。その特殊な関係性の内実を読み解く。
著者について
1955年山梨県生まれ。現代イスラム研究センター理事長。83年慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻修了。米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学院修士課程(歴史学)修了。専攻はイスラム政治史、国際政治。
『現代イスラムの潮流』(集英社新書)、『中東がわかる8つのキーワード』(平凡社新書)、『物語 イランの歴史』『中東イスラーム民族史』(いずれも中公新書)、『石油・武器・麻薬』(講談社現代新書)、『イスラムの人はなぜ日本を尊敬するのか』(新潮新書)、『ナショナリズムと相克のユーラシア』(白水社)など著書多数。
著者の宮田氏は中東情勢にかなり詳しい方ではあるようだが、とにかく文体と文章の流れが悪く、急に別の国の話になったかと思えば、また前章の内容の続きに戻ったりしており、ブツ切れの話が延々に続く。読者への配慮があまりないと思われる文章で読みにくくてなかなか進まない。
同じ分量を同じテーマで読むのならば、若干イデオロギー的な偏りはあるが、高橋和夫氏の『イランvs.トランプ』(ワニブックス)をお勧めする。高橋氏の著作の方は分かりやすく流れがつかみやすいが、『黒い同盟』は大変読みづらい本である。
本書の趣旨はどちらかと言えばサブ・タイトルに近く、アメリカを中心としたサウジアラビア・イラン・イスラエル・トルコ・シリア又は中東地域を取り巻く現況及びこれまでの歴史的背景或いは政治的・軍事的変遷であり、
本稿レビュー・タイトルに言うような中東の“混迷”又は“混沌”の政治・軍事的状況の現代史と見るべきだろう。「商品の説明」には、「『反イラン』を軸に形成される“黒い同盟”。
その特殊な関係性の内実を読み解く」とあるが、その本質はサブ・タイトルにある「米国、サウジアラビア」を中心とした現代史にあると言って良い。
具体的には「911」事件前後から一部では囁かれていたサウジアラビアの政治的立ち位置を主題論旨として、先ずは昨年10月の在トルコ(イスタンブール)のサウジアラビア総領事館での同国人ジャーナリストの殺害事件から紐解くが、前半部の論旨の錯綜?を観ると些か本書一冊だけでは詰め込み過ぎではないか?との印象も覚える。
本書は前記「殺害」事件(「はじめに」)を皮切りに、湾岸戦争、イラク侵攻、“911事件”前後の諸国間の関係性変遷等、アルカイダ、アフガニスタン侵攻、パキスタン関連事情、IS、シリア内戦、イラン核問題等のほか、これらにまたがってイスラエル紛争(パレスチナ紛争、ヨルダン川西岸・エルサレム東地区問題等)、
いわゆる「アラブの春」(民主化紛争)迄もトピックとしており、私見を言えば中盤まで(4章終りまで)は些か論旨・論脈の把握に苦労する考察(特にサウジアラビアに関する政治的歴史性・外交的戦略性の錯雑)が続くなど、私の理解力不足は否定しないが些か混乱すら覚える論旨もある。
例えば「米軍が1952年から96年まで使用したサウジアラビア東部のダーラーン基地は、中東における米軍の兵站の中心となり…
湾岸戦争で重要な役割を果たした」(66頁)とある一方で、「サウジアラビアには、イスラエルとの同盟関係を強調する米国と軍事的に親密な姿勢を見せることはとうていできなかった…
親米路線とアラブ・イスラム世界にある反米感情の間での舵取りをしなければならなかったが、その姿勢は既述の1973年の米国などに対する石油禁輸にも表れた」(75~6頁)とあって、それだけ事実関係に錯綜があったと観ることも出来るが、同時期のサウジアラビアに対する著者の理解・把握に整合性が見えにくい論旨とも受け取れる。
後半(5章以降)のトピックでは、現実的・歴史的にも、イラン・シリア等とサウジアラビア・アメリカとの対立軸が明確化することもあって、著者の論旨も宗教的教義に留まらず政治的・内在的問題(民主化等)、オイル・マネーと利権、中東世界における安全保障政策に係る武器需要と供給等、これらの総合的な利害関係の一致等に表象される『黒い同盟』の本質が整然と明らかにされていく論旨である。
但しここまでの折角の検証的論旨も『黒い同盟』に対する単調な“批判”に留まり、中東のあるべき状況又は安全保障上・国際軍事的力学上の多種多様な問題を抱えるこの地域に石油の多くを依存する日本の外交政策等については、「米国が強調する脅威については慎重に構えたほうがいい」(257頁)、又は「日本は米国の、特に中東での戦争を冷静に見つめてほしい」(263頁)等とするだけで建設的な提案は見えない。
尤も、中東を巡るオイル・利権、宗教的教義上(イデオロギー)からの政治的・軍事的対立、イスラエル建国も併せた欧米等の関与・紛争等は今に始まったわけではなく、限られた言葉で単純に語り尽くせる次元にはないと言うべきだろう。
そうした意味では、本書における中東和平の現実的困難性(現状の錯綜・錯雑性)を窺わせてくれる副次的効果は評価される。