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人気ユーチューバーに15歳少女と淫行疑惑 所属事務所が声明「誠意を持って対応」

2021年07月06日 22時00分07秒 | 事件・事故

7/6(火) 16:59配信

東スポWeb

 登録者数121万人(6日現在)を誇る、人気ユーチューバーに未成年淫行疑惑が浮上し、所属事務所が声明を発表する事態となっている。

【写真】炎上ユーチューバー三人衆

 発端は4日の告発系ユーチューバー・コレコレ氏の生放送。ネット上で活動するAさん(16)がユーチューバーコンビ「みきおだ」のみっき~(25)と“関係”を持ったとして、詳細を聞かされていたAさんの友人からコレコレ氏にタレコミが寄せられたという。

 Aさんは同放送に電話出演。真偽を問われ「一応事実です…」と返答した。Aさんによると、みっき~とはツイッターを通じて知り合い、当時15歳だった今年2月、みっき~から誘いを受け自宅を訪れた。未成年であることはプロフィルで公表しており、みっき~から「本当なの?」と尋ねられ、自ら証拠として保険証を見せたとも明かした。

 Aさんはみっき~の家で一緒に酒を飲んだ後に関係を持ったという。関係は1度きりで以降は連絡が来ることはなかったようだ。

 これを受けて所属事務所「toridori」は5日、「所属クリエイターに関するご報告とお詫び」と題した声明を発表。

 同社は「多大なるご心配とご迷惑をおかけしておりますことを心よりお詫び申し上げます」と謝罪。

 現時点では事実関係を確認中とのことだが、明らかになり次第「迅速かつ誠意を持った対応を行い、速やかにご報告させて頂ければと存じます」とした。

 みっき~は今月1日、活動休止を突然発表。理由は明らかにしていなかったが、期間は1週間としていた。コメント欄では「この件はごめんなさいじゃすまない」「1週間で戻るつもりだったのか」と批判が殺到している。

 コレコレ氏のもとに被害女性が直接連絡を取り、悪事がバレるケースで言えば、元人気ユーチューバーのワタナベマホトが記憶に新しい。元欅坂46・今泉佑唯との結婚発表直後の1月下旬に、コレコレ氏のチャンネルで未成年淫行が発覚。マホトは児童買春・ポルノ禁止法違反(製造)罪で逮捕され、4月に略式起訴されている。

東京スポーツ
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三浦瑠麗氏がワクチン接種後の“世界”に言及「陽性者数より重症者数を基軸に報じるべき」

2021年07月06日 21時57分36秒 | 医科・歯科・介護

7/6(火) 12:49配信

東スポWeb

三浦瑠麗氏

 国際政治学者の三浦瑠麗氏(41)が6日、ツイッターで新型コロナワクチン接種が進んだ後のコロナ対応を提言した。

【写真】肩出しドレス姿の三浦瑠麗氏

 三浦氏は国民の60%ワクチン接種を済ませたイスラエル国内で、インド由来のデルタ株の影響で感染が拡大する一方で、重症化を防ぐ効果が93%という高水準だったとの報道を引用。

「こんなデータも出てきましたから、ワクチン接種が進んだのちは、PCR検査陽性者数ではなく、重症者数を基軸に報じるようにすべきですよね。また、在宅での医療提供体制を構築すべきです」と連日の感染者数報道から、重症者を中心に報じるべき、と提言した。

 同じくワクチン接種が進む英国でも感染者数が増える一方、死者数は増えていないことから、19日から新型コロナの行動規制を撤廃する方針を表明している。

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ワクチン接種後に死亡355人…因果関係は本当にないのか?

2021年07月06日 21時41分33秒 | 医科・歯科・介護

7/6(火) 13:50配信

日刊ゲンダイDIGITAL

国民はリスクも知りたい(C)共同通信社

 今年2月から始まった新型コロナウイルスのワクチン接種。これまでに350人以上が接種後に亡くなっているが、とうとう接種直後に急死する事態が起きてしまった。

若い世代に広がる「ワクチン打ちたくない」 警戒心の背景に集団接種未経験

■高知では直後に悲劇

 高知県南国市の集団接種会場で4日、60代の男性が接種直後に倒れ、搬送先の病院で死亡した。県内で接種後に死亡したのは5人目だが、接種当日の死亡は初めてだ。

 南国市の集団接種はファイザー製を使用。少しでも副反応を減らすため、他の会場同様、細心の注意を払っている。市民への説明書には接種不可や要注意の人について、詳細に例示している。接種者は当日、予診票を提出し、医師の予診を受け、接種する。接種終了後は15~30分の経過観察で問題なければ、帰宅できる。男性は経過観察中に倒れてしまった。

 日刊ゲンダイの取材に対して、南国市は「公式には公表していません」(総務課)と答えた。

 6月23日の厚労省の専門部会の資料によると、今年2月17日から6月18日にワクチン接種後の死亡は355人に上る。接種が先行している65歳以上が9割を占め、心不全、出血性脳卒中、心肺停止が主な死因だ。

 驚くのがワクチン接種との因果関係だ。厚労省の専門家は6月13日までの277例を評価。ワクチンと症状名の因果関係について〈認められない〉が5件、〈情報不足などにより評価できない〉が275件、〈否定できない〉は、なんと0件だ(3症例は評価が分かれ、総数が一致しない)。

 厚労省は因果関係はないと判断しているようだが、本当なのか。医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏が言う。

「ワクチン接種の翌日から数日後に死亡するケースが集中しています。もし、持病がある人がたまたま接種後のタイミングで亡くなっているのであれば、ここまで偏らないはずです。接種と死亡に何らかの因果関係がある可能性は否定できません。厚労省がすべきことは、実態を調べて、最新のリスク情報を公開し、ワクチン接種による死亡を極力少なくすることです。因果関係を一切認めずに、次の対策に生かそうとしない姿勢を貫けば、信頼が失われるだけです」

 国立精神・神経医療研究センターなどの調査によると、約11%がワクチン接種を受けたくないと考えている。原因があやふやなまま接種後の死亡が続けば、ワクチン離れが加速する可能性がある。ワクチンとうまく付き合うためにも、355人の死から学ぶことはたくさんあるはずだ。

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最前線でコロナと闘う医療従事者が見た〈現実〉。ワクチン接種はパンデミックを終わらせるか

2021年07月06日 21時35分48秒 | 医科・歯科・介護

7/6(火) 18:31配信

婦人公論.jp

感染予防管理のスペシャリスト坂本史衣さん(左・撮影:本社写真部)と医師・作家の夏川草介さん(右・写真提供:小学館)

新型コロナウイルス感染症との闘いは、はや1年半を過ぎた。最前線でコロナと闘う医療従事者の苦悩を描いた小説『臨床の砦』を緊急出版した医師・作家の夏川草介さん。感染拡大の初期から患者を受け入れている、東京都内の病院の感染予防管理のスペシャリスト・坂本史衣さん。最前線で働く2人が、逼迫する医療現場の現状と、今後の見通しについて語り合った(構成=平林理恵)

【写真】コロナ病棟に入る前に、指さし確認する医療従事者

* * * * * * *

◆ダイヤモンド・プリンセスの患者が

夏川 私は、長野県にある消化器系を中心とした200床弱の小さな病院に勤務しています。私自身は消化器内科が専門で、院内に呼吸器の専門家は一人もいません。にもかかわらず、「感染症指定医療機関」だったために、2020年2月、クルーズ船(ダイヤモンド・プリンセス号)の患者を受け入れることになりました。

以来、感染症についての知識や経験のないスタッフが手探りの状況で、奮闘を続けています。地域唯一の指定医療機関ですから、37度を超える熱があれば、患者は骨折だろうと膀胱炎だろうとすべて当院へ送り込まれてくる。とくに第一波から第三波にかけての発熱外来は地獄のような様相でした。

坂本 私が勤務している東京都中央区の聖路加国際病院では、感染症科、呼吸器科、一般内科、救急部、集中治療科、産科と小児科で新型コロナの診療を手分けし、私は病院全体の感染予防管理を専門に行っています。

クルーズ船の感染者が来る前、外国人観光客のなかに何人か感染者が出たときが新型コロナとの出合いです。本格的な波がやってくる前にこの病気への対応をシミュレーションすることができたのは幸いでした。

初めは手探りでしたが、事務系のスタッフも含めてみんなで知恵を出し合いながら診療を始め、小さい村が大きな町になるみたいに体制の規模を拡充していきました。

夏川 なるほど。現場が回っていかないような逼迫した状況にはならないで済んだのですね。

坂本 はい。ただ、第一波のときは多少の混乱がありました。当時、中央区でコロナに対応している大きな病院は当院だけだったのですが、区内で発生した患者は区内ですべて対応せよということだった。でも、とてもじゃないけれど1つの病院では無理です。もういよいよ限界というところで、ようやく東京都が司令塔になって患者さんを都内の病院間で振り分けるようになりました。

◆第三波で「医療崩壊」が起きた

夏川 私の勤務する病院では、20年の年末から21年の始めにかけての第三波のときに感染爆発が起き、現場の実感としては「医療崩壊」していました。

小説『臨床の砦』には基本的にそのときに体験したことを書きましたが、当然ながら、現実そのままではありません。どちらかというと現実は小説よりももっと酷かった。本を書くときは、必ず希望を残したいと考えているので、あえてそうしました。

坂本 東京の現状に関して言うと、第四波では、大阪の大変な状況を見て、5月の連休前に先手を打って緊急事態宣言を出したことがよかった。その判断で医療現場はかなり助かっています。

でも、感染力の高い変異株が流行しているし、オリンピックで人の移動が増えることを考えると、今は何とか感染を抑え込んでいる状態なので、蓋を開けたら一気にリバウンドする心配はありますね。

夏川 私のところも、第四波に入ってからは協力病院が増えたこともあって、状況は第三波のときよりも改善されています。一方で、患者さんの症状の悪化のスピードは変異株のせいで速くなり、若年化も進んでいる。多くの患者さんに「レムデシビル」などの治療薬を使わなくてはならない。これは重症度の高い患者さんが増えていることを意味しています。

重症化したら高次医療機関に送ることになっていますが、今そちらがいっぱいいっぱい。よほどの状況にならない限り、当院で最後までがんばることになります。非常に厳しい緊張感に満ちた毎日が続いています。


創作 人生の設計 9)

2021年07月06日 15時51分23秒 | 事件・事故

気付けば、カラス窓の外が明るんでいた。
二人はとうとう一睡もしないで語り明かす。
午前5時洗面所で顔を洗う。
彼女は鏡に向かい昨日の厚化粧を落としていた。
看護現場では、昨夜のような付けまつげはダメだろう。
素顔の彼女に「可愛い」と改めて見つめると、「そんな愛玩するような目は、女の人に誤解されるわ」口角を上げて微笑む。
笑顔が似合う人だった。
「男の人を泊めたことが、大家さんに知れたら困わ。駅で会いましょう。先に部屋を出て、少し歩くけど、多摩川か亀甲山へでも散歩に行ってきたらどう」
「亀の子山ですか?」
「少し家の前の道で待っていてね。私も散歩に行くわ」
15分ほど待つ。
昨日は赤いハイヒールだったが、黒いハイヒールだった。
昨夜は赤のミニスカートだったが、今朝はロングのスカートで黒で、トックリのセーターは白、小さなバックも白。
彼の姿を見て、両手でスカートの端を持ち、膝を曲げて挨拶する。
亀甲山は多摩川沿いの丘陵地であり、うっそうと木々が山全体を覆っていた。
あじさいが満開であった。
「あじさいは、深いブルーが一番ね」彼女は大きな花の房に触れた。
犬を連れた夫婦と想われる人に出会う。
彼女は「犬何歳なの、可愛い」と柴犬の脇にしゃがみこむ。
「2歳よ」と60代と想われる婦人が微笑む。
彼女は唇を子犬の口に寄せるようにした。
子犬は尻尾を振って彼女に身を寄せるので、彼女は抱き締めるようにした。
男の人は「行くぞ」先に歩いて行く。
「私ね。実家に居た時。犬が唯一の慰めだったの」遠ざかる犬の姿をずっと見つめていた。
「眠いのでしょ。死にそうな顔をしている」
だが、彼女は一睡もしていないのに、爽やかな笑顔を絶やさなかったのだ。
電車は早朝なので田園調布駅から座ることができた。
二人は身を寄せるようにして、しばしの時間眠りに陥る。
「あなたの、出勤は何時」
「9時です」
「時間の調整ね。休憩しましょう」
目黒駅で下車して出て、喫茶店でモーニングセットを注文した。
時間を調整してから、彼は地下鉄で赤坂の職場へ。
彼女はお茶の水駅の大学病院へ向かった。


亀甲山古墳について

横から見た形が亀に似ていたことから名づけられた全長107メートルの多摩川流域最大の前方後円墳。4世紀後半に造られたとされ宝莱山古墳についで築造された首長墓として国の史跡に指定されており区内では最大の古墳。
現在多摩川台公園は公園となっている。


創作 人生の計算 8)

2021年07月06日 12時58分38秒 | 創作欄

久岡武雄は部屋の片隅に置かれた小さな本棚に目を転じた。
そこにシモーヌ・ド・ボーヴォワールの『第二の性』があった。
彼は、ボーヴォワールを知らなかった。
津山典子の志向を知る糸口が、そこのあることを彼は感じた。
「ボーヴォワールは、本で何を訴えたのですか?」と聞いてみた。
「ボーヴォワールはサルトルと別居結婚したの。私も結婚するなら、別居結婚もいいな」
意外な答えであった。
「この人は、何かを秘めれている」と彼は想ってみた。
「尼寺へ入ってみたいな、と高校生の時に思ったの。そんな時に本屋さんでボーヴォワールの『第二の性』が目にとまったの」
尼寺は彼が育った地域にもあって、好奇心から門に佇み様子を窺ったことがある。
彼が高校生の頃のことで、若い尼の後姿に何か切ないものを感じたのだ。
腕時計を確認すると、午後12時を過ぎていた。
「徹夜で語り明かす?眠くなれば寝てもいいけれど・・・布団は一つしかないの」
「どちらでも」彼は津山典子とは一緒に寝れないと心を決めていた。
「あなたは、女性をどのように想っているの。聞かせて」
「大学時代にとても、興味がある同期生の女性がいて、サークル内でも一度も発言したことがなくて、この人は何を考えているのか気になってのですが、一度も話しかけられなかったですね」
「どんなサークルなの」
「近代文学研究会で、主に明治、大正の文学について銘々が論じあってましたね。指導するのは元プロレタリア作家で評論家で、田端の文学村のメンバーの一人だったようです」
「そうなの」津山典子はあまり関心を示さなかった。
「女性論に興味が湧いてから、近代文学を熱心に読みました」
「女性論?」少し彼女は関心を示す。

実は、久岡が大学2年の時、後輩の河田洋二郎に勧めれて「明治文学女性論」を書いた。
それは400字詰原稿用紙で780枚もにもなった。
「先輩、凄い分量になりましたね。読むので預からせてください」
「ああ、いいよ」と手渡す。
だが、河田はその原稿を自分の原稿が入った紙袋とともに、東海道線の車内の網棚に乗せたままと戸塚駅で下車してしまう。
彼は慌てて駅員に届けたが、原稿は出てくることはなかった。
「先輩、本当に申し訳ありません」彼は恐縮しきりで頭を下げ続けたが、久岡は何故か咎める気はなかった。
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参考:ボーヴォワール 「第二の性」

女は男の奴隷ではないまでも、つねに男の家来であった。
男と女が世界を平等に分かちあったことは一度もない―。
女の運命と存在を広く検証し、自由の獲得を説く。
歴史がいかに女を「第二の性」にしたか、その支配装置を徹底的に解明。
女性の可能性を大きく開く。
人生を愛し、ポジティヴに生きる男と女の必読書。

女とは何か。女と男とはどう違うのか。なぜ歴史の初めから男女という性別に序列がつけられ、女は男より劣った性“第二の性”とされているのか。
男たちは法と慣習を通じて、歴史的にどう女の地位を決定したのか―女性を文化人類学、心理学、哲学、神話学、文学といった様々な角度から分析し、女性の置かれている立場を明快に解説した女性論の古典を、現代の感覚で新訳する。

ボーヴォワール
フランスの作家、思想家。パリの上流家庭に生れ、ソルボンヌ大学で哲学を学ぶ。女子高等中学校で教鞭をとった後、1943年、小説『招かれた女』の成功で作家生活に入る。’49年、実存主義の観点に立つ画期的な女性論『第二の性』を著し、世界的反響を呼ぶ。

終生のパートナー、サルトルとともに、反戦・人権擁護の運動で精力的な言論活動を展開した。’70年以降、フランスの女性解放運動に積極的に参画、大きく貢献した。主な著作に、『他人の血』『レ・マンダラン』『老い』、自伝4部作(『娘時代』~『決算のとき』)等がある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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参考:田端文士村
中心人物である芥川龍之介や室生犀星らが田端の地に暮らす。
1926年(大正15年)に田端文士村から一つの雑誌が登場した。『驢馬』という雑誌である。中野重治、堀辰雄、窪川鶴次郎、西沢隆二ら室生犀星の弟子というべき作家・詩人らによって作られた。編集や打ち合わせは田端の高台のとある一室で行われていた。
創刊号には芥川や小穴隆一らの俳句も乗り、まさに田端文士村の文士が結集した本であった。驢馬は1928年(昭和3年)まで続いた。

 

 

 


七夕の由来は中国の詩歌! どんなエピソードとして伝わってる?

2021年07月06日 11時34分10秒 | 社会・文化・政治・経済
 
星空
東京ガス ウチコト | 家のコトで役立つ「東京ガスくらし情報サイト」
 
七夕と言えば、「織姫と彦星が1年に1度、天の川を渡って逢瀬を交わす」というエピソードが有名ですね。

実はこのエピソードの由来は、中国最古の詩集「詩経」にさかのぼります。日本でいう織姫「織女(しょくじょ)」と彦星「牽牛(けんぎゅう)」の名前がここで初めて登場します。その後、中国の六朝時代の詩集「文選」の「古詩十九首」になって悲恋の要素が加わったそうです。

中国の「七夕伝説」の内容とは?

「織女」は「天帝」という神の娘。神々の着物を織るのが仕事で、恋人も作らず働く姿を見た天帝は、天の川の対岸に暮らす真面目な牛飼い「牽牛」を引き合わせました。やがて2人は結婚します。

その後2人は働かず、遊び呆けるばかり。おかげで神々の着物はボロボロになり、牛は病気になってしまいます。怒った天帝は、2人を天の川の対岸に引き離してしまい、年に1度だけ会うことを許すようにしたそうです。

日本にはいつ入ってきた?

中国から日本に七夕のエピソードが伝わったのは、奈良時代。乞巧奠(きっこうでん)という行事が宮中で行われ、星を眺めたり、詩歌を楽しんだりしていたそうです。

江戸時代には、「七夕(しちせき)の節句」として五節句の一つに数えられ、庶民の間にも広まって行きました。

それぞれの時代、七夕はどういう形へと変化していたのでしょうか? 以下で詳しく説明していきます。

「たなばた」という呼び名の由来は? 日本の七夕行事の原型

機織り
PIXTA
なぜ、中国伝来の「七夕(しちせき)」が日本で「たなばた」と呼ばれるようになったのでしょうか。

実は日本でも現在の七夕行事に結び付く「棚機女(たなばたつめ)」という伝承があります。これは「棚機女」と呼ばれる乙女が水辺の「機屋(はたや)」で神のための着物を織って供え、豊作を祈るというものです。その織り機の名前が「棚機(たなばた)」でした。

中国伝来の七夕伝説が「棚機女」と融合し、「七夕(しちせき)」の漢字に和語の「たなばた」が当てられたと考えられています。

七夕に願い事をするのはなぜ? 短冊でなく○○に書いていた!?

短冊
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日本では願い事を書いた短冊を吊るしますね。この風習は、元を辿ると中国の「乞巧奠」という行事が由来と言われています。

乞巧奠は、織女にあやかり機織りや裁縫の上達を願う行事でした。7月7日に庭先の祭壇に針や五色の糸を供え、星に祈りを捧げていたそう。後世では、書道なども加わり「芸事」全体の上達を願う行事へと変化しました。

これが日本に伝わり、奈良・平安時代の貴族たちの間で「芸事の上達」を願う宮中行事になります。当時は供え物をしたり、里芋の葉にたまった夜露を集めて墨を摺って「梶(かじ)の葉」に歌を書いたりしていたそうです。これが、現在の笹飾りの原型と言われています。

なぜ「梶の葉」と「里芋の葉の露」?

里芋の葉
PIXTA
「梶の葉」は1枚が手のひらほどのサイズほどあります。紙が貴重な時代、大きく字の書きやすい「梶の葉」は重宝されていたのかもしれません。

ちなみに里芋の葉の露を使うのは、それが天の川のしずくと考えられていたからだそうです。

江戸時代には、今の「七夕行事」に近い形に!

七夕飾り
PIXTA
七夕行事は庶民の間にも広がります。江戸時代には五節句として、幕府の公式行事となりました。

当時は天の神が降り立つ目印として、家の屋根の上に笹竹を立てていたそう。「神を迎える」「災厄を水に流す」などの意味があったと言われています。

笹竹には、詩歌や文芸の上達を願った短冊や切り紙細工など、色とりどりのものが飾られていました。七夕前には笹竹売りの呼び声が響いていたんだとか。

ちなみに、短冊は基本的には五色。かつては五色の「糸」が飾られていましたが、江戸時代に短冊へと変わったそうです。五色は「青・赤・黄・白・黒(紫)」で中国の陰陽五行説の「木・火・土・金・水」に対応しています。魔除けの意味を持たせていたそうです。

それぞれの笹飾りの意味は?

笹飾り
PIXTA
笹飾りにはたくさんの種類がありますが、短冊を含めた7つの種類を「七つ飾り」と呼ぶそう。それぞれ、込められる願いも異なるんです。

○短冊
詩歌や願い事を書き、学問や書、文芸の上達などを願います。

○折り鶴
健康長寿や家内安全を願った飾りです。

○吹き流し
織姫の織り糸を表しており、裁縫の上達を願います。

○投網
魚を捕る網を表し、大漁を願って吊るされます。

○紙衣(かみこ)
神御衣(かみこ)に通じます。紙を着物の形に折ったもので、裁縫の腕が上がるよう願って吊るされます。

○巾着
紙を巾着の形に折ったもの。蓄財を願って吊るされます。また口をしっかりと紐で結び、無駄遣いを戒める意味も込められているそうです。

○くずかご
七つ飾りを作った際の紙くずを、紙でつくったカゴの中に入れて吊るします。倹約の心を育てる意味があるそうです。

七夕には「そうめん」! 食されるようになった由来とは?

七夕とそうめん
PIXTA
実は、7月7日は「そうめんの日」。

七夕とそうめんは古くから関わりがあり、江戸時代には七夕に食すものとして既に一般的だったんです。

昔から中国では病を避けるまじないとして、七夕に「索餅」と呼ばれる食べ物が食されていました。小麦粉などを練ってひも状にしたものです。これが変化してそうめんになったと言われています。

徳川将軍の七夕の祝膳にもそうめんが出され、庶民の間でも贈答品として出回っていたそうですよ。

七夕の夜は、そうめんを色々なアレンジで楽しもう!

そうめんレシピ
 
七夕の夜はやはり「そうめん」! 豆乳やゴマのつけダレで、いつもとひと味違った特別なそうめんを楽しめます♪見た目も涼やかで、とっても簡単に作れますよ。

おわりに

七夕の由来には、日本や中国のいくつもの風習が関わっていることが分かりました。七夕の夜は、そうめんを食べながらこうした話をお子さんにするのも、風情があっていいかもしれませんね。

参考:国立天文台「七夕について教えて」
参考:京都地主神社「七夕の歴史・由来」
参考:大阪市立科学館「七夕のはなし」
参考:仙台七夕まつり「七つ飾りに込めた願い」
参考:全国乾麺協同組合連合会「七夕・そうめんの日」
参考:一般社団法人 人形協会「五節句と節句人形」

記事監修

監修:三浦康子/和文化研究家。著書『子どもに伝えたい 春夏秋冬 和の行事を楽しむ絵本』(永岡書店)ほか多数

2018年06月30日


尊厳: その歴史と意味

2021年07月06日 11時21分33秒 | 社会・文化・政治・経済

 マイケル・ローゼン (著), 内尾 太一 (翻訳)

「尊厳」は人権言説の中心にある哲学的な難問だ。概念分析の導入として西洋古典の歴史に分け入り、カント哲学やカトリック思想などの規範的な考察の中に、実際に尊厳が問われた独仏や米国の判決などの事実を招き入れる。

なぜ捕虜を辱めてはいけないのか。なぜ死者を敬うのか。尊厳と義務をめぐる現代の啓蒙書が示す道とは。

 

マイケル・ローゼンというハーバード大学政治学科の政治哲学の教授によるDIGNITY(2012年)の訳本である。
〇著者の日本語版への序文によると、「尊厳が持つそれぞれの異なる意味の背後には、西洋の歴史的伝統に位置づけられる需要で異なる源泉があることを示そうとした」とある。第1章には、「本書の三つの章すべてにまたがるテーマは、どうすればカントの尊厳観を最もよく理解できるだろうか、というものである」とある。
〇訳者あとがきでは、大震災時の死者の尊厳、被災者の尊厳、自然の尊厳について触れ、コロナ禍での死者の尊厳、取り残され人々の尊厳について触れる。さらに、多くの領域で尊厳という言葉が使われるが、・・・公共的な議論を促すような柔軟な概念としては、必ずしも十分に機能していないようにも見える。それで、良質の、グローバル水準の尊厳の入門書を探していて本書に出会ったと書かれている。
内容
全体
〇大ざっぱに書くと、
第一章は尊厳の哲学史または政治学史+カント哲学の尊厳とカトリック教会の尊厳、第二章は尊厳の法制化、第三章は遺体、胎児等の尊厳+カント再び+著者の見解である。
〇尊厳死、セクハラ関連の尊厳の話題はあまり多くない。胎児の尊厳(人工妊娠中絶)のついては記述が多い。自殺は最後に出てくる。
第一章
〇十七、八世紀には、尊厳には三つの構成要素があった。①人間だけに限定されない価値ある特徴としての尊厳(本質としての尊厳)、②高い社会的地位としての尊厳(地位としての尊厳)、③敬いに値する特定の性格を帯びた振る舞いとしての尊厳(態度としての尊厳)である。
☆②の社会的地位としての尊厳は、フランス革命以後、下へ拡大され、人間としての地位により平等に尊厳を持つと変化していく。カトリック教会も徐々に変化に順応していくが、19世紀に至っても、社会的地位により異なる尊厳を持つという思想が支配的であった。
☆①の本質としての尊厳は、カントにおいて、道徳性(道徳法に従って生きること)と結び付き、人間以外のものは、内部に道徳法を持たないので、尊厳から除外された。一方、尊厳はすべての人間が共通して有するものとされた。
☆③の威厳ある態度を示すものとしての尊厳は、シラーによると、「苦しみの中の静けさ」であり、尊厳を持って苦しみに耐える姿である。
〇著者は、第四の要素として、③から派生した④敬意をもって扱われる尊厳、適切な敬意の表現を求める尊厳を追加する。この第四の要素が2章、3章の重要論点となる。
第二章 
〇ドイツにおける尊厳の法制度はカソリック思想とカント主義の融合の上に成立しており、実践において様々な難問が生じている。その事例等。
第三章
私たちは尊厳をもって死者を取り扱う義務がある、という難問についての議論など。
私的感想
〇第二章の事例が一番興味深かった。
☆ディスコで開催予定の「小人投げ」興行を「人間の尊厳を侵害する」として禁止した自治体の決定に対し、当事者が、自分で選んだ仕事に就くのを妨害され、尊厳を侵害されたと訴えた件
☆中絶に比較的寛容だった東ドイツとの統一後も、ドイツ法廷は、世論に反し、中絶に厳格な姿勢を崩さなかった。しかし、運用で妥協した。
☆誘拐犯を脅して子供の居場所を白状させた副署長は基本法の尊厳条項に反するか。
☆ハイジャックされた飛行機がテロ手段として使われ、さらに多大な犠牲者を出すことが確実な場合、その撃墜を認める法律は基本法の尊厳条項(短時間後に死ぬことが確実な)乗客の尊厳に反するか。
〇本書はたぶん、第三章がメインだろう。なかなか難解だが、論理の流れは大体理解できたように思う。
〇第三章の前半は死者(死胎児含む)の尊厳の保護、最後は拷問等による尊厳の侵害の否定で、妥当な流れと思うが、後半のカント再登場が悩ましい。ここでは、カントは自殺禁止論者として登場し、その自殺禁止論が丁寧に解説されていくが、最後で、カント自身が自殺(尊厳死?)を容認しているように思える場合のほうに抜けていくのである。うーん、カントを現代的に救済したのだろうか。

 

訳者によると、グローバル水準の尊厳の入門書だということだが、著者はハーバードの政治哲学のイギリス人教授である。入門書にしてはかなり難解だが、訳者あとがきに全体の要約があるので、そこから全体像を掴んで読み始めるのがよいのかも知れない。

尊厳はいくつかの規範が結びついた複合的なもので、3ないし4の構成要素がある。尊厳は、ホロコーストを経た1940年代のドイツ基本法(憲法)と国連の世界人間宣言において、重要な役割を果たしている。その淵源は、カトリック思想とカント哲学であるということだが、著者はカント主義を批判しつつ、どうすればカントの尊厳観をもっともよく理解できるかを追及している。

訳者によれば、著者はこれらの中にある、おそらく宗教的な始源である何ものかを懸命に救い出そうとしている。本書は、ドイツの判例に関する興味深い議論に表れているように哲学の実践であって、議論の過程が重要であるともいえよう。

翻訳は原文に忠実でもとの文章が再現できそうな感じだが、哲学はこのようなスタイルしかないのだろう。ともあれ、このような専門書を気軽に日本語で入手できることを喜びたい。

 

第1級の人間学、政治哲学。日本の政治家に欠落しているもの、それが人確的尊厳である。

 

本書は終始、カントの倫理学を思考の軸に据えている。
「人間性」は、単に生命や個人さけでなく、死者や遺体、遺骨を包摂する。

 

 

 


文部科学省-揺らぐ日本の教育と学術

2021年07月06日 11時15分26秒 | 社会・文化・政治・経済

青木 栄一 (著)

文部科学省は2001年に文部省と科学技術庁が統合されて発足した。教育、学術、科学技術を中心に幅広い分野を担当する。本書は、霞ヶ関最小の人員、「三流官庁」と揶揄される理由、キャリア官僚の昇進ルートなど、その素顔を実証的に描く。

さらに、ゆとり教育の断念、過労死ラインを超えて働く教員たち、大学入試改革の失敗、学術研究の弱体化など頻発する問題の構造に迫る。財務省との予算折衝に苦しみ、官邸や経産省に振り回される文科省に今何が起きているのか。

著者について

青木栄一
1973年、千葉県生まれ。1996年、東京大学教育学部卒業。2002年、東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。国立教育政策研究所教育政策・評価研究部研究員などを経て、2010年より東北大学大学院教育学研究科准教授。専攻・教育行政学、行政学。
著書に『教育行政の政府間関係』(多賀出版、2004、日本教育行政学会学会賞授賞)、『地方分権と教育行政-少人数学級編制の政策過程』(勁草書房、2013、日本教育経営学会学術研究賞受賞)、『復旧・復興へ向かう地域と学校』(編、2015、東洋経済新報社)、『教育の行政・政治・経営』(共著、2019、放送大学教育振興会)、『文部科学省の解剖』(編著、2019、東信堂)、『教育制度を支える教育行政』(編著、2019、ミネルヴァ書房)など。
 
 
 
日本の子供たちの学力が世界のトップクラスから落ちてきていること、あるいは世界の大学のランキング(ベスト100大学)に日本の大学が2つしかはいっていないことなど、日本の教育の問題はいろいろ指摘されている。本書はそんな教育の現状と課題を知る最適の本と思う。

 著者によれば、文科省の問題は、「教育の機会均等」を掲げてきた成功モデルにしがみつき、狭い「業界」内(教育委員会、教育長会、組合など)でのコミュニケーションばかりして、世の中の動きに敏感でないこと、世の中を動かす発信やロビー活動が弱いこと、教育現場に丸投げしてどう実現するかを考えないこと(ロジスティック思考の欠如)などが問題であるという。
 大学に関しては、独立行政法人となったのに、財政基盤を強化してこなかったこと、専門的知識(財務、法律、ITなど)を持つスタッフがいないことなどが問題だという。財政基盤に関しては、2016年の寄付金が国立大学全体で1313億円、そのうち東大が132億円。私立では、慶應義塾大学が87億円、早稲田大学が31億円。一方、米国の大学が得ている寄付金はケタが違い、ハーバード大学1577億円、スタンフォード大学1221億円。

 いろいろな問題が指摘されており、正直読んでため息が出る。江戸時代の寺子屋、そして明治期から昭和への「教育の機会均等」が過去の日本の発展の基盤と思うが、このままでは日本の将来はますます厳しいものになるだろう。文科省の方、教育にかかわる方、政治家などに本書を読んでいただき、教育の在り方を徹底的に議論することが必要と思った。
 
 
 
青木栄一先生の文部科学省を読んでの感想を備忘録的に書きました。ぜひみなさんに一読を勧めます。

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世界トップレベルとも言える子どもたちの学力を支えてきた文部行政。
しかし大学の研究の地位でも順位は大きく後退し、日本の教育力の地盤沈下が起きていると言ってもよい。過去に積み上げてきた遺産でこれからの教育をつくることはもう難しい。
そしてまたそのゆらぎに目をつけ、経済産業省を始めとした他省庁、民間、NPOが参入してきている。

今の文部科学行政の何が問題なのかについて本書では丁寧に分析している。しかもそれを感情論や安直な批判を行うのではなく、論拠に基づいた視点で批評を行っていく。
(しかし読みやすい。それが本書の素晴らしいところでもある。)

文部科学行政批判は、エリート批判だったり、タコツボ化していく単なる官僚批判に終始することが多いが、本書では文部科学行政の課題をそれがなぜ生まれてしまったのか、そこから何が起きているのかを丁寧に解説している。
高校無償化、国立大学法人、多忙化、教育委員会などイシューとして扱うべき教育行政の現代的問題に鋭く切り込んでいる。特に教育委員会に触れている問題は、文部科学省そのものの批評を越えて、構造的につくりあげてきた閉鎖的な政策共同体について丁寧に解説している。
分権改革以降、教育委員会制度の改革が行われて久しいが、閉鎖的な政策共同体が揺るがないばかりか(一部首長の権限が強まり、共同体は揺らいでる兆しはあるが)、地方教育行政を間接統治し政策実施責任から逃げている姿を批判している。

私は縁があって社会人になり著者の講義を受講したことがあるが、彼は論拠のない感情的な批判を好まない。
彼の明確な論拠を持って、あるべき姿を積み上げていく姿勢は大変勉強になった。単純なべき論を振りかざして悪者を見つけにいくスタンスではなく、構造的に何が問題なのかを探っているように感じる。
そして今回の本もそうであるが、(積み上げていくことのできる)問いの設定が非常にうまく、そうした著者の向き合い方が表れているように感じる本であった。

最後には文部科学省に対するエールが送られる。
文部科学省がこれまで積み上げてきたシンクタンクの機能を十分に担うことのできる力を蓄えているはずである。越境を怖れず、真の意味で教育の批評を受け止める覚悟を持つときにはもっと文部科学省職員が国民から頼られるはずだと、著者のそうした期待が込められているように感じた。
 
 
文部科学省(以下「文科省」という。)について、その組織、人事、予算、政策等について体系的に解説した本である。
 「三流官庁」と揶揄され、打ち出す政策はことごとく批判され、予算は削減される一方。そして最近では官邸や経済産業省等からの圧力に悩まされる痛々しい姿が浮き彫りにされている。
 また、高校無償化、大学入試改革、教員の働き方改革、学力向上、学術・科学技術分野の人材育成等課題は山積している。それについて、文科省はどのような処方箋を提示するのか、そしてその方向性は正しいのか。文科省は常に国民から注視されている。
 文科省が上記の諸課題を克服し、世間から喝采を受ける日は来るのか。いずれにせよ、教育、学術、科学技術など国家の大事であり、かつ国民に近しい問題を取り扱う官庁としては、その期待に応える必要があり、筆者はこの本のなかにいくつもの提言を提示している。
 文科省という役所の実態を知る上で貴重な一冊である。
 
 
職員、予算、政策など多角的な視点から分析した省庁研究は、よくまとまっています。
根拠もしっかりしてい、問題点がよく分かります。独特で閉鎖的でもある教育と研究の世界は非常に興味深いものがあります。データ量は豊富で濃密な内容を業界外の読者向けに、かみくだいて説明していますが、時々、曖昧な表現で分かりにくい文章が登場します。
 
 
あとがきで「専門分野の影響から、本書の視点が文部系、そして義務教育中心に置かれているのは確かである」「なるべく(中略)学術・科学技術分野も扱い、バランスよく文科省を記述しようと努めた」とありますが、本書で記述された国立大学における「学術・科学技術分野」(あるいは旧科技庁系列)の問題点の指摘は極めて客観的で正確であり、文部系の記述と比べて何ら遜色ないものと感じました。本書は2021年時点で国立大学が持つ問題を、特にその歴史的経緯も踏まえて書いており、まさに教職員の「教科書」にできる良書であると思います。
 
 
現在の文部科学省、その役割が終わった事を、その変遷から鋭くあぶり出しています。元々文科省で仕事をされていた方なので、語り口はソフトですが、実は厳しい指摘がビシバシ飛んでいます。正しく霞が関に届けばよいのですが、、最近の文科省の「科学技術・イノベーション白書」と経済産業省の「オープンイノベーション白書」を読めば判ります。文科省。その役割を終えようとしています。
 
 
新書という手ごろな体裁の中で、本書ほどに文科省の現況について、良きにつけ悪しきにつけ余すところなく論じ尽くした類書を他に知りません。
 現場にいた者からの目線としては、教育政策のトップに君臨しているはずの文科省が「内に強く外に弱い」組織であるとして位置づけ、そのような組織の在り様に潜む課題や、例えば「学校の情報化」を媒介にして進む「間接統治」の実情とその問題点等々、文科省の、そして日本の官僚組織の今が論じられて、興味の尽きるところがありません。読後感として、久しぶりに目から鱗の心境でした。本書が多くの読者をひきつけてやまないことを願うばかりです。(小川健一)
 
 
 

 


檻の中の裁判官 なぜ正義を全うできないのか

2021年07月06日 11時05分00秒 | 社会・文化・政治・経済

瀬木 比呂志 (著)

国家に“人事と金”を握られ良心を捻じ曲げられた囚人たちが冤罪を生み出す

元判事、ベストセラー『絶望の裁判所』著者による、
司法批判の集大成!

平成の司法制度改革は大失敗!?
政府と電力会社に追随した根拠なき「原発再稼働容認」、
カルロス・ゴーン事件で改めて露見した世界的に特異な「人質司法」、
参加者の人権をないがしろにした「裁判員裁判」、
国家が犯人1人に責任を押し付ける「死刑制度」……
閉ざされ歪んだ司法の世界にメスを入れ、改善への道を示す!


● 出世コースに乗れば生涯収入7億超えも!
「天下り」もあり、国家に逆らえない。
● 無罪判決や行政に不利な判決を出した判事たちは
人事や異動で報復を受けた。
● 在野の法律家から判事を選任する「法曹一元制度」を
活用し、“市民のための司法”を取り戻せ!

著者が岡口基一裁判官のSNS発信・表現の問題にも初めて言及!


〈目次〉
第1章 個人としての裁判官とその問題
第2章 官僚・公人としての裁判官
第3章 裁判官の仕事とその問題点
第4章 裁判官の本質と役割――儀礼と幻想の奥にあるもの
第5章 戦後裁判官史、裁判官と表現
第6章 法曹一元制度と裁判官システムの未来

著者について

●瀬木 比呂志:1954年名古屋市生まれ。東大法学部卒。在学中に司法試験に合格。1979年以降裁判官として東京地裁、最高裁等に勤務。2012年明治大学教授に転身、専門は民事訴訟法・法社会学。在米研究2回。
著書に、『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』『民事裁判入門』、小説『黒い巨塔 最高裁判所』(いずれも講談社)、『リベラルアーツの学び方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『民事訴訟法』『民事保全法』(ともに日本評論社)等の専門書6冊。『ニッポンの裁判』により第2回城山三郎賞を受賞。
 
 
 
この本の購入前、『大岡裁き』のような前近代的な簡易裁判所(少額訴訟の訴額を僅かに超える金額)の判決に不服があり、地方裁判所に上訴したが、地裁では、最近の民法の潮流や関係省庁のガイドラインを無視するだけに留まらず、私の上訴理由の検討及び現地調査を一切せずに判示。
この本で指摘された事柄通りである事を実感。
司法権の独立に腐心する真面目な裁判官は今や絶滅危惧種となり、裁判官は、己の無能さがバレる事を回避しながら、未決の判決数が増えないように、得意技の『忖度』で、己の保身を図る、政府管掌の年金+恩給?を含め高給取りの司法官僚に成り下がり、見識・良識不足の司法エリートによって構成される強固なムラ社会、オマケに裁判所当局による厳重な統制下の官僚型ムラ社会になってしまった。
裁判官達は、姿・形は人間だが、目に見えぬ鉄の檻で生息する奇怪なモンスター!筆者が提起するような法曹一元制度や裁判官の任用の為の審査を最高裁からも政治からも切り離された「独立・中立の委員会、任用機関」が必要なのかも知れない。
 
 
「絶望の裁判所」「ニッポンの裁判」に続いて出版された司法批判・司法界への提言書の待望の第三段である。
死刑や冤罪、司法に関する批判の書籍は、他にもたくさんある。しかし、内部におられた高位の裁判官が、鋭い分析と深い考察・思索を重ねた上で、書いておられることに大変深い意義を感じる。
昔から漠然と感じていたこと、私自身の経験からも全く同意できることを含め、明確かつ抑制的に記述されていることに感動を覚える。
多くの冤罪を作って来た裁判所であり、袴田事件への異常な対応を見ても、司法の「闇」は深い。
冤罪事件に無関心な人も、いつ、無実の罪を着せられるか分からない。是非、著者の多くの労作に触れて「真実」を知って頂きたい。司法界におられる方々にとっても必読書であると思う。
瀬木氏には、深い見識と思索を持って、司法界への提言の書を書き続けて頂きたいと切に願う。
 
 
元裁判官による、日本の裁判官システム(裁判官制度)の批判書である。
本書が剔抉してみせるのは、日本の裁判官は「司法試験を合格した学生がそのまま裁判官として採用され、実地に経験を積みながら、より中央の、より上級審へと〈出世〉していく、競争社会」というシステムの中に、囲い込まれて生かされており、「人事」を掌握している「最高裁判所 事務総局」の「人事圧力」によって、「良心」を歪まされ、「判決」をコントロールされている、という嘆かわしい現実だ。

タテマエとしては、裁判官というのは、個々に独立した「自由心証主義」において、自身の知識と見識において、判決を下すことになっているし、何者もそれに干渉することはできない、ということになっている。だが、現実にはそうではない。

この程度の、世界に恥ずべき「日本の汚れた現実」は、前安倍晋三政権下での「森友・加計学園問題」や「財務局の文書改ざん問題」あるいは「自衛隊の日報隠蔽問題」など、数々の「政治腐敗」に伴う「官僚の腐敗・堕落」を目にしてきた大人になら、容易に推察しうるところだろう。
そして、こうしたことの延長線上にあるのが、司法の世界においては、「原発再稼働」問題での、下級審の勇気ある「差し止め判決」を、次々と覆していった上級審判決だ。「御用裁判所」の「御用裁判官」による「御用判決」である。

私は、これまでにも何冊かの「日本の裁判官システム批判」の書を読んできたが、それが元裁判官のものであれ、ノンフィクションライターのものであれ、内容に大きな違いはない。
要は、国家権力の補完組織となっている「最高裁判所 事務総局」の意向に従わなかった裁判官、政府が喜ぶ判決を下さなかった裁判官は、昇進や転勤で差別や嫌がらせをうけ、冷や飯を食わされて、潰される、という現実である。民主主義国家にあるまじき、まるでロシア化、中国化のごとき現実だ。

もちろん、昔からずっとこうだったわけではなく、「三権分立」のタテマエが比較的生きていた時代もあったのだが、日本の裁判官システムは、裁判官の自律性がシステム的に担保されていないために、もともと脆弱であった。
だから、世間と同様、経済が長期低落傾向になると「貧すれば鈍する」で、「出世」や退職後の「天下り」などで保身をはかる、出世主義のヒラメ裁判官が増え、そうした人たちが、良心を投げ捨てて立身出世していったために、日本の裁判所は、今や「明治維新」以後最悪の「非民主的裁判所」となってしまっているのである。

つまり、立派な裁判官や、若く志のある裁判官はいるにしても、彼らは早晩、多かれ少なかれ屈辱を味わわされ、涙を飲まされ、潰される、という非道がまかり通っているのが、今の裁判官システムなのである。

当然のことながら、これは改革されねばならないし、世界標準からして、こんな「不正義なシステム」を採用している先進国は少ないのだから、システムを変えるのは、理論的には決して不可能なことではない。
しかし、現在のシステムに巣食って、権力を貪り、甘い汁を吸っている「最高裁の官僚」たちは、決して「本質的な改革」など許さず、さらに政治権力者に擦り寄ることで、現体制の維持を図っている。一一では、どうすればいいのか。

著者は、結局のところ、日本の裁判所を変えようと思えば、是非とも必要なのは「国民の強力な後押し」だと言う。
当然のことだろう。反逆者や批判者は無論、非服従者さえ潰される体制ができてしまっている以上、内部からの改革は、ほぼ不可能なのだ。
かと言って、退職後に元裁判官がどんなに告発をしようと、「国民」が動いてくれないことには、政府も政治家も、そうした声に決して耳を貸さないからである。

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『 日本は、世界の中で相対的にみれば確かに民主主義の基本的な指標を満たした国家であり、国民の文化的洗練度は相対的に高いし、社会的な洗練度も高まってきたといえよう。
 しかし、先のような近代民主主義社会、近代自由主義の原則についての認識、理解については、どうだろうか。「難しいことはよくわからないし、自分の力ではどうにもならないと思うから、お上・権力にお任せ。そして、お上・権力の方でちゃんとやってくれるのが当然」という(※ 民主主義を誤解した)姿勢が今なお目立つのではないだろうか。さらに、「ちゃんとやってくれているという幻想に浸って安心していたいから、権力の問題なんて知りたくない」という無意識的な姿勢もみられるのではないだろうか(本書でも論じてきたとおり、後者はことに司法について特徴的にみられる姿勢だ)。
 けれども、それでは、(※ 本質的な司法制度改革のための具体案として、著者の提案する)法曹一元制度の実現や裁判官人事のための中立的機関の創設などといった大きな課題は達成できないし、たとえ制度ができたとしても、それをうまく機能させてゆくことは難しい。
 こうした制度改革の成功のためには、作業の細目は専門家にゆだねるとしても、前提として、他分野の知識人をはじめとする一般市民、国民が基本的な方向性について理解とコンセンサスをもっていること、専門家の作業を適切に監視、チェックするとともに必要に応じて意見を述べるなどして主体的にかかわり、協力する姿勢を保つことが必要なのである。
 まず第一に市民、国民の意識、関心の高まり、要請があって行われる改革は充実した、血の通ったものになる。一方、官主導の上からの改革では、思い切ったことはできないし、その成果も上がりにくい。本書でもふれた近年の司法制度改革の結果をみれば、そのことは明らかだろう。
 繰り返せば、日本司法の抜本的改革、ターニングポイントとなる裁判官制度の前記のような改革については、まずは、市民、国民の司法制度・裁判官制度に関する意識と関心の高まり、また法的・制度的リテラシーの充実が必要なのだ。それが、やがて弁護士を中核とする法律家集団を動かし、制度改革の中核を成す力となってゆくのである。』(P307〜308、※印は印象者補足)

「なんだかんだ言って、人を当てにするなよ。自分たちの職場は、自分たちでなんとかしろよ」なんて思った人が、きっといるだろう。
だが、本書に書かれたことは、決して他人事ではない。私たちの国の、私たち自身の問題なのだ。

著者も、国民のリテラシーを、一朝一夕に高めることができるとは考えていない。しかし、私たち一人一人が、まず「私一人」から、こうした「現実」を知り、「このままではいけない」という当たり前の危機意識を持ち、機会があれば、意思表示をしなければならない。そこからしか、何も始まらないのだ。
そして何よりも、「良心的な裁判官たちの、勇気ある抵抗」を無駄にしてはいけない。彼らを犬死させていてはならないのだ。
だからこそ私は、本書を読み、そしてこのレビューを書いているのである。

一一あなたに何ができるのか。まずは、それを考えてほしい。そして、ツイートでもいい、葉書一枚からでもいいから、できることを見つけて、心ある裁判官たちをバックアップしてほしい。

生きるに値する、そして誇るに値する「私たちの祖国・日本」であるために、あなたの力を貸して欲しい。
 
 
 
 

 


人の心や見方が変われば

2021年07月06日 10時58分23秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼自身の内なる世界について理解を深め、教師が真摯さを持つことが需要だ。
真摯さは、誠実さであり、真の自身に生きることだ。
それを妨げるのは、悪い感情や振る舞いそれ自体ではなく、そうしたものに飲み込まれてしまうことだ。
▼瞬間瞬間の生命にあらゆる現象・働きが備わっている。
そこで心次第で、いかなる環境も変えることができ、一人の人間に無限の可能性があある。
▼環境が同じであっても、人の心や見方が変われば、歓喜が生まれる。
苦しい状況にあっても、歓喜を生み出すヒントがここにある。
▼子どもたちが学ぶ際に、歓喜が大事である。
歓喜こそ、人生を豊かにする学びの基盤だ。
例えば、学生が学校で苦手な教化を意欲的に学べるようにするためには、喜びを見いだせるように導くことが大切だ。
▼生命力があれば、毒をも自身を利する薬に変えていける。
▼本気で人生を生き抜くことで、苦難から歓喜を創造できると確信したい。
▼私たちは、<人間>から学ぶ。
まさにここに、教師の人間性こそが、教育体験の核をなす理由がある。
人生に真剣に向き合う姿勢こそ、一人一人を刺激し、ひいてはさまざまな社会問題を根本から解決することにつながるのだ。
▼教育は、社会変革のための最も遅い手段かもしれない。
しかし、それは変革の唯一の手段である。
より良い社会の変革のために、教育者が真摯に自己と向き合い、行動を起こしていくことが大事なのだ。
▼誰もが自身の物語を生きている。
人生における幾つもの「勝利」の物語によって人生は織り成されてきた。
一つの勝利が新たな勝利の因となる。
茨の道、苦難の道を断固として勝利し、わが人生の物語を飾りたいものだ。