競輪人間学 1番人気の下がり目に賭ける

2021年07月30日 11時25分23秒 | 未来予測研究会の掲示板
FⅠ スポーツニッポン賞・小橋正義杯
 
11レース 
 
並び 5-3-7 6-2 4-1
 
レース評
末脚しっかりの町田が快速先行で連勝。橋本−堤がガードして本線ガッチリ。何でもできる野田が怖い存在。関東勢は劣勢。
 
7月27日、28日と敗退、ツキに見放されている。
「何とか挽回したい」
弱気になる気持ちを払拭するには、攻勢の姿勢。
弱気が一番いけない。
1番人気と2番人気を無視するこに。
 
5番 町田太我選手の軸は断トツ!
そこで本命5-3の下がり目の5-2の3連単を買う。
 
5-3(1.9倍)
5-4(5.1倍)
5-3-7(3.7 倍)
5-3-4(6.3 倍)
 
今月の負け分を取り返す!
 
結果
 
5-2 3,570円(9番人気)
 
5-2-3 1万7,390円(35番人気)
 



選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 5 町田 太我   11.6   牽制堪捲る
2 2 江連 和洋 1/2車身 11.6   番手前残り
3 3 橋本 強 1/2車身 11.4     離れて急追
4 7 堤 洋 1/4車輪 11.3     前と一緒で
  5 6 古屋 琢晶 1車身 11.9   B 果敢に先行
6 1 紫原 政文 3車身 11.7     目標落車し
× 4 野田 源一         町田を押上

家飲みで五輪観戦

2021年07月30日 10時54分37秒 | 日記・断片

家で酒を飲み、弁当を食べる。
最近の弁当は美味しい。
イクラ、サケ、タマゴと漬物などが入っている。
日本酒と麒麟のレモンサワーを飲む。
テレビでオリンピック競技を観る。
オリンピック開催反対の人もいるが、熱戦の模様に感動する。
それにしても、日本は金メダルラッシュの模様となったものだ。

 


「第3波」の今こそ再考 なぜ中国は感染拡大を抑制できているのか

2021年07月30日 10時00分37秒 | 社会・文化・政治・経済

フォーサイト-新潮社ニュースマガジン

  柯 隆

 国立国際医療研究センターの視察に訪れた菅義偉首相(中央)=2020年12月14日、東京都新宿区[代表撮影]【時事通信社】

 日本では、新型コロナウイルスの感染が再び拡大している。現在が第3波のピークと言えるかどうかについて、官邸と専門家の見方は必ずしも一致していないようだ。科学者は、数学モデルを駆使して推計したところ、これから感染はもっと増えると予測している。

【最新情報】新型コロナウイルス

 医療現場の医師は、重症者が増え続けており、このままでは医療崩壊の危険性があると悲鳴をあげている。

 それに対して、政治、とりわけ菅義偉政権は、感染対策をきちんと行っていくとしながら、経済活動が疲弊すればもっとたいへんな状況に陥ると懸念している。

 結局、政治と行政は人々に「3密」にならないように呼び掛けるに留まり、それ以上の厳しい措置を取らない。

重要なのは感染者の確認

中国の習近平国家主席=2020年10月23日、北京【EPA時事】


 一方、世界で最初に新型コロナ感染が確認された中国は、すでにその抑制に成功したと見られている。日本のみならず欧米諸国でも感染が拡大しているにもかかわらず、なぜ中国はそれを抑制できたのだろうか。

 理由はきわめて単純明快である。

 そもそもウイルス自身は動くことができない。それに感染した人が動くから、ウイルスの感染が拡大するのである。特効薬と完全なワクチンができていない現状において、新型コロナの感染を抑制するというのは、感染した人を探し出して厳格に隔離するしかない。

 具体的に誰が感染しているかを知るには、検温だけでは不十分であり、PCR検査を希望者全員に対して行う必要がある。否、希望しなくても、少しでも感染の疑いのある人であれば、PCR検査を受けさせなければならない。

 日本では、東京都の感染者が一番多く報告されている。毎日、東京で実施されているPCR検査は多くても1万件程度である。これで感染した人を探し出すには限界がある。日本の感染対策はマスクの着用、手の消毒に加え、電車やエレベーターのなかで大声で話さないというモラルの高さに委ねられている。

 確かに日本人は世界でも清潔好きな国民と言える。ニューヨーク、ロンドン、パリなど欧米の大都市でプラタナスなどの木の葉が道にたくさん落ちても、それを掃除する人はまずいない。日本では、家の周りに少しでも木の葉が落ちたら、そこの住民はすぐに箒と塵取りを持って掃除する。マスクの着用と手の消毒について、日本人は何の抵抗感もなく真面目に実施する。しかし、それでもコロナの感染は収まらない。

 では、なぜ中国はコロナの感染を抑えられたのだろうか。

 中国では、コロナの感染が発生してから、マスクの着用は義務化されている。ただし、手の消毒は徹底されていない。日本では、スーパーだろうが居酒屋だろうが、すべてのところに手の消毒液が置かれている。中国では、そこまで徹底されていない。

 その代わりに、ほぼすべての成人の行動がスマホの専用アプリで追跡されている。

 たとえば、誰かがPCR検査で陽性と確認されたら、少なくとも、1週間以内にこの人と接触した人を割り出すことができる。当局は濃厚接触者を探し出して、強制的にPCR検査を受けさせる。もし感染クラスターが発生した場合、その地域全体がすぐに封鎖される。

 日本からみれば、中国のやり方はやや神経質すぎるようにみえる。

 ならばなぜ中国は神経質にならなければならないのだろうか。2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)の感染拡大に見舞われて、2020年にまた新型コロナ感染に見舞われた中国は、ウイルス感染症の怖さを十分に知っているからである。

 それに対して、日本の場合は「3密」こそが感染が広がる原因と思われ、外食するときも少人数で時間を短くするように呼び掛けている。

 むろん、会食の人数が多ければ、それだけ感染するリスクは高まる。また、集まる時間が長ければ、その分感染機会も増える可能性が高くなる。しかし、少人数でも感染するときは感染する。

 マスク姿の人が行き交う東京・銀座の歩行者天国=2020年12月20日【時事通信社】

 重要なのは、集まる人のなかに感染者がいるかどうかを確認することである。レストランのなかで客に対して、検温を行わない店は少なくない。ほんとうならば、PCR検査を受けて陰性の人だけの入店を認めることにしたほうがいい。

 それについて、専門家の一部は、PCR検査でも万全ではないと指摘している。しかし、そこまで言われるのならば、すべてはお手上げである。

論理不明確で右往左往

 中国・北京の人民大会堂で、新型コロナウイルス対策で表彰された学者らと並ぶ習近平国家主席(前列中央)=2020年9月8日【AFP時事】

 中国の感染対策と民主主義の国のやり方と比較すると、意義深い結果が見えてくる。

 民主主義の国では、人々の自由と基本的人権が憲法によって保障されている。政府はロックダウン(都市封鎖)など人々の行動を制限することが簡単にはできない。感染症を理由にロックダウンを行おうとしても、関連の法整備を行う必要があり、議会の承認を取り付けなければならない。その一連の手続きを取るために、かなり時間がかかる。

 アメリカは連邦制で各州知事はある程度強制措置を取ることができるが、やりすぎると、住民の反発を招く恐れがあり、結局のところ、慎重にならざるを得ない。

 一方、日本では、政府はいくら感染が拡大しても、ほとんど強制的な措置を取ることができない。結局のところ、できることは自粛要請といった「お願い」の類でしかない。

 それに対して、中国は独裁政治であり、いかなる強制措置を取るときもその必要性さえ認められれば、法的な根拠は基本的に必要がない。これは、感染症に立ち向かう独裁政治の強みともいえる。

 もちろん、中国もウイルスの感染抑制ばかりか経済活動の回復も実現しなければならないが、それを同時に行うことができないため、優先順位として、まず感染を抑制したうえで経済活動を回復することにした。具体的には、工場が再稼働したあとでも、陽性者が1人でも見つかった場合、その時点から工場そのものの2週間の操業停止になる。その間、衛生保健局(日本の保健所に相当)の監督のもと、徹底的に消毒が行われる。このような徹底ぶりこそ、感染を抑制できた理由といえる。

 日本では、政府は経済の疲弊を心配して、「Go Toトラベルキャンペーン」を推進した。専門家からも、このキャンペーンはウイルスの感染拡大を助長するのではないかと心配の声が上がったが、国会答弁で菅首相は、キャンペーンと感染拡大との因果関係は実証されていないと強弁した。最近になって、感染者が日々増加して連日のように過去最多を更新している状況を受け、当初は大阪市と札幌市を、次いで東京都発着も除外をと指摘される中、ようやく年始1月11日まで全国一斉に一時的に停止すると発表した。感染対策がこのように右往左往する背景に、政府の感染症対策の論理が不明確であることがある。

 結論的にいえば、感染対策の基本は東京都の小池百合子知事が主張した「短期集中」でなければならない。夏に感染者が一時的に減ったことで政府が油断し、対策姿勢が緩慢になったのではなかろうか。

 「Go Toトラベルキャンペーン」の問題は、感染を拡大させるというよりも、そのメッセージ性である。旅行も奨励されるのだから、近場で酒を飲むくらいは問題ないだろうと思わせた。

 記者会見で新型コロナウイルスの感染対策を呼び掛けるボードを掲げる東京都の小池百合子知事=2020年11月27日、都庁【時事通信社】

 菅首相が先日、大人数で忘年会を行ったことも同様である。「自粛を要請している首相も大人数で外食するのだから、我々も大丈夫ではないか」と思われても仕方がない。政府のトップから市井の若者まで、新型コロナの感染力を軽視しているから、感染が拡大しているということである。

 民主主義の国は、独裁政治を学ぶ必要はまったくないが、感染拡大を押さえ込めている現実にはもっと目を向け、参考にすべきところは取り入れるべきではないか。(2020年12月)

  ◇  ◇

【筆者紹介】公益財団法人東京財団政策研究所主席研究員、静岡県立大学グローバル地域センター特任教授、株式会社富士通総研経済研究所客員研究員。1963年、中国南京市生まれ。88年留学のため来日し、92年愛知大学法経学部卒業、94年名古屋大学大学院修士取得(経済学)。
同年 長銀総合研究所国際調査部研究員、98年富士通総研経済研究所主任研究員、2006年富士通総研経済研究所主席研究員を経て、2018年より現職。主な著書に『中国「強国復権」の条件:「一帯一路」の大望とリスク』(慶応大学出版会、2018年)、『爆買いと反日、中国人の行動原理』(時事通信出版、2015年)、『チャイナクライシスへの警鐘』(日本実業出版社、2010年)、『中国の不良債権問題』(日本経済出版社、2007年)などがある。


「利他」とは何か

2021年07月30日 09時43分03秒 | 社会・文化・政治・経済

伊藤 亜紗 (著)  中島 岳志 (著) 若松 英輔 (著) 國分 功一郎 (著)  磯崎 憲一郎 (著)

【コロナ時代。他者と共に生きる術とは?】
コロナ禍によって世界が危機に直面するなか、いかに他者と関わるのかが問題になっている。
そこで浮上するのが「利他」というキーワードだ。
他者のために生きるという側面なしに、この危機は解決しないからだ。
しかし道徳的な基準で自己犠牲を強い、合理的・設計的に他者に介入していくことが、果たしてよりよい社会の契機になるのか。
この問題に日本の論壇を牽引する執筆陣が根源的に迫る。
まさに時代が求める論考集。

【目次】
はじめに――コロナと利他 伊藤亜紗
第1章:「うつわ」的利他――ケアの現場から 伊藤亜紗
第2章:利他はどこからやってくるのか 中島岳志
第3章:美と奉仕と利他 若松英輔
第4章:中動態から考える利他――責任と帰責性 國分功一郎
第5章:作家、作品に先行する、小説の歴史 磯崎憲一郎
おわりに――利他が宿る構造 中島岳志

【著者プロフィール】
●伊藤亜紗(いとう あさ)美学者。『記憶する体』を中心とした業績でサントリー学芸賞受賞。
●中島岳志(なかじま たけし)政治学者。『中村屋のボース』で大佛次郎論壇賞受賞。
●若松英輔(わかまつ けいすけ)批評家、随筆家。『小林秀雄 美しい花』で蓮如賞受賞。
●國分功一郎(こくぶん こういちろう)哲学者。『中動態の世界』で小林秀雄賞受賞。
●磯崎憲一郎(いそざき けんいちろう)小説家。『終の住処』で芥川賞受賞。

 

東京工業大学の「未来の人類研究センター」の共同研究から生まれた一冊。美学者、政治学者、批評家、哲学者、小説家の5人が1本ずつエッセイを寄稿している。

格差拡大、気候変動、コロナ危機などを背景に「利他」の考え方が注目を集めているので、この概念を多面的にとらえてみようということで分野が少しずつ違う5人が「利他」を自身の関心分野に引き寄せて論じたという恰好である。

利他を比較的直接論じているのは近年の動向を書いている美学者の伊藤亜紗と贈与に絡めて論じた政治学者の中島岳志の2人。なかでも伊藤亜紗の1本は情報量も多く現状のよい整理になった。

合理的利他主義(ジャック・アタリ)、効果的利他主義(ピーター・シンガー)といった「理性」を前面に出した利他の考え方は、個人的な思い入れをベースにした「共感」では複雑に絡み合ったシステミックな問題に対処できないことの裏返しであるという説明はまったく腑に落ちる。

また、寄付の8割が個人由来(日本は8割が法人)というアメリカでは「私財をどこに寄付すれば効率的に使われるか」を気にするという話も頷ける。

伊藤は利他的行為のインパクトを数値化することの負の面にも言及している。たとえば寄付の効率という場合、額だけでなくリターン(目的の達成度)が問われる。現にそのような目的で多様な指標がつくられているが、今後はその精度や存在意義も改めて問われることになっていくだろう。

ビル・ゲイツの慈善活動も効率化、最適化を重視した取り組みだが、莫大な資金力を背景にした介入は、たとえ非常に効率がよかったとしても、発展途上国の国家制度を弱体化しかねないという根本的な問題もある。

数値化に関しては、罰金など数字による管理を導入すると倫理的・感情的なつながりが失われる傾向があり、報酬は利他的行動を短期的にしか促進しない(長期的にはむしろ意欲を失わせる)という研究結果もある。また、「数量化しえないものを数量化しようとする欲望の直接的な帰結」として「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」を増加するという指摘(デヴィッド・グレーバー)も紹介している。

伊藤ならではの視点だと思ったのが「『共感から利他が生まれる』という発想は『共感を得られないと助けてもらえない』というプレッシャーにつながる」という指摘。これは多くの利他の矢印の先にある人やコトにとっての現実だ。「ケア」の現場において伊藤はそういう場面を見ており、「他者のために何かよいことをしようとする思いが、しばしば、その他者をコントロールし、支配することにつながる」とも感じている。

それが彼女の利他に対する警戒感に結びついているという。やってあげようとしすぎることも、過剰に「効果」を測定しようとすることも、利他的行為の受け取り手に対する信頼を欠いている。

利他的行為の結果が想定通りでないとき、それを受け入れ、相手を変えるのではなく自分が変わることができるか。伊藤がたどり着いた結論は「『よき利他』には必ず『自分が変わること』が含まれている」「相手のために何かしているときであっても、自分で立てた計画に固執せず、常に相手が入り込めるような余白をもっていること」だった。

利他に絡む支配について、中島岳志は『小僧の神様』を引用して論じている。小僧に寿司を御馳走してやったAが人知れずいいことをしたにもかかわらず、人知れず悪いことをしたような「変に寂しい、いやな気持」になった。

また、中島がインドで通りすがりの人に荷物を運んでもらったときに礼を言ったら、とてもいやな顔をされたという話も似た構造だ。そのインド人は当然のことをしただけなのに礼を言われることで借りをつくらされたような嫌な気持ちになったのだろう。

「利他は私たちのなかにあるものではない、利他を所有することはできない、常に不確かな未来によって規定されるものである」というのが中島のとりあえずの結論だ。

中島は本書の「おわりに」で利他をめぐる各人の論考を通じて「うつわとしての人間」という共通の人間観にたどりついたと述べている。やや苦し紛れのようなまとめ方だが、つまり「器」は誰かによって使われることで機能を発揮するといった意味であろうか。

私という主体が私でないものに対して一方的に与える、施す、働きかけることが本来の利他ではない、というところまでは最大公約数としていうことができそうだ。

しかし利他が「器としてのあり方」なのだとしたら、「利他」よりも「無私」といったほうがしっくりいく。

伊藤のエッセイのなかにAltruismは19世紀半ばにオーギュスト・コントがEgoismに対置する言葉として19世紀に提唱するようになった造語であると書いてあった。それより起源の古いことばにcompassionがある。

日本語では「思いやり」と訳されることも多いが、もともとはラテン語のcon(共に)とpati(苦しむ)が結びついた言葉で文字通り「ともに苦しむ」というニュアンスがある。言いたいのは、altruismがあくまでもismつまり主義・主張なのに対して、compassionは感情であり行動である。そういう流れでいっても、「器としての在り方」はaltruismよりcompassionに考え方として近いのではないか、そんなことを考えた。

 

最近注目されている「利他主義」の負の側面や危うさも含めて考えなおすことが重要、というのが本書のテーマである。全体的に読みやすく興味深い。5人の著者の論説のうち、印象に残ったところを紹介しておこう。

「他者のために何か良い事をしようとする思いが、しばしば、その他者をコントロールし、支配することにつながること」、「利他の大原則は、『自分の行為の結果はコントロールできない』ということ」、「別の言い方をすれば『見返りは期待できない』」「利他とは、『聞くこと』を通じて、相手の隠れた可能性を引き出すことである、と同時に自分が変わること」(伊藤)、インドで親切な行為に「ありがとう」と言ったらキレられた。

「間接的な因果による見返りを期待して行う行為は、常に利己的な利他になってしまう」(中島)、「自らの意を超えたところで動かされること、すなわち無為の状態においてこそ、利他は成就している」(若松)、「利他は、このサマリア人が感じた義の心をひとつのモデルにできる」「それは中動態においてとらえられる応答としての責任であり、帰責性からは区別される責任なのです」(國分)。このように並べてみた全体が、「うつわ」的利他のイメージである。

それでは、どうしたら本当の「うつわ的利他」が意図せずに実現するのかとなると、哲学的、宗教的な、かなり深い領域にはいっていくようにも思う。

最後の磯崎の話は、利他そのものについては、直接触れていないものの、小説家の作品が意図せずに小説の歴史に奉仕していることに、利他との関連を見ている。

当レビューアーの好きな北杜夫の「谿間にて」も紹介されているし、保坂和志やその師匠の小島信夫の引用やらエピソードやらが色々出てきて面白い。「利他プロジェクト」、これからどのように続くのか、興味津々である。

 

利他とは何か。本著は東京工業大学の「未来の人類研究センター」における「利他プロジェクト」の可能性を考える五人の研究者による論考をコンパクトに紹介したものである。

いうなれば、コロナ禍において世界が直面する今日の危機的状況を克服するキーワードとして注目される「利他」という思想的可能性をさぐる試みといえそうだ。
サンデル教授の白熱教室やアメリア・アレナスの鑑賞学ではないけれど、あえて異分野の論客による視点から「利他」を考えることで、たとえば「うつわになること」のようなイメージが成立してくるのがおもしろかった。
たとえば、「利己」の対立概念としての「利他」が因果を背景にしてメビウスの輪のようにつながっているとすれば「利他」は可能性として自己(意志)を超えた地平で生成される現象(効果)とみることができる。そういう意味ではこのプロジェクトの試み自体が利他的な可能性を孕んだものとしてたいへん興味深く思えてくる。
いうなれば、形而上学や身体論、表現論とも連動する現象学的なイメージもあるけれど、この「メソッド利他」にはコロナ禍に直面した現代社会のあり方のみならず人間という種のあり方を見つめなおす重要なヒントがあるようにも思えてくるから不思議だ。
サラリーマン川柳で「サラリーマン サラリーとったら ボランティア」というおもしろい作品を思いだしたのだがボランティア活動と利他行為はちがうのだろうか。ともに他者のためのおこないではあるけれど手段と目的という点で微妙にちがってくるのだろうか、などといろいろな仮説を立てて読む楽しさもありそうだ。

個人的には若松英輔の柳宗悦論がとてもおもしろかった。彼らの民藝運動そのものが利他的発想を内包し、美藝より工藝が優位に立つとするまなざしにも説得力があった。

すなわち用のものとして機能して生成される無為の産物(利他の本質)にこそ美の可能性があるという民藝の発想はおどろきでさえある。つまり、人間の意志を超えた利他の文脈という意味では國分功一郎の中動態にこそ意志と責任に関する哲学的考察の中から可能性を考える作業がクロスしてくる気がしておもしろい。

いうなれば、このプロジェクトの異分野の研究者による論考のダイナミズムにこそ「利他」の可能性があると云えるのかもしれない。
このほか、美学者の視点で伊藤亜紗、小説家の視点で磯崎憲一郎、政治学の視点で中島岳志といずれ劣らぬ論客による利他をめぐる重層的な考察がおもしろいのだが、磯崎氏の紹介する小島信夫の「馬」という作品には大いに魅力を感じた。

これは直ちに読まなければという気にさせられた。磯崎憲一郎はこの作品について語る村上春樹の解釈を紹介しながら、ここでも作者の思惑(作為=設計図)を超えた出来事に注目している。
中島岳志はおわりに利他の本質を意図的な行為ではなく、人知を超えた「オートマティカルなもの」であり、利他が宿る構造として「うつわ」を想起させるあり方が大切としている。
おもえば、大沢真幸の「個体を超えた共存」や中島自身の個別な理性を超えた中に存在の英知を見出そうすること、つまりは集合的な存在に依拠しながら時代の変化に対応する形で斬進的に改革を進める保守の態度が重なるようでもある。

何はともあれ、いろいろなイメージが広がってくる本であることはまちがいない。まずはご一読を!

 

東工大「未来の人類研究センター」のメンバーが、それぞれの研究分野や視点から「利他」にアプローチされていて、どれもとても興味深く、「利他」について思いを馳せるいい機会になりました。
本書にもあるように、それぞれの視点の中に「共通する何か」を私も感じ、それは(私的には)「利他は発生するものなのでは」ということでした。
「見返り」や「期待」を求めると、自分の利益へと誘導する「利己」になってしまう「危うさ」を、自分の反省とともに改めて感じさせられました。
そうではなく、「頭で考えるより先に行動してしまっている」ようなことが「利他」の本質な気がしました。
そして、そのためのもうひとつのキーが「行動」ではと思い至りました。
ふと思い出したのが、台湾の旅行時に道に迷って現地の方に尋ねた時のことです。その尋ねた方は、自分が急いでいたにも関わらず、わざわざそこまで連れていってくれました。
きっとその方は、別に見返りを求めたわけではなく、発生した利他心(?)のままに、とっさに「行動」してくれたのだと思います。
そのような状況的・発生的な「利他」を研究・追及するのは、論理的には難しそうですが、論理ではないその「視点」こそが、これからよりよく生きるいいヒントになることを、本書より実感しました。
研究のさらなる深まり(&続編)を楽しみにしております。

 

利他的行為とは何か,という問題について多方面の論客が論じた書.総じて論じられているのは,利他を意図して為そうとすればそれは欺瞞に通じてしまう.意図しない利他行為の貴重さとその困難性ということか.


中国 コロナ感染終息の四つの原因

2021年07月30日 09時06分58秒 | 社会・文化・政治・経済
 
和中 清: ㈱インフォーム代表取締役
 
昭和21年生まれ、同志社大学経済学部卒業、大手監査法人、経営コンサルティング会社を経て昭和60年、(株)インフォーム設立 代表取締役就任
平成3年より上海に事務所を置き日本企業の中国事業の協力、相談に取り組む
 
先の日中論壇で武漢の転換点は収容施設をつくり感染者を収容したこと。日本のやり方は中途半端で日本は武漢に学んでいないと述べた。(20-004 中国の債務問題「異論」(その1))
 
 1月から2月にかけて日本では武漢の病院の大混乱が報道された。中国は対策にPCR検査と陽性者の専用施設隔離を進め、全国から武漢に医師と看護士を応援派遣した。それで状況が劇的に変化した。
武漢の封鎖解除にあたり全住民のPCR検査も実施している。今、北京では120元(約1,600円)でPCR検査を受けられる。北京郊外の村の小さな診療所でさえ受けることができる。
 
 因みに日本では新型コロナウイルス陽性者は隔離が原則だが、2020年7月22日現在、治療と療養中感染者4,686人のうち自宅療養が813人、入院、療養を確認中が432人いる。病院のベッド不足、宿泊療養施設の不足から8月に入り自宅療養はさらに増加して感染症対策の基本が崩れている。だから武漢に学んでいないと言える。
 
武漢閉鎖時、「日本は中国とは違う」「中国のようにはできない」。
日本ではこんな言葉が語られた。だが、「日本は違う」と一言で片づけてしまえば教訓は見えてこない。
 
 中国が感染を終息させた原因には深いものがある。
そこには日本や米国も学ぶべきことが多いと思う。
 
 1.鐘南山博士及び国家衛生健康委員会の進言
 
 2.鐘南山博士と政府の情報共有と政府の武漢封鎖の決断
 
 3.国民の協力と情報化社会
 
 4.中国の体制と法制
 
1月18日から1月20日に何があったか
 
 1月18日に国家呼吸系統疾病臨床医学研究中心主任の鐘南山博士が武漢に行った。
また新型コロナウイルス担当副総理も武漢に入った。そして1月19日夜に国家衛生健康委員会の緊急会議が行われて、1月20日に習近平主席が「人民の命と安全健康を第一に新型肺炎に対処」という指示を出して、1月23日午前10時に湖北省政府主導で武漢市疫情防止指揮センターが「封城」、すなわち武漢封鎖を実行した。
 
 1月23日の中国全土の新規感染者数は259人、死亡数は8人、累計感染数は830人、重症者数は177人、累計死亡数は25人だった。
その日の湖北省の新規感染者は105人、武漢の新規感染者は70人である。8月の日本の新規感染者数よりかなり少ないがそれでも武漢は封鎖された。
 
 封鎖は鐘南山博士及び国家衛生健康委員会の「人から人への感染」の説得と「封鎖」の進言があり政治決断された。
 
 だが、世界には中国の初動対応を批判する意見も多い。武漢の混乱の中で亡くなった人の遺族もやるせない気持ちでいる。
彼らは初動対応に不満も持つ。もちろん初動対応に全く問題が無いわけではない。
だが病院の混乱は欧州や米国など世界中で起き、今も続いている。武漢の病院混乱が経験されてからもかなりの日数が経つが、世界ではまだそれが続いている。日本でも危惧されている。
 
 中国はSARSを経験し他国よりウイルス感染への準備ができていたと思うが、それでも初動では混乱した。
今でこそ新型コロナウイルスの脅威がある程度解るが、武漢の感染初期段階の「未知のウイルス」、「人から人への感染」という情報しかない状況で、果たして世界の国々が対策を準備できたのか疑問に思う。
感染拡大の真っただ中でさえ、米国ではマスクすら否定された。日本でもまだ感染者の自宅療養が多い状況が続いている。
 
 初動対応遅れの指摘は結果論で、たとえ情報がもっと早くもたらされたとしても対策の目立った動きは起きなかったと思う。
 
 武漢封鎖前後の中国全土の新規感染数は1月21日149人、1月22日131人、1月23日259人、1月24日444人である。
現在の欧州、米国、日本の新規感染者数よりはるかに少ない。筆者はよく「封鎖」が決断されたと感心する。
 
「日本は中国のようにはできない」と言われる「中国」にこそ学ぶべき点がある
 
「日本は中国とは違う」と一言で片づけてしまえば教訓は得られない。
 
 確かに日本では都市封鎖どころか、筆者が中国のアパートで体験した、海外から中国に戻った自宅待機者にさえ14日間の自宅隔離と部屋の封印の強い対応はできないだろう。
しかし「日本とは違う」と言われる「中国」にこそ学ぶべき点が多々ある。
 
 筆者は「武漢封鎖」は新型コロナウイルスの終息手段で、終息の根本原因は「価値判断」「進言の覚悟」「政治の覚悟と決断」だと考えている。
 
 武漢市の常住人口は1,100万人を超える。しかも先の日中論壇で述べたように武漢は中国の要の都市である。(20-003 新型ウイルスと武漢 そして今後の中国経済)
 
 表のように2019年の上位10都市GDPでは武漢は8位で内陸経済の重要な役割を担う都市である。
 
2019年上位10都市GDP
(億元)
1 上海 38,155 6 蘇州 19,236
2 北京 35,371 7 成都 17,013
3 深圳 26,927 8 武漢 16,233
4 広州 23,629 9 杭州 15,373
5 重慶 23,606 10 天津 14,104
(統計速報)
 
 そんな武漢の都市封鎖は「中国だから」というだけでたやすく出来ることでもない。
 
 中国の人口は14億人である。それは中国の政治家にとって大変な圧力である。
 
 武漢の常住人口1,100万人には200万人以上の"外来人口"、武漢戸籍外の人達がいる。主に武漢で働く農民工である。
 
 封鎖は春節休暇前で、故郷では多くの家族が子供や両親の帰郷を待っていた。
逆に、武漢やその周辺都市から湖北省外で仕事に従事し、学校で学ぶ人も何十万人か何百万人かいる。日本と違い中国では夫と妻、親と子が離れて暮らす家族も多い。
彼らにとって春節休暇は待ち望んだ年に一度の楽しみである。そんな春節前の「武漢封鎖」である。そのため封鎖は経済だけでなく国民感情に計り知れない影響、反発さえもたらす。
 
 200万人を超える農民工は全国から武漢に来ている。西蔵自治区も新疆ウィグル自治区も黒龍江省も例外ではない。だから封鎖は中国全土に影響する。
 
 一方、200万人は中国の人口の0.14%である。封鎖時点では、どこもまだ十分な検査や医療体制は整っていないので、1.43人が1,000人に影響を与え、200万人が14億人に影響を与える可能性も食い止めなければならない。
 
「中国では小さな問題でも14億で掛け算すれば大変な問題になる」。
 
 1月18日から20日にかけて鐘南山博士と国家衛生健康委員会、副総理、習近平主席、李克強総理はこの問題に直面したと思う。そんな圧力と対峙しての「進言」と「決断」、「覚悟」を武漢封鎖の裏に読み取るべきである。
 
 まして武漢での新規感染者が70人での「都市封鎖」である。多くの人が「どうしてそこまで」と思う中での「進言」「決断」である。それには相当の覚悟がいる。
 
「価値判断」のための二つの思考
 
 筆者は政治家が問われなければならない大切なことは危機に直面しての的確な価値判断と思う。言い換えると「何が最も大切か」を考え「決断」する能力と思う。
 
「何が大切か」の答えは、非常時には一つでなければならない。
"あれもこれも"の選択はできない。非常時の"あれもこれも"は致命傷になる。判断に迷えば時機を失う。津波時の"とにかく山へ"と同じである。
 
 中国の政治家が新型コロナウイルス対応での価値判断で考慮したことは二つあったと思う。
一つは、「人命」か「経済」かである。
もう一つは「時間」である。コロナ禍を終息させ、社会活動の早期復活を図るにはどんな対応をすべきか、の「時間軸」の考慮である。
封鎖の「価値判断」「決断」の前提にはこの二つの「思考」があったと思う。
 
 だが、答えを一つに絞るには進言する人も決断する政治家も勇気と覚悟がいる。切り捨てた側から嫌われ、批判され矢面に立つ覚悟である。
 
 武漢は中国第八位の経済都市であり、サプライチェーンや鉄道網、高速道路網を通じて閉鎖は国の経済にも計り知れない影響を与える。
「都市封鎖」はいかに体制が違う中国でも「決断」から逃れたいことである。特に中国では「進言」の緊張感は大変なものだったと思う。
 
非常時に生きる政治家の社会経験と地方での苦労
 
 一般的にも、非常時の救世主は「嫌われること」を引き受ける人であることが多い。悪役を引き受け「馬謖を斬る」ことができる人である。
 
 どうすれば「涙を揮い馬謖を斬れる」人になれるのか。非常時に間違わない迅速な判断を下せる人になれるのか。なぜ「嫌われる」決断ができるのか。
 
 筆者はその答えの大切な一つが「社会経験」であると思う。
 
 日本では中国の政治家はよく思われない。
「独裁」「権力」「腐敗」の象徴のように見る人も多い。
メディアの報道も、その言葉で中国政治を語ることが多い。
だが、中国の政治家、特に幹部は地方の現場経験と下積みの苦労を経て中央幹部になる人が殆どである。
 
 胡錦涛前主席は甘粛省水利部のダム工事技師として現場仕事に従事し、温家宝元総理も北京地質学院を卒業した技師だった。
習近平主席は浙江省や福建省、上海市などで22年の地方経験を積んでいる。
中国共産党第19期中央委員会第1回全体会議(2017年10月)で選出された常務委員の殆どが食品工場や倉庫管理人などの地方現場を経験している。さらに彼らは地方で組織リーダーの経験も積む。そこでは業績が問われる。
 
 業績を得るには指導力が必要である。「人を使い」「人に助けられ」「人を活かす」、そんな実務経験と苦労を経て一人前になる。それは机上の学習で得られるものではない。
 
 中国の地方は大きい。2018年末では広東省の人口は1.13億人、山東省は1億人、四川省は8千3百万人である。各省のGDPは世界の多くの国にも匹敵する。
 
 日本では中国の政治は独裁と捉えがちだが、全てが中央集権で14億人もの国を動かせるはずはない。彼らは地方での「実践」かつ「実戦」を通じて、判断力、決断力を学習しその能力を高める。さらに現場を知ることで、自信につながり政治決断にも影響を与える。
 
 人を使うには「言葉」も大切である。現場で接する人の「共感」を得るため自らの「言語能力」も身につけていく。その言語能力は新型コロナウイルスのような自らの心と言葉で国民に訴えかけねばならない非常時に生きる。
 
 さらに中国の政治は「あいまいさ」「中途半端」は最も避けなければならないことである。「明確にハッキリ」と事を進め、事を治めなければならない。
 
 なぜなら、言葉も習慣も民族も違う14億もの人を相手にしているからである。
 
 放つ言葉の「あいまいさ」で、受け取る人の解釈が違えば、14億とおりの解釈が生まれる国である。また中国は「国に政策、人民に対策」の国でもある。解釈が違い、対策も種々となれば、人の行動は際限なく広がり、非常時には収拾がつかなく大混乱になる。
 
 政治家に「社会経験」が乏しいことは、修羅場の体験が少ないことでもある。だから身体を張る覚悟ができない。責任を逃れるために逃げ場を考えたあいまいな指示にもなる。
 
 もちろん国情の違いはあるが、日本での新型コロナウイルスへの対応で発せられる言葉には「できるだけ・・お願い」が多いと思う。
この言葉は通常、企業社会では使われない。禁句でもある。一方、中国の社会風土はそうではない。
「できるだけ」のようなあいまいな言葉は否定される。「要不要、要るのか要らないのか、欲しいのか欲しくないのか」、物事をハッキリさせないと中国社会には馴染まない。
まして非常時にはなおさらである。体制の違いも影響しているだろうが、非常時に明確な対応をせず、言葉が弱いのは為政者の一般社会での経験が影響しているとも思う。
 
 何より「社会経験」は思考を深くする。思考の深みは戦略的思考につながり、社会を動的なものへと導く。「社会経験」が乏しいと八方美人で目先の対応に陥りやすい。
 
 このようなことから中国の政治家は地方経験を通じて「判断」「決断」「明快な指示」に慣れている。「下済みの経験と苦労」「地方リーダーの経験で培った判断力、決断力」、これらを「武漢封鎖」の裏に読み取るべきと思う。
 
「耐えて忍ぶ」儒教の国
 
 最後に「なぜ終息できたのか」で見落としてならないのは「国民の協力」である。
 
「独裁」「強権」だけで14億もの人を率いるのは不可能である。
 
 中国の政治家は「民意」で選ばれないだけに、空気のように漂う「民意」に敏感になる。空気は「見えない」だけにやっかいである。空気が集まり怒涛のように襲う怖さと常に向き合っているのが中国の政治家と思う。
 
 だから常に国民が何を考えるのか、望むのか、それを考えながら自らの言葉で語りかけていかなければ14億もの人を引き寄せることはできない。その能力も地方経験、社会経験で培われる。「武漢封鎖」のような非常時には特にそれが大切になる。
 
 だから「独裁」「強権」だけで「武漢封鎖」は成し得なかったし、新型肺炎は終息しなかった。その成功の裏には「武漢封鎖を決断した政治と政治家」への国民の信任がある。
 
 中国では武漢だけでなく多くの都市で地区や団地の「封鎖」が行われた。街や団地でルールを決め、買い物にも不自由な中を住民同士が助け合い協力して対応している。
 
「武漢封鎖」の時には全国で「武漢加油」が叫ばれた。「四川地震」の時の国民の行動と重なる。
 
 いろいろなところでトラブルもあったが、大方の国民の受け止め方は「非常時なのでしかたがない」である。
 
 日本では過去の歴史からか「非常時」における国の権力行使を批判的に捉える論調も多い。しかし「感染症」はそう批判する人が考える「非常時」とは本質的に違うと思う。
 
 多くの海外メディアはどうしても問題やトラブルの部分をクローズアップしやすい。だから大方の国民の信任は日本をはじめ海外には伝わりにくい。
 
 もちろん中国では法律を破ると罰則が強い。新型コロナウイルスでは非常時の法制が適用され、法律に従わない人には迅速に強い処罰が行われている。通常の裁判でなく非常時の即決である。問題もあるが、長い月日をかけての裁判は非常時に意味をなさない。
 
 だが、「強権」だけに焦点を当てると「中国だから」「独裁だから」となってしまう。
 
 禁を破れば強い処罰がある。それが終息に影響していないとは言わないが、もっと奥深いところで政治に対する「信任」がある。
 
 さらに中国の国民性、「中国人の我慢強さ」「忍耐力」、非常時に「互いを思い、耐えて忍ぶ力」も「早期の終息」に影響したと思う。
 
 これは日本人にも共通する。新型コロナウイルスの拡大がアジアで比較的抑えられているのはアジア人の体質、習慣やアジアの国の文化風土があるのではと思う。特に中国は儒教の国である。
日本もその影響を受けている。少し皮肉を言えば、そんな風土が日本にもあるのに日本で終息が遅れるのはどうしてなのだろうか。
 
 非常時に我慢をする。お互い助け合う。そんな国民性が重要な役割を果たしたと思う。儒教の影響だろうか、中国人には新型コロナウイルス陽性者に対し、本人に問題があると考える人は少ない。「ドアの封印」のように見た目の対応はきついが、心の中では皆が「朋友」である。
 
 そして高度に進んだ中国のネット社会も新型コロナウイルス対策で効果を発揮した。
 
 スマホには各自の健康データ、行動記録が入っている。スマホの健康データの提示で人が密集する場所のコントロールが進んだ。監視社会と批判されるが、新型コロナの非常時に情報化社会が大きな威力を発揮している。
 
 筆者は、常々日本の中国の捉え方は極端に走りすぎると思う。「日本は中国とは違う」と切り捨てた中にこそ大事な教訓が隠れている。
 
 

 


東京五輪の自転車競技(トラック)競技日程と開始時間一覧

2021年07月30日 09時05分00秒 | 未来予測研究会の掲示板

 東京五輪の自転車競技(トラック)の2021年8月2日から8月8日まで行われる競技日程と開始時間一覧です。

8月2日(月)

開始時間 種目
15:30 女子チームスプリント予選
15:54 女子チームパーシュート予選
16:50 女子チームスプリント第1ラウンド 1組
16:53 女子チームスプリント第1ラウンド 2組
16:56 女子チームスプリント第1ラウンド 3組
16:59 女子チームスプリント第1ラウンド 4組
17:02 男子チームパーシュート予選
18:00 女子チームスプリント決勝 7-8位決定戦
18:03 女子チームスプリント決勝 5-6位決定戦
18:06 女子チームスプリント決勝 3-4位決定戦
18:09 女子チームスプリント決勝

 

8月3日(火)

開始時間 種目
15:30 女子チームパーシュート第1ラウンド 1組
15:37 女子チームパーシュート第1ラウンド 2組
15:44 女子チームパーシュート第1ラウンド 3組
15:51 女子チームパーシュート第1ラウンド 4組
15:58 男子チームスプリント予選
16:22 男子チームパーシュート第1ラウンド 1組
16:29 男子チームパーシュート第1ラウンド 2組
16:36 男子チームパーシュート第1ラウンド 3組
16:43 男子チームパーシュート第1ラウンド 4組
16:50 男子チームスプリント第1ラウンド 1組
16:53 男子チームスプリント第1ラウンド 2組
16:56 男子チームスプリント第1ラウンド 3組
16:59 男子チームスプリント第1ラウンド 4組
17:05 女子チームパーシュート決勝7-8位決定戦
17:12 女子チームパーシュート決勝5-6位決定戦
17:19 女子チームパーシュート決勝3-4位決定戦
17:26 女子チームパーシュート決勝
17:35 男子チームスプリント決勝 7-8位決定戦
17:38 男子チームスプリント決勝 5-6位決定戦
17:41 男子チームスプリント決勝 3-4位決定戦
17:44 男子チームスプリント決勝

 

8月4日(水)

開始時間 種目
15:30 男子スプリント予選
16:10 女子ケイリン第1ラウンド 1組
16:15 女子ケイリン第1ラウンド 2組
16:20 女子ケイリン第1ラウンド 3組
16:25 女子ケイリン第1ラウンド 4組
16:30 女子ケイリン第1ラウンド 5組
16:35 男子スプリント1/32決勝 1組
16:38 男子スプリント1/32決勝 2組
16:41 男子スプリント1/32決勝 3組
16:44 男子スプリント1/32決勝 4組
16:47 男子スプリント1/32決勝 5組
16:50 男子スプリント1/32決勝 6組
16:53 男子スプリント1/32決勝 7組
16:56 男子スプリント1/32決勝 8組
16:59 男子スプリント1/32決勝 9組
17:02 男子スプリント1/32決勝 10組
17:05 男子スプリント1/32決勝 11組
17:08 男子スプリント1/32決勝 12組
17:11 女子ケイリン敗者復活戦 1組
17:16 女子ケイリン敗者復活戦 2組
17:21 女子ケイリン敗者復活戦 3組
17:26 女子ケイリン敗者復活戦 4組
17:31 男子スプリント1/32決勝敗者復活戦 1組
17:34 男子スプリント1/32決勝敗者復活戦 2組
17:37 男子スプリント1/32決勝敗者復活戦 3組
17:40 男子スプリント1/32決勝敗者復活戦 4組
17:45 男子チームパーシュート決勝7-8位決定戦
17:52 男子チームパーシュート決勝5-6位決定戦
17:59 男子チームパーシュート決勝3-4位決定戦
18:06 男子チームパーシュート決勝
18:13 男子スプリント1/16決勝 1組
18:16 男子スプリント1/16決勝 2組
18:19 男子スプリント1/16決勝 3組
18:22 男子スプリント1/16決勝 4組
18:25 男子スプリント1/16決勝 5組
18:28 男子スプリント1/16決勝 6組
18:31 男子スプリント1/16決勝 7組
18:34 男子スプリント1/16決勝 8組
18:47 男子スプリント1/16決勝敗者復活戦 1組
18:50 男子スプリント1/16決勝敗者復活戦 2組
18:53 男子スプリント1/16決勝敗者復活戦 3組
18:56 男子スプリント1/16決勝敗者復活戦 4組

 

8月5日(木)

開始時間 種目
15:30 男子オムニアムⅠスクラッチ
15:48 男子スプリント1/8決勝 1組
15:51 男子スプリント1/8決勝 2組
15:54 男子スプリント1/8決勝 3組
15:57 男子スプリント1/8決勝 4組
16:00 男子スプリント1/8決勝 5組
16:03 男子スプリント1/8決勝 6組
16:06 女子ケイリン準々決勝 1組
16:11 女子ケイリン準々決勝 2組
16:16 女子ケイリン準々決勝 3組
16:21 男子スプリント1/8決勝敗者復活戦 1組
16:24 男子スプリント1/8決勝敗者復活戦 2組
16:27 男子オムニアムⅡテンポ
16:45 男子スプリント準々決勝第1回戦
16:57 女子ケイリン準決勝 1組
17:02 女子ケイリン準決勝 2組
17:07 男子オムニアムⅢエリミネーション
17:25 男子スプリント準々決勝第2回戦
17:37 女子ケイリン決勝7-12位決定戦
17:45 女子ケイリン決勝1-6位決定戦
17:50 男子スプリント準々決勝 勝者決定戦
17:55 男子オムニアムⅣポイント
18:27 男子スプリント決勝5-8位決定戦

 

8月6日(金)

開始時間 種目
15:30 女子スプリント予選
16:10 男子スプリント準決勝第1回戦
16:16 女子スプリント1/32決勝 1組
16:19 女子スプリント1/32決勝 2組
16:22 女子スプリント1/32決勝 3組
16:25 女子スプリント1/32決勝 4組
16:28 女子スプリント1/32決勝 5組
16:31 女子スプリント1/32決勝 6組
16:34 女子スプリント1/32決勝 7組
16:37 女子スプリント1/32決勝 8組
16:40 女子スプリント1/32決勝 9組
16:43 女子スプリント1/32決勝 10組
16:46 女子スプリント1/32決勝 11組
16:49 女子スプリント1/32決勝 12組
16:52 男子スプリント準決勝第2回戦
16:58 女子スプリント1/32決勝敗者復活戦 1組
17:01 女子スプリント1/32決勝敗者復活戦 2組
17:04 女子スプリント1/32決勝敗者復活戦 3組
17:07 女子スプリント1/32決勝敗者復活戦 4組
17:10 男子スプリント準決勝 勝者決定戦
17:15 女子マディソン決勝
18:00 男子スプリント決勝1回戦
18:06 女子スプリント1/16決勝 1組
18:09 女子スプリント1/16決勝 2組
18:12 女子スプリント1/16決勝 3組
18:15 女子スプリント1/16決勝 4組
18:18 女子スプリント1/16決勝 5組
18:21 女子スプリント1/16決勝 6組
18:24 女子スプリント1/16決勝 7組
18:27 女子スプリント1/16決勝 8組
18:35 男子スプリント決勝2回戦
18:50 男子スプリント決勝 勝者決定戦
18:53 女子スプリント1/16決勝敗者復活戦 1組
18:56 女子スプリント1/16決勝敗者復活戦 2組
18:59 女子スプリント1/16決勝敗者復活戦 3組
19:02 女子スプリント1/16決勝敗者復活戦 4組

 

8月7日(土)

開始時間 種目
15:30 女子スプリント1/8決勝 1組
15:33 女子スプリント1/8決勝 2組
15:36 女子スプリント1/8決勝 3組
15:39 女子スプリント1/8決勝 4組
15:42 女子スプリント1/8決勝 5組
15:45 女子スプリント1/8決勝 6組
15:48 男子ケイリン第1ラウンド 1組
15:53 男子ケイリン第1ラウンド 2組
15:58 男子ケイリン第1ラウンド 3組
16:03 男子ケイリン第1ラウンド 4組
16:08 男子ケイリン第1ラウンド 5組
16:13 女子スプリント1/8決勝敗者復活戦 1組
16:16 女子スプリント1/8決勝敗者復活戦 2組
16:19 男子ケイリン敗者復活戦 1組
16:24 男子ケイリン敗者復活戦 2組
16:29 男子ケイリン敗者復活戦 3組
16:34 男子ケイリン敗者復活戦 4組
16:39 女子スプリント準々決勝第1回戦
16:55 男子マディソン決勝
17:55 女子スプリント準々決勝第2回戦
18:15 女子スプリント準々決勝 勝者決定戦

 

8月8日(日)

開始時間 種目
10:00 女子オムニアムⅠスクラッチ
10:18 女子スプリント準決勝第1回戦
10:24 男子ケイリン準々決勝 1組
10:29 男子ケイリン準々決勝 2組
10:34 男子ケイリン準々決勝 3組
10:39 女子スプリント準決勝第2回戦
10:45 女子オムニアムⅡテンポ
11:03 女子スプリント準決勝 勝者決定戦
11:06 女子スプリント決勝5-8位決定戦
11:09 男子ケイリン準決勝 1組
11:14 男子ケイリン準決勝 2組
11:20 女子スプリント決勝1回戦
11:26 女子オムニアムⅢエリミネーション
11:45 女子スプリント決勝2回戦
11:51 男子ケイリン決勝7-12位決定戦
12:00 男子ケイリン決勝1-6位決定戦
12:05 女子スプリント決勝 勝者決定戦
12:25 女子オムニアムⅣポイント

創作 人生の計算 続 6)

2021年07月30日 04時16分41秒 | 創作欄

川口雄介が初めて競馬に触れた日は奇しくも、忘れもしない伝説の地方競馬の馬ハイセイコーが中央競馬(中山競馬場)の晴れ舞台にデビューした日である。
彼は競馬は初めてであり、麻雀も知らなかった。
先輩の沢田寅雄が、競馬専門紙を広げ「君は、どの馬にするか」と聞くのだ。
ニューサントという馬の名前が目にとまる。
山戸由紀夫は、前の職場の同僚であった。
その彼が、真冬なのにワイシャツ姿で出勤して来たのだ。
「山戸君、そんな姿で、寒くはないのかい。背広はどうしたんだ?」不信に思った支社長の渡瀬久雄が問う。
「金がないので、背広とコートは、質屋に入れました」分厚いメガネをかけた山戸は、ずれ落ちたメガネのフレームを指で押し上げるような仕草をする。
「何?質屋だと。バカ者!そんな姿で営業には行けないだろう。背広を質屋から出して来るんだ。給料の前借りを許すよ」怒り半分で呆れかえる。
山戸はそれ以来、出社することはなかった。
新宿のアパートの家賃も溜めていて、夜逃げをしたのだ。
川口は歌舞伎町で飲んだ日に、そのアパートの6畳間に泊めてもらったことがある。
彼は作家寺山修司の信奉者であり、書棚には競馬関連の本や雑誌もあった。
競馬とともに麻雀好きの山戸は、阿佐田哲也の麻雀放浪記も読んでいたのである。
「山戸君は、どこでどうしているのだろうか?」川口は想ってみた。
川口はハイセイコーの馬券とニューサントの馬券を買うことにする。
ちなみに、ハイセイコーの単勝は110円だった。

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参考
 
ハイセイコーは大井競馬場が生んだ空前絶後の名馬であるばかりか、日本競馬史上における不滅のアイドルであった。
今日でこそ競馬はレジャー・スポーツとして市民権を得ているが、1970年代前半までは一般の人には単なるギャンブルと見られていた。
1960年代後半、戦後初の3冠馬に輝いたシンザン、名人野平祐二とのコンビで欧米に遠征したスピードシンボリ、無敵の快進撃で初の1億円ホースとなったタケシバオーらが出現した頃からブームの兆候はあったが、それでも競馬専門紙を見ていると白眼視される時代であった。
1972年、ハイセイコーが出現してようやく「私は競馬ファンです」と胸を張れる時代がやってきた。
ハイセイコーは実は競馬が市民権を得るきっかけを作った功労馬でもある。
 
 
1973/03/04
弥生賞 2着 ニユーサント
 
 
ハイセイコー
新冠 牡 鹿毛 1970生まれ 美浦・鈴木勝厩舎
父 チャイナロック 母 ハイユウ
 
父チャイナロック 母ハイユウ 母父カリムという血統。父はリーディングサイアーを獲得した事もある一流種牡馬で、母も公営競馬で16勝も上げているという当時としてはかなりの良血馬である。生まれた時から馬体も良く、調教に行っても良く走る牧場一番の期待馬だった。
 
3歳になって公営の大井競馬場に入厩。馬主が中央競馬の馬主権を持っていなかったからである。実は当時は南関東の方が預託料は安く賞金は中央とほとんど遜色なかったので、中央競馬と大井競馬のレベルは拮抗していたらしい。しかし入厩時既に中央競馬移籍は約束されていたという話もある
 
 生まれたときから馬格があり、ひときわ目立つ存在で、「追い運動で、一度も仲間に先頭を譲ったことがない。ケガや病気一つしない丈夫な馬で、日高の3本の指に入るサラブレッド」(武田隆雄氏)と期待された。
 72年、2歳夏に大井競馬でデビューするとたちまち6戦6勝。初出走は雨の中、馬なりの独走で1000Mを59秒4の快時計。それまで公営競馬史上最強といわれたヒカルタカイ(のちの天皇賞馬)のレコードを0秒8も更新した。2戦目、3戦目もぶっちぎりの楽勝。4戦目のゴールドジュニアでは1400M1分24秒9で再びレコードの大差勝ち。5戦目の白菊特別も馬なりで圧勝し、6戦目の重賞の青雲賞(現在のハイセイコー記念)では、2着に7馬身差で快勝した。これで白星が6つ、いずれも追うところのない完璧の内容だった。
 それまで管理していた伊藤正美調教師には、「これだけの名馬を手放したくない」という思いと「馬のためには日本ダービーに挑戦させたい」という相反する苦悩があったが、ハイセイコーの真の強さを証明するためには中央入りは仕方がなかった。厩務員の山本武夫さんは「こんな強い馬と別れることになってしまって悲しい」と言い、突然雲隠れしてしまった。
 ハイセイコーは年が明けた73年1月にホースマンクラブに5000万円でトレードされ、東京競馬場の鈴木勝太郎厩舎に移籍した。
 増沢末夫との新コンビで弥生賞、スプリングS、皐月賞、NHK杯と勝ち進んで驚異の10連勝。5月6日のNHK杯では東京競馬場に新記録の16万9174人のファンが入場し、ブームは頂点に達した。
 「ハイセイコーがまた勝ちました。さあ次は日本ダービーです。私たちの英雄に声援を送りましょう」NHK杯のゴールイン直後に開催中の大井競馬場のウグイス嬢が異例の放送をした。
 ハイセイコーは日本ダービーで2冠目を狙った。
だが、史上最高66.6%の単勝支持率の大本命馬はタケホープの3着に沈んだ。勝者はいつの日か敗れるが、その日が早過ぎた。
 「外から並ばれたとき、駄目だと思った。
馬が苦しがっていた。今日は大人しすぎた。使い詰めできた目に見えない疲労かな」と増沢末夫は首を傾げた。
「ハイセイコー、ハイセイコーと声援してくれた子供たちの夢を破ったことがつらい」と、大場博厩務員は涙した。
 サクセスストーリーは完成しなかったが、ハイセイコーには五分の魂があった。
秋の菊花賞もタケホープの2着と惜敗したが、4歳になると中山記念、宝塚記念、高松宮杯を勝って中距離の王者に君臨した。
ラストランの有馬記念ではタニノチカラの2着に入線し、宿敵タケホープに先着する意地を示した。
 公営と中央を合わせて22戦13勝。総収得賞金は当時としては破格の2億1956万6600円。引退に際して増沢末夫でレコード化した「さらばハイセイコー」は一説では50万枚近くも売れたという。
 
調教時から破格の動きを見せていたハイセイコーは初戦でいきなり大井1000mのコースレコードをあっさり更新すると瞬く間に6連勝を飾る。
常に2着馬に7馬身以上の差をつけたというのだから呆れる強さであった。
こんなに強い馬がどうして地方にいるんだよ、という話になるのは当然であろう。面白いのは、ハイセイコーがあまりに強過ぎ、馬券の妙味が失せてしまったためか、勝てば勝つほど大井の観客が減ったという話がある。
 
 
4歳になりハイセイコーは別の馬主に売却され、中央に移籍することになる。この時に「地方の怪物中央競馬に殴りこみ!」とマスコミが大々的に取り上げた。このため、ハイセイコーは出走前から大きな注目を集め、中央移籍初戦の弥生賞にはなんと12万人以上の大観衆が詰め掛けた。騎乗したベテランの増沢末夫騎手でさえ初めて目にする人垣であり、まだ海のものとも山の物ともつかない地方出身馬をどうしても勝たせなくてはいけなくなった増沢騎手は強いプレッシャーを感じたという。
 
その弥生賞。終始手ごたえが怪しかったものの、じりじりと伸びて一着。続くスプリングステークスも切れは無いがじりじりと脚を伸ばして勝つ。正直、怪物とは縁遠いレース振りだったが、皐月賞では当然の一番人気。そしてハイセイコーはこのレースを直線入り口で先頭に立つという強い勝ち方で勝った。地方移籍馬が中央クラシックを制したのはこれが初めてだった。
 
この勝利でハイセイコー人気は沸騰。「東京ハイセイコー様」で郵便が届いたという笑い話があったほど(つまり郵便局員にあまねくハイセイコーの名が知れ渡っていたという事)である。彼はそれまで鉄火場と言われていた競馬場に競馬は知らないがハイセイコーは知っているお客さんを呼び込むことに成功し、競馬の社会的地位をギャンブルから見ることも楽しめるスポーツへと押し上げたのだった。
 
しかし、ハイセイコーの不敗神話もこれまでだった。次走NHK杯では何とか勝ったものの、単勝支持率が空前の66.6%に達した東京優駿では、ハイペースを追いかけ過ぎたか前走の疲れが残ったのか、タケホープとイチフジイサミに遅れをとる3着に敗れてしまったのである。
ライバルのタケホープは4月28日の4歳中距離特別を勝って、なんとかダービーの切符を手に入れたのだった。ただ、東京コースでは8戦3勝、掲示板を外したのは1度だけ。追えば追うだけ伸びるインディアナ産駒。
姉のタケフブキが前年オークスを勝っており、稲葉幸夫師と嶋田功騎手は調子が上向きなのと、距離延長に打倒ハイセイコーへ一縷の望みを捨ててはいなかった。なにしろ一週間前にナスノチグサでオークスを連覇したばかりで勢いがあったからだ。
ハイセイコーは、幾百万の地方出身の若者たちの夢だったが3着に沈む。
 
これ以降のハイセイコーの戦績はごく普通の一流半馬の戦績と言うべきであろう。
この後勝ったレースは中山記念、宝塚記念、高松宮杯であり、いわゆる古馬クラシックレースは勝てていない。菊花賞と有馬記念の二着があるのみである。適正距離で平坦なコースでは素晴らしく強かったが、当時主流だったクラシックディスタンスでは今一歩勝ちきれなかった。ただしそれでも2着に来るのだから能力自体はかなり高かったと言えるだろう。
 
しかし負けても人気は衰えなかった。
有馬記念の人気投票ではなんと90%もの人々がハイセイコーに投票した。年間の馬券売上高は一気に30%も増加。
それだけではなく一目ハイセイコーが見たいという親子連れが競馬場へ足を運び、馬券も買わずに声援を送った。それまで「競馬やってます」などと言えば白い目で見られたものだったのだが、ハイセイコーのおかげで競馬新聞を人前で読んでも恥ずかしくなくなったというのだから、ハイセイコーは正に社会そのものを変えてしまった馬だったと言えるであろう。
 
地方競馬の野武士が中央競馬に殴りこむ、という分かり易いスタイルで注目を集めたのが人気のきっかけであった事は確かであろう。しかしながら、その後敗戦を重ねても人気が衰えなかったのは何故なのだろうか。
ハイセイコーが活躍した1970年代。オイルショックの直撃を受けて、高度経済成長が止まり、日本経済が最初の挫折を味わっていたころと重なる。人々は日本経済と同じように挫折を味わいながらもひたむきに走り続けるハイセイコーに励まされたのではなかろうか。
 
実際、ハイセイコーは大型馬で走るフォームは泥臭く、それでいて足元は丈夫で予定したレースに順調に使われ続けた馬であった。無骨で真面目。如何にも日本人好みの馬だったのである。
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地方の怪物は公営大井競馬でデビューし、無敗で中央に転厩、弥生賞、スプ
リングS、皐月賞を制して「怪物」の人気を不動のものにし、競馬ブーム、ハイ
セイコー・ブームという一種の社会現象を巻き起こした。
だが、その後ダービー、菊花賞では惜敗したがブームは衰えず、競馬界の話題を独占し
続けた。
このまま終わると、単なる強い馬で終わってしまうが、アイドルホース
とも呼ばれたこの馬は、その後、宝塚記念も制し、そして伝説となった。
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生涯成績:   19戦 7勝 7.4.3.5
主戦騎手:  増沢末男
主な勝ち鞍: 皐月賞、宝塚記念(G1)、高松宮杯(G2)、弥生賞(G2)
      NHK杯(G2)
 
2000年5月4日PM 明和牧場(北海道新冠町)で心臓麻痺により没。享年31歳
 
墓には「人々に感銘を与えた名馬、ここに眠る」と記されている。
 
 
作家・詩人 寺山修司
 
 ふりむくな、ふりむくな、後ろには夢がない・・・
 
ふりむくと
一人の少年工が立っている
彼はハイセイコーが勝つたび
うれしくて
カレーライスを三杯も食べた
 
 
ふりむくと
一人の失業者が立っている
彼はハイセイコーの馬券の配当で
病気の妻に
手鏡を買ってやった
 
 
ふりむくと
一人の車椅子の少女がいる
彼女はテレビのハイセイコーを見て
走ることの美しさを知った
 
 
ふりむくと
一人の酒場の女が立っている
彼女は五月二十七日のダービーの夜に
男に捨てられた
 
 
ふりむくと
一人の親不孝な運転手が立っている
彼はハイセイコーの配当で
おふくろをハワイへ
連れていってやると言いながら
とうとう約束を果たすことができなかった
 
 
ふりむくと
一人の人妻が立っている
彼女は夫にかくれて
ハイセイコーの馬券を買ったことが
立った一度の不貞なのだった
 
 
ふりむくと
一人のピアニストが立っている
彼はハイセイコーの生まれた三月六日に
自動車事故にあって
失明した
 
 
ふりむくと
一人の出前持ちが立っている
彼は生まれて始めてもらった月給で
ハイセイコーの写真を撮るために
カメラを買った
 
 
ふりむくと
大都会の師走の風の中に
まだ一度も新聞に名前の出たことのない
百万人のファンが立っている
人生の大レースに
自分の出番を待っている彼らの
一番うしろから
せめて手を振って
別れのあいさつを送ってやろう
ハイセイコーよ
おまえのいなくなった広い師走の競馬場に
希望だけが取り残されて
風に吹かれているのだ
 
 
ふりむくと
一人の馬手が立っている
彼は馬小屋のワラを片付けながら
昔 世話したハイセイコーのことを
思い出している
 
 
ふりむくと
一人の非行少年が立っている
彼は少年院の檻の中で
ハイセイコーの強かった日のことを
みんなに話してやっている
 
 
ふりむくと
一人の四回戦ボーイが立っている
彼は一番強い馬は
ハイセイコーだと信じ
サンドバックにその写真を貼って
たたきつづけた
 
 
ふりむくと
一人のミス・トルコが立っている
彼女はハイセイコーの馬券の配当金で
新しいハンドバックを買って
ハイセイコーとネームを入れた
 
 
ふりむくと
一人の老人が立っている
彼はハイセイコーの馬券を買ってはずれ
やけ酒を飲んで
終電車の中で眠ってしまった
 
 
ふりむくと
一人の受験生が立っている
彼はハイセイコーから
挫折のない人生はないと
教えられた
 
 
ふりむくと
一人の騎手が立っている
かつてハイセイコーとともにレースに出走し
敗れて暗い日曜日の夜を
家族と口もきかずに過ごした
 
 
ふりむくと
一人の新聞売り子が立っている
彼の机のひき出しには
ハイセイコーのはずれ馬券が
今も入っている
 
 
もう誰も振り向く者はないだろう
うしろには暗い馬小屋があるだけで
そこにハイセイコーは
もういないのだから
 
 
ふりむくな
ふりむくな
後ろには夢がない
ハイセイコーがいなくなっても
全てのレースが終わるわけじゃない
人生という名の競馬場には
次のレースをまちかまえている百万頭の
名もないハイセイコーの群れが
朝焼けの中で
追い切りをしている地響きが聞こえてくる
 
思い切ることにしよう
ハイセイコーは
ただ数枚の馬券にすぎなかった
ハイセイコーは
ただひとレースの思い出にすぎなかった
ハイセイコーは
ただ三年間の連続ドラマにすぎなかった
ハイセイコーはむなしかったある日々の
代償にすぎなかったのだと
 
だが忘れようとしても
眼を閉じると
あの日のレースが見えてくる
耳をふさぐと
あの日の喝采の音が
聞こえてくるのだ
 
 
1973年5月27日
第40回日本ダービー 東京 芝2400m・良
1着タケホープ   嶋田 功
2着イチフジイサミ  津田 昭
3着ハイセイコー   増沢末夫
 
5-7の配当は9560円。

馬