当時、癌研究会癌研究所は豊島区にあり、最寄りの駅は大塚だった。
癌研究会附属病院の黒川利雄病院長には、すでに先輩の中川健太が取材していた。
生意気な態度の中川は、「吉田富三に会いに行くのか、大丈夫か? 帰りに病院も見て来いよ。黒川先生にも会えたら俺のこと伝えてくれ」と言うのだ。
久岡武雄は生返事で、中川に応じた部屋を出た。
「あいつ、大丈夫か」デスクの太田晃に厳しい視線を送る。
太田は「久岡君は、入社半年でそれなりやっているよ」鉛筆を指にはさんで回す仕草をする。
久岡になぜか反感をもっていた経理担当の長谷川友里は、「取材、まだまだみたいいね」と皮肉な笑みを浮かべる。
長谷川は在庫する新聞の管理もしていて、「久岡さん新聞使い過ぎじゃない」と言うのだ。
久岡が新聞の部数増やすために、病院団体を回る際には、新聞を数部持参してそれなりの啓蒙活動をしていた。
「あいつは、まだ分ておらん。医療新聞は病院の経営者・管理者向けて、看護婦なかが金出して読むかやしないんだよ」と苦虫をかみつぶすような表情となる。
久岡武雄が癌研究会癌研究所訪ねると、如何にも怜悧そうな若い女性の秘書が居た。
部屋に案内されると先客がいたのだ。
久岡武雄は約束の時間どおりだったが、10分ほど待たされた。
あとで知ったのであるが、日本経済新聞の記者が取材をしていた。
先客の記者は、抗癌剤開発の可能性を探っているようであった。
なお、当時、抗癌剤はまだまだで、どの製薬企業も発展途上にあった。
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参考
1949年には、ナイトロジェンマスタードの毒性を弱めるべく組成を少し変えたナイトロジェンマスタードN-オキシド(ナイトロミン)が生まれた。
東京大学の薬学者、石館守三と東北大学の病理学者、吉田富三の協力によるものだった。これが、日本生まれの抗悪性腫瘍薬の最初だ。
1963年になると、その少し前にストレプトマイシンとよく似た抗菌薬カナマイシンを発見していた梅澤濱夫氏が、ストレプトマイシン・カナマイシンと同じ放線菌の研究からブレオマイシン(一般名)を発見しました。臨床試験を経て、1968年には扁平上皮がん、悪性リンパ腫などの治療薬として認可された。
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参考
昭和38年1月5日 吉田富三 がん研究所長に就任する。
昭和38年7月1日 黒川利雄 附属病院院長に就任する。
黒川利雄(1897年(明治30年)1月15日 - 1988年(昭和63年)2月21日)は、内科学者、医学博士。
東北大学医学部教授・学部長、同大学第10代総長。
専門は内科学、消化器病学、臨床放射線学、特に消化管のレントゲン診断学。
財団法人宮城県対がん協会を設立、日本初のがん集団検診(胃がん)を行った。文化勲章受賞、文化功労者。勲一等瑞宝賞。勲一等旭日大綬章。日本学士院長。
仙台市名誉市民。東京都名誉都民。正三位。北海道三笠市出身。東京で死去、享年91。
公益財団法人がん研究会(がんけんきゅうかい、Japanese Foundation for Cancer Research)は、1908年(明治41年)に創立された日本初のがん専門の研究機関である。通称「がん研」。
がん研は日本におけるがん研究及び治療機関の最高峰の1つとして知られている。がん治療においては、国立がん研究センター病院と共に日本屈指の医療機関。
沿革
明治41年4月2日 (1908年) がん研究会創立発表式を挙行する。
当会は学界・政界・財界一体の構想の下に初代の会頭に青山胤通(男爵)、副会頭に本田忠夫(子爵)が、また翌年には総裁に公爵桂太郎、副総裁に男爵渋澤栄一が就任した。
明治44年1月16日 志賀 潔 理事長に就任する。
大正2年10月11日 社団法人に組織を変更する。
「がん撲滅をもって人類の福祉に貢献する」という基本理念をもとに、当時の日本の政財官学界の重鎮であった青山胤通、山極勝三郎、渋沢栄一、桂太郎が中心となって創立した(発足時は旧字で「癌研究會」)。
高松宮妃や、後に東京大学総長に就任する長與又郎等の尽力により、1934年(昭和9年)に、がん専門の研究所と病院を開設した。
2005年(平成17年)に、長年拠点としていたが手狭となった癌研究会付属病院(東京都豊島区上池袋・最寄り駅は大塚駅)から、広い臨海地区に新設した最新の設備を有するがん研究会有明病院(東京都江東区有明)に移転し、引き続き、日本のがん研究、診療の一大拠点となっている。病院の移転と供に研究所も同じ場所に移転している。
また、有明地区への移転と同時に国内有数の緩和ケア病床(≒ホスピス)を新設し、終末期医療に対する取り組みも先進的なものとなった。
2011年(平成23年)から公益財団法人に移行し、同時に名称を「癌研究会」から「がん研究会」に改めた。