久岡武雄に、人生において「私淑」という精神概念を自覚させたのは、文学では夏目漱石であった。
いわゆるモラルバックボーンを指針に生きていこうと彼に決意させたのは、漱石をおいてほかにはない。
なぜか、<現代の森 鷗外>を連想させた日本医学協会の吉田富三会長は、新たな「私淑」する人物となったのだ。
その人から「文学をやりなさい」といれたのは、実に心外であり久岡は医療専門記者を目指す気持ちに水を差された気持にも陥った。
「日本医学協会は、<存在することに意義>があります」吉田富三会長の言葉が、耳朶に印象深く残っている。
会員の大半が東京帝国大学医学部(東大医学部)卒業者であり、吉田富三会長の信奉者と想われた。
ところで、モラルバックボーンの対極にいる人間が身近にいたのだ。
先輩の中川健太は弁護士を目指していた挫折して、「仮の姿人間」と自身を揶揄していた。
彼は法に敵対するように「電車内での痴漢常習者」を任じており、、「世の中、意外や欲求不満の女が多いな」とうそぶいていたのだ。
「俺の指のテクニックに応じる女を車内で探索する。それで女をデートに誘う」
彼は知的な風貌に温和な優しい笑みを浮かべる。
いわゆるイケメンの男だった。
声優と同等の甘いささやきで、女の心を幻惑する不敵さ。
「女たちは、一般の痴漢と俺の指のテクニックの落差を感じるのだろうな。デートに誘って寝たら、それは1回限り、あくまで俺流に徹する」
デスクの太田晃は聞き役であり、痴漢行為を諌めずに、「中川君、女が余っていたら、回せよ」と言うばかりだ。
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「私淑」とは、<密かにその人を師匠と考えて模範にする>といった意味の言葉。
一般的には「尊敬する」と簡単な言葉であらわすことが多い。
直接に教えは受けないが、ひそかにその人を師と考えて尊敬し、模範として学ぶこと。
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参考
公益社団法人 日本医学協会
目的 本会は1965年に「医学者および医師の使命と職責にかんがみ、 医道の昂揚と確立、医学教育の進歩と充実、医学・医術の研鑚と琢磨、医療の向上、および医療制度の改善を期する」 ことを目的として設立されました。
医道綱領
医道は人類の文化とともに古く、人類の文化とともに新しいものであります。
社会の構造や制度の変化、科学技術の進歩等に応じて、医療のあり方にも 種々の変化は起こりますが、人命の尊厳と人間愛とが不変である限り 医道の綱領もまた不変であります。
人間の生命を、その地位身分にかかわらず、何よりも尊重します。病める人々の医師に寄せる信頼と、その医師に対して無防備であることを思い、この人々の疾病を治療し、苦痛をのぞくことに 献身し、精神の慰安と希望を与えることに努め、その秘密を守ります。
医学の伝統を尊び、よき師よき友に対する尊厳と感謝とを忘れず、後進の育成に努め、常に医学の研鑚に励みます。
利欲に迷うことなく、いかなる圧迫にも威嚇にも屈することなく、自己の良心と名誉とにかけて医道を貫きます。
医療と健康の保全とに関する医師としての社会的使命を忘れることなく、より良い体制を国民のために追及し、その実現に努力します。
医道の実践は、医師も人間である以上、必ずしも容易ではありません。 それに向って医師が最大の努力を払うことは当然ではありますが、それと同時に、社会一般の広い理解と強い支援とが必要であります。
1966年11月27日 日本医学協会
事業の概要
日本医学協会は、医道、医学・医学教育および医療制度に関する調査研究を行い、 講演会やシンポジウム等を開催し、機関誌「医学と医療」を発行しています。
一方、現実社会に目を転じると、医療不信、医療経済、保険(医療と介護) および社会保障等の問題が山積しています。 医療関係分野では公的資格を持つ当協会の医療職スタッフが活躍していますし、 ジャーナリズムや行政とも連携をとりながら、 これらの問題解決に積極的に取り組んでいます。
もともと、日本医学協会の事業活動においては、会員も一般参加の方々も、 「対等に自由に」本音で語り合えるという、 普通の学会や講演会では見られない交流が生まれています。