友人たちがそれぞれ、早朝散歩へ。
新町の友人は、午前4時から1時間利根川の堤防を約2㌔半。
東6丁目周辺を歩くご婦人は、何時もの犬を連れていない。
「高齢で犬も足、腰がだめになってね」と苦笑していた。
吉田の友人は七色保育所に隣接する公園の鉄棒で体を鍛えている。
「なまった体を何とかしたい」と言う。
我々3人組は、体操をしたり花を愛でて歩く。
自転車で、決めた周回コースを5周する知人は、我々が歩く歩道の外側をフルスピードで行き過ぎる。
それでも、ギア―は中間というので、最速の大ギア―ならどれだけのスピードなのか。
ママチャリではとても追い着けない速さなのだ。
今朝、本願寺の蓮を観に行く。
国連では、オリンピックの開催に際して「五輪休戦決議」を採択している。
五輪開会式の7日前からパラリンピック閉会式の7日後までの間、あらゆる紛争の休戦を加盟国に求めている。
紛争なき世界の実現は、まさに南スーダンの人々の悲願だ。
同国は2011年にスーダンから独立した「世界で最も新しい国」だ。
だが、その後も国内の3分の1に当たる400万人が難民・国内非難民となっている。
同国の5輪出場は前大会に次ぐ2度目。
やむなく祖国を逃れ、難民の立場で参加する選手もいる。
オリンピックは「平和のシンボル」であり、スポーツは「平和のための活動です」
祖国の人々は、また障害のある全ての人たちの希望となりたいと思います-パラリンピック出場のマイケル選手
半世紀に及ぶ内戦、独立後も続く民族紛争など、日本にとって南スーダンは、アフリカの危険な小国の一つである。
そんな国がなぜ、2016年8月のリオ・オリンピックに国家として参加できたのか。
スポーツには、民族や地域を超えて人々を一つにする力がある。
オリンピックへの道筋をつけた「全国スポーツ大会(『国民結束の日』)」開催を中心に、JICAスポーツ支援の険しい道のりを描く。
静岡県立大学
現代の国際社会は、紛争や暴力的過激主義、貧困や格差、感染症や自然災害、難民問題など、複雑で相互に関連する国境を越えた課題が山積し、難民は 6500 万人を超えています。
その多くの課題を含んだ、そして、世界で 2 番目に多く難民を発生させている「南スーダン」という国名を聞いたことがあるでしょうか。
南スーダンは半世紀に及ぶ内戦をへて、2011 年 7 月 9 日にスーダンから独立した最も新しい国です。しかし、独立後の約 1 年半後の 2013 年 12 月には、大統領の座をめぐる権力抗争から紛争が勃発しました。
その後、和平合意がなされ、暫定政権が樹立したものの、2016 年 7 月には
再び、警護隊との間で銃撃戦が起こり、全国に紛争が拡大してしまいました。
このように、独立してからも紛争が絶えない南スーダンにおいて、独立後初めて、JICA が支援した国民スポーツ大会があります。
それは、スポーツを通じ、国民が民族や出身地を超えて一つになるよう願いを込めて 2016 年 1 月、全国 9 都市から男女約 350 人の選手が参加し、8 日間
にわたりサッカーと陸上競技で熱戦を繰り広げたものです。大会には和平交渉が揺れ動くなか、また、多くの観客が集まることから治安を懸念する声もありましたが、選手・観客ともにフェアプレー精神を貫き、大会は無事終了しました。この大会を南スーダン政府は、「国民結束の日」と称し、そして、「国民結束の日」は、「平和と結束」の象徴となったのです。
しかし、「国民結束の日」に向けた道のりは簡単ではありませんでした。南スーダン政府は紛争が繰り返されるなか、経済状況は悪化をたどり、大変な財政難の状況であったのです。
文化・青年・スポーツ省には大会開催費用どころか、職員の給料さえまともに支払われていない、そのようななか、様々な関係者を巻き込みながら、問題を一つ一つ解決し、大会の開催にこぎつけたのでした。
大会が大成功し、文化・青年・スポーツ省の次なる目標は、2016 年 8 月にブラジル・リオデジャネイロで開催されるオリンピックへの参加でした。
しかし、同年 7 月、再度、紛争が勃発したのです。それにも関わらず、JICA は、平和の祭典に国として参加することにより、国の結束が図られるとの願いから、オリンピック参加支援を行いました。
本書では、これまでなじみのない南スーダンについて少しでも知ってもらいたい、南スーダン人の平和にかける思いを実現しようと奔走した日本人たちがいることも知ってほしいとの願いなどから、その支援について克明に描かれています。スポーツを通じた「平和と結束」について、東京オリンピックとともに考えてもらいたいと願っています。
生命の質 人間としての生き方
生命の質:Quality of Life. QOLとは「生命や生活の質」(Quality of Life)の略語のことで、その人間がどれだけ「人間らしさ」を保っているのかということを示す指標や概念を示す。
すべての生命(人命)は等しく重要である。
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7/20(火) 6:31配信
デイリー新潮
没収の手順!?
飯塚幸三被告
毎日新聞(電子版)は7月15日、「池袋暴走事故 飯塚被告に禁錮7年を求刑 東京地検」の記事を配信した。
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記事はYAHOO! ニュースのトピックスにも転載されたのだが、そのコメント欄に法曹家が相次いでコメントを投稿し、これも話題になった。
まず事故を振り返ると、2019年4月、東京・池袋で乗用車「プリウス」が暴走。当時31歳の主婦と、3歳の長女がはねられて死亡、通行人ら9人が負傷した。
自動車運転処罰法違反(過失致死傷)に問われた旧通産省工業技術院の元院長、飯塚幸三被告(90)の裁判は東京地裁で開かれた。
飯塚被告は最後まで「アクセルとブレーキを踏み間違えた事実はない」と無罪を主張。東京地検は7月15日、禁錮7年を求刑して裁判は結審した。判決は9月2日に言い渡される。
ちなみに「禁錮」と「懲役」の違いだが、どちらも刑務所などの刑事施設に収監されるのは同じだ。
違う点は、所定の作業を行う必要のない刑が「禁錮」、作業に従事しなければならないのが「懲役」になる。
この求刑に、YAHOO! ニュースのコメント欄では、3人の弁護士と1人の検事経験者が投稿。4人のうち3人が「求刑は軽すぎる」と指摘したのだ。極めて珍しいと言えるだろう。
弁護士と元検事のコメント
3人のコメントをご紹介しよう。最初は大阪弁護士会に所属し、ABCテレビやTBSの番組でレギュラー出演の経験を持つ山岸久朗弁護士だ。
《か…軽い…それが率直な印象です。2人の無辜の生命が奪われた重大な結果や、公判における被告人の不合理な弁解を斟酌すると軽すぎるというのが国民の大多数の感想では…? 》
2人目は、佐藤みのり弁護士。神奈川弁護士会に所属し、いじめや児童虐待など、子供を守る活動でも知られる。
《二人の尊い命が奪われたことを思うと、法律上の上限とはいえ、禁錮7年の求刑を軽いと思うのが国民感情でしょう》
最後は元検事の前田恒彦氏だ。前田氏は2019年、大阪地検特捜部の主任検事だった際に証拠の改ざんを行った。検察に逮捕、起訴され、懲役1年6か月の有罪判決が確定、刑務所に収監された。
前田氏は《ヤフーニュースの公式コメンテーターで法律の専門家である弁護士2人がそろって「軽い」とコメント》したことを指摘。その上で、《筆者も軽いとは思う》と綴った。
Twitterのデマ
SNSに詳しいライターが言う。
「飯塚被告に対する求刑が軽いという指摘は、Twitter上でも議論を呼びました。『軽すぎる』と憤るツイートは相当な数に達しましたが、『7年は自動車運転処罰法違反の上限であるのも事実』と理解を示す投稿も拮抗していたと思います。ちなみに前田氏は7年が上限であることは認めつつ、『禁錮ではなく、懲役を求刑すべきだった』と指摘しています」
前田氏は懲役刑を求刑すべきとした理由の1つとして、「刑期を問わず勲章も必ず剥奪される」ことを挙げた。
実は飯塚被告には勲章が授与されており、それがネット上の議論に大きな影響を与えているのだ。議論の過熱もあり、Twitterでは勲章に関するデマ情報も拡散した。
「『検察側が懲役刑ではなく禁固刑を求刑したのは、飯塚被告の勲章が剥奪されないよう配慮したため』というツイートが拡散しました。これは完全なデマです。
明治時代に制定された『勲章褫奪例(くんしょうちだつれい)』には、『死刑、懲役又ハ無期若ハ三年以上ノ禁錮』が確定した場合は勲章を剥奪すると明記してあります。求刑の禁錮7年が最高裁で確定すれば、勲章は剥奪されます」(同・記者)
最初に動くのは検察庁
2015年11月、新聞各紙は「秋の叙勲」に関する記事を掲載した。その「瑞宝重光章」受賞者リストに《飯塚幸三(元工業技術院長)84》と記載されているのが分かる。
「叙勲には『旭日章』と『瑞宝章』があります。前者は政治家や民間人、後者は公務員が対象です。例えば『旭日大綬章』は元大臣などが対象で、天皇陛下が授与されます。『瑞宝章』は上位の『瑞宝大綬章』があり、その下が『瑞宝重光章』です。飯塚被告に授与された『瑞宝重光章』のリストを見ると、対象者は各省庁の次官、高裁の判事や検事、大使などの経験者だと分かります」(同・記者)
内閣府の賞勲局に取材を依頼し、どういう手順で、勲章の剥奪=褫奪(ちだつ)が行われるのか訊いた。
「刑事被告人に叙勲されたことがあるかどうかは、検察庁が把握します。有罪判決が確定し、褫奪に必要な条件が満たされると、判決謄本などが送られてきます。我々も目を通し、間違いがなければ、官報に掲載します。こちらの作業は特に難しいことはありません。それより大変なのは、勲章を没収する作業のほうです」
一体、誰が没収するのかと言えば、実は特に決まりがないのだという。そもそも剥奪自体が非常に珍しいからだ。
金メダリストが“前例”
アテネと北京のオリンピックで、柔道の金メダリストになった内柴正人氏(43)は、紫綬褒章を2回、受勲している。
ところが内柴氏は2011年、準強姦容疑で警視庁に逮捕された。14年には最高裁で上告が棄却され、懲役5年の実刑判決が確定した。その結果、紫綬褒章は2回分とも褫奪された。
「そもそも『瑞宝章』は公務員が対象の勲章ですから、渡し方も各省庁などに一任しているのが現状で、私どもは把握していないのです。褫奪も私どもが行うことは考えにくく、勲章を渡したところが没収も行うことになるのではないかと思います」(同・賞勲局)
そこで経済産業省に取材を依頼し、「どうやって瑞宝章を渡しているか」を訊いた。
「コロナ禍以前は、基本的に大臣にお渡しをお願いしておりました。対象者も少なくないので、代表者を決めて渡していました。ただ、大臣は多忙なことが多いので、副大臣や政務官にお願いすることも多かったですね」
自宅で没収!?
叙勲の対象者はOBが多い。高齢で、東京都に在住していない場合も珍しくない。
「地方にお住まいの方は、授与の機会に間に合わなくても、東京に向かう機会があれば、庁舎に寄ってもらうこともありました。お住まいの自治体に授与をお願いしたこともあります。また関係団体に席がある方は団体で授与してもらったりしていました。しかし、これもコロナ禍で変わりました。今は関係者がご自宅に届けているようです。大変に貴重なものなので、郵送は厳禁だからです」(同・経産省)
郵送厳禁のルールは、没収にも当てはまる。実刑が確定した叙勲者の家に電話し、「勲章を返送してください」とは絶対に言えない。
「褫奪が必要な状況になりましたら、省にどんな資料が残っているか探します。詳細は申し上げられませんが、かつて経産省でも褫奪が行われたことはあったようです。交通事故の裁判に関連して、これまで勲章について取材依頼があったのは事実です。まだ何も決まっていませんが、私どもが没収に向かうのか、他の関係者に依頼するのか、ということになるのかもしれません」(同・経産省)
経産省の職員なのかは分からないが、誰かが飯塚被告の自宅に向かい、瑞宝重光章を“没収”する可能性は高そうだ。
必要な仕事とはいえ、想像してみると、なかなかの光景だ。「すまじきものは宮仕え」という格言も浮かんでくる。
デイリー新潮取材班
2021年7月20日 掲載
新潮社
関連記事】
西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「自然免疫」。
【ポイント】
(1)自然免疫が見直されるようになってきた
(2)中医学はずっと自然免疫に注目してきた
(3)自分の生き方を見直して自然免疫を高めよう
コロナ騒動が起きてから、免疫力への関心が高まっています。免疫とは「疫病」から「免」れるということですから、注目されるのは当然といえます。コロナに同じように感染しても、症状が出る人と出ない人がいます。その違いは免疫力にあるのではないかというのが、気になるところではないでしょうか。
免疫に関する研究は近年、急速に進んでいて、いろいろなことがわかってきています。その一つは、「自然免疫」と「獲得免疫」の役割についてです。
これまでにも書いてきましたが、自然免疫は生まれつき備わっている仕組みです。
細菌、ウイルスといった外敵が体内に入ってくると、マクロファージ、樹状細胞、ナチュラルキラー細胞などが、それらに対抗して活躍します。マクロファージは「大食い」という意味を持っていて、外敵を丸呑みします。
もう一つの免疫の仕組みである獲得免疫は、外敵との戦いによって身につけていく能力で、ヘルパーT細胞、キラーT細胞、B細胞などが担当します。
西洋医学ではこの獲得免疫が注目されてきました。特定の病原体に対して、画期的な戦い方をするからです。天然痘をはじめとする各種ワクチンは、人工的に獲得免疫をもたらす方法です。それによって救われた命は計り知れません。
ただ、近年は自然免疫が見直されるようになってきています。マクロファージにしても、樹状細胞にしても、外敵に見境なく飛びかかるのではなく、精巧な病原体センサーを何種類も備え、相手の正体を正確に把握しているのです。
そのうえで、その病原体の断片をヘルパーT細胞などに提示します。そこで獲得免疫が動き出すのです。つまり自然免疫は獲得免疫にとって、欠かすことのできない役割を担っているのです。
私たちが「免疫力を高めよう」といったときは自然免疫のこと。もともと持っている免疫の力を高めよう、ということなのです。しかも、それが獲得免疫も含めた全体の免疫力を高めることにつながるのです。
私はコロナに感染して症状が出る人と、出ない人の違いはこのへんにあるのではないかと思っています。
中医学の世界では免疫という考え方がありません。病原体(病邪)に対抗するのは「気」の働きです。気は中医学の中心的な概念ですが、日本人にはわかりにくいかもしれません。気の力が低下した状態を「気虚」と呼んで、それを改善させるのが「補気」です。漢方薬でいえば、四君子湯、六君子湯、補中益気湯などがその役割をします。
中医学は4千年の歴史を通して自然免疫に注目してきました。補気とはつまり、自然免疫を高めることなのです。
免疫学の大家、故・安保徹さんは「自然の摂理に反した生き方をしていれば、免疫力が落ちてしまう」とおっしゃっていました。コロナに負けないためには、まずは自分の生き方を見直し、自然免疫を高めることが大切なのかもしれません。
※週刊朝日 2020年6月5日号
帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中
7/20(火) 5:51配信
ウェザーニュース
■ 今日の天気のポイント ■
提供:ウェザーニュース
・午前中から炎天下 続く危険な暑さ
・沖縄は台風近づく 荒天に警戒
・九州太平洋側は一時的な強雨に注意
今日20日(火)も日本列島は夏の高気圧に覆われるため、北海道~九州では晴れて危険な暑さが続きます。
沖縄には台風6号が近づくため、沖縄本島や奄美では徐々に雨風が強まり、荒れた天気になる見込みです。
午前中から炎天下 続く危険な暑さ
気温の予想 20日(火)14時
夏の高気圧に覆われ、北海道~九州では朝から真夏の強い日差しが照り付けます。昼間は猛暑日になる地点があり、熱中症に厳重な警戒が必要です。こまめに水分を摂り、少しでも不調を感じたら無理をせず涼しい屋内で休憩を取るようにしてください。
<今日の予想最高気温>
37℃:佐賀
36℃:山形・甲府・京都・奈良・山口
35℃:盛岡・前橋・さいたま・岐阜・広島・福岡・熊本 など
また、午後は山沿いを中心に天気が急変して局地的に雷雨になるおそれがあります。
沖縄は台風近づく 荒天に警戒
台風6号が沖縄本島にゆっくりと近づきます。沖縄本島や奄美では雨や風が強まり、だんだんと荒れた天気になります。暴風雨や高波に厳重な警戒が必要です。
午後は遅い時間ほど荒れた天気になるので、できるだけ早めに帰宅するようにしてください。停電の発生や交通機関に影響が出るおそれがあります。
九州太平洋側は一時的な強雨に注意
台風6号の影響で湿った暖かい空気が流れ込み、九州太平洋側では雨が降る時間帯があります。
一時的に雨が強まるおそれもあるので注意が必要です。
ウェザーニュース
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わかりやすい
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新しい視点
【関連記事】
雲は「空の旅人」
雲の旅には、国境がない。
心の世界にも国境はない。
梅雨が明けて、目立つてくるのは、入道雲であり、その形は千変万化の姿を見せている。
内容(「BOOK」データベースより)
詩や短歌では叙情味あふれる作品で天性の才能を発揮し、矛盾に満ちた明治という時代への鋭い考察も相俟って今もなお熱烈な読者を持つ石川啄木が心血を注いだ小説。
故郷・渋民村の高等小学校の教員時代に書き出され、青年たちの鬱屈と貧しき者、弱き者の心に共振していく初期短篇三作と、唯一新聞に連載された中篇を収録し、短い生涯を駆け抜けた啄木文学の可能性を提示する。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
石川/啄木
1886・2・20~1912・4・13。詩人、歌人、小説家。岩手県生まれ。岩手県立盛岡中学校在学中から「岩手日報」に短歌、書評、文芸時評などを発表、「明星」にも掲載され、与謝野鉄幹・晶子の面識を得て、1903年に新詩社同人となる。
05年、処女詩集『あこがれ』を刊行。岩手県渋民村の尋常高等小学校の代用教員時代に小説を書き始めるが、生活のために函館、小樽、釧路と移り住んだ後、上京。
09年、「明星」の後継誌「スバル」(森鴎外の命名)を発行名義人として創刊。10年、歌集『一握の砂』刊行。没後間もなく第二歌集『悲しき玩具』が刊行された(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
石川啄木は小説家としてよりむしろ詩人として有名である。
その、あまり我々の目に触れることのない小説のうち、短編「雲は天才である」「葬列」「漂白」の3篇と、啄木としては珍しい新聞連載小説にして中編小説「鳥影」の4編を収めたのが本書である。
「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」
に代表される抒情作家としての啄木の小説を期待して本書を紐解くとやや期待を裏切られる。
短編3篇は小説ともよべない代物で、とくに「雲は天才である」は題名の気宇壮大に比して、読者は話半ばにしてほうり出される尻切れトンボの未完の作品である。他の2編も小説と言うより、ろくに筋書きもなく、たんなる情景描写で終わってしまっている。
20歳から21歳までの間に書かれた小説であることを考えると、啄木もまだ人生は未熟、気宇壮大に天下国家を論じようという意気込みばかり鼻について話は空回りするばかりである。文章は美辞麗句を塗り重ねた美文調。ただ若くして小説家として身を立てたいという意欲ばかりが先走っている感じだ。
そこへいくと「鳥影」は新聞小説だけあって、読者にも読みやすく、今日の小説の体裁をなしている。
登場人物も多数多く居て、複雑な人間関係、恋愛感情も織りなされている。男が女性の部屋で一晩過ごすことを示唆した描写もあればキスシーンもある。
ただ、これも巻末の解説に寄れば「未完の小説」で、どうも小説を書く前に十分構想を練ったとも思えない。
啄木はその目指した小説家としてよりも、いわば窮余の一策で作成した多数の短歌のほうで有名になった。
啄木にもこんな一面もあったのだということを教えてくれる一冊である。
石川啄木の処女小説「雲は天才である」を読んだ。
明治三九年に書かれた啄木二十歳の三十五頁の中編小説です。
渋民の代用教員時代に題を取った教員集団の話として面白いと思って読んでいて妙だなと思ったのは突如その教員集団の緊張した場面の話はそのままにしてそこに突然訪問してきた珍客「石本俊吉」の話になってしまう。いつかその教員集団の緊張した場面に戻るのだろうと思って読んでいたが結局その場面には戻らずに小説は終わってしまった。
読者と激論をしていた教員集団は職員室に置き去りになったままです。
描写力には感心をしますが、まだほとんど会話をしてない「石本俊吉」の描写はなんと四頁にも及んでいます。
この小説はいわゆるオムニバス形式となっています。
当時こういう手法がどの程度あったのか不明ですが、読者のフラストレーションは再度職員室に帰って続きをやって貰わないと解消出来ない。
小説としてはその方がまとまりがいいと思いますがどうでしょうか?
しかし今さら啄木に続きを書いて貰うわけには行かないので読者がこのまま評価するしかない。
岩城之徳さんらの解題では「雲は天才である」の「雲」は放浪者の象徴だという。
すなわち主たる登場人物「新田耕助」「石本俊吉」「天野大助」の三人が「雲」です。
ゴーリキーを尊敬していた啄木は自分がモデルの「新田耕助」によせて自分を放浪者の運命を辿るものと規定したのではという。
では「天才」は誰でしょうか?
「新田耕助」でしょうか?この三人でしょうか?
いずれにせよこの題は魅力があります。読んでみる気を起こさせる題です。
昔文学学校で、題は主題と付かず離れずがいいと習いました。
主題が放浪者であればこの題はふさわしい題といえるでしょう。
この「天才」の意味は「天才」石川啄木に聞いてみるしかないですが、、
三郷の勉強会で啄木と種田山頭火を隔月で読んでいます。
この「雲」には啄木の四年先輩である山頭火がふさわしいでしょう。
「石本俊吉」あたりは山頭火に置き換えられるでしょう。
場所も境遇も作品も違いますが意外と啄木と山頭火は近いのかも知れません。
2018年9月22日 大津留公彦