ペルーのコロナ死亡率を世界最悪にしたラムダ株、今わかっていること

2021年07月17日 18時59分37秒 | 医科・歯科・介護

7/16(金) 18:06配信

ナショナル ジオグラフィック日本版
南米で急拡大中の変異株、感染力は強い? ワクチンは効く?

2021年7月7日、チチカカ湖のウロス島(ペルー南部プーノ)の住民に新型コロナウイルスワクチンを接種しに行くペルーの医療従事者。(PHOTOGRAPH BY CARLOS MAMANI, AFP VIA GETTY IMAGES)

 新型コロナウイルスのラムダ株は、過去9カ月間、大部分が見逃されてきた。しかし現在、ペルーでは、新たに感染する新型コロナのほぼ全てがラムダ株になっている。ペルーは新型コロナによる人口あたりの死者数が世界最悪で、すでに人口の約0.54%が新型コロナで死亡した。

ギャラリー:人類が地球を変えたと感じる空からの絶景 写真23点

 ラムダ株(C.37系統)は2020年8月にペルーで初めて確認され、ラテンアメリカを中心とする29カ国に広がっている(編注:日本では未報告)。ペルーでは新型コロナの新規感染におけるラムダ株の割合が、2020年12月には0.5%未満だった。ペルーのウガルテ保健相は、2021年3月末から4月にかけて感染の「第2波」が起きたことについて、ラムダ株が原因だった可能性が高いと記者会見で述べている。

 隣国のチリでは、ウイルス情報のデータベースであるGISAIDのデータによると、過去60日間に調べられた症例の25%がラムダ株によるものだった。チリでは人口の58.6%が2回のワクチン接種を終え、さらに10%が1回目の接種を済ませているにもかかわらず、多数の感染者が出ていた。主に中国科興控股生物技術(シノバック・バイオテック)製の新型コロナワクチン「コロナバック」が接種されているが、ワクチンの効果が十分でないことも原因の1つかもしれない。チリ大学の研究によると、コロナバックの1回目の接種後の効果はわずか3%だったが、2回接種した場合は56.5%に上昇したという。

「チリの感染率が高い理由はまだわかりませんが、いくつかの要因が考えられます。チリはワクチン接種率が高く、規制の緩和が少し早すぎたため、感染者が増えたのではないでしょうか」とペルー、ペルアナ・カジェタノ・エレディア大学の微生物学者パブロ・ツカヤマ氏は述べる。氏は2021年1~3月に寄託されたサンプルの塩基配列を調べていたとき、チリでのラムダ株の広がりに最初に気づいた。「とはいえ、現在主に流行しているガンマ株(ブラジルで初確認)とラムダ株に、ワクチンによる保護効果を低下させる免疫逃避の能力がある可能性もあります」

 免疫を逃れる可能性があることから、世界保健機関(WHO)は6月14日にラムダ株を「注目すべき変異株(VOI)」に指定した。VOIに指定されるのは、ウイルス遺伝子の大きな変化によって、広まりやすさ(伝播性)、重症度、免疫逃避、診断、治療に影響を与える可能性があり、地域社会で急速に広がっている変異株だ。

 ラテンアメリカの人口は世界の8%にすぎないが、2021年6月までの累計で、新型コロナ感染者数は全世界の20%以上、死者数は32%を占めている。現時点での死者数の割合でも、ラテンアメリカは世界の半分を超えているものの、ワクチン接種を完全に終えたのは10人に1人だけだ。ホンジュラスやグアテマラなどでは、接種完了率は1%にも満たない。

「ラテンアメリカは、今後数週間で再び危機的な状況に陥ると思います」と、コロンビア感染症学会の副会長を務める疫学者のアルフォンソ・ロドリゲス・モラレス氏は言う。各国はワクチン接種を進めているものの、一部の国ではまだ人口の5~10%程度しか接種が完了しておらず「非常に危機的」な状況なのだ。

ラムダ株はどこが違う?
 ラムダ株の検出数が何カ月も少ないままだったのは、ペルー国立衛生研究所の調査能力が限られていたせいで、ガンマ株と間違えられることが多かったからだ。

「この地域ではゲノム調査を実施する能力が非常に限られているため、ラムダ株の割合を正確に推定することは困難です。また、どの変異株が優勢になるかを予測するのは容易ではありません。ですから、欧米だけでなくあらゆる地域でウイルスの塩基配列を調べる能力を高めることが重要なのです」とツカヤマ氏は言う。

 ラムダ株と他の変異株では、ウイルスのスパイクたんぱく質の変わり方が大きく違っている。スパイクたんぱく質の一端(N末端ドメイン:NTD)にアミノ酸7つの長い欠失があるなど、14カ所に変異がある。また、スパイクたんぱく質の遺伝子のすぐ上流にあり、大きなたんぱく質をつくるORF1ab遺伝子にも、「懸念される変異株(VOC)」であるアルファ株(英国で初報告)、ベータ株(南アフリカで初報告)、ガンマ株と同様の変異がある。

 ORF1abたんぱく質の一部はウイルスの複製やヒトの免疫反応の抑制を助ける。その重要性から、科学者たちはすでにORF1abたんぱく質を標的とする抗ウイルス療法の開発に取りかかっている。

 スパイクたんぱく質のNTDで欠失している7つのアミノ酸は、体内の強力な抗体の多くが攻撃する「NTDスーパーサイト」に属している。アルファ株、ベータ株、ガンマ株を含む多くの変異株がこの領域に変異をもつことは、この領域がウイルスの進化にとって重要であることを示唆している。

「NTDは、ウイルスにとって不可欠な領域というわけではないため、ここが変異してもウイルスは生き続け、既存の抗体反応を回避できるのです」とシンガポール国立大学の感染症学者シーメイ・ロック氏は説明する。

 体内で自然に作られる抗NTD抗体は、ウイルスが細胞表面に結合した後も中に侵入するのを阻止する可能性があるため、ワクチン開発者に注目されている。

スパイクたんぱく質の452番目のアミノ酸
 ラムダ株の変異の中で特徴的なのは、スパイクたんぱく質の452番目のアミノ酸の変異だ。このアミノ酸は、デルタ株(インドで初確認)、デルタ株がさらに変異したデルタプラス株、イプシロン株(米国で初報告)、カッパ株(インドで初報告)など、他の広まりやすい変異株でも変化している。ラムダ株のL452Q変異(452番目のロイシンがグルタミンに置き換わったもの)は、これまで見られなかった変異だが、科学者たちは、452番目のアミノ酸の変異は新型コロナウイルスが細胞に感染する能力を高めると予測している。

 新型コロナウイルスのスパイクたんぱく質は、ヒトの肺などの細胞にあるACE2受容体たんぱく質に結合して体内に侵入するが、452番目のアミノ酸は、両たんぱく質が直接相互作用する部位にある。「452番目のアミノ酸は、多くの中和抗体によって認識されます。この部位に変異があると、中和抗体が結合しにくくなり、もともとワクチンの効果が出にくい人では保護効果が下がる可能性があります」と、米ワシントン大学医科大学院の免疫学者マイケル・ダイアモンド氏は説明する。

 ワシントン大学の微生物学者エフゲニー・ソクレンコ氏は、452番目のたった1つのアミノ酸の変異が、最近の新型コロナ変異株の急激な拡大を引き起こした可能性があることを、査読前の論文を公開するサーバー「bioRxiv」に3月11日付けで発表していた。L452R(ロイシンがアルギニンに置き換わったもの)という似た変異をもつイプシロン株も、感染力や増殖能力が高く、多くの抗体の中和活性を低下させる。

 米ニューヨーク大学グロスマン医科大学院の微生物学者ナサニエル・ランドー氏は、実験室で作製したラムダ株に似たウイルスを用い、L452Q変異があるだけでウイルスの感染力が2倍になることを示した。ラムダ株がもつその他の変異は、感染力に大きな影響は与えなかったという。論文は「bioRxiv」に7月3日付けで発表された。

 7月1日付けで「medRxiv」に発表された別の査読前の論文でも、ラムダ株がガンマ株やアルファ株よりも感染力が強い可能性が確認されている。

ワクチンとラムダ株についてわかっていること
 現時点ではラムダ株に関する研究は非常に少ないが、予備的な研究によると、現在のワクチンはまだ有効だが、もとのウイルスに対する効果に比べるとおそらく低いだろうと示唆される。

「少なくとも米モデルナや米ファイザーのmRNAワクチンは、デルタ株と同様、ラムダ株に対しても高い効果があると考えています。たとえ一部の抗体が変異株に効かなくなっても、残りの抗体でウイルスを排除することができるでしょう」とランドー氏は請け合う。

 前述の「medRxiv」の論文では、ラムダ株がコロナバックの接種でできた中和抗体から逃れられることが示されたが、論文の筆頭著者であるチリ生命医科学研究所のウイルス学者リカルド・ソト・リフォ氏は、「ラムダ株の伝播性が高いという証拠も、ラムダ株はブレイクスルー感染(ワクチン接種後の感染)しやすいという証拠も、ラムダ株に感染した人の重症化率や死亡率が高いという証拠もまだありません」とくぎを刺す。

 ラテンアメリカの多くの国で使われているコロナバックは不活化ワクチンで、mRNAワクチンよりも効果が低いとされているが、2回接種すれば重症化や死亡は十分防ぐことができる。

 新しい変異株に対するコロナバックの有効性には懐疑的な見方もあるものの、自分の居住地域で入手できる認可ワクチンが何であれ、誰もが接種を受けるべきだと、米科学アカデミー会員で米Virバイオテクノロジーの最高科学責任者(CSO)である免疫学者のハーバート・バージン氏は訴える。「ワクチン接種を受けなければ、ウイルスは進化します」

 遠くの国でラムダ株のような新しい変異株が流行していることを心配するのは、行き過ぎのように思われるかもしれない。だが、警戒心を持ち、予防措置をとることは重要だ。「ラムダ株がデルタ株より恐ろしいわけではありませんが、どちらも広まりやすい変異株です。しかしワクチン接種を受けていれば、ほとんどの場合、予防効果はあります」とランドー氏は言う。「ワクチン接種が進んでいる地域では、これらの変異株の感染率は下がるでしょう」

文=SANJAY MISHRA/訳=三枝小夜子

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菅政権の「コロナ人災」で、これから日本全国で起きる「絶望」と「悲劇」のリアル

2021年07月17日 18時50分18秒 | 社会・文化・政治・経済

7/17(土) 16:01配信

現代ビジネス

菅政権はなにを守ろうとしているのか photo/gettyimages

 菅政権がまた緊急事態宣言の発令に追い込まれたが、もはや日本国民からすればあきれるばかりである。

【写真】菅首相の“愚策”で、“数十兆円”という「国民の税金」がドブに捨てられる!

 飲食店ばかりを狙い撃ちしたコロナ対策だけでは不十分であることは前編(『菅政権の「コロナ対策」、なぜか「飲食店」ばかりが狙い撃ちされる「本当の事情」』)で詳述したが、その結果としてコロナ感染拡大の被害を受けるのは国民に他ならない。菅政権はなぜ“学習能力”なく、コロナ失政を続けるのか――その危険すぎる背景事情を緊急レポートでお届けする。

なぜ菅政権にはこんなにも学習能力がないのか

周囲の声には聞く耳を持たない…? photo/gettyimages

 ヨーロッパでは新型コロナの「第1波」が小康状態を保っていた昨年夏の観光シーズン前に、拙速にも域内の往来規制を解除したせいで、秋から冬にかけて「第1波」を大幅に上回る「第2波」に見舞われました。

 フランスやイタリア、スペインなどでは、悲惨なほど死者数が増加してしまったのです。

 こうした教訓があったにもかかわらず、菅義偉首相率いる日本政府はヨーロッパの感染拡大の初動をまったく気にかけることなく、10月になって東京をGoToトラベルに追加、感染拡大を全国に広げる大失態を犯しています。

 その帰結として、日本でも「第1波」や「第2波」と比較にならないほど大きな「第3波」に見舞われ、死者数や重症者数も急激に膨らみました。

 このように私たちは、政府が「利権」にこだわるあまり、せっかくの教訓や事例を無視することで、経済や医療、ひいては国民生活がいっそう疲弊することを身に染みて知っています。

「ワクチンで安心」という楽観論

ワクチン接種は進むが… photo/gettyimages

 私たちは、政府が今年3月に2回目の緊急事態宣言を感染者数の十分な減少を待たずに早々と解除した後、そのわずか1か月後に感染の再拡大から3回目の宣言発令に至ったことを、苦々しく覚えています。

 「まん延防止等重点措置」を4月に大阪で適用した際、感染者を減少させる効果が全くなかったことも、予測できたはずだと受け止めています。

 足元では政府が6月に3回目の緊急事態宣言をオリンピック開催のため拙速に解除した結果、国民が危惧していたように、感染者数の再拡大が顕著になってきています。

 政府は7月12日から東京に4回目の宣言を発令し、神奈川・埼玉・千葉などでは「まん延防止等重点措置」を延長する方針だといいますが、いつになったら利権と決別し、過去の教訓や事例に学ぶことができるのでしょうか。

 それに加えて、日本が手本とするワクチン接種率の高いイスラエルやイギリスでは、インド発祥の「デルタ株」が猛威をふるい、感染の再拡大が深刻化しています。

 イギリスの感染者の90%超がすでにデルタ株に置き換わっている中で、ロックダウンの緩和が4週間も延長されているのです。

 目下のところ、ワクチン接種が進むアメリカでも、感染者に占めるデルタ株の割合が30%に迫っており、7月初めの感染者数は約1万2500人(7日移動平均)と1週間前と比べて10%も増加しています。

 デルタ株が広がる伸びしろを考えると、決して油断ができない状況にあるといえます。

 これらの事例が教えてくれるのは、たとえ日本でワクチン接種が予定どおりに進んだとしても、デルタ型の感染者数が広がる余地が米英より大きいと考えるべきだということです。

 ですから、「ワクチン接種さえ進めば何とかなる」という政府の考えは、楽観的すぎるように思われます。

デルタ株の次はラムダ株
 そのうえ、今後は先進各国でデルタ株からペルー発祥の「ラムダ株」に感染が置き換わっていくことも想定しておかねばなりません。

 ラムダ株は致死率が高いだけでなく、ワクチン効果が大幅に低下するとされており、オリンピックが開催されればラムダ株が日本に上陸するのは時間の問題だといえるでしょう。

 日本の専門家の多くはつい最近まで、「集団免疫はワクチン接種率60~70%で獲得できる」と説明していましたが、欧米でのデルタ株による感染再拡大をみた今では、「80%~90%が必要だ」と見解を修正し始めています。

 デルタ株からラムダ株に置き換わる過程で、本当に集団免疫が獲得できるのか、未知の変異株だけに懸念が残ります。

日本国民の「失望」
 国民の政治に対する失望が大きいのは、コロナ禍でも利権や権力欲が最優先されるという現実を思い知ったからです。否、コロナ禍にあったからこそ、多くの国民がこの国の政治の深刻な問題点を認識できるようになったのでしょう。

 菅義偉首相はこれまでの見通しがすべて根拠なき楽観に基づいていた結果、どれだけ経済的な損失や失われる人命が増えているのか、国民生活の視点に立って真摯に反省してもらいたいところです。

 利権を最優先する政治を排除するためには、「歴史・科学・データ」を重視する政治に変えていく必要があります。すなわち、「政治のデジタル化(AI化)」を推し進めていかねばならないというわけです。

 政治のデジタル化における最大のメリットは、過去の政策の効果をしっかりと検証したうえで、将来的にいっそう効果が見込める政策を提案できる可能性が高いということです。

 ビッグデータに基づく検証では利権や政治のしがらみなどに忖度はしてくれませんし、たとえば、国土強靭化の巨額の予算の中に、無駄な工事が多いという事実がほんの数分で暴露されてしまうのです。

 その一方で、政治のデジタル化にともない、デジタルに精通する議員が増えれば、政治や政策の可視化が進み、これまでとは政策の決め方も変わらざるを得ないでしょう。

もう政治家に政治を任せたくない…
 すべてのデータがオープンになることで、国民を欺く結論を導くことが極めて難しくなるからです。それは、今の利権にまみれた古い政治家にとってもっとも困ることでしょう(『 政治のデジタル化で国会議員は大幅に削減できる 』参照)。

 今のあまりにひどい政治をみていて思うのは、AIに任せたほうが国民にとって遥かにまともな政治ができるだろうということです。

 政治のAI化によって国会議員を2分の1や3分の1に削減すると同時に、AIとの競争によって議員の能力や質を上げることも可能です。

 秋に行われる予定の衆議院選挙では、「政治のデジタル化と議員定数の大幅削減」を公約に掲げる政党が出てくることを期待したいところです。

中原 圭介(経済アナリスト)

 

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接種先進国が「感染再拡大」する理由 医師「ワクチンの“アキレス腱”と呼ばれる変異株の影響」

2021年07月17日 18時27分16秒 | 医科・歯科・介護

7/17(土) 16:56配信

夕刊フジ
 【ギモン解消!!ワクチン接種Q&A】

 国内のワクチン接種が進む中、東京都には4回目の緊急事態宣言が発令された。イスラエルや英国など接種が先行した国でも再拡大の兆候があるが、何が起きているのか。独ベルンハルト・ノホト熱帯医学研究所研究員で医師の村中璃子氏に各国の現状を聞いた。

 --英国では少なくとも、1回接種を終えた人は6割、2回接種は5割を超えていますが、接種先進国でも感染が再拡大している理由は

 「ワクチンの“アキレス腱(けん)”と呼ばれる変異株の影響です。特に感染力の強いデルタ株には1回接種では十分な感染予防効果が得られません。一方で、ファイザー製を2回接種した際の重症化予防効果は、従来株とほぼ同等の96%で、重症者や死亡者の増加はそれなりに抑えられています」

 --感染者の特徴は

 「若い世代に増えています。ドイツでは高齢者からレストランで食事を楽しむ光景が見られ、英国でも高齢者から夏の旅行に予約が入るなど優先的に接種を受けた人から行動が自由になっていきました。その結果、行動制限を受け接種が最後になった若い世代での相対リスクが逆に上がり、感染者も重症者も増えています」

 --日本の教訓は

 「接種率が低いため、医療崩壊を起こすような重症者数や死者数がいないからと言って容易に行動制限を解除できないことを肝に銘じるべきでしょう」

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米大統領「人々を殺している」とSNS批判-ワクチン誤情報拡散巡り

2021年07月17日 18時22分31秒 | 社会・文化・政治・経済

7/17(土) 13:08配信
Bloomberg
(ブルームバーグ): バイデン米大統領は16日、新型コロナウイルスワクチン接種を国民が思いとどまるような誤った情報の拡散を許すことで、ソーシャルメディアネットワークが「人々殺している」と異例の強い調子で批判した。

週末にホワイトハウスを離れる前にITプラットフォーム企業へのメッセージを求められたバイデン大統領は「いいかい。パンデミック(大流行)はワクチン未接種の人々の間だけで起きている。彼らが人々を殺している」と発言した。

米疾病対策センター(CDC)のワレンスキー所長はこれより先、ワクチン接種率が低い地域で「未接種者のパンデミック」が発生し、死者と入院患者が再び増加していると警告した。CDCによれば、新規感染者数の7日間平均は前週比70%、入院は36%、死者は26%増えた。

少なくとも1回のワクチン接種を終えた米国民は全体の約55%にとどまり、政府の働き掛けにもかかわらず接種ペースは落ちている。

フェイスブックの広報担当ケビン・マクアリスター氏は、バイデン政権の主張には「事実の裏付けがない」とした上で、「ネット上の他のどの場所より多い20億人を超える人々が、新型コロナとワクチンに関する権威ある情報をフェイスブックで閲覧している。フェイスブックが人命を救う助けになっていると事実が物語っている」と発表資料で反論した。

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「感染者数だけで判断すべきではない」現役医師が"五輪は有観客でやるべき"と訴えるワケ

2021年07月17日 18時10分23秒 | 社会・文化・政治・経済

7/17(土) 15:16配信

プレジデントオンライン

2021年7月13日、コロラド州デンバー・クアーズフィールドで開催された第91回MLBオールスターゲームで、先発登板するロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平選手 - 写真=AFP/時事通信フォト

東京オリンピックが7月23日から始まる。感染対策のため、多くの競技が無観客で行われる見通しだ。医師の大和田潔さんは「日本のコロナ重症者は、5月26日の1413人をピークに減少を続け、400人弱まで減った。オリンピックの無観客開催は今すぐ見直すべきだ」という――。

【図表あり】「感染拡大」の一方で、重症者は減少傾向にある

■無観客オリンピックを見直すべき理由

 東京オリンピックは無観客の方針になっています。

 一方、私たちはこれからコロナの世界流行の状況があまり変わらない中でも有観客で開催される次の北京オリンピックの大成功を、遠くからながめることになるでしょう。そして1年延期して準備を重ねたにもかかわらず、無観客で終わるさみしい東京オリンピックと比較されることでしょう。

 コロナ大流行中で行われた欧州サッカー選手権(EURO)は有観客で大成功、テニスのウインブルドン選手権(英国)は有観客・ノーマスクで大成功。さらに大リーグのオールスター戦(米国)もほぼ満員・ノーマスクで実施され、成功している様子をご覧になった方も多いでしょう。ホームランダービーでも盛り上がりました。

 欧米では1日に数万人陽性者を出しながらも死亡者が少ないので、陽性者数を気にしない方針へ舵をきりました。そして、7月13日早朝に時事通信から「英、コロナ規制ほぼ全廃へ」という記事が配信されました。

 一方日本では、専門家会議や医師会が状況を鑑みて「この状況でオリンピックをやる意味がわからない」といい「普通やらない」と否定的でした。小池百合子東京都知事が特別顧問を務める都民ファーストの会も、無観客を公約に掲げて都議選を戦い、選挙後も無観客の意向を貫いています。

皆さんもご覧になっている今年の高校野球やサッカー試合と同じくらいの有観客で、パブリックビューイングで国民がアスリートを夏の公園で見れたらいい、可能なら新国立競技場でもアルコールを楽しめたらいい、と計画していた東京都職員や中央政府も萎縮してしまいどんどん味気ないものになっていってしまいました。 最後には、オリンピック=政府=「国民の敵」のような構図にまでなってしまいました。聖火ランナーに水をかける人まで現れました。

私は、オリンピックの無観客方針は状況判断の誤りだと思っています。コロナ共生の時代になり、全体主義が終わったと考えています。有観客にして個人の責任で観戦したい人に門戸を開くべきだと思っています。

 


東京都で新たに1410人の感染確認 前週土曜日より460人増加 4日連続の1000人超え

2021年07月17日 18時03分59秒 | 社会・文化・政治・経済

7/17(土) 16:45配信
ABEMA TIMES

4日連続の1000人超え

 東京都がきょう確認した新型コロナウイルスの新たな感染者は1410人だった。1000人を超えるのは4日連続となる。

【映像】舛添氏「俺だったらとっくに感染拡大を止めている」

 感染が確認されたのは10歳未満から100歳以上の1410人。直近7日間の1日あたりの平均は1012人で、前の週と比べて140・5%となった。年代別では20代が最も多く469人、次いで30代が311人、重症化リスクが高い65歳以上の高齢者は40人。

 重症の患者は前の日から6人増えて59人となった。また、60代と70代の男性2人の死亡が確認された。(ANNニュース)

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バイアスとは何か

2021年07月17日 11時40分16秒 | 社会・文化・政治・経済

物事を現実とは異なるゆがんだかたちで認識してしまう現象、バイアス。それはなぜ起こるのか、どうすれば避けられるのか。本書では、現実の認知、他者や自己の認知など日常のさまざまな場面で生じるバイアスを取り上げ、その仕組みを解明していく。

探求の先に見えてくるのは、バイアスは単なる認識エラーではなく、人間が世界を意味づけ理解しようとする際に必然的に生じる副産物だということだ。致命的な影響を回避しつつ、それとうまく付き合う方法を紹介する画期的入門書。

著者について

1973年生まれ、神奈川県出身。東京大学法学部卒業、同修士課程修了。北海道大学大学院文学研究科修士課程修了、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。政策研究大学院大学准教授などを経て、現在は関西大学社会学部教授。専門は、社会心理学、法と心理学、法社会学。
著書に、『司法への市民参加の可能性――日本の陪審制度・裁判員制度の実証的研究』(有斐閣)、Japanese Society and Lay Participation in Criminal Justice(Springer)、『裁判員制度と法心理学』(共編、ぎょうせい)、『法と心理学』(編著、法律文化社)などがある。
 
 
自分自身が嫌になる、いや、そもそも自分自身と認識しているその認識自体を疑いたくなるような、そんな人間のバイアスの数々が紹介されている。

本書では、バイアスに関する研究成果を踏まえて、バイアスの仕組みが解明されていく。最初読んでいるうちは、上述のように残念な気持ちに陥るのだが、途中から感じ方が変ってくる。それは、「バイアスもとは、私たちが祖先から受け継いだ身体と情報処理の仕組みを使いながら、なんとかこの世界でうまく生き延びていこうとする努力の(副)産物ともいえます」(本書256ページ)とあるように、バイアスを否定的に捉えるのは必ずしも適切ではないことを教えてくれるからだ。

本書の内容で嬉しい点は、そんなバイアスの致命的な影響を回避する方法や付き合い方も教えてくれることである。それら方法も著者の思い付きではなく、社会心理学分野の研究で検証がなされたものであるため、信頼できる。その他にも、本書の内容は学術的成果をきちんと踏まえたものであり、参照文献も新書とは思えない程に充実している。心理学や社会心理学を学ぶという目的で本書を読むという使い方も出来るのではないだろうか。
 
 
人間の認知能力には限界があり、現実とのずれ(認知のゆがみ)が生じることは、人間の進化の過程で、生き残る為に必要だったものとの説明は分かり易い。また、人間が正確無比な機械のような認知能力を身につければ良いのかと云えばそうでもなく、世界のあり様に「意味を与える」のが人間であるが故の事象と考えれば得心出来る。
逆に云えば、我々はバイアスから完全には逃れられない運命にあるとすれば、その仕組みを知り、如何に上手につきあうか、その方法を知ることに価値がある。

日常生活において、我々は様々なバイアスの影響を受けるが、一般的には致命的なことにつながるものは少ないのに対して、事件や事故の裁判においては裁判官や裁判員のバイアスが人の一生を大きく変える可能性もあり、その扱いには特に留意する必要がある。
筆者の研究対象が社会心理学、法と心理学、法社会学にあり、その点の専門性も表れた一冊である。
 
 
〇すでに3件の優れたレビューがあり、三つ合わせると、本書について言うべきことは尽きている感もある。
それで、似たようなことを書いてしまうかもしれないが、ご容赦。
〇バイアスについては「人間がさまざまな対象を認知する際に生じるゆがみ」(9頁)、「人間が持っている認知のゆがみ」(16頁)とされている。この二つの意味が微妙に違うような感もあるが、バイアスかもしれない。
〇199頁ではbiasは英和辞典などで「偏見」と訳されることもあるが、両者は別の概念で、偏見とは「ネガティブなステレオタイプ」のことであるとしている。これは重要かな。気を付けよう。
違いの説明としては、「ステレオタイプは生まれた後に経験を通じて学習され、それが心に深く根ざすと、さまざまな状況を認知したり記憶したりするときのバイアスを生むという関係にあります」とある。ちょっと難しい。
一、目次
第1章 バイアスとは何か。
1認知とそのゆがみ、2バイアスはなぜあるのか、3バイアスについて知る意義
第2章 バイアス研究の巨人ーカーネマンとトヴァースキー
1見え方の違いと意思決定、2数字の影響力、3ヒューリスティックスによる判断
第3章 現実認識のバイアス
1情報選択のバイアス、2知識という呪縛、3偏見を生み出すバイアス
第4章 自己についてのバイアス
1自分を認識する枠組み、2自分はいいものだというバイアス、3自分は正しいというバイアス。
第5章 対人関係のバイアス
1対人認知のバイアス、2見た目と特性、3人種と法執行のバイアス
第6章 改めて、バイアスとは何か
1バイアスはなぜ存在するのか、2バイアスを緩和する方法、3バイアスから逃れるべきなのか?
二、私的感想
〇易しく書かれた本である。特別の心理学的知識は必要ない。かえって、バイアスになるかもしれない。
〇第3章、第4章、第5章は、バイアス尽くし、バイアス事典みたいで、大変興味深い。それぞれ、心理学的実験が付いているので、説得力が増している。
〇珍しく著者履歴を読まずにこの本を読み始めてしまったので、著者についての対人認知バイアスなしにこの本を読むことができた。専門が法と心理学、法社会学等であることはあとで知った。そういえば、第5章の後半は、捜査、目撃証言、判決におけるバイアスの話がかなり詳細に述べられていた。
〇第6章の展開も大変面白い。しかし、ラストがすっきりしない。
☆まず、1ではヒューリスティックス的判断(おおざっぱで適当、非本質的な手がかりをもとにした判断。ベストではないが、限られた時間内にできるベターな判断)は、バイアスを生み出すもとになるが、生き残りに有利なように祖先から遺伝的に伝えられたもので、致命的な間違いは避けるようにできている。しかし、現代社会において、バイアスの存在はさまざまな不都合を生む。
☆そこで、2では、バイアスのそれぞれについて、緩和策を提示してくれる。ここは大いに共感できる。
☆しかし、3になると、急にバイアスに甘くなり、人間は情報処理マシン、認知マシン、生き残りマシンではないので、バイアスを伴う人間は劣った認知マシンという考え方はおかしい。機械ではない人間にとって重要なのは、自分が関わる物事に意味を感じることである、というちょっとセンチメンタルな展開になる。
☆そして、出てくる結論は252頁に書かれている。
三、私的結論
〇たいへん面白く、学問的かつ実用的で、ためになる本だが、ラストの逆転はすっきりしなかった。
 
 
人間における「認知バイアス」、つまり「認知の歪み」を紹介した本である。
大雑把に内容を紹介すると、おおむね次のようになる。

(1)人間はどのようにして世界を認知しているか
(2)認知の際に生じる「バイアス」には、どのようなものがあるか
(3)私たちは、こうした認知バイアスと、どのように付き合うべきか
(4)司法の場などにおける、認知バイアスの問題を提起する

著者本来のテーマは(4)なのだが、私たち一般読者が読んで面白いのは、著者には申し訳ないが(1)〜(3)の部分である。
しかしまた、本書において「認知心理学」の面白さを知れば、読者の方でも「司法における認知バイアスの問題」にも自ずと問題意識が働くようにもなるだろうから、それでもかまわないのかもしれない。

私が、「認知バイアス」の問題として面白いと思ったのは、「認知バイアス」とは、要は「私と私の騙し合い」であるという点だ。
著者が、そう言っているのではなく、私が、自身の興味という「認知バイアス」に沿って、本書の内容を私自身に引き寄せて理解した結果が、「認知バイアス」とは、要は「私と私の騙し合い」である、ということである。

「なんだ、お前の興味に偏った紹介か」と思う方もいらっしゃるだろう。だが、それは間違いだ。

例えば、一見、本書の内容を「客観的に伝えている」ように見えるレビューであっても、そこに書かれていることは、多かれ少なかれレビュアーの「認知バイアス」と通して描かれた「本書」像であって、いわゆる「客観的」に存在する(と誤解されている)「本書」ではないからだ。
そもそも、本書を読んで「私のレビューは、本書の内容を正確に伝えている」などと思うレビュアーがいたとしたら、そのレビュアーは、本書を正しく理解しておらず、読んだ甲斐のなかった人だ、とさえ言えるかも知れない。
一一だから、私は、私の興味に即して、本書の一面を切り取って見せようと思う。

「認知バイアス」とは、要は「私と私の騙し合い」である、とは、どういうことを示唆しているのか?

それは「私は、私の認知バイアスによって、世界を歪めて見ている(しばしば、願望充足的な改ざんを加えている)」と認識するから「私は、可能なかぎり世界を正確に認識したいと思う」だろう。しかし、本書にも説明されているとおり、なんでも「正確に理解できれば良い」というものではない。

自分が、いかに頭が悪くて、特別な才能もなく、見かけも悪く、周囲の人からも嫌われている、なんてことを「客観的かつ正確に認知」してしまったら、その人は「客観的事実」に絶望して、自殺しなければならなくなってしまうだろう。だからこそ、そうはならないように、各種の「認知バイアス」が人間には仕込まれている。「自分を実際以上に良いものとして見てしまうバイアス」なんてものが、その典型だが、これは世間では「うぬぼれ鏡」などと言われたりもしている。

この「うぬぼれ鏡」という言葉は、基本的には「否定的」な評価を語ったものだと言えるだろう。要は「あいつは、現実が見えていない。自分が全然わかっていない」という、冷笑を込めた否定的な言葉だと考えていい。

しかし「それは、おまえだってそうなんだよ」ということなのだ。
誰だって、認知の病いに罹っていないかぎりは、「うぬぼれ鏡」を通して世界を見ているのだ。
だから、大切なのは「現実を直視すること(できると思うこと)」ではなくて、「どのように現実を見る(理解する)のが、正しいのか」ということである(例えば「未来に絶望するのではなく、理想を掲げて努力する」といった具合に)。

言い換えれば、「認知バイアス」の存在を是認した上での、「ある時は、バイアスのかかった認識を肯定的に利用し、ある時は、それに補正を加える」といった、「認知バイアス」との駆け引きである。
具体的な状況で言えば、ある困難に遭遇し、それを「突破できる」と感じた際、その「認識」を肯定して「よし、ここは強気で行こう」という意思決定をするか、逆にその認識を否定的に評価して「いやいや、ここは慎重に行くべきだ」というふうに考えるか、である。

つまり、「突破できる」と感じ、そう考えたのも「私(自分)」なら、その「私(自分)の認識」を「評価している」のも「私(自分)」であり、両者は明らかに、その「認識レベル」を異にしている。
そして、言うなれば、前者は「一時的な私」であり、後者は「二次的な私」。あるいは、前者は「主観的な私」で後者は「鳥瞰的な私」。さらに言えば、前者は「物理学的な私」であり、後者は「認識論的な私=メタレベルに立つ私」なのだと言えるだろう。

私たちは、決して、前者の私から自由になることはできない。しかし、後者の私によって、前者の私をコントロールすることは(ある程度は)できるし、現にやっている。だが、その割合は、人それぞれだ。
つまり、「欲望のままに生きている(に等しい)人」というのは、前者が圧倒的強い人だ。一方「自己懐疑的な人=慎重な人」とは、後者が強い人だと言えるだろう。

すでにお察しのとおり、これは「どちらが正しい」ということではない。
「無鉄砲」が良いわけでも「慎重居士」が良いわけでもなく、時と場合に応じて「自分を使い分ける」というのがベストであることは、論を待たないのである。

だからこそ、これは「今回は、私の判断が正しい」「いや、やはり私の判断の方が適切だ」という「私と私の騙し合い・説得論戦(ディベート)」であると言えるのだし、なればこそ、人間にはどんな「認知バイアス」があるのか、そしてそれの「長所と短所」を知っておくことは、「私と私の戦いにおける、武器の性能を知っておくこと」だとも言えるのである。

こうした「私と私の騙し合い」あるいは「私と私の戦い」を象徴するのが、統合失調症における「否定的な声(幻聴)」の問題だ。

おおよそ「幻聴」というものは、否定的なものが多い。
「おまえは人間のクズだ」「おまえなんかに生きている価値はない」「みんながおまえを嫌っているぞ」といったものが多く、「君は素晴らしい」「君は幸せ者だ」「みんなが君を大好きだ」などという「幻聴」はほとんどない。なぜなら、そういう時の(肯定的な)声は、容易に「私」と一体化するから、「外からの声」にはならないのである。

つまり、「幻聴」が否定的なものが大半だというのは、それは私が基本的には「生きたい=自己を肯定したい」という「生の願望(欲望)」を持っているからであり、それを否定するような「考え方」を「外部化」しているから、まるで「他人の声」のように聞こえるのである。

しかし、「外部の声」として排除したところで、やはり「否定的」な声は、私の中で直接的に響くものだからつらい。
本物の他人の声なら、耳をふさぐこともできるし、「それはあなたの考え方(価値観)に過ぎないよ」と拒絶することも可能なのだが、「私の主観の中(頭の中)で響いている、否定的な声」は、「私」と半ば一体化しているからこそ、逃げることも、否定しきることもしにくく、だからつらいのである。

だが、万全の対抗策ではないにしても、「私と私の駆け引き=私と私の戦い」において、面白いテクニックを紹介しているマンガがあった。水谷緑の『こころのナース夜野さん』という作品である。

この作品は、「精神科」の現場を取材し、かなり現実の事例に即して描かれたフィクションなのだが、その中で、私がとても興味深く思ったのは、同作第1巻の第5話「悩みをキャラ化する」だ。
要は、被害妄想による「幻聴としての声」に「名前を与えてキャラ化する」という、ユニークかつ実践的な方法が紹介されている。
同作についての私のレビューから、一部を引用させていただく。

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『「おまえは役立たずだ」「まわりのみんなも、そう思っている」といった「幻聴」による攻撃的な声が、当人を執拗に責め苛むのは、その「声」が当人の意識と「一体化」しており、そのために「等閑視しにくくなっている」ためである。
つまり、そうした「内なる(批判的な)声」に対して、「本当にそうかな?」とか「そういう意見もあるだろうけど、気にしてたら切りがないよ」といった、反論や相対化の言葉を思い浮かべることが出来にくい心理状態に陥っているのだ。
そこで、この「攻撃的・否定的な、内なる声」に「名前」をつけてキャラ化し、「別人格」扱いにして、自我との「一体化」を防ぐことで、そうした「内なる声」と「一定の距離」を措くことが出来るようにする、という寸法である。

これが有効なのは、こうした手法が、決して特別なものではなく、健康な者でも、多かれ少なかれ日常的に行っている心の動きを、具体的に方法化したものだからである。』
  (レビュー「〈心の不思議〉に寄り添うこと」より)

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このように、私たちは、自身の中に「他人」を住まわせている、とも言えるだろう。それが「認知バイアス」だと言うこともできるかもしれない。
そして、その「他人」を「敵にするか、味方につけるか」が、「認知バイアス」との「付き合い方」だとも言えるのではないだろうか。

私たちは、頭の中に「他人」を住まわせており、その「他人の目」を通して、世界を見ている。
ならば、私たちは、その「他人=認知バイアス」とうまく付き合うしかないし、うまく付き合うならば「二馬力」にもなるのである。

さて、以上が、私の「認知バイアス」を通しての、「本書に伏在する価値」への評価だ。
私自身は、私の「認知バイアス」と、うまく付き合えていただろうか?
 
 
バイアスについて、トータルに記した書(しかも新書のような入門的性格を帯びた書)は、思ったよりも多くない。そういう意味では貴重な一冊だ。

しかし、この本は、なぜか、今一つしっくりこない。その理由を考えるに、

本来、バイアスというのは、その対象(ならびにTPO)を明確にすることで、その心理的な効果や背景なども見えてくるところ、
この書では、対象やTPOをも限定せず、あくまでもバイアスをトータルに捉えて整理していこう、という試みが故か、却って、個々のバイアスが生じる場やTPOにおける、リアリティ・臨場感が失われているからではないか、と感じるところだ。

そうしたものが失われている状況での、バイアス回避・対処への処方箋的なものが、果たしてどの程度通用するものなのか。。。

著者の専門を生かすのであれば、包括的整理の維持を意識しつつも、裁判の場であるとか、もしくは法解釈の場であるとか、そうした、リアリティ・臨場感を紐づけたうえでのバイアス議論を展開したほうが良かったようにも感じる。。。
 
 

 


<逆らわずして勝つ>

2021年07月17日 11時09分45秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼青年は教えられるより、刺激されることを欲する-ゲーテ
▼コロナ禍、子どもたちのために何ができるの。
大人にとっては子どもの話にじっくり耳を傾けられる<語らいの好機>であり、子どもたちにとってもいろいろな<挑戦の夏>でもある。
▼子どもを育む上で大切なことは何か。
「良い刺激を与え続け、良い思い出をつくってあげることである」
▼人と信頼関係を結ぶためには、一歩人前に出なければならない。
自分から積極的に挨拶。自分を投げ出すこと。
▼嘉納治五郎の柔術は、<逆らわずして勝つ>-押し寄せる外からの力を逆らわず受け止めつつ、その相手の力を利用して勝つ柔道と評された。
▼心身の力を社会の善のために活用すべきである。
「精力善用」と、その精力善用による自己の完成が他者の完成を助け、自他一体を栄えるという「自他共栄」の考えを嘉納治五郎は示した。
▼戦時下のために開催中止となった1940年の「幻のオリンピック東京」の招致をした嘉納は、スペイン風邪流行直後、アントワープ大会(1920年)に日本選手団団長として参加しており、オリンピックの教育的な価値に着目していたとも考えられる。

参考

日本のオリンピック・ムーブメントの始まりと嘉納治五郎

日本がオリンピック・ムーブメントに関わるようになったのは、およそ100年前のことである。それは、嘉納治五郎(1860〜1938年)が、1909年に国際オリンピック委員会(IOC)委員に日本人として初めて就任してからである。

嘉納治五郎というと、柔道を経験している人なら知っている通り、講道館柔道を創始した人物である。講道館柔道とは、日本に昔から存在していた柔術の各流派をまとめ、青少年の教育のためにつくられたものである。

当時の嘉納は、柔道のみならず、東京高等師範学校(現在の筑波大学)の校長も務め、水泳や長距離走、さらにはテニスやサッカーなど各種のスポーツを学生たちに行わせるほど、体育に熱心な教育者であった。
さらに、1896年からは中国からの留学生も積極的に受け入れ、彼らにも体育やスポーツ、そして柔道を教えていた。
留学生の受け入れは、1909年までに約7000人にも上った。
それは、体育は身体を強くするだけではなく、自他ともに道徳的に高めることができ、さらに生涯続けることで、心身ともに若々しく活動しながら、幸福に生きることができる、と嘉納は考えていたからであった。
この考えは、年齢、性別はもちろん、国境も関係なかった。嘉納は、誰もができる運動として徒歩、長距離走、水泳、そして柔道をあげていた。さらに、柔道や体育活動で得た道徳的な価値が、社会生活でも実践されるべき、と考えていた。

近代オリンピックの創設者で、当時IOC会長であったクーベルタンは、スポーツによる教育改革に熱心な人物、つまり嘉納のような人物を仲間に加えることを求めていた。

1912年ストックホルム大会に日本初参加・入場行進(写真上)と参加賞メダル(写真下)。
1912年ストックホルム大会に日本初参加・入場行進(写真上)と
参加賞メダル(写真下)。
嘉納は、駐日フランス大使ジェラールからオリンピックの理念を聞き、IOC委員への就任を引き受けたが、それは、嘉納の考えとオリンピックの理念とは、何ら矛盾するところがなかったからである。

嘉納は、IOC委員に就任してからオリンピック・ムーブメントに積極的に関わっていった。スウェーデン・オリンピック委員会の求めに応じて、1912年の第5回オリンピック競技大会に日本選手を参加させる準備を行う。オリンピック選手を派遣するための組織として、大日本体育協会(現在の日本体育協会)を創設し、選手の予選会を実施。短距離走の三島弥彦とマラソンの金栗四三の2名を、日本代表選手に選んだ。しかし、東京高等師範学校の生徒であった金栗には、ストックホルムまで渡航する経済的な余裕はなかった。すると嘉納は、東京高等師範学校で金栗の後援会を結成し、募金を呼びかけ、資金を工面したのであった。

こうして日本初代表の選手はストックホルム大会へと参加したのである。これ以降、IOC委員の嘉納は、ほとんどすべてのIOC会議やオリンピック競技大会に出席している。オリンピック競技大会終了後には、各国のIOC委員を訪問し、その国の体育やスポーツ事情を見聞するとともに、柔道を紹介するなど、親交を深めた。