日本の教育制度は、明治維新から70年近くの間に欧米文化の直訳や輸入でできあがってきた。
日本の社会、政治も経済も道徳も、その他の生活も行き詰まっていた。
病根はすべて人材の欠乏にあった。
そこで教育を改良して将来の禍根を除去する必要があった。
根本となる人間精神のあり方に関わる問題であった。
当時は、美濃部達吉の天皇機関説にたいする国会での弾劾演説(1935年2月)を機に思想や学問への圧力が高まっていた。
さらに日中戦争が勃発(1937年7月)していた。
教育は本来、子どもの幸福を目指すべきであったが、時代は国家のための教育となっていく。
当時の教育改革は、行き詰まりの根本原因を見極めようとせずに、枝葉末節の部分ばかりに手を入れようとしていた。
それが状況を悪化させていた。
例えれば、病気の根本原因を見落として、治療するば病気は悪化するのである。
一方、当時の社会では教育の改革に対する社会の関心が低かった。
一つは、社会において分業化は進み、それぞれの分野の関連性が複雑になる中で、人々が目前の仕事に忙殺され、物事を全体的に見渡して考えることができなくなった。
この傾向は戦後も基本的に変わらず、教育改革もその場しのぎの対応が続く面があった。
<社会から切りはなされた教育>が生命をもたないように<教育という使命を見失った社会>に未来はない。
教育はたんなる「権利」や「義務」にとどまるものではなく、一人ひとりの「使命」にほかならない。
そのように社会全体で意識改革していくことが、すべての根本であらねばならない。
つまり、21世紀の教育を見据えて最重要の焦点となるのは、教育を社会の一分野として埋没させずに、あらゆる人々が使命感をもって「教育のための社会」を築くことにある。
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