「平和の文化」は、日常生活の中で一人一人が平和と非暴力を自分の生き方にすることだ。
また、宗教が「平和の文化」を育む土壌の役割を果たすうえで不可欠なもの―それが「教育」の力だ。
いかなる宗教であれ、排他的や独善に陥らず、その包括性や受容性を維持していくには、良識の知性の力こそが必要なのだ。
「宗教」と「教育」は<両輪>の役割を果たし、互いに善き啓発を与えながら人類をさらなる高みに導いてこそ、社会は健全なる発展を遂げ、新たな「平和の文化」を創造していくことができる。
仏法の人間主義を基調とした平和・文化・教育を展開する意義もそこにある。
一貫して市民社会に足場を置き、広く教育活動を通し、平和に貢献する。
近年、国連においても、意識啓発を促す「教育活動」の価値が見直されるようになった。
人類の存続に関わる喫緊の課題が山積する中にあって、政府の代表だけでは各国の利害が衝突し合い、議論が前に進みにくい。
そこで、国際的な視野と見識を備えた市民・民間団体NGO(非政府組織)の代表が国連の会議に招かれ、発言の機会が設けられるようになった。
また、国連の構内で開かれる行事でも、展示やワークショップ、パネルディスカッションなどを主催し、各国政府の意志・行動決定にも影響を与えるよにもなってきている。
議場の内外で、市民団体の存在感が増す中で、長年にわたり、教育活動を続け、人々の意識を啓発してきた団体の主張や活動が耳目を集めるようになってきた。
なかでも、注目を浴びているのは「FBO]である。
「FBO]とはフェイス(信仰)・ベイスト・オーガニゼーション」の名が示すとおり、「宗教的信念」や「信仰」を基盤とする組織を示す。
一般的に「宗教団体」は草の根レベルで、市井(しせい)の隅々まで分け入って、人々に声を届け、影響を及ぼせる組織である。
信仰者が、宗教上の教義に則り、信仰の一部として、倫理的・人道的なメッセージを届ける。
それを受け取った人が「私も社会貢献の行動を起こしたい」と一歩踏み出す。
その連動がやがて大きな波となり、大きな改革へとつながっていく。
また、宗教団体には、商業的利害はないから、社会変革のための意欲を保ち、困難に屈せず、実践を繰り返していける特性もある。
基本的に「生命尊厳の思想」が期待される。
その理念の基に、平和へ向けた連帯を呼びかけ、その輪を広げるのである。
人々の意識を変え、行動の変容を促すには、一過性ではない不断の取り組みと、より広い規模の草の根の対話へとつなげるイニシアチブ(主導・率先)が欠かせない。
期待されるのは、未来世代のために、人類が直面する難題に果敢に挑戦し、より公平で持続可能な世界を構築していく人材の育成である。
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