わたしの人生 ダーチャ・マライーニ著

2025年01月19日 08時01分06秒 | その気になる言葉

ダーチャ・マライーニ (著), 望月 紀子 (翻訳)

わたしは忘れない。

日本で、9歳にして、死にもっとも近づいたときのことを―ー。
文化人類学者の父の研究のため、著者は1938年に2歳で家族とともに来日。

1943年、両親がムッソリーニの新政権に忠誠を誓うことを拒否したことを機に、一家5人のほか11人のイタリア人とともに、終戦まで名古屋で抑留される。

日本政府が送ってきた食料を組織ぐるみで横取りしていた警察官たちによる屈辱的で厳しい監視、蟻や蛇を食べるまでに追い詰められた飢餓による心身の衰弱、壁にもたれることも読書も禁じられるほどの苦境のなかで父母が与えてくれたささやかな楽しみ、乳母など優しくしてくれた日本人との思い出、そしてファシズムへの憤り……。

イタリアを代表する作家が、七十余年の時を経て、現代への警告の気持ちを込めて綴ったメモワール。

「自分は日本人だ」と思うほどこの地になじみ、イタリア語や英語より日本語を話す少女だった。

そんな彼女の一家が1943年10月から1945年8月まで、大日本帝国の官憲から人間としての尊厳を奪われた時間の記録である。

一家は1943年、イタリア北部につくられたムッソリーニ率いるファシスト国家サロー共和国への忠誠を拒否して、敵性国民となり名古屋の強制収容所へ送られた。

出版社より

帯表
帯裏
タイトルと帯の説明に興味をそそられ、手に取りました。
イタリア人作家が戦中、収容所で過ごす話です。ユダヤ人の話も多く引用されていますが、日本にこんな収容所があったなんて・・・

文中に出てくる"日本文化"のところですが、残念ながら今も日本人には根付いていると思います。弱者や自分が敵とみなす人を徹底的にのけ者にしたり蔑む文化は変わっていないかと。。結果子供でも大人の世界でもいじめがありますよね。また自分を無にするいう文化(要は身分が上や地位が上には沈黙を通し従う)も根本にはあり、出る杭は打たれる文化の変わらないところだと思います。それは別の著書の『神経症的な美しさ』を読んだ時にも感じました。ただ最後に作者がでも日本が好きという箇所を読んだ時になんだかホッとしました。

さて、別のレビューの方も言われていますがたまに翻訳がスッと入ってこない箇所があります。私はイタリア語の原文は読めませんでの何とも言えませんが・・・
 
イタリア人作家ダーチャ・マライーニ氏は1936年生まれ。幼少期に日本で暮らし、1943年に祖国でムッソリーニ政権が倒れた後、ナチス・ドイツが打ち立てた傀儡ファシスト政権サーロ共和国への忠誠を両親が拒否したため、敵性外国人として日本で強制収容所に送られることになります。
 そのマライーニ氏が収容所での暮らしを綴った回顧録がこの『わたしの人生』です。
 NHKで今年の夏、80歳を越えるマライーニ氏が来日して戦時中に交流のあった人々を訪ねる様子が放送されました。それを見て、マライーニ氏が名古屋の収容所にいた人物だと初めて知り、この書を手にとった次第です。

 あらためて驚きとともに知ったのは、名古屋に敵性外国人収容所が存在したことです。しかも、暮らしていた京都からマライーニ氏が両親やきょうだいたちと収容された施設は、天白にあったといいます。
調べてみると所在地は現在の天白区八事表山にあったそうです。わたしの育った土地から車で30分の距離です。ですが、天白の外国人強制収容所跡など私は聞いた経験がありません。おそらく名古屋市民のほとんどがこうした史実を知らないと思います。

 さて、幼いマライーニ氏が味わった1943年から45年までの強制収容所の生活は苛烈を極めます。
そもそも戦時中でひどい食料不足ですから、満足な食事が与えられないうえ、収容所の管理を任された名古屋の警察官どもが、食糧の横領をしていました。
高圧的で有無をいわせぬ態度の警官たちの態度に、マライーニの両親や同時に収容された人々は毅然と抵抗し、ハンストまで決行します。ですが栄養失調は確実に幼い子どもたちの身体を蝕んでいきます。脚気や壊血病で髪が抜け、歯茎から出血し、さらには頻尿、あげくの果ては心臓肥大までもたらされます。空腹はいかんともしがたく、蟻や蛇、蛙まで捕まえては飢えを凌ぐ日々です。蟻には蟻酸があり、著者は食べないようにと父から警告されていたにもかかわらず、飢えには勝てなかったようです。
「夏は酷暑、冬は厳寒の部屋で眠れたものではなかった」(27頁)の記述を読み、名古屋の気候を知る私としても、気の毒としか言葉が見つかりません。冬の寒さは伊吹おろしのせいでしょう。

 日本の負の歴史を外国人に教えられる書です。

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 全体的に翻訳がこなれていない感じがします。一次訳のあとに推敲しなかったのではないかと思われるような日本語が散見されます。いくつか例を挙げます。

*21頁
:「あとの二個はあとで着くと言われた」
 意味の異なる「あと」という言葉がひとつの文章に同居していて、ごつごつした感じがします。文脈から判断するに、「残りの二個は後日着くと言われた」ということですね。

*30頁
:「夜中に何度もトイレに行く緊急の必要のせいで、頻尿は脚気のせいだった」という文章がありますが、「~のせいで、~のせいだった」というくだりが意味不明でした。
 イタリア語の原文は以下の通りです。
La notte, venivamo presi dal bisogno impellente di andare al bagno, perché il beri-beri, chiamato in giapponese kaké, portava al bisogno di orinare in continuazione.
(試訳)「夜中に、トイレに行きたいという強い衝動に襲われた。日本語で脚気と呼ばれるベリベリ病のせいで頻尿になっていたからだ」

*37頁
:「東京のフィーアット支社長」とあります。「フィーアット」とは何のことか、と思ったら、自動車メーカーの「フィアット(Fiat)」でした。

*39頁
:「あの時、あの凍てつく中庭の葉が枯れて裸になった枝が、母がトランクのいったいどこから引っぱり出したのか、赤と緑色のポンポン飾りでおめかしをされた桜の木のまえに立って、わたしたちは感激し幸福だった」
 この訳文では「裸になった枝が」という主語の述語が見当たりません。
(イタリア語原文)Ora, in quel cortile gelido, in piedi davanti a uno spelacchiato ciliegio dalle foglie secche, I rami ingeniliti da ciocchetti rossi e verdi che mia madre aveva scovato non so in quale fondo di valigia, ci sentivamo per una volta commossi e felici.
(試訳)「あの時、あの凍えるような中庭で、わたしたちは葉の枯れた裸の桜の木の前に立った。母が古いトランクケースの底から取りだした赤と緑の小さな飾りで優雅におめかししてくれた枝を見て、わたしたちは一瞬だけ胸踊らせ、幸せを感じた」

*144頁
:「何年も何年もわたしは『あとのために』食べ物を隠し続けた、犬が、未来に確信をもてなくて、最悪の場合に備えておいた方がいいからとパンを少し埋めておくように。」
 この文章の「続けた、犬が」の読点に困惑しました。読んだ直後には「犬が隠し続けたあとに、未来に確信をもてなかった」のかと思いましたが、何度か読み直して、この読点はどうやら句点にするべきところなのではないかと思い至りました。紛らわしい文章だなと感じました。

*149頁
:「新鮮な魚を食べた、上等の魚は冷蔵トラックでミラーノに送られるので、雑魚だけだったけれど。」
 この文章の「食べた、上等の魚」の読点に困惑しました。読んだ直後には「上等な魚が新鮮な魚を食べたあとに冷蔵トラックでミラノに送られる」のかと思いましたが、何度か読み直して、この読点はどうやら句点にするべきところなのではないかと思い至りました。紛らわしい文章だなと感じました。

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 以下の書を紹介しておきます。

◆三崎 律日『奇書の世界史 歴史を動かす“ヤバい書物”の物語』(KADOKAWA)
:ダーチェ・マライーニは『わたしの人生』の中で、『魔女に与える鉄槌』(56頁)に言及しています。『魔女に与える鉄槌』は魔女裁判のマニュアル書として、ペストの流行や小氷河期の不作がもたらした不安に人々が押しつぶされていた時期に盛んに参照されました。社会の不可思議な変動を積極的に解明しようとする人間の衝動を、健全な方向へと促すに足る科学的知識がなかった時代に書かれた不運がそこにはあり、編まれた言葉が見事なまでに世界を破壊していったことがよくわかります。

◆三崎 律日『奇書の世界史2 歴史を動かす“もっとヤバい書物”の物語』(KADOKAWA)
◆内藤 陽介『みんな大好き陰謀論』(ビジネス社)
:ダーチェ・マライーニは『わたしの人生』の中で、『シオン賢者の議定書』(60頁)に言及しています。ユダヤ陰謀論の代表的奇書といえば『シオン賢者の議定書』です。帝政ロシアでユダヤ人迫害のために編まれた偽書で、上記の三崎氏と内藤氏の著作に記述があります。

さらに以下の映画も紹介しておきます。
◆『Paradise Road』(1997)
:オーストラリアの戦争映画で、第二次世界大戦中、スマトラ島で日本軍に投獄されたイギリス、アメリカ、オランダ、オーストラリアの女性たちを描く作品。主演はグレン・クローズ、フランシス・マクドーマンド、ジュリアナ・マルグリーズ、ケイト・ブランシェット。

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ダーチャと日本の強制収容所 
 
ノーベル文学賞候補としてこれまで何度も名前があがっているイタリアの作家、詩人、劇作家であるダーチャ・マライーニ。
民族学者の父・フォスコ・マライーニとともに一家で来日、2歳から9歳までを日本で過ごし、終戦までの約2年間、名古屋の強制収容所でのあまりにも苛酷な飢えや寒さを経験する。
フェミニズム、68年の「異議申し立て」の旗手として時代を駆け抜けてきた作家の原風景となった《もうひとつの物語》。
目次
1 ダーチャ・マライーニと父と妹の著書と母のノート
2 マライーニ家の人たち
3 小さな旅人
4 日本
5 札幌
6 宮沢レーン事件
7 京都
8 「さようなら、京都」
9 《もうひとつの物語》――天白の収容所
10 東南海地震と名古屋空襲
10 東南海地震と名古屋空襲
11 広済寺
12 再会と帰国
13 その後のマライーニ家の人たち
14 痩せっぽちの少女
15 『ヴァカンス』後のダーチャ・マライーニの作品
 

著者について

望月紀子(もちづきのりこ)1941年生。翻訳家、作家。東京外国語大学フランス科卒業。
イタリア文学。主な著書:『世界の歴史と文化 イタリア』(〔共著〕新潮社、1993年)、『こうすれば話せるイタリア語』(朝日出版社、1998年)。主な訳書:ダーチャ・マライーニ『メアリー・スチュアート』(劇書房、1990年)『シチーリアの雅歌』(1993年)『帰郷、シチーリアへ』(1997年)『イゾリーナ』(1995年)『別れてきた恋人への手紙』(1998年)、アンドレーア・ケルバーケル『小さな本の数奇な運命』(2004年)、オリヴィエーロ・ディリベルト『悪魔に魅入られた本の城』(以上、晶文社、2004年)。
 
イタリア人劇作家ダーチャ・マライーニの幼少期抑留所収容体験を、マライーニ作品の翻訳を数多く手掛けるイタリア文学者、望月紀子が克明に追い、後年のダーチャの思想と活動の原点に迫ったノンフィクション。
戦時下日本での過酷な体験を自ら語らないダーチャと向き合い、その語らない謎を解き明かそうとする筆者の縦横無尽の推理と考察に感服。
終戦により抑留生活から解放された後、一家で母の故郷シチーリアへ帰り、暮らした頃の生活と心情を苦く語る自伝的小説『帰郷シチーリアへ』(望月紀子訳)を合わせ読むと、68年の「異議申し立て」の旗手ダーチャの根底にある少女期体験が鮮明に浮かび上がる。
抑留体験を未だ作品にしないダーチャ自身は「自分のことは自分で書く、死ぬまでに、絶対に」と著者に語ったそうだが、はたして書くだろうか。
重すぎる体験と重なるノモンハン事件を終に書き残さなかった彼の司馬遼太郎を連想する。
 
 

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