「悪の独裁者」の本質とは―誰も怖くて、「引退してほい」とは、とてもとても言えなかった歴史上に、これまにも実在しなかった稀有な人間だったのでは?! <沼田利根の言いたい放題>
長嶋監督再登板・FA導入…ONと並ぶ日本球界三大カリスマ
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元夕刊フジ記者、江尻良文氏の遺稿を初掲載 19日に亡くなった渡辺恒雄氏は1991年に読売新聞社社長に就任以降、傘下の巨人だけでなくプロ野球界全体に絶大な影響力を発揮した。2021年に72歳で亡くなるまで夕刊フジで長年にわたり取材、インタビューを行ってきた江尻良文さんが生前、渡辺氏の球界における功績を振り返るために用意していた原稿を、ここに初めて掲載する。 【写真】夕刊フジを愛読していた渡辺氏。巨人球団会長だった2012年には優勝、日本一に際して2度にわたり、同紙記者の大型インタビューに応じた マスコミや野球ファンの間ではさまざまな通称で呼ばれる渡辺氏。「ナベツネ」「球界のドン」「悪の独裁者」etc。要は独裁者ぶりを喧伝され、日本プロ野球界の元凶扱いされてきた。 ところが、1度の食事会と3度のインタビューでその素顔を知った筆者は、世間一般の烙印は大間違いだと明言して訂正する。「不世出のスーパースターONと並ぶ、日本プロ野球界の三大カリスマ」だと。 渡辺氏の野球界での最大の功績は、長嶋茂雄さんを巨人監督に復帰させ、勇退後には終身名誉監督のポストを用意したこと。もうひとつはフリーエージェント(FA)制度の導入だ。 1980年シーズン終了後、契約切れを理由に巨人監督を退任させられた長嶋さんを、93年のシーズンから巨人監督に復帰させたときもファンは驚喜。同時に「勝手な独裁者だ」と渡辺氏には批判を浴びせた。 日本サッカー界が初のプロ、Jリーグを旗揚げさせることに戦々恐々としていたプロ野球界。その盟主を自負する巨人が、Jリーグに対抗するために最後の切り札、永遠のスーパースター・長嶋茂雄を担ぎ出したというのだ。 正直言って当時は、筆者も「自分たちの都合だけで、長嶋さんをクビにしたり復帰させたり、ふざけるな」と怒りが抑えられなかった。ところが、「悪の独裁者・ナベツネ」は世間が勝手に貼ったレッテルで、安直な復帰劇ではなかった。 当時、読売新聞社社長だった渡辺氏は、長嶋監督復帰を最終決定する前に、読売、巨人関係者にとどまらず徹底的にリサーチ。球界外の政財界関係者までに「Jリーグに対抗するのにベストな巨人の監督は誰か」と、聞いて回っていたのだ。 筆者がサンケイスポーツのデスク時代の話で、「どうしても勝ちたいので、西武で常勝監督になった森祇晶さんが有力候補だ」という情報を入手。「巨人・森新監督」を1面で報道した。
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