作家・坂口安吾の文学碑を取手市内に建立するよう当時の大橋幸雄市長に要請したのは、当方の友人の貫井徹さんたちであった。
安吾の生誕百周年を記念する2006年のことだった。
建立していれば、安吾ファンの一人として大いに喜べたのだが、残念ながら実現しなかった。
昨年、大橋さんに会った時、話しかけた。
「おいくつになりました?」
「年齢など、どうでもいい!」と不機嫌な顔をした。
安吾の文学碑について、改めて聞こうとしたが、彼が不機嫌な顔のままなのでを問うのをやめた。
取手文化祭の会場でのことだ。
自治の役員もしていた当方は、彼が県会議員のころからの顔見知りだった。
安吾が取手にやってきたのは1939年のことだ。
そして8か月取手に在住していた。
東京の出版社「竹村書房」の社長の紹介で長禅寺下の伊勢甚旅館へ泊まる。
この旅館は竹村社長が魚釣りに利用していた。
「今年こそ本当にギリギリの作品を書かねば私はもう生きていない方がいい」
安吾は決死の思いで取手にやってきた。
竹村社長は、利根川沿いの自然豊なとことで、落ち着いてヒット作を書いてもらいたくて、安吾を取手に送り込んだ。
しかし、肝心の原稿は進まず、日中は寝転がって天を仰ぎ、夕方になると、向かいの海老屋酒店でコップ酒を飲んで気を紛らせていた。
何時までも旅館に居られないので、旅館のおかみさんが、近くの取手病院の離れの部屋を紹介してくれた。
当時22歳であった病院の娘・張谷ふじさんは、「いつも同じ着物で、ステッキを持ち歩いてました。私たちは娘のころだったせいもあるけど、怖くて近寄れなかったわね」と語っている。
安吾は33歳であった。
伊勢甚旅館の若主人だった海老原一夫さんは、安吾の面倒をよくみた。
安吾から囲碁を教わり、利根川に伊勢甚の船を出して遊び、川の水で茶を入れた。
海老原一夫さんは「取手町発展策私見」を書いて、安吾に褒められたが、召集され戦死した。
安吾は後年、「生きていれば、代議士くらいになって、取手町国立公園論をぶったかもしれない」と追想している。
当時の取手の冬は寒かった。
「枕元のフラスコの水が凍り、朝方はインクが凍った」
「すると私の悲鳴が聞こえたのか、三好達治から小田原へ住まないか、家があるというハガキがきたから、さっそく小田原へ飛んでいった」(『わがだらしなき戦記』)
安吾は戦前ほとんど無名であった。
彼が世間に知られるようになったのは、戦後である。
文壇では、島崎藤村、宇野浩二、牧野信一など少数の人だけが彼の才能を認めていた。
昭和6年、安吾26歳のころで、その後、菊池寛も安吾を評価した。
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安吾の生誕百周年を記念する2006年のことだった。
建立していれば、安吾ファンの一人として大いに喜べたのだが、残念ながら実現しなかった。
昨年、大橋さんに会った時、話しかけた。
「おいくつになりました?」
「年齢など、どうでもいい!」と不機嫌な顔をした。
安吾の文学碑について、改めて聞こうとしたが、彼が不機嫌な顔のままなのでを問うのをやめた。
取手文化祭の会場でのことだ。
自治の役員もしていた当方は、彼が県会議員のころからの顔見知りだった。
安吾が取手にやってきたのは1939年のことだ。
そして8か月取手に在住していた。
東京の出版社「竹村書房」の社長の紹介で長禅寺下の伊勢甚旅館へ泊まる。
この旅館は竹村社長が魚釣りに利用していた。
「今年こそ本当にギリギリの作品を書かねば私はもう生きていない方がいい」
安吾は決死の思いで取手にやってきた。
竹村社長は、利根川沿いの自然豊なとことで、落ち着いてヒット作を書いてもらいたくて、安吾を取手に送り込んだ。
しかし、肝心の原稿は進まず、日中は寝転がって天を仰ぎ、夕方になると、向かいの海老屋酒店でコップ酒を飲んで気を紛らせていた。
何時までも旅館に居られないので、旅館のおかみさんが、近くの取手病院の離れの部屋を紹介してくれた。
当時22歳であった病院の娘・張谷ふじさんは、「いつも同じ着物で、ステッキを持ち歩いてました。私たちは娘のころだったせいもあるけど、怖くて近寄れなかったわね」と語っている。
安吾は33歳であった。
伊勢甚旅館の若主人だった海老原一夫さんは、安吾の面倒をよくみた。
安吾から囲碁を教わり、利根川に伊勢甚の船を出して遊び、川の水で茶を入れた。
海老原一夫さんは「取手町発展策私見」を書いて、安吾に褒められたが、召集され戦死した。
安吾は後年、「生きていれば、代議士くらいになって、取手町国立公園論をぶったかもしれない」と追想している。
当時の取手の冬は寒かった。
「枕元のフラスコの水が凍り、朝方はインクが凍った」
「すると私の悲鳴が聞こえたのか、三好達治から小田原へ住まないか、家があるというハガキがきたから、さっそく小田原へ飛んでいった」(『わがだらしなき戦記』)
安吾は戦前ほとんど無名であった。
彼が世間に知られるようになったのは、戦後である。
文壇では、島崎藤村、宇野浩二、牧野信一など少数の人だけが彼の才能を認めていた。
昭和6年、安吾26歳のころで、その後、菊池寛も安吾を評価した。
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