祈りの効果

2016年12月29日 07時10分27秒 | 社会・文化・政治・経済
★使命に生き、自身の向上をめざす人にとっては、逆境の時こそが、実り多き学習の場となり、自分を磨く最高の道場となる。
★よし!
自分の人生は自分で切り開こう、と決意。
★祈りの効果
... 『祈り』は精神的な気休めではなく、科学的にもその効果が認められています。
心理学的にも、『祈りの効果』はあります。アメリカの心理学研究によると…信仰心のある人は、孤独感におちいることが少なく、心も安定するそうです。また、信仰心は、幸福感のみならず、体の健康にも良い効果を及ぼすことがわかっています。
ハーバード大学のハーバード・ベンソン教授は『祈り』が呼吸数、. 心拍数、二酸化炭素排出量、酸素消費量の抑制を確かめ、. 『祈り』がガンや糖尿病、不妊症などの病気に. 効果的に働くこともわかってきまし ...」ハーバード大学のハーバード・ベンソン教授は『祈り』が呼吸数、. 心拍数、二酸化炭素排出量、酸素消費量の抑制を確かめ、. 『祈り』がガンや糖尿病、不妊症などの病気に. 効果的に働くこともわかってきまし ...
★バーバード大学、コロンビア大学などの権威ある

大学が、こぞって『祈り』の研究を進めているからです。

ハーバード大学のハーバード・ベンソン教授は『祈り』が呼吸数、

心拍数、二酸化炭素排出量、酸素消費量の抑制を確かめ、

『祈り』がガンや糖尿病、不妊症などの病気に

効果的に働くこともわかってきました。

他にも、1200例以上の『祈り』に関する研究データが

次々に確認されていますが、医学と科学、そして宗教を超えた

その驚きの研究結果に、世界中の人々が今、

『祈り』に関心を高めています。

スピンドリフトによる実験による、効果的な「祈りの方法」

10年以上にわたり『祈り』の効果を客観的に研究している機関に「スピンドリフト」という組織があります。

そこでは麦の発芽と『祈り』の関係を実験して、

祈り方や祈りの時間の長さ等々、

効果のある「祈りの方法」について調査をしました。

その結果、以下の7つの特徴がわかってきました。

1.『祈り』は実現する
麦の発芽の実験で、祈られたグループの種子のほうの

発芽率がはるかに高かった。

(何度実験しても同じであった)・・・・

『祈り』は発芽の成長に効果があった。

2.苦しい時ほど『祈り』の効果がある
発芽しにくいように、麦の種を浸している水に

塩分を加える実験で、塩分の濃度を増やすほど

(つまりストレスを多く与えるほど)

『祈り』の効果が大きかった。
このことから、祈ってもらう人が重い病気であるほど、

あるいは、つらい、不幸な境遇にあるときほど、

『祈り』の効果が大きいと思われる。

3.『祈り』の量は『祈り』の効果と比例する
麦の発芽の実験で、祈る時間を2倍にした場合は、

発芽率が2倍になった。
このことは病人のために祈る場合、時々、

祈る場合よりも、いつもその病人のことを思いながら、

できるだけ多く、『祈り』の念を送ってあげるほうが、

病人のためによいといえる。

4.対象を明確にした祈りが効果的
『祈り』が効果を持つためには、誰に対して祈るか、

或いは何に対して祈るかと、はっきり『祈り』の対象を

明確にして祈るほど、『祈り』の効果がある。
このことから、ただ漠然と祈るよりも、

「病気のAさん、Bさん、Cさん、Dさん」と

一人一人を意識しながら祈るほうが

効果が大きいといえる。

5.祈りの対象の数が増えても効果は減らない
種子を用いた実験では、種子の数が多くても少なくても、

結果は同じだった。
このことから、『祈り』の対象数がいくら増えて、

例えば1人の人への『祈り』であろうと、

5人、10人であろうとも、

『祈り』の効果は変わらないといえる。

6.祈りの経験の長い人ほど祈りの効果が大きい
実験によって、『祈り』の経験の長い人のほうが、

浅い人よりも大きな効果を生むということが分かった。
よって「困った時の神頼み」で、

急に思い立って祈る人よりも、

ふだんから神棚や仏壇に向かって

『祈り』をしている人の『祈り』のほうが、

効果が高いといえる。
その意味では、神主や僧侶、神父、牧師の

『祈り』の効果は大きいと思われる。

7.「無指示的な祈り」は、「指示的な祈り」より効果が大きい
「指示的な祈り」とは、例えば、ガンが治癒すること、

苦痛が消えることなど、

祈る人が特定の目標やイメージを心に抱いて祈ること。
いわば祈る人は宇宙に

「こうしてくれ」と注文をつける祈り方である。
無指示的な祈りは、なんらの結果も想像したり、

注文したりせずに、ただ、

「最良の結果になってください」とか

「神の御心のままにしてください」と

宇宙を信じてお任せする祈り方。
実験結果では、「指示的な祈り」と「無指示的な祈り」の

どちらも効果は上がったが、

「無指示的な祈り」のほうが

「指示的な祈り」の2倍以上の効果をもたらす

ことも多かった。

ランドルフ・ビルド博士による実験

続いて「祈りの研究」は、医療現場でも注目を

浴びてきています。
元カリフォルニア大学

心臓学教授ランドルフ・ビルド博士は、

心臓病の入院患者393人に対して厳密な実験を行い、

『祈り』には大変な治癒効果があることを証明しています。

実験では、まず患者を、祈られるグループと

祈られないグループとに

コンピュータで無作為に振り分けました。

次に、患者のために祈る人たちを

全国の教会から募集し、

祈られるグループの患者の名前・病状を教えて、

毎日その人のために祈るように依頼したのです。

その結果、他人に祈られた患者は、

祈られなかった患者より

人工呼吸器、抗生物質、透析の使用率が少ない

ことがわかりました。

それも、西海岸にあるこの病院に

近いグループからの『祈り』も、

遠く離れた東海岸側からの『祈り』も、

同様に効果がありました。

もちろん、これらの患者は

祈られていることすら知らなかったのです。


これらの実験結果は、大変興味深いデータであり、

より研究が進めば、近い将来に『祈り』の持つ効果は、

多くの人々に一般的に知られるようになるかと思います。

そうすると、古代の人々のように、

『祈り』という行為が宗教や科学を超えて、

再び人々の生活の一部になってくるものと思われます。

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問題の解決策をオンラインで確認できます。

がん細胞は熱に弱い

2016年12月28日 21時28分53秒 | 医科・歯科・介護
★新しいものや未知なものに出会ったときの感激―それを呼び覚ます教育が重要。
★いかなる国の人々も、慢心にも卑屈にもんならず、一個の「人間」として、堂々と誠実に交流できる「実力」と人類に貢献していく「開かれた心」を持つことだ。
そのためには、「世界を知る」ことが欠かせない。
知らないことが、偏見や先入観を生む。
★学ぶ勇気が、自分の心を世界に向かって開くことになる。
語学力も大切だ。
ともかく、日本の小さな物差しではなく、地球規模のスケールで考え、手を打っていけるリーダーが躍り出なければならない。

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がん細胞は熱に弱い

がんは「熱」に弱い
がんにも弱点があります。それは「熱に弱い」というこです。がん細胞は、約43度の温度で死にはじめます。


のグラフをみてください。がん細胞は、42.5度を超えると、極端に生存率が低下します。
また2のグラフを見ると、がん細胞は、温度が上がっても血流がほとんど増えていないことがわかります。
皮膚と筋肉部分は血管拡張により、42.5度を超えて45度付近まで血流量が増え続けますが、がんの部分は血管が拡張しないため、血流が増えません。
つまり、がん細胞は「熱」を逃がす仕組みが弱いのです。

がん細胞は、温まりやすく、熱に弱い性質があるといえます。

「熱に弱い」というがんの性質を利用した治療法には、すでに長い歴史があります。

「ハイパーサミア」というは、患部を42〜44度程度に30〜60分加温する治療法です。この方法は、起源をたどると1866年にさかのぼり、医師W.ブッシュ(ドイツ)の高熱による腫瘍消失報告にあります。後、1900年ごろ、アメリカでも研究成果が確認され、有効な加温方法やがんに対する温熱効果があきらかになりました。1975年第一回国際シンポジウムがワシントンで開催され、がんの新しい治療法への第一歩を踏み出したのです。

日本でも昭和59年に日本ハイパーサミア学会が設立されています。
近代的な温熱療法は、マイクロ波やラジオ波、レーザーを用いる方法もあります。しかし、いずれもがん局所の温度制御や範囲制御が難しく、思わぬ有害事象を招く場合があります。
一方で、43度程度の温熱のみでは、その後にがんが再発したり転移したりする場合もあることがわかってきました。
がん細胞を約60度に加熱する
アドメテックは、愛媛大学医学部、工学部による研究・実績・協力のもとに、現状の課題やリスクを可能な限り克服した治療法をみいだしました。それが「治療部位への確実な入熱」と「精密な温度制御」および「がん細胞の確実な細胞死」を可能とする装置や方法です。

それは、極微細径の加熱針をCTやエコーでガイドしながら、がんの患部へ到達させて加熱します。全身麻酔は必要ありません。
患部が大きめの場合は、複数本の針を到達させます。次に針先端部にある極微小なヒーターで、患部を一定時間約60度に温度制御します。
さらに入熱後、がん細胞が弱ったところに樹状細胞やCTLなどの免疫細胞を入れて抗原掲示させます。このことで免疫細胞が敵であるがん細胞を覚え、全身に散ったがんを攻撃します。

特長 低侵襲です(患者様への負担が小さい)
経済的でかつ効果的です
焼灼範囲や温度を厳密に制御できます
外来、または短期入院で治療可能です
繰り返しの治療が可能です

最も危険なことは無知であること

2016年12月28日 08時22分03秒 | 社会・文化・政治・経済
★軍事とは何なのか。
その問い掛けが執筆(逆説の軍事論)の原点でもある。
ひとつの答えは「自分たちが戦わなかったから、日本は平和だった」。
だからこそ、自衛隊のリアルを知ってほしいと願う。
「歴史が教えるとおり、最も危険なことは無知であることなのです」
元陸上幕僚長・冨澤睴さん(78)
父は芥川賞作家・有為男
★「カジノ収益による財政改善が期待される」
自民党の細田博之総務会長
カジノで負けた人の金でわが国の財政を本当に改善できるのか。
パチンコ・競馬・競輪・競艇・オート日本はこれ以上、ギャンブルを必要としないはず。
★「カジノ法」に国民は批判的だ。
一般的な人々は健全なのだ。
★すねに傷をもつ日本。
侵略や植民地支配。
それがなかったことには到底できない。
負の歴史に目をつぶるわけにはいかない。
和解の試みを地道に繰り返すことだ。

なぜ、医療費は増えるのか?

2016年12月28日 00時04分03秒 | 日記・断片
予約票
1月4日、13:00 外科 手術
JAとりで総合医療センター

医学管理等(診療情報提供料)250点
保険外負担画像作成料 1000円
自己負担額1330円

紹介状と画像を持って北柏の慈恵医大病院の外科へ行く。
初診の受付の前に、再診用の自動予約受付に診療券を挿入したら、検査の表示。
外科のボタンを押したが反応しない。
そこで改めて初診の受付へ行く。
前回は外科で診療を受ける前に、外科担当の人から色々聞かれた。
そこで、初診ではなく、料金は発生しなかった。
今回は、JAとりで総合医療センターのデータを持参したことを告げたら、「午前11時に受付は終わってます」と言われた。
「外科の人に明日、データと紹介状を持って来て下さいと言われているのですが」と確認をしてもらう。
「それでは、外科に聞いてみますので、お待ちください」と言う。
話が通じてから、「データをこれから取り込みますので、しばらくお待ちください。この呼び出し番号だ出たらご案内します」と番号票を手渡されたので待つ。
かなりのデータ量なのだろう、データの取り込みに10分くらいかかる。
番号が呼ばれ、外科の受付へ向かう。
外待合室と中待合室があるのはどこの病院と同じである。
1時間ほど待つと、昨日同様に外科の担当の女性が来て「手術は1月はできません。2月になりますが、手術を受けますか?」と問われる。
腸閉塞、大腸破裂の危機にあるのに、2月の手術?!
頭が真っ白になる。
しかも、「検査は、すべてやります」と言うのだ。
昨日は、JAとりで総合医療センターの検査でデータは無視して、新たに検査を依頼したら「それはもったいないです。データはもらって来てください」というので、紹介状も貰いに行く。
「今日は、血液検査をしてください」と言われる。
それに反発して、病院を出る。
どこかの病院で1月中に手術をしないと、命に関わると不安となる。
結果として、身勝手な行為が自業自得となる。


なぜ、医療費は増えるのか?
医療機関が2重検査などで増やしていると思われるのだ。
それに疑問を感じない患者も少なくないようだ。
「うちのかみさんも、乳がんで手術した時は、前の病院の検査とは別にやり直した」と言う人もいた。

社会人としての信用問題

2016年12月27日 08時29分43秒 | 日記・断片
友人から携帯電話のメールがきた。
「必ず病院へ行ってくださいね。社会人としての信用問題ですからね」
家人が「夫が闘争した。病院へ行かなかった。連絡も取れない」と知人に告げたことで、皆さんが知るところとなる。
「皆、心配しているかね」と携帯電話に友人の田嶋さんからも連絡があり、家に佐々田さも心配して訪ねてきた。
21日入院、1月4日手術の日程が決まっていたが・・・
それを既に皆に伝えてあったので、「見舞いに行きたいのですが、何号室ですか?」と聞いてきたのは久保さんたちであった。
皆さんの気持ちを削ぐ結果となり、反省している。

迷いが問題であった

2016年12月27日 08時24分26秒 | 日記・断片
当初の対応が、まずかったと深く悔いている。
取手東病院の入院を自ら止めて、気持ちは北柏の慈恵医大病院へ行くことにしていた。
だが、紹介状がないとお金(選定療養費)と取られること、から地元のJAとりで総合医療センターへ向かう。
その時の迷いが問題であった。
3000円余のお金はどうでも良かったのだ。
自分の思いを貫く必要があったのだ。
結局、その時の迷いが問題であった。
JAとりで総合医療センターへの入院を止めて、改めて北柏の慈恵医大病院へ行く。
改めて全ての検査を受けることも考えていたが、呼びに来た人が、事情を聞きに来る。
外科待合室の椅子の脇で、メモしながら「検査をやるのもったいないです。データを持ってきてください。紹介状も必要です。明日なら担当の医師も来ていますので、明日、来てください。これからJAとりで総合医療センターへ行ってください」と言う。
家人の携帯で伝えると「あらそう。自分で行くのね。私はもう面倒みないから」と電話を切る。
家人は電話で、入院できるかをJAとりで総合医療センターへ確認したら「2度目ですから、信頼関係の問題です。本当に治療をする気があるのか、確認してからですね。明日来るように言ってください」と担当医師が言っていたそうだ。
北柏からJAとりで総合医療センターへ行くが、「今日は担当医師がいないので、明日来てください」と言われた。
転院の意思を伝えてのだ。

かけがえのない出会い

2016年12月25日 21時10分45秒 | 社会・文化・政治・経済
★「・・・・人は、なぜ生きなければならないのでしょう。簡単です。だれかを幸せにするために、だれかの笑顔を見るために、人は生きるのです」夜回り先生で知られる水谷修さん
★「わたしはクリスマスの精神に敬意を表し、一年中その精神を忘れないようにしようと思う」英国の作家・ディケンズ
★かけがえのない出会いと、出会いによってもたらされた喜びは、大人になってもなお心を満たす。
★「思いって個人的なことを書くと、他人に深いところでつんがるんだよね」作家・保坂和志さん
★「その日々のほんのささやかな幸福感やありがたさを書かず、語らずして、政治に物申すことも、政治を変えることもできない」ジャーナリスト・近藤勝重さん
★「春が戻ってきたのに喜べない人間が、労働時間が減ったユートピアで幸せになれるだろうか」英国作家・ジョージ・オーウェル
★「キャンサーギフト」
「がんという命に関わるい重い病気になって初めて見える命の大切さ、時間の大切さ、周りの人々の温かさがあり、それらはがんがくれた贈り物、つまりキャンサーギフト」
病気が見つかるまでの私は、いろいらな分野に足を踏み入れていたこともあり、本当に忙しい毎日でした。どれも中途半端ななって、たくさんの人に迷惑をかけたかもしれません」
昨年3月に病気が見つかり、残された人生が長くないと気づいたとき、「あと何ができるか?何をしないといけないか?何をやめるか?」という取捨選択を迫られました。
毎日新聞掲載の「ドクター元ちゃんがんになる」金沢赤十字病院副院長・西村元一さん

勝利は幸福、敗北は不幸

2016年12月25日 19時07分35秒 | 社会・文化・政治・経済
★悔いのない人生とは「挑戦」の人生。
★現状を破り、一歩でも二歩でも前進しようとする人は青年である。
青春とは、決して年齢ではない。
★傍観者にならず、常に主体者となりゆく人は青年である。
この青年の心が生き生きと脈打っている限り、無限の向上があり、発展がある。
★やらなかったら後悔する。
やるんだったら中途半端には絶対しない。
とことん手を尽くし抜くことだ。
★人間とは残念かがら油断してしまう生き物である。
★自分の足元をしっかりと見つめて生きていくのだ。
★勝利は幸福、敗北は不幸。
自分の一念の決心で決まる。
★一度決めたことは、最後までやり抜くことだ。
★ピンチをチャンスに。
★教育は押し付けではなく、1人1人が本来持つ知的関心や意欲を引き出すことが重要である。
★知の集合体である良書に触れることは、子どもたちの心の世界を広げることができる最高の刺激の一つだ。

2人切りの口約束

2016年12月25日 14時35分49秒 | 日記・断片
「何であんな奴と親しくするんだ。歯科記者会の金を横領した奴なんだ」と歯科記者会の大先輩が言う。
「あいつが、歯科記者会の幹事になろうとしているが、2度と幹事にはしない」
畳み掛けるように、嫌悪の感情を露わにしてののしるように言う。
「そんなに、悪い人には見えませんがね」
「あいつは二重人格だから、騙されるなよ」
「そうでしょうか」
「何時か、しっぺ返しを受けるぞ、気をつけろ」
そうまで言っていいの。
だが、結果として、当方はしっぺ返しを受ける。
自業自得でもあった。
焦っていたのだ。
その年の最後の歯科記者会の会見には何としても出ようとしていた。
「娘にも引退しなさいと言われているんですよ。歯科記者会を抜ける予定です」
「もったいないですね。会社譲ってもらえませんか?」
「君が、あとを継ぎたいと思うんだね。伝統ある会社だ。是非、継いでほしいな」
「できれば、ありがたいです」
「そうか、君ならやっていけそうだ。頼む」
「社長は、そのままにして・・・」
「私は、引退だ。社長でも編集長でも君が好きなように名乗ればいい」
「そうですか。でも、お金は出します。会社を譲ってください」
「金はいいよ。どうせ、止めるのだから・・・」
これらの経緯は、あくまで病院内部でのベットサイドでの2人切りの口約束であった。

悔いが残る

2016年12月25日 14時12分48秒 | 日記・断片
間違ったことは、その場で修正しなければならない。
悔いが残る。
日本歯科新聞社から医学情報社に移転してからの日本歯科商工会の新年会。
「会費を払わず、新年会に出たそうですね」と日本歯科新聞社の後輩に指摘された。
とんでもない言いがかりに呆れて言葉が出ない。
当方は怒りに震えて沈黙したのであるが、「沈黙」したことが、弁解しない証左と相手は勝手に解釈したようだ。
相手は、当方が会費を払わずに、新年会に出たと思い込む。
そして、その話題が独り歩きしてしまう。
その場で厳然と否定しなかったことが、裏目に出たのだ。
結果として、医学情報社の存在に傷をつけてしまった。

会社を乗っ取りたいのね

2016年12月25日 13時57分46秒 | 日記・断片
倒産寸前の日本歯科新聞社を再生したことが、当方の誇りである。
記者として、取材活動を封印して、営業マンに専念した。
「案外、自分は営業に向いているんではないか」と再認識した。
創業者は飯田橋の神楽坂界隈では「先生」と呼ばれていことに安住しているような人物であった。
東京医科歯科大学の教授はじめ歯科医師会の指導的な立場の方々の「先生」と敬意を表していた。
当方はこの創業者に呼ばれ、頼られる立場であった。
「苦労するよ」と厚生省日比谷クラブの仲間の記者たちは、日本歯科新聞社に入ることを止めていた。
だが、その時期、前の会社の協同農業新聞社で気まずい状況になっていた。
計理の女性で社長の秘書のような人から「あんたは、会社を乗っ取りたいのね」と絡まれていた。
「そんな気持ちは全くありません」と抗議したが、「私の目は節穴ではないの。あなたの思惑は分かっているんだから、私が許さない」と相手は食い下がるのだ。
社長は大学の先輩であり、親近感を抱いていたが、この女性の言いがかりには辟易していた。
そんな折に日本歯科新聞社の創業者から「来ないか、一緒にやろう」と誘いを受けたのだ。
同じ印刷所で新聞校正の日に顔を合わせていたのだ。
神楽坂の料亭で接待も受けていた。
結局、誘いを断り切れなくなる。

あいつを、階殺にしてやる

2016年12月25日 13時27分11秒 | 日記・断片
55歳の時に日本歯科新聞社をリストラになる。
「もう、限界だな」と社長が言う。
「あいつを、階殺にしてやる」と部下の一人に言っていたが、それを実行したのだ。
「階殺しにされるそうだよ。辞めた方だいいよ」と後輩が言う。
「そうか、俺を社長は階殺しにしたいんだ。そうはいかないがね」とその場は聞き流した。
そして、20年後、社長は「解雇」を通告したのだ。
「歯科の世界に残りたいんだろう。おとなしく辞めることだな」
恫喝である。
その前に兆候もあった。
日本歯科商工会の新年会の席上、「何でこの場にいるんだ!」とみんなの面前で社長が言うのだ。
実に心外であった。
「取材ですが」
「取材?そんな指示はしていないよ。出て行くんだ」
歯科界・歯科業界のスース記者の自負があったが、多くの歯科の人々の前で侮辱的扱いを社長から受けたのである。
唖然として新年会の会場を出て、池を巡り上野へ向かう。
それから、外レスが溜まり深酒となる。
再就職活動では100回以上は面接を受けただろうか。
そして、面接当日、足が動かない。
取手の自宅近くの内科医院へ行く。
「脳梗塞ですね。このまま医師会病院へ入院してください」と内科医が言う。
その日も面接の予定があった。
「家へ帰ってから」と言うが、医師は「このままタクシーで医師会病院へ行ってください」と。
だが、医師の勧めを無視して面接を優先した。
結局、脳梗塞ではなかった。

医療不信、薬剤不信の立場

2016年12月25日 12時57分08秒 | 沼田利根の言いたい放題
40年間以上も健康診断をして来なかった。
このような人間はほとんど居ないであろう。
医療ジャーナリストの立場であるが、医療不信、薬剤不信の立場であった。
高校2年の時に、学校の定期検診「幽門狭窄症、放置したらとんでもないことになる」と脅かされた。
そこで、当時の我が家の下宿人の菅野さんに相談した。
「俺、実家に春休み帰るけど、温泉療法はどうかな?」
法政大学に通う菅野さんは、当方が中学生の頃からの下宿人であり、格別親しみを抱いており、信頼もしていた。
「温泉療法か、切腹はいやなので、温泉療法したいね」
そこで菅野さんの実家がある福島県の飯坂温泉で療養することになる。
その時点で、そのまま自分が日本大学の附属高校を中退するとは思っていなかった。
毎日、温泉に入り、菅野さんが言うままに温泉かけ流しの湯を飲んでいたのだ。
「温泉の湯は胃腸によいはず」と言うので忠実に従っていた。
そして、福島の菅野さんの親類に医師による検査により、幽門狭窄症は間違いであったことが明らかになったのだ。
医療とはいい加減なものだ、と高校生は思う。
そして健康診断を軽視するようになる。
最後の健康診断をしたのは、何時であっただろうか?

医療不信、薬剤不信の立場

2016年12月25日 12時57分08秒 | 沼田利根の言いたい放題
40年間以上も健康診断をして来なかった。
このような人間はほとんど居ないであろう。
医療ジャーナリストの立場であるが、医療不信、薬剤不信の立場であった。
高校2年の時に、学校の定期検診「幽門狭窄症、放置したらとんでもないことになる」と脅かされた。
そこで、当時の我が家の下宿人の菅野さんに相談した。
「俺、実家に春休み帰るけど、温泉療法はどうかな?」
法政大学に通う菅野さんは、当方が中学生の頃からの下宿人であり、格別親しみを抱いており、信頼もしていた。
「温泉療法か、切腹はいやなので、温泉療法したいね」
そこで菅野さんの実家がある福島県の飯坂温泉で療養することになる。
その時点で、そのまま自分が日本大学の附属高校を中退するとは思っていなかった。
毎日、温泉に入り、菅野さんが言うままに温泉かけ流しの湯を飲んでいたのだ。
「温泉の湯は胃腸によいはず」と言うので忠実に従っていた。
そして、福島の菅野さんの親類に医師による検査により、幽門狭窄症は間違いであったことが明らかになったのだ。
医療とはいい加減なものだ、と高校生は思う。
そして健康診断を軽視するようになる。
最後の健康診断をしたのは、何時であっただろうか?

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2016年12月25日 12時25分29秒 | 医科・歯科・介護
JAとりで医療総合医療センターで取手地元の小学校の元先生であったと思われるご婦人と消化器内科の待合で、隣り合わせた。
何時ものとおり「どこから来たのですか」と声をかける。
「市内です」
「私はミスターマックスから徒歩1分くらいの場所に住んでいます。その前は雇用促進住宅に住んでいました」
「すると、お子さんは取手小学校ですね」
「そうです」
「お子さんは何年生まれですか」
「長男は昭和51年ころです」
「私は昭和52年に取手小学校から新設された吉田小学校へ移りました」
「そうですか」
多分、学校の元先生であろう理知的な感じのする方であった。
ご婦人は80代と思われた。
この日は、定期健診に来たのだそうだ。
「私は上行結腸がんなのです」
「それでは、治りが早いと思いますよ」
聞けば娘さんは大腸がんで柏の慈恵医科大学病院で手術の経験があると言う。
その時の雑談の過程で、自分も柏の慈恵医科大学病院で手術を受けるべきだと思うようになる。
優柔不断な性格なので、内科医師に肝心なことを言いだせなかったのだ。