自分の境涯が変われば、周囲も変わる

2024年02月03日 10時31分19秒 | その気になる言葉

▼どれほどの苦難に直面していても、絶対に挫けてはならない。

諦めてはならない。

断じて、断じて負けてはならない!

▼たとえ、災難に遭っても「心の財(たから)」だけは壊されない。

いかなる苦難も幸福になるための試練なのだ。

▼自分の境涯が変われば、周囲も変わる。

それが依正不二(えしょうふに)の原理である。

幸せの宮殿は、自身の胸中にある。

依正不二の 「依」は依報(えほう)

「正」とはと正報(しょうぼう) の事である。

それらが一体で不二(二つにあらず)の関係にあることをいいます。

正報とは自分自身、この身のことです。

依報とは私たちの暮らすこの国土・環境を言います。

それが二つのものではないという教えです。

依報によって私たち人間はいくらでも人生を翻弄されてしまいます。

この環境こそが私たちの生活を左右するものであり環境があるから私たちが存在できるのです。

そして依報は正報によって環境はいくらでも左右されてしまうのです。

人の命が濁り澱んだ社会がこの環境を作り出し天災や災害が起こるのです。

その原理を示した仏の言葉です。

▼良き本は、良き人生を生きる力となる。

多くの歴史的人物が、読書から精神の糧を、未来への指針を得てきた。

▼偉大な作品を深く読んだ人は、人類の英知を自分のものにし、大いなる希望を見出す。

▼読書による疑似体験が、子どもの想像力を養う。

人を思いやる心も育まれるものだ。

▼生きて、生きて、生き抜いてもらいたい。

そのために、私が応援します。

みんなが応援します。

お父さんも、お母さんも味方です。

先輩も、みんな味方です。

▼いじめれている人がいたら「自分は味方だ」と伝えあげてほしい。

小さな「ひとこと」が、大きな「支え」になる。

▼つらい時は周りが見えなくなる。

でも、自分を大切に思い、必要としてくれる人は、必ずいる。

みんなが味方である。

 


利根輪太郎の競輪人間学 本命7番がまさかの落車に

2024年02月03日 09時57分56秒 | 未来予測研究会の掲示板

利根輪太郎は、「勝負」などと意気込む自分自身の愚かさを感じていた。

「1000円で楽しむ競輪」の提唱者である牛久の元カーテン屋さんの顔が浮かんだ。

また、昨日数か月ぶりに道で出会った近所の知人東さんも「ダメだよ。競輪で勝負だなんか」と指摘いていた。

そのとおりなのだ。

競輪で「うまい」ことなど、ほとんどないのだ。

さらに、昨日も裏目で泣くこちょに・・・。

先行選手は、捲り選手でもあり、番手選手は抜き去ることが難しいのだ。

同じ失敗の繰り返しだった。

  GⅢ 静岡競輪 たちあおい賞争奪戦

2日目(2月2日)

並び予想 1-9 5-2-8 3-7 4-6

レース評

スピード戦の山田に託す浅井を本命に推すが、自力迫力が増した小林も互角以上。渡口に乗る隅田もシャープで一発ありだ。

7-1 7-2 7-3 7-9の3連単で勝負する。

押さえは1-7と1-9

7番の◎浅井 康太が、まさかの落車に!

思えば1-4は利根輪太郎のラッキーナンバーであったのだ。

過去に1-4で何度も救われてきた。

そのことが、頭に全く浮かばなかった。

1-4で100万円余の車券をゲットしたことも・・・

1番人気 7-3(6・1倍)

 




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
× 1 1 小林 泰正   11.3 S 後方捲って
  2 4 藤井 栄二 1車身 11.4   外踏み伸び
3 3 山田 諒 1車身 11.7     4番手捲る
4 9 神山 拓弥 3/4車身 11.4     捲りに遅れ
5 2 隅田 洋介 1車身 11.9     番手出るも
6 5 渡口 勝成 1/8車輪 12.0   B 叩き捲られ
  7 6 筒井 裕哉 3/4車身 11.6     4角内突き
  8 8 田中 陽平 3/4車輪 11.9     前団飲まれ
7 浅井 康太         4角落車し
 
2

1=4
5,660円(15)
2

1=4
9,490円(20)
3

1=3=4
2万1,900円(43)


1=3
500円(7)
1=4
1,830円(15)
3=4
3,560円(26)
1-4
6,660円(22)
1-4
万円(32)
1-4-3
20万9,440円(243)

戦い終わって

戦い終わって写真

 赤板過ぎからインの斬り合いで渡口勝成が打鐘で山田諒を叩いて先行。中団に収まった山田諒が2角過ぎに捲るも、更に外を小林泰正が捲って快勝。マークの神山拓弥は遅れ、大外を伸びた藤井栄二が二着入線。
 一着の小林は「山田君は浅井さんが付いていたからもっと踏んで来ると思ってたけど、スンナリ出させ過ぎましたね。ホームで行って1センターでは行けると思いました。改善の余地はあるし、同県の金子真也さんに体の使い方を教わって良くなってます。自転車はいじりません」。
 二着の藤井は「後ろからしっかりレースを動かそうと。ハイペースになると思ってたし、前々に踏んで立ち遅れないように気を付けてました。なかなか脚が整わず仕掛けることができなかったし、ゴチャついてたまたま外を伸びただけ。練習の感じだと、ここ半年の中では上向き。記念準決は去年の福井以来です」。
 三着の山田は「レースの流れとしては良かった。とにかく(小林)泰正さんを後ろに置けるようにしたかったんで。でも、泰正さんが強かった。あのタイミングで行かれたらどうしようもない。自分の中での感触は良いけど、大外を(小林に)行かれてるし疑ってしまう。初日より(レースの)入り方は良くなってます。最近は日に日に良くなることが多いので」。

 


映画 マディソン郡の橋

2024年02月03日 08時53分22秒 | その気になる言葉
2月2日午前3時30分からCSテレビのザ・シネマで観た。
これでこの映画は、3度目である。
 
『マディソン郡の橋』(原題: The Bridges of Madison County)は、1992年にアメリカ合衆国で発売されたロバート・ジェームズ・ウォラー(Robert James Waller)の同名ベストセラー小説を原作にした、1995年の恋愛映画。
アンブリン・エンターテインメントとマルパソ・プロダクションズが製作し、ワーナー・ブラザースが配給した。クリント・イーストウッドがプロデューサーおよび監督、キャスリーン・ケネディが共同プロデューサー、リチャード・ラグラヴェネーズが脚本を務めた。イーストウッドとメリル・ストリープが主演した。
 
批評的にも商業的にも成功し、世界中で1億8,200万ドルをあげた。
1996年、第68回アカデミー賞でアカデミー主演女優賞にノミネートされた。
 
マディソン郡の橋 : ポスター画像 - 映画.com
 
 
「マディソン郡の橋」上映作品詳細 - 午前十時の映画祭11 デジタルで甦る永遠の名作
 
マディソン郡の橋 - 解説・レビュー・評価 | 映画ポップコーン
 
マディソン郡の橋 - 解説・レビュー・評価 | 映画ポップコーン
 

マディソン郡の橋のネタバレあらすじ:起

1989年冬、アメリカ・アイオワ州マディソン郡で一人の女性が亡くなりました。女性の名はフランチェスカ・ジョンソン。

彼女の葬儀のために集った長男マイケル(ヴィクター・スレザック)と長女キャロライン(アニー・コーリー)は、母の遺言に「死んだら火葬にしてローズマン・ブリッジから遺灰を撒いてほしい」と書かれてあるのを見つけました。

それからマイケルとキャロラインは母の遺した手紙や日記を読み漁っているうちに、これまで平凡な主婦として生きてきたはずの母フランチェスカの知られざる一面を垣間見ることになります…。

マディソン郡の橋のネタバレあらすじ:承

1965年、当時結婚15年目を迎えていたフランチェスカ(メリル・ストリープ)は、小さな農場を営む夫のリチャード(ジム・ヘイニー)、息子マイケル(クリストファー・クルーン)と娘キャロライン(サラ・キャスリン・シュミット)と幸せな家庭を築いていましたが、特に何のことはない平凡で単調な日々に少しばかり退屈を覚えていました。

そんなある秋の日、リチャードは子どもたちを連れてイリノイ州で開かれる農産物の品評会に出かけることになり、4日間一人で留守番をすることになったフランチェスカは久しぶりに忘れかけていた新鮮で開放的な気持ちを味わっていました。

そんな時、フランチェスカの元に一人の男が現れ、近くにある非常に珍しい屋根付きの橋“ローズマン・ブリッジ”への道を尋ねてきました。男の名はプロカメラマンのロバート・キンケイド(クリント・イーストウッド)。

彼に惹かれるものを感じたフランチェスカは、ロバートを夕食に招いて楽しいひと時を過ごしました。ロバートが宿に引き上げた後、フランチェスカはローズマン・ブリッジの上に「明日の晩、もう一度いかが?」と書いたメモを置いておきました。

マディソン郡の橋のネタバレあらすじ:転

翌日(2日目)、新しいドレスを身にまとったフランチェスカはホリウェル橋の上でロバートと落ち合い、急速に惹かれ合った二人はダンスを踊り、自然な流れで一夜を共にしました。

3日目、フランチェスカとロバートは郊外へピクニックに出かけ、二人の恋は一気に燃え上がりますが、間もなく家族が戻ってくるフランチェスカは一抹の不安を覚えるようになっていました。

そして4日目、「これはお遊びなの?」となじるフランチェスカに対し、ロバートは「一緒に来てほしい」と告げました。一旦は荷物をまとめたフランチェスカでしたが、どうしても家族を捨てることはできず、彼女の心情を察したロバートは彼女の前から立ち去っていきました。

翌日、何も事情を知らないリチャードら家族が無事に帰宅、フランチェスカはいつもの日々に戻っていきました。

その数日後、リチャードと一緒に買い物に出かけたフランチェスカは、降りしきる雨の中で立ち尽くすロバートの姿を見つけました。フランチェスカは車のドアノブに手をかけましたが結局会うことは叶わず、これが彼女の生涯でロバートを見た最後となりました。

1979年、リチャードに先立たれたフランチェスカはロバートに会おうと連絡を試みましたが、何の手掛かりもなく結局果たせぬままでした。

そしてある日、フランチェスカのもとに弁護士が訪ねてきて、ロバートが死んだことを知らせてきました。フランチェスカはロバートの遺品のカメラ、そして『永遠の4日間』と題された写真集を託され、ロバートの遺骨はローズマン・ブリッジから散骨されたことを知りました…。

そして1989年冬。手紙と日記を読み終えたマイケルとキャロラインは、母の願いを叶えて荼毘に付し、遺骨をローズマン・ブリッジから散骨してあげました。

以上、映画「マディソン郡の橋」のあらすじと結末でした。

「マディソン郡の橋」感想・レビュー

クリント・イーストウッドが製作・監督・主演してロバート・ジェームズ・ウォラーの同名ベストセラー小説を映画化したものです。平凡な家庭の主婦が道を尋ねて立ち寄った一人の見知らぬカメラマンに、これほどまでに恋すことが出来るのか又、恋すると言うことがいかに人の心を惑わせるものかが、この二人の語らいや表情の中に見ることができ、切なく悲しい感動を与えてくれます。大人の本当に4日間のわずかな期間で激しく燃えた恋の物語です。ぜひ大人の恋物語をじっくりと観賞してください。

 
概要
 
アイオワ州の片田舎で出会った、平凡な主婦と中年のカメラマンの4日間の恋を描く。
世界的ベストセラー(およびロングセラー)となったロバート・ジェームズ・ウォラーによる同名小説(日本語訳・文藝春秋刊)を、クリント・イーストウッドが製作・監督・主演を務めて映画化。
この項目では主として映画について記載する。
不倫をテーマにした大人のラブストーリーであり、米国のみならず世界的大ヒットを記録した。
撮影は、小説に描かれた実在の場所、アイオワ州マディソン郡ウィンターセットに造られた特設セット『フランチェスカの家』(Francesca's House)にて、延べ42日間に渡って行われた。
 
ストーリー
 
1989年の冬、母の葬儀のために集まった長男のマイケル(ヴィクター・スレザック)と妹のキャロリン(アニー・コーリー)が、彼女の遺書とノートを読み始める場面からストーリーがはじまる。
「火葬にしてローズマン・ブリッジから灰を撒いてほしい」というもので、平凡だと思われていた母親の秘められた恋を知ることになる。
 
1965年の秋。小さな農場の主婦フランチェスカ・ジョンソンは、結婚15年目で単調な日々を送っていた。ある日、夫リチャードと二人の子供たちが子牛の品評会のため隣州へ出かけ、彼女は4日間、一人きりで過ごすこととなる。
 
そこへ一人の男性が現れ、道を尋ねる。彼はウィンターセットに点在するカバードブリッジ[7]のひとつ、ローズマン橋を撮りにやってきたナショナルジオグラフィックのカメラマン、ロバート・キンケイド(クリント・イーストウッド)であった。彼の魅力に惹かれたフランチェスカは、彼を夕食に招待する。そこから距離が縮まり、二人はデートの末、許されないと知りつつ恋に落ち、そのまま結ばれる。
 
最後の夜、「一緒に来てくれ」と誘うロバートに、フランチェスカは荷物をまとめるが、家族を思うその表情を見たロバートは、一人で去っていった。
 
数日後、リチャードと共に街に出かけたフランチェスカは、雨の中、彼女を見つめ立ち尽くすロバートの姿を見る。フランチェスカは乗っていた車のドアに手をかけ、彼の元へ行こうとするが、それ以上はできなかった。
 
1979年、リチャードが死去。フランチェスカはロバートに連絡を取ろうとするが、消息はわからなかった。何年か後に、ロバートの弁護士から遺品が届く。そこには、手紙やフランチェスカが彼に手渡したネックレスとともに『永遠の4日間』という写真集が入っていた。
 
フランチェスカのノートには「人生の全てを家族に捧げた。せめて残りの身は彼に捧げたい」という遺志が記されていた。兄妹はようやくその遺志を理解する。後日、2人の手によって、彼女の遺灰は、ロバートの遺灰と同様、ローズマン橋の上から撒かれた。
 
キャスト
ロバート・キンケイド - クリント・イーストウッド
フランチェスカ・ジョンソン - メリル・ストリープ
キャロライン・ジョンソン - アニー・コーリー
マイケル・ジョンソン - ヴィクター・スレザック
リチャード・ジョンソン - ジム・ヘイニー
キャロライン(幼少期) - サラ・キャスリン・シュミット
マイケル(幼少期) - クリストファー・クルーン
ベティ - フィリス・リオンズ
マッジ - デブラ・モンク
ピーターソン弁護士 - リチャード・レイジ
ルーシー・レッドフィールド - ミシェル・ベネス
スタッフ
監督:クリント・イーストウッド
製作:クリント・イーストウッド、キャスリーン・ケネディ
原作:ロバート・ジェームズ・ウォーラー (イギリスで最初に出版された時の原題:Love in Black and White)
脚本:リチャード・ラグラヴェネス
音楽:レニー・ニーハウス
撮影:ジャック・N・グリーン
編集:ジョエル・コックス
美術:ジャニール・クラウディア・オップウォール
 
 
数年前、『荒野のストレンジャー』のロケ地を探してピックアップトラックでネバダ州に行ったことがある。しかし人妻との運命的な出会いは全くなかった。"
— ロバート・キンケイド役のクリント・イーストウッド
 
1991年終盤、スティーヴン・スピルバーグが創立した製作会社アンブリン・エンターテインメントはロバート・ジェームズ・ウォラーの発売前の小説『マディソン郡の橋』の映画化権を25,000ドルで購入した。
映画公開前までにこの小説は世界中で950万部が売れた。
当初スピルバーグはシドニー・ポラックを監督に選任し、カート・リュードックに脚本を担当させたが降板した。
キャスリーン・ケネディとスピルバーグが2番目の脚本家にロナルド・バスを連れてきたが、彼らは仕上がりに満足しなかった。
しかし3番目の脚本家であるリチャード・ラグラヴェネーズの脚本はスピルバーグと、初期段階から主演を演じることが決まっていたイーストウッドが気に入り、スピルバーグの『シンドラーのリスト』の次の作品として考慮された。
スピルバーグもイーストウッドもラグラヴェネーズのフランチェスカ視点での描かれ方を気に入り、フランチェスカの子供たちが成長して母の日記を発見して読むという枠物語を取り入れた。
スピルバーグがこの作品の監督をしないことになり、ブルース・ベレスフォードを監督に任命するとベレスフォードはアルフレッド・アーリーに脚本の草案を書かせたが、ワーナー、スピルバーグ、イーストウッドの全員がラグラヴェネーズの脚本の方を支持したためベレスフォードは降板した。
 
ウォラーはフランチェスカ役にイザベラ・ロッセリーニを推薦した。
アンジェリカ・ヒューストン、ジェシカ・ラング、メアリー・マクドネル、シェール、スーザン・サランドンも候補に挙がっていたが、ロッセリーニが最適とされた。
スピルバーグは同調しなかったがイーストウッドは最初からメリル・ストリープを推薦していた。
 
撮影
アイオワ州ウィンターセットにあるローズマン・ブリッジ。キンケイドはこの橋の撮影に訪れフランチェスカと出会う。フランチェスカの遺言により彼女の遺灰が撒かれた場所でもある。
 
撮影は52日間の予定で行われたが、実際には10日早い11月1日に終了した。これだけの世界的ヒットを収めた名作にもかかわらず製作に要した期間は、正味42日間だけであり、製作費も約US$900万(当時の日本円にして約11億円)に留まった。
イーストウッドはフランチェスカの視点を大事にし、時系列を追って撮影した。
イーストウッドはこれについて「それが重要なことだった。我々は実際に俳優としても登場人物としても互いを知り合っていくのだから」と語った。
アイオワ州マディソン郡ウィンターセットの他、ダラス郡エイデル、そしてペンシルベニア州ウェストモアランド郡にあるベルズ・ミルズ橋でも撮影が行われた。
 
レイティング
 
当初フランチェスカの皮肉を込めた台詞によりR指定を受けたが、イーストウッドの嘆願によりPG-13となった[3] 。
 
興行収入
 
1995年6月2日、1,805館で劇場公開された。初週10,519,257を上げ、2週目の『キャスパー』に次ぐ全米2位となった。
公開終了時には全米で$71,516,617、海外で$110,500,000の計$182,016,617を上げた。
 
評価
 
レビュー・アグリゲーターのRotten Tomatoesでは60件のレビューで支持率は90%、平均点は7.40/10となった[9]。Metacriticでは23件のレビューを基に加重平均値が69/100となった。
 
主な賞歴
受賞
ASCAP映画テレビ音楽賞:
最高興行収入映画賞
ブルーリボン賞 (日本):
外国作品賞
BMI映画テレビ賞:
BMI映画音楽賞 (レニー・ニーハウス)
キネマ旬報 (日本):
外国語映画監督賞 (クリント・イーストウッド)
毎日映画コンクール (日本):
外国語映画賞
 
ノミネート
第68回アカデミー賞:
アカデミー主演女優賞 (メリル・ストリープ)
全米撮影監督協会賞:
劇場公開撮影功労賞 (ジャック・N・グリーン)
日本アカデミー賞 (Japan):
外国作品賞
セザール賞 (フランス):
最優秀外国映画賞
第53回ゴールデングローブ賞:
映画女優賞 – ドラマ部門 (メリル・ストリープ)
作品賞 – ドラマ部門
第2回全米映画俳優組合賞:
主演女優賞 (メリル・ストリープ)
 
1995年(02回)米国映画俳優協会賞候補
1995年(50回)毎日映画コンクール外国映画ファン賞受賞[1]
1995年(69回)キネマ旬報ベストテン:第3位
 
 
フランチェスカの家について
 
撮影の特設セットであるフランチェスカの家は、撮影終了後も保存、一般公開されていたが、2003年の放火で被害を受け、現在は一般公開されていない。

ダイナー映画 

2024年02月03日 08時16分42秒 | 社会・文化・政治・経済

2月3日午前6時からCSテレビのザ・シネマで観た。

ダイナー』(Diner)は、1982年に製作されたアメリカ青春映画

全米興行収入成績最高位14位。ミッキー・ロークは全米映画批評家協会賞助演男優賞(1983)とボストン映画批評家協会賞助演男優賞(1983)を受賞した。翻訳:金田文夫(劇場版)、岩本令(DVD・Blu-ray版)。

 
ダイナー
Diner (1982)
Diner (1982) – FilmFanatic.org
 

1950年代終わりの頃、ボルチモアを舞台にした青春映画。
ダイナー(簡易食堂)に集まる大人に成り切れないような若者たちを描いており、ミッキー・ロークやケヴィン・ベーコンなどが演じる若者たちの他愛ない会話・出来事を見せる映画だが、「自分が若い頃に観ていれば印象変わったかも…」と思うような割と平凡なドラマ。

本作の監督バリー・レヴィンソンが自分の若かった頃を撮ったようなノスタルジックな映画。音楽も当時の曲が…。
監督のパーソナル青春映画の感。

当時のエピソードとして面白かったのは、電器屋でテレビを買いに来た客が「この映画はカラーのはずだが…」と言うと、店員が「これは白黒なんです」というエピソード。

その他、乗馬する女性が綺麗だったなぁ…。

「死ぬまでに観たい映画1001本」に選ばれている映画であり、雰囲気がある映画であるものの


なにもはいってこないで、右から左に流れたので、感想は少ない。それは、たぶん作品自体が時代の空気感を描いたものだから。なので、そういう映画と思えば駄作ではないとは思う。

ずーっと、ぼけーとダイナーを中心にした若者たちの様子をながめて終わる。時代が変れど暇な若者の時間の流れ方とは、まさにこんなもんでしょう。以上。


ボルチモアでオールディーズと言ったらJ・ウォーターズの存在を思い出す。

そんな50'sスタイルを楽しめるのはM・ロークの格好だけで他は基本的にダサくて特にK・ベーコンの田舎臭さは逸品!?

それぞれに問題を抱えてはいるが深刻に伝わってくる描写も控え目に適当に解決される感が。

本作の内容よりも流れる曲が最高でサントラあったら欲しいなぁ。



無駄話が延々と続き、事件が起こる訳でもなく進む。

無駄話ならいいが眠気を誘うだけ。

印象的なのはレコードのしまい方を妻に激怒する夫。

わかる気もするが、ちーっちゃい男だなーと失笑。

ポップコーンのくだりもなんだかなーと失笑。

MロークとKベーコンに惹かれて観たが眠気との戦いだった。

しかし若き日のMローク作品はこれで2本目の鑑賞だがまた小さい声で高い可愛い声。他の作品もこんなんなのか?

解説

1959年12月のボルチモア。50年代の終わりと共に、あるダイナーに集まる5人の若者たちの青春も終わりを告げようとしていた。

大人になりきれない彼らの悩みと希望を、当時のヒットナンバーを随所にちりばめながら生き生きと描いた青春群像劇。「レインマン」「スリーパーズ」等のヒットメイカー、バリー・レビンソンの監督デビュー作。

まだブレイク前のケビン・ベーコンやミッキー・ロークも好演を見せ、注目を浴びた。

あらすじ

1959年のボルチモア。簡易食堂「ダイナー」を溜まり場にする、大人に成りきれない5人の若者の悪ふざけと、他愛もない会話をオールディーズナンバーにのせて描写している。

ダイナー
Diner
監督 バリー・レヴィンソン
脚本 バリー・レヴィンソン
製作 ジェリー・ワイントローブ
出演者 ミッキー・ローク
スティーヴ・グッテンバーグ
ケヴィン・ベーコン
音楽 ハリー・V・ロエフスキー
撮影 ピーター・ソーヴァ
編集 ステュー・リンダー

キャスト

役名 俳優  
 
エドワード“エディ”・シモンズ スティーヴ・グッテンバーグ  
ローレンス・“シュレヴィー”シュライバー ダニエル・スターン  
ロバート“ブギー”・シェフテル ミッキー・ローク  
ティモシー・“フェン”フェンウィック・Jr ケヴィン・ベーコン  
ウィリアム“ビリー”・ハワード ティモシー・デイリー  
ベス・シュライバー エレン・バーキン  
モデル ポール・ライザー  
バーバラ キャスリン・ダウリング  
ベーグル マイケル・タッカー  
キャロル・ヒースロー コレット・ブロニガン  
ダイアン ケリー・キップ  

音楽


分断の危機の世界へ「生命尊厳」の人間主義を広げていく

2024年02月02日 09時41分31秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

思想が世界の分断や対立を広げた歴史がある。

例えば、米国とソ連の東西冷戦も、政治・経済体制を巡るイデオロギー(思想体系)の対立と言えよう。

こうした対立は今も形を変えて続いている。

個人のレベルでは「フィルターバブル」と呼ばれる現象が懸念されている。

これは、インターネット上で、利用者の嗜好に沿った情報が多く提供され、偏った情報の「泡」に包まれてしまうことだ。

その結果、極端な思想が蔓延して、対立を深め、異論を排除するようになれば、社会的災難となる。

一方で、思想は世界をつなぐ力がある。

世界の研究機関が、枠を超えて連携することが重要である。

そこには「生命の尊厳」という共通ビジョンを掲げ協働することだ。

宗教、民族、文化などの差異を超えて平和の連帯を築く思想の探求である。

仏教の人間主義は「心の平和」の確立を原点として<善心の連帯>をつくりあげる。

分断の危機の世界へ人間主義を広げていくことだ。

すべての根幹は「人をつくる」ことにある。

仏法も「人をつくる」ことを多角的に説いている。

良き人材をつkぅり、正義の連帯を広げる以外に世界の平和も繁栄もない。

一切は「人」で決まる。

人類のために活躍する若い人を育てるのである。


人間の価値を引き出す

2024年02月02日 09時28分25秒 | 社会・文化・政治・経済

1. はじめに:「価値観を広げる」の意義

価値観は、個々の行動や判断を支配する基準となります。

しかし、それは一方で閉じた視点を生むこともあり、知らぬ間に自分を狭い世界に閉じ込めてしまう危険性を孕んでいます。

そこで重要となるのが「価値観を広げる」こと。

これは、自分の視野を広げ、多様な視点から物事を理解し、対人関係を豊かにし、新たな可能性を見つけ出すための重要なステップです。この記事では、「価値観を広げる」ことの意義とその具体的な方法について解説します。

2. 価値観を広げることの具体的なメリット

(1)多様な視点で物事を考えられるようになる
価値観を広げることで、私たちは物事を多角的に捉える能力を養います。それは、さまざまな視点から問題を解析し、理解する力です。

例えば、ビジネスの場面を想像してみてください。新しいプロジェクトを進める際、自分だけの視点では見落とすことも多いはずです。しかし、異なるバックグラウンドや経験を持つ人々の視点を理解することで、より完全で豊かな視野を持つことができます。

また、一つの事象も様々な視点から捉えることで、新たなインサイトを得ることが可能になります。これは新しい解決策を見つけ出したり、深い洞察を得るために非常に重要です。

インサイトとは、直訳では「洞察」や「見抜く」といった意味を持つ言葉で、マーケティングにおいては「消費者自身も気づいていない隠れたニーズ」という意味で用いられます。

近年、このインサイトに注目することはマーケティングにおいて非常に重要とされており、インサイトを意識した商品づくりやマーケティング戦略を実行する企業も増えてきています。

価値観を広げることは、単に多様性を受け入れるだけではなく、自身の解釈や判断を豊かにするための手段です。

それは、自分自身と他者の理解を深め、より良い決定を下すための基盤となります。

(2)人間関係が豊かになる

価値観を広げることは、人間関係を豊かにする一つの手段です。多様な価値観を持つことにより、人々とのコミュニケーションがよりスムーズになるでしょう。

具体的には次の3つの効果があります:

①理解力の向上: 異なるバックグラウンドを持つ人々の意見や感情を理解しやすくなります。これは、互いの違いを尊重し、対話を円滑にする上で重要な能力です。

②共感力の増加: 多様な価値観を持つことで、他人の立場や視点から物事を考えることができ、より深い共感が生まれます。

③新たな人間関係の構築: 異なる価値観を持つ人々とも接することが可能となり、新たな人間関係を築くきっかけにもなります。

これらの効果は、より円満な人間関係を築くために不可欠であり、「価値観を広げる」ことはその一助となるでしょう。

(3)新しいアイデアや解決策を見つけやすくなる

価値観を広げるメリットの一つとして、「新しいアイデアや解決策を見つけやすくなる」ことが挙げられます。私たちの視野が広がることで、従来の思考パターンに囚われず、物事を多角的に捉える能力が養われます。

例えば、ある問題を解決するためのアイデアを考える際、一人の人間が持つ観点だけでは限られた解答しか生まれません。しかし、様々な価値観を持つことで、多種多様な観点から問題解決のアイデアを引き出すことが可能になります。

また、異なる価値観を理解することで、新たな視点から問題を見つめ直し、それまで見えなかった解決策を発見することもあります。このように価値観を広げることは、より創造的で効果的な問題解決を可能にします。

価値観が狭い場合 価値観を広げた場合

限られた視点からのアイデアしか生まれない 多角的に物事を捉え、新たなアイデアが生まれる
問題解決の道筋が一方向に限定される 新たな視点から問題を見つめ直し、多様な解決策を発見できる

3. 価値観を広げるための5つの方法

(1)多様な人々と交流する
「価値観を広げる」ための第一歩は、様々な背景を持つ人々との交流を深めることです。これにより、自分とは異なる考え方や視点に触れることが可能となります。

具体的には、以下のような方法があります。

1.異文化交流:異なる文化背景を持つ人々と交流することで、自分の知らない価値観や視点に触れることができます。例えば、留学や旅行、国際交流会に参加するなど。

2.年齢層の違う人と交流:年齢や経験が違う人々との交流もまた、新しい価値観を見つける手段です。シニア世代からは人生の経験に基づく視点を学ぶことができます。

3.専門性の違う人と交流:自分とは異なる専門知識を持つ人々と交流することで、その分野特有の視点や思考法に触れることができます。

以上のように、多様な人々との交流を通じて、「価値観を広げる」ことは可能です。自身の視野を広げるためにも、積極的に様々な人々との交流を試みてみてください。

(2)自分とは異なる視点の情報に触れてみる

自身の価値観を広げるためには、様々な視点に触れることが重要です。自分が普段接触しないような情報に意識的に触れることで、新たな視野が広がります。

例えば、読書を通じて異なる視点に触れることができます。選書の際は、自分の得意分野や好みだけでなく、思考の幅を広げるために異なるジャンルや視点を持つ著者の本を選びましょう。

また、メディアの選択も大切です。自分が普段利用しないニュースサイトや専門誌を読む、外国のメディアの記事を読むなど、情報源を多様化することで、さまざまな視点に触れる機会が増えます。

以下に、異なる視点に触れるための具体的な方法を表にまとめました。

方法 説明

読書 異なるジャンルや視点を持つ著者の本を読む
ニュース 普段とは異なるニュースサイトや専門誌を読む
外国のメディア 英語や他言語で書かれた記事を読む
これらの方法を取り入れ、自分の視野を広げていきましょう。

(3)新しい経験を積極的にする

新しい経験を積極的にすることは、価値観を広げるための有効な方法の一つです。新しい経験は、新たな視点や考え方を提供し、私たちの知識を増やし、理解を深める機会を提供します。

まず、興味のある分野や、まだ手を出していない分野での新たな試みを考えてみましょう。例えば、異文化交流、新たなスキル習得、旅行、ボランティア活動などが挙げられます。

次に、以下の表を参考に、実際に新しい経験を積むための具体的なステップを計画します。

ステップ 内容

1 新しい経験をする目標を設定する
2 目標に向けた具体的な行動計画を立てる
3 行動に移す
4 経験から学んだこと、感じたことを振り返る
このステップを経ることで、自分自身の成長につながり、価値観も自然と広がっていきます。

(4)思考の癖に気づく

価値観を広げるためには、自分の思考のパターンや癖に気づくことが重要です。私たちの思考は、よくあるパターンに従って行われることが多く、これが無意識的な先入観や偏見へとつながります。

具体的な方法としては、以下の3つが挙げられます。

自分の判断や意見が出てきたとき、それがどういった前提に基づいているのかを思い返す
自己反省の時間を設け、自分の思考や行動のパターンを考える
人からのフィードバックを受け入れ、自己認識を深める
これらの習慣をつけることで、自己認識が深まり、価値観を広げることが可能になります。

(5)自己反省を行う

自己反省は価値観を広げる上で非常に重要なプロセスです。自分の行動や考え方、感じたことを振り返ることで、自分自身の価値観を明確に理解し、それがどのように形成されたのかを探求します。

例えば、以下のような問いを自分自身に投げかけてみましょう。 -自分が好きなもの、嫌いなものは何か? -それらに対する自分の感情は何故だろう? -自分が重視する価値観は何か? -その価値観はどのように形成されたのか?

このように、自己反省を行うことで自分の価値観がどこから来ているのかを理解し、他者の価値観を尊重することができます。これにより、より広い価値観を持つことが可能となります。

4. 価値観を広げた人々の成功例

以下に、「価値観を広げた人々の成功例」について述べます。

一例として、有名な実業家であるスティーブ・ジョブズ氏は、コールigraphyの授業に参加したことからMacに美しい文字体裁を盛り込む着想を得たという話があります。これは、ある特定の分野に留まらず、広範に学び、価値観を広げることがイノベーションを生む可能性を示しています。

また、アインシュタインも物理学だけでなく哲学にも興味を持っており、その広い視野が相対性理論の開発に寄与したと言われています。

さらに、ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏は、多様な文化背景をもとに独自の文学世界を築き上げました。

これらの事例から、価値観を広げることが人生やキャリアにどのようにポジティブな影響を及ぼすかを具体的に理解できます。

5. 価値観を広げることの重要性の再確認

私たちが「価値観を広げる」ことの重要性を再確認する瞬間です。

まず、多様な価値観を持つことで、自分自身が持つ思考の枠を広げ、新しい視点で物事を見ることが可能となります。これは、問題解決や意思決定において非常に効果的です。

また、他人の価値観を理解し尊重することで、人間関係がより深まり、コミュニケーションが円滑になります。異なる価値観を持つ人々との交流は、自己成長にもつながるのです。

最後に、価値観を広げることは、自分が社会の一員であり、その社会が多様性を持つことを理解するためにも重要です。私たちはみな、異なる環境で育ち、異なる経験をしてきた結果、それぞれ独自の価値観を持っています。

これらを踏まえて、価値観を広げることの重要性について改めて考えてみましょう。

6. まとめ: 「価値観を広げる」ことで得られる豊かな人生

価値観を広げることで人生はさらに豊かになります。異なる視点や考え方に触れることで、自身の視野が広がり、新たな発見や学びが生まれます。これは自己成長につながり、多様性を尊重する社会作りにも貢献します。

表1: 価値観を広げることのメリット

メリット 具体的な効果
多様な視点 物事の捉え方が豊かになる
新たな発見 未知の経験や知識に触れる
自己成長 思考力や感受性が育まれる
社会貢献 多様性を尊重する文化形成に
価値観を広げることは、自己理解を深め、人間関係を豊かにし、生きる喜びを高めるための重要なステップです。自分自身を高め、より良い世界を作るために、「価値観を広げる」ことに挑戦しましょう。

 


心こそ大切である

2024年02月01日 21時46分39秒 | その気になる言葉

同じ行動をするのでも、「ああ、またか、いやだな」と思ってするのか。

「よし、また福運をつけるか」と行動する。
 その小さな「差」が、人生を大きく変えていく。百八十度も変えていく。

それを教えたのが法華経であり、一念三千の法理である。
 心は目に見えない。見えないその心の法則を完璧につかんだのが仏法である。

「一念三千」は、私たち凡夫が成仏するための原理を示した変革の法理です。

中国の天台大師(智顗)が、『摩訶止観』の中で説きました。

「一念」とは、私たち一人ひとりの瞬間瞬間の生命のことです。

「三千」とは、「諸法」すなわち、すべてのものごと、あらゆる現象・はたらきをいいます。

この一念に三千の諸法が具わっており、一念が三千の諸法に遍く広がることを説いたのが一念三千の法理です。

一念三千の法理は、最高の心理学であり、心の科学、心の医学である。
感謝と喜びは福運を増す。愚痴と文句は幸運を消す。

弘教においても、「人を救いたい」「妙法のすばらしさを教えたい」という「心」のままの行動に、偉大なる福徳があふれてくるのである。

 幸福と利徳。財産や幸せに恵まれていること。

 善根によって得る利得。功徳と福利


 「心こそ大切」。これこそ至言中の至言である。
 人間は弱いもので、ふつうは、すぐに「愚痴」「負け惜しみ」「焼きもち」「落胆」となってしまう。
 しかし、信心している人は、そこが違う。「愚痴」が出なくなる。「文句」を言わなくなる。すっきりと、自分自身に生きる「強さ」ができる。その人の心は「感謝」で満たされる。
 よく、都会の人は田合に憧れ、田舎の人は都会に憧れる。独身の人は結婚に憧れ、結婚した人は独身に憧れる。人間の心理には、そういう面がある。
 しかし、幸福は「遠いところ」にあるのではない。「今、ここ」の現実との戦いによって、幸福は勝ち取っていくべきである。
 自分の地域についても、「よきところ、よきところ」とたたえ、感謝する心が、「自信」と「勢い」をつくっていく。「喜び」を広げていく。


オルフェ (1950年の映画)

2024年02月01日 11時19分26秒 | 社会・文化・政治・経済

オルフェ』(Orphée)は、1950年フランス映画

ギリシア神話オルフェウス伝説を、1950年当時のパリに置き換えて映画化したもの。

ジャン・コクトー監督の作品で、出演はジャン・マレーなど。

コクトーは本作の中に、基本となる3つのテーマを込めている

当初は、ジャン=ピエール・オーモンマリア・モンテ]が出演する予定だったという

本作の続編に、コクトーの遺作となる『オルフェの遺言 私に何故と問い給うな』がある。

美しき女たち男たち 「オルフェ」 Orphee(1950)

コクトーの描く死の世界が面白かった。

オルフェウスは死の女神に見初められて死の世界に行き、行き詰まりを感じていた詩の創作意欲を掻き立てられる。

死神(マリア・カザレス)は美しく、二人は恋に堕ち、オルフェは生の世界に戻っても夢うつつの身になってしまう。

身重の妻はそれを嘆き悲しんで交通事故死。

美しい死神は死の世界の裁判にかけられて人間と恋におちた罪を問われ、詩人との恋はなかったことにされる。

有名なマレーの写真ー鏡の中の自分に頬擦りしているようで、どんだけ自分好きなのよ!とつっこみたくなるやつーは、オルフェが死の女神様に恋焦がれている場面だったことがわかったのはスッキリな件。

それから、美人の死神のアシスタント兼運転手のおじさんも、オルフェの奥さんに恋していたという話で、なんだかコクトーって可愛い人だな、と思った。

 

鏡と手袋と硝子売りの青年

 

以上が久し振りの観賞でも印象的で面白かった(手袋がゴム手袋だったのにはびっくりした。私の記憶では革の手袋だった)。スローモーションとか、ノーランや「ヨーロッパ企画」の時間の逆行をいっぱい試してる映像とは思ってなかった。


美しい「死」の彼女の愛ゆえにオルフェをもとに戻すとは!その分、妻をもっとゴージャスかもっと清楚かもっと力強い女性にして欲しかった。

ジャン・マレーの声と顔と身体と髪の美しさに惚れ惚れというより、崇める思いになりました。

オルフェ(1950)

フランス映画200選 第37作 「オルフェ」 ギリシャ神話のオルフェウス伝説を映画化! | 人生・嵐も晴れもあり!

映画を観てみたら 「オルフェ(1950)」ギリシャ神話ベースのファンタジー作品

黒澤明が選んだ映画 第28作 「オルフェ」 ジャン・コクトー監督による幻想ファンタジー作品! | 人生・嵐も晴れもあり!

感性に訴え掛けるジャン・コクトーの生と死と愛のイマジネーションが素晴らしい映画の詩

フランスの天才詩人ジャン・コクトーがギリシア神話のオルフェウス伝説を現代に移し変えた原作を自ら演出した不思議な魅力に溢れた映画。 イメージ優位の映像が詩的な神秘性に達すると、残るは不気味なほどの畏敬の念である。 (1975年12月13日地上波テレビ)

詩人コクトー独自のイマジネーションに魅せられる、物語を単に語る範疇の映画とは一線を画す傑作。 ストーリーや登場人物を現実の世界に当て嵌めて理解しようとしても納得できる答えが見つからないのに、とても面白い。

オルフェの自宅の現世と廃墟のような死の世界のコントラスト。 生と死の境界を鏡一枚で表現した演出のユニークさ。 死の世界に足を踏み入れたオルフェの動きと撮影による幻想的な雰囲気。 スローモーション、逆再生、スクリーン・プロセスなどを駆使して超常現象を詩的な表現に昇華させている。 これが映画ならではの面白さであり、映画が成し得る魅力である。

 

 
この作品を観ているとジャン・コクトーという人はホントに天才なんだなーと思います‼️
ギリシャ神話の有名なオルフェの悲劇を、現代のパリに置き換えて描いているわけですが、ラジオから冥界の詩が流れてきたり、オートバイに乗った死神が登場したり、鏡を通り抜けて行き来する死の世界とか、アイデア溢れる映像表現とモノクロ映像の効果も相まって、今観ても十分美しいと思います。

ジェラール・フィリップ、アラン・ドロンと並ぶフランスの美男子と称されたジャン・マレーも頑張ってますが、やはりマリア・カザレスの影のある美しさですね。

もうホントに死の国の王女にしか見えません‼️「美女と野獣」もそうでしたがジャン・コクトー監督はホントにスゴい‼️これで詩人で小説家で画家なんだから、一物も与えられてない者はどうしたらいいんだろう(笑)

 
逆再生や鏡のトリックを使っていて

とにかく楽しく観れた一作。
毎シーン、これどうやってんだ? って
考えながら観るのも楽しい。

マリア・カザレス演じる“死“の格好良さよ。
“死“たちの関係もよくて、
ラスト退場するシーンも良かったですな。

手袋買ってオルフェごっことかしたくなる映画でした。

実に70年前の映画なのだが、未だ健在? の鏡を出入り口とするあの世とこの世を出入りする物語。 殺し屋は何故かオートバイでやって来るのが新鮮。 そして、身重の妻がありながら、冷たい美貌の死神に抱く詩人の恋心。 でも死神様は、自ら犠牲となり、詩人夫妻を元の鞘に戻す。


フランス文学の様に、単純でない複雑な男と女の感情が織りなす模様に、言わばSF的に死後の世界をも描いていて妖しい魅力を放っていた。 鏡の中に、水に浸かる様に入り込む描写は出色。 最後に、カミュの愛人だったというマリアカザレスの静かな情熱的な美貌が余韻として残った。

 
    コクトーは ドイツ占領下のパリと 自分の身に起きたことを、オルフェウス伝説に絡め 映画にしたようだ

死神、黒い高級車、冥界での査問委員会はナチスを連想させ (でも 車はロールスロイスなのだ! )
使い魔の様なバイク乗りは 暗殺者、親衛隊のイメージだろうか

冒頭で死んでしまう新進気鋭の詩人セジェストは
夭折の天才レイモン・ラディゲに、
死神に誘惑されてしまう詩人オルフェは
ラディゲ亡き後、衝撃のあまり阿片中毒になってしまった コクトーに重なる

詩人カフェでの疎外感、つけ狙う新聞記者、彼を告発する知人、押し寄せるファン、 オルフェを殺してしまう文学青年達に コクトーの苦悩が見られる

そんな中、映像表現では 様々な工夫がされている
鏡が大きな役割を果たすが〈 鏡 × ジャン・マレー 〉の取り合わせに うっとり…

 
死神の王女役のマリア・カザレス!

彼女の美しさだけで観る値打ちがある
小柄であり得ない程に細く華奢、知的な面立ち
白い肌に黒い長い髪、切れ長の大きな瞳
正にこの世のものではない美しさを体現している
彼女はフランス共産党の理想を象徴している存在だ
だから限りなく美しく描かれている

物語りはギリシャ神話をそのまま現代に翻案したもの
鏡を通り抜けて向こう側の死の世界に行き来するシーンは単純な特撮ながら効果的なイメージを提供して、戦後まもなくとは思えない

地獄の査問委員会、王女、ラジオから流れる詩文による暗号文、乱数、モールス信号
これらはおそらく戦時中の地下抵抗組織の記憶によるものだろう
正確にいうならば、フランス共産党の地下組織だ
ソ連からの指令に基づき表の世界の抑圧者を排除せよだ
詩人などのフランス… 続きを読む

キャスト
 
役名 俳優  
     
オルフェ ジャン・マレー      
ウルトビーズ(運転手) フランソワ・ペリエ      
プリンセス マリア・カザレス      
ユリティス マリー・デア      
セジェスト エドゥアール・デルミ      
アグラオーニス ジュリエット・グレコ      
警察庁 アンリ・クレミュー      
新聞 記者 ロジェ・ブラン      
ナレーション        

 

関連項目

 


自分が今いる、その場所から!

2024年02月01日 09時10分52秒 | その気になる言葉

▼人生には、壁を破り、立ち上がるべき時がある。

今が、その時なのだ。

決然と立ち上がるのだ。

自分が今いる、その場所から!

▼「真剣の一人」が突破口を開く。

後継の人を育み前進を。

▼自身の目標に果敢に挑戦しながら、新たな前進の節を刻んでいく。

▼地域のつながり希薄化や単身世帯の増加を背景に、孤独や孤立が深刻化している。

▼孤独・孤立を<常に感じる>政府の調査では、20代と30代が高く、若い世代に孤独感が広がっていることが明らかになった。

「頼りたくも頼れない」という若者にとって、安心できるつながりやす居場所が必要となっている。