「情熱のない時代は、ねたみが、傑出する人の足を引っ張り、人々を否定的に水平化する」
それを打破するには一人一人が「不動の宗教性を獲得するしかない」
彼が自分の寿命の短いことを自覚し、その短い生涯のうちに、なすべきことなそうと戦った。誰もが今世の命には限りがある。だからこそ「今」を全力で生きる意味や価値を自覚できる。
「英雄」とは、自分にできることをやった人間である。
凡人とは、自分にできないことを夢見ながら、自分にできることをやろうとしない人間である。
自身が定めた使命を、時を逃さず果たしててゆく。
その人こそ真の英雄である。
『瞬間』や『人生行路の諸段階』も良いですが、やはり『死に至る病』は名著です。
信仰と世俗的な教会批判、絶望、など。
現代でも意義を失っていない思想書です。
信仰と世俗的な教会批判、絶望、など。
現代でも意義を失っていない思想書です。
大学時代、サークルの後輩の男の子と2人で飲んだ時、彼が言った:「僕って、自分のことを人に話さないんですよね~。」
それを聞いた私は思った:(話してるじゃん。)
これと似たような矛盾をキルケゴールは指摘する。
これと似たような矛盾をキルケゴールは指摘する。
例えば、「私は人生に絶望しました。死にたいです。」と言いながら、真っ青な顔色をしているAさんと、「幸せで~す」とニコニコしているBさんがいたとする。
精神科医なら、どちらが「精神的にヤバい」と考えるかというと、「自分は絶望している」と他者に訴えられるAさんはまだ救いがあり、自分の絶望に気づいてさえいなくて、世の中に流されて生きているBさんの方が、もっと悲劇かもしれない…といったような、パラドキシカルなことが書かれている…何この本。
めっちゃ面白いじゃないですか!
・・・といっても、やはり古典的名著。内容が難しく、私には3割程度しか理解できなかったので、評価も4としますし、ざっくりと表面的な感想しか書けないのですが、「自殺は罪」「絶望の反対は信仰」「もし人の宿命が初めから決まっていると考えるなら、服従のみの人生になり、祈りに意味なんてないよね」など、名言多し。
・・・といっても、やはり古典的名著。内容が難しく、私には3割程度しか理解できなかったので、評価も4としますし、ざっくりと表面的な感想しか書けないのですが、「自殺は罪」「絶望の反対は信仰」「もし人の宿命が初めから決まっていると考えるなら、服従のみの人生になり、祈りに意味なんてないよね」など、名言多し。
キルケゴールさん、200年前の人とは思えないほど面白いことを言っているので、飲み屋さんで一緒にお酒を飲みながら語りたくなりました。
まず、この「死に至る病」とはヨハネの福音書十一章のある言葉から来ていて、(ご自分で聖書を紐解きお探しください。)絶望の諸様相を克明にときあかし、人間観察のあまりのふかさに、絶望とはこういうものだと克明に襞(ひだ)の裂け目までえぐったしょもつです。
死の時牧師が駆けつけてきてくいあらためることができますか。と言われ一度は「いや私にはできない」といいますが最後に、「うんできる」といい天国にレギーネ・オルセンに会いに旅立ちました。
ほんとうに苦しい、42歳での死を膨大な、著作による、ストレス、精神的疲労、のため路上で昏倒しました。
1830年に17歳でコペンハーゲン大学にに入学し1834年に日記(膨大な量のもの)1843年(あれかこれか)第一部第二部を印刷へ回し フルーエ教会でレギーネオルセンがキルケゴールに会釈しました。
その後も激しい絶望と美しい感性が見事に溶け合った、美しい愛をレギーネを一途に思い続け最後にレギーネ(ものすごい美しい温和なかたです。)(画像検索をしてみてください。)とても温和な彼女とついにセーレン・キルケゴールの思いも通じず。
1830年に17歳でコペンハーゲン大学にに入学し1834年に日記(膨大な量のもの)1843年(あれかこれか)第一部第二部を印刷へ回し フルーエ教会でレギーネオルセンがキルケゴールに会釈しました。
その後も激しい絶望と美しい感性が見事に溶け合った、美しい愛をレギーネを一途に思い続け最後にレギーネ(ものすごい美しい温和なかたです。)(画像検索をしてみてください。)とても温和な彼女とついにセーレン・キルケゴールの思いも通じず。
レギーネが別の男性と結婚し、キルケゴールはやんわりと、穏やかにその男性にレギーネへの思いをうちあけ、結局死んでしまい(彼のたましいが。)「死に至る病」を残しました。
おびただしい、執筆のため路上で昏倒して、天国に召されました。
私はプロテスタントの信徒で17歳の時18歳の女性と今でも教会で仲睦まじく相思相愛で現在私が28歳SAさんが、29歳で牧師のもと、結婚準備をしています。
私はプロテスタントの信徒で17歳の時18歳の女性と今でも教会で仲睦まじく相思相愛で現在私が28歳SAさんが、29歳で牧師のもと、結婚準備をしています。
でもわたくしは12歳の時から28歳の今まで心の病のため、統合失調感情障害となり、苦しくて苦しくて死んでしまいそうな精神的絶望のめ躁鬱を繰り返し。
入退院も3度目です。しかしSA さんも心の病のため同じく思春期の時、統合失調症を患ってしまいました。
ですから彼女の苦しみがわかるのです。私はヴァイオリンを弾きながら彼女はフルートとピアノを弾きながら10年間私は一途に彼女を思い慕い続けています・
キルケゴールは父親が熱心な憂鬱な信仰を持ちしかし実は先妻のもとで女中を犯して生まれたのがキルケゴールなのです。その女中となっった、7人兄弟の末っ子でその不実のキルケゴールの犯されて生まれた子がキルケゴールの母親でおそらくとても温和な、やさしく魂の美しいキリスト者と思われます。
周囲が認めるレギーネ・オルセンさんとキルケゴールは婚約しますが。
キルケゴールは父親が熱心な憂鬱な信仰を持ちしかし実は先妻のもとで女中を犯して生まれたのがキルケゴールなのです。その女中となっった、7人兄弟の末っ子でその不実のキルケゴールの犯されて生まれた子がキルケゴールの母親でおそらくとても温和な、やさしく魂の美しいキリスト者と思われます。
周囲が認めるレギーネ・オルセンさんとキルケゴールは婚約しますが。
本当に幸せだったと思います。
二人ともしかし、本人が「大地震」と呼ぶつらいできごと、キルケゴールの父親が神を一度呪ったこと、そして自分のそれまでの原罪に基づく苦しみから、放蕩の限りをつくし遊女を買ったことなど、自分の罪にさいなまれ良心の呵責から、婚約破棄となったのです。
そのキルケゴールの父親とは、キルケゴールと死の二日前に和解しました。
1841年、28歳の時、レギーネ・オルセンさんに婚約指輪を送りかえし
10月11日デンマークの厳しい冬を前にして、レギーネとの関係を最終的に断ち切る。
そのキルケゴールの父親とは、キルケゴールと死の二日前に和解しました。
1841年、28歳の時、レギーネ・オルセンさんに婚約指輪を送りかえし
10月11日デンマークの厳しい冬を前にして、レギーネとの関係を最終的に断ち切る。
36歳の時、「初恋」「誘惑者の日記」「美しき人生観」「結婚の美的権利」「美と倫理」と名付けた「あれか、これか」を、ヘーゲルがだいっきらいだった、キルケゴールが出版しました。
ヘーゲルの精神現象学を読むとさらによくわかるのですが、だめでした。私は現在モンテーニュ、パスカル、ニーチェ、ヘルダーリン、クラシック音楽、そしてカントの実践理性批判、判断力批判を読んでいる最中でものすごく大変ですです 。
ヘーゲルの精神現象学を読むとさらによくわかるのですが、だめでした。私は現在モンテーニュ、パスカル、ニーチェ、ヘルダーリン、クラシック音楽、そしてカントの実践理性批判、判断力批判を読んでいる最中でものすごく大変ですです 。
一日日4時間読書(マルセル、プルーストの、失われた時を求めての「逃げ去る女」の途中まで来ていて、憂鬱な鬱状態といまかいている、札幌の初夏の緑の詩を書いています。つらくてつらくて死にたいです。
キルケゴールの父親はとても教育が上手で、散歩に出られないキルケゴールをあのパン屋さんはねこうなんだよ、と優しく優しく教育しました。
キルケゴールの父親はとても教育が上手で、散歩に出られないキルケゴールをあのパン屋さんはねこうなんだよ、と優しく優しく教育しました。
それで稀有なたぐいまれなる、実存主義哲学者へと崇高に昂揚したのでした。
この桝田啓三郎さんはさんはデンマーク語からのちょくやくですので、絶望した人にはぜひ、おすすめします。
この桝田啓三郎さんはさんはデンマーク語からのちょくやくですので、絶望した人にはぜひ、おすすめします。
デンマークの哲学者セーレン・キルケゴール(1813-1855)の代表作。
キルケゴールは、日本でいえば徳川家斉の時代の人で42歳で夭折している。
キルケゴールはレギーネという女性を愛し、婚約までしているが一方的に婚約破棄している。
しかし、終生レギーネを愛したらしい。このあたりの事情は謎だが訳者は、キルケゴールの父がメイドをレイプして、そのメイドと結婚せざるを得なくなり、キルケゴールの母がそのメイドである、ということを知り、レギーネをそういう家族の一員に引き入れることに躊躇したのではないか、と述べている。
また、当時のデンマーク国教会は神の栄光を賛えるばかりで人間の罪について真剣な洞察を欠くことをキルケゴールは非難し、「教会に真のキリスト教を呼び戻す」ために立ち上がったのだという。
「私の使命を理解すること、私にとって真理であるような真理を見いだすことが肝要なのだ。いわゆる客観的真理などを突き止めたとしても、それが私の何の役に立つだろう」、これが、キルケゴールの実存主義思想の出発点であり思想形成の原点でもある。
「私の使命を理解すること、私にとって真理であるような真理を見いだすことが肝要なのだ。いわゆる客観的真理などを突き止めたとしても、それが私の何の役に立つだろう」、これが、キルケゴールの実存主義思想の出発点であり思想形成の原点でもある。
真理は主体性の問題である、という思想運動が実存主義にほかならない。
キルケゴールにとって、人間とは神の前にただひとりで立つ単独者であり、神に対して責任を取るという仕方で自由にみずからの主体性の形成に踏み出すときに真の人間らしさを発揮することのできる存在である。
キルケゴールにとって、人間とは神の前にただひとりで立つ単独者であり、神に対して責任を取るという仕方で自由にみずからの主体性の形成に踏み出すときに真の人間らしさを発揮することのできる存在である。
自由を引き受けて生きる人間のあり方を「実存」とよぶ。生きる上での既成の根拠を自分の中にもたない自由が人間を不安に陥れる。
不安は自由のめまいである、という。
この不安から逃れるために人は惰性で日常を過ごし、刹那的享楽に没入する。
ここに大衆化社会の陥穽がある。
人間はこの弱点をしっかりと心得て、自由に対して誠実でなければならない。
曰く・・・
絶望は無限の長所である。この病にかかりうる可能性が、人間が動物よりもすぐれている長所である。
死が希望となるほどに危険が大きいとき、そのときの、死ぬことさえもできないという希望のなさ、それが絶望であり、絶望は死にいたる病である。
世間の人は自己というようなもので大騒ぎなどしない。自己自身を失うという最大の危険が世間ではまるでなんでもないことのように平静に行われている。
曰く・・・
絶望は無限の長所である。この病にかかりうる可能性が、人間が動物よりもすぐれている長所である。
死が希望となるほどに危険が大きいとき、そのときの、死ぬことさえもできないという希望のなさ、それが絶望であり、絶望は死にいたる病である。
世間の人は自己というようなもので大騒ぎなどしない。自己自身を失うという最大の危険が世間ではまるでなんでもないことのように平静に行われている。
これほど平静におこなわれる喪失はない。
世間の目からみると冒険は危険なことである。
世間の目からみると冒険は危険なことである。
冒険すると失うことがあるからであり、冒険しないのが賢明なことになる。
しかし、冒険をしない場合には、それだけはほとんど失うことがないはずのものをやすやすと失いかねない。
つまり自己自身を失ってしまいかねない。
自己と神に気づくためには、想像力が人間を蓋然的なものの雰囲気よりもさらに高く舞い上がらせ、その雰囲気から脱出させなくてはならない。
意識が増せば増すほど、それだけ絶望も強くなる。
孤独への要求は、人間のうちに精神があるということのしるしであり、またそこにある精神を測る尺度である。
人がキリスト教につまづくのは、キリスト教の目標が人間の目標ではないことにある。キリスト教が人間を人間の頭では理解できないような並はずれたものにしようとするということである。
人間は、神の観念を人間の自尊心の一要素として神の面前で自分の重みをつけるために用いてきた。
自己と神に気づくためには、想像力が人間を蓋然的なものの雰囲気よりもさらに高く舞い上がらせ、その雰囲気から脱出させなくてはならない。
意識が増せば増すほど、それだけ絶望も強くなる。
孤独への要求は、人間のうちに精神があるということのしるしであり、またそこにある精神を測る尺度である。
人がキリスト教につまづくのは、キリスト教の目標が人間の目標ではないことにある。キリスト教が人間を人間の頭では理解できないような並はずれたものにしようとするということである。
人間は、神の観念を人間の自尊心の一要素として神の面前で自分の重みをつけるために用いてきた。
ちょうど政治生活において、野党に所属することによって自分を重くし、自分が反対することのできるなにものかをもてるために政府の存在を望むように、人は神を除き去ることを欲しない。
異教徒は厳粛に戦慄をもって神の名をよぶが、キリスト教界では神の名は日常会話にしきりに出てくる。ときおり教会にいけばこの人物に奉仕したことになり、牧師にも褒められる。
人間の最大の悲惨は、キリストにつまづいて、そのつまづきのうちにとどまっていることである。
みたいな話。なんとなく、ニーチェやロロ・メイなどと似たものを感じる。
人間の最大の悲惨は、キリストにつまづいて、そのつまづきのうちにとどまっていることである。
みたいな話。なんとなく、ニーチェやロロ・メイなどと似たものを感じる。
信仰を持たない凡人の読後印象は、哲学者が書いた宗教本or電波本、、、というものでした。
今の日本を生きる我々が感じる絶望について、ヒントの獲得は期待できません。
現代の批判の方は、今の日本にも通ずるような洞察がたくさんあって興味深く読めました。
『現代の批判』はもともと『二つの時代』という小説の評論として書かれたものの一部が編集されて出版されたものです。
「現代は本質的に分別の時代、反省の時代、情熱のない時代であり、束の間の感激に沸き立っても、やがて抜け目なく無感動の状態におさまってしまう時代である。」とキルケゴールは序文で述べていますが、これはまさしく「今」の「現代」にも当てはまることです。
キルケゴールもまさにこの「公衆」の被害者でした。彼の言論をある雑誌が攻撃し、それによって彼は街を歩いていても石を投げられ、唯一の気晴らしである散歩を出来なくなったのです。
新聞や雑誌などの定期刊行物は「民意」の具体的なあらわれではありません。
そしてキルケゴールは述べます。
このように『現代の批判』はまさに「現代」のことについて論じているかのように先見的な文章です。