2月2日午前3時30分からCSテレビのザ・シネマで観た。
これでこの映画は、3度目である。
『マディソン郡の橋』(原題: The Bridges of Madison County)は、1992年にアメリカ合衆国で発売されたロバート・ジェームズ・ウォラー(Robert James Waller)の同名ベストセラー小説を原作にした、1995年の恋愛映画。
アンブリン・エンターテインメントとマルパソ・プロダクションズが製作し、ワーナー・ブラザースが配給した。クリント・イーストウッドがプロデューサーおよび監督、キャスリーン・ケネディが共同プロデューサー、リチャード・ラグラヴェネーズが脚本を務めた。イーストウッドとメリル・ストリープが主演した。
批評的にも商業的にも成功し、世界中で1億8,200万ドルをあげた。
1996年、第68回アカデミー賞でアカデミー主演女優賞にノミネートされた。
マディソン郡の橋のネタバレあらすじ:起
1989年冬、アメリカ・アイオワ州マディソン郡で一人の女性が亡くなりました。女性の名はフランチェスカ・ジョンソン。
彼女の葬儀のために集った長男マイケル(ヴィクター・スレザック)と長女キャロライン(アニー・コーリー)は、母の遺言に「死んだら火葬にしてローズマン・ブリッジから遺灰を撒いてほしい」と書かれてあるのを見つけました。
それからマイケルとキャロラインは母の遺した手紙や日記を読み漁っているうちに、これまで平凡な主婦として生きてきたはずの母フランチェスカの知られざる一面を垣間見ることになります…。
マディソン郡の橋のネタバレあらすじ:承
1965年、当時結婚15年目を迎えていたフランチェスカ(メリル・ストリープ)は、小さな農場を営む夫のリチャード(ジム・ヘイニー)、息子マイケル(クリストファー・クルーン)と娘キャロライン(サラ・キャスリン・シュミット)と幸せな家庭を築いていましたが、特に何のことはない平凡で単調な日々に少しばかり退屈を覚えていました。
そんなある秋の日、リチャードは子どもたちを連れてイリノイ州で開かれる農産物の品評会に出かけることになり、4日間一人で留守番をすることになったフランチェスカは久しぶりに忘れかけていた新鮮で開放的な気持ちを味わっていました。
そんな時、フランチェスカの元に一人の男が現れ、近くにある非常に珍しい屋根付きの橋“ローズマン・ブリッジ”への道を尋ねてきました。男の名はプロカメラマンのロバート・キンケイド(クリント・イーストウッド)。
彼に惹かれるものを感じたフランチェスカは、ロバートを夕食に招いて楽しいひと時を過ごしました。ロバートが宿に引き上げた後、フランチェスカはローズマン・ブリッジの上に「明日の晩、もう一度いかが?」と書いたメモを置いておきました。
マディソン郡の橋のネタバレあらすじ:転
翌日(2日目)、新しいドレスを身にまとったフランチェスカはホリウェル橋の上でロバートと落ち合い、急速に惹かれ合った二人はダンスを踊り、自然な流れで一夜を共にしました。
3日目、フランチェスカとロバートは郊外へピクニックに出かけ、二人の恋は一気に燃え上がりますが、間もなく家族が戻ってくるフランチェスカは一抹の不安を覚えるようになっていました。
そして4日目、「これはお遊びなの?」となじるフランチェスカに対し、ロバートは「一緒に来てほしい」と告げました。一旦は荷物をまとめたフランチェスカでしたが、どうしても家族を捨てることはできず、彼女の心情を察したロバートは彼女の前から立ち去っていきました。
翌日、何も事情を知らないリチャードら家族が無事に帰宅、フランチェスカはいつもの日々に戻っていきました。
その数日後、リチャードと一緒に買い物に出かけたフランチェスカは、降りしきる雨の中で立ち尽くすロバートの姿を見つけました。フランチェスカは車のドアノブに手をかけましたが結局会うことは叶わず、これが彼女の生涯でロバートを見た最後となりました。
1979年、リチャードに先立たれたフランチェスカはロバートに会おうと連絡を試みましたが、何の手掛かりもなく結局果たせぬままでした。
そしてある日、フランチェスカのもとに弁護士が訪ねてきて、ロバートが死んだことを知らせてきました。フランチェスカはロバートの遺品のカメラ、そして『永遠の4日間』と題された写真集を託され、ロバートの遺骨はローズマン・ブリッジから散骨されたことを知りました…。
そして1989年冬。手紙と日記を読み終えたマイケルとキャロラインは、母の願いを叶えて荼毘に付し、遺骨をローズマン・ブリッジから散骨してあげました。
以上、映画「マディソン郡の橋」のあらすじと結末でした。
「マディソン郡の橋」感想・レビュー
クリント・イーストウッドが製作・監督・主演してロバート・ジェームズ・ウォラーの同名ベストセラー小説を映画化したものです。平凡な家庭の主婦が道を尋ねて立ち寄った一人の見知らぬカメラマンに、これほどまでに恋すことが出来るのか又、恋すると言うことがいかに人の心を惑わせるものかが、この二人の語らいや表情の中に見ることができ、切なく悲しい感動を与えてくれます。大人の本当に4日間のわずかな期間で激しく燃えた恋の物語です。ぜひ大人の恋物語をじっくりと観賞してください。
概要
アイオワ州の片田舎で出会った、平凡な主婦と中年のカメラマンの4日間の恋を描く。
世界的ベストセラー(およびロングセラー)となったロバート・ジェームズ・ウォラーによる同名小説(日本語訳・文藝春秋刊)を、クリント・イーストウッドが製作・監督・主演を務めて映画化。
この項目では主として映画について記載する。
不倫をテーマにした大人のラブストーリーであり、米国のみならず世界的大ヒットを記録した。
撮影は、小説に描かれた実在の場所、アイオワ州マディソン郡ウィンターセットに造られた特設セット『フランチェスカの家』(Francesca's House)にて、延べ42日間に渡って行われた。
ストーリー
1989年の冬、母の葬儀のために集まった長男のマイケル(ヴィクター・スレザック)と妹のキャロリン(アニー・コーリー)が、彼女の遺書とノートを読み始める場面からストーリーがはじまる。
「火葬にしてローズマン・ブリッジから灰を撒いてほしい」というもので、平凡だと思われていた母親の秘められた恋を知ることになる。
1965年の秋。小さな農場の主婦フランチェスカ・ジョンソンは、結婚15年目で単調な日々を送っていた。ある日、夫リチャードと二人の子供たちが子牛の品評会のため隣州へ出かけ、彼女は4日間、一人きりで過ごすこととなる。
そこへ一人の男性が現れ、道を尋ねる。彼はウィンターセットに点在するカバードブリッジ[7]のひとつ、ローズマン橋を撮りにやってきたナショナルジオグラフィックのカメラマン、ロバート・キンケイド(クリント・イーストウッド)であった。彼の魅力に惹かれたフランチェスカは、彼を夕食に招待する。そこから距離が縮まり、二人はデートの末、許されないと知りつつ恋に落ち、そのまま結ばれる。
最後の夜、「一緒に来てくれ」と誘うロバートに、フランチェスカは荷物をまとめるが、家族を思うその表情を見たロバートは、一人で去っていった。
数日後、リチャードと共に街に出かけたフランチェスカは、雨の中、彼女を見つめ立ち尽くすロバートの姿を見る。フランチェスカは乗っていた車のドアに手をかけ、彼の元へ行こうとするが、それ以上はできなかった。
1979年、リチャードが死去。フランチェスカはロバートに連絡を取ろうとするが、消息はわからなかった。何年か後に、ロバートの弁護士から遺品が届く。そこには、手紙やフランチェスカが彼に手渡したネックレスとともに『永遠の4日間』という写真集が入っていた。
フランチェスカのノートには「人生の全てを家族に捧げた。せめて残りの身は彼に捧げたい」という遺志が記されていた。兄妹はようやくその遺志を理解する。後日、2人の手によって、彼女の遺灰は、ロバートの遺灰と同様、ローズマン橋の上から撒かれた。
キャスト
ロバート・キンケイド - クリント・イーストウッド
フランチェスカ・ジョンソン - メリル・ストリープ
キャロライン・ジョンソン - アニー・コーリー
マイケル・ジョンソン - ヴィクター・スレザック
リチャード・ジョンソン - ジム・ヘイニー
キャロライン(幼少期) - サラ・キャスリン・シュミット
マイケル(幼少期) - クリストファー・クルーン
ベティ - フィリス・リオンズ
マッジ - デブラ・モンク
ピーターソン弁護士 - リチャード・レイジ
ルーシー・レッドフィールド - ミシェル・ベネス
スタッフ
監督:クリント・イーストウッド
製作:クリント・イーストウッド、キャスリーン・ケネディ
原作:ロバート・ジェームズ・ウォーラー (イギリスで最初に出版された時の原題:Love in Black and White)
脚本:リチャード・ラグラヴェネス
音楽:レニー・ニーハウス
撮影:ジャック・N・グリーン
編集:ジョエル・コックス
美術:ジャニール・クラウディア・オップウォール
数年前、『荒野のストレンジャー』のロケ地を探してピックアップトラックでネバダ州に行ったことがある。しかし人妻との運命的な出会いは全くなかった。"
— ロバート・キンケイド役のクリント・イーストウッド
1991年終盤、スティーヴン・スピルバーグが創立した製作会社アンブリン・エンターテインメントはロバート・ジェームズ・ウォラーの発売前の小説『マディソン郡の橋』の映画化権を25,000ドルで購入した。
映画公開前までにこの小説は世界中で950万部が売れた。
当初スピルバーグはシドニー・ポラックを監督に選任し、カート・リュードックに脚本を担当させたが降板した。
キャスリーン・ケネディとスピルバーグが2番目の脚本家にロナルド・バスを連れてきたが、彼らは仕上がりに満足しなかった。
しかし3番目の脚本家であるリチャード・ラグラヴェネーズの脚本はスピルバーグと、初期段階から主演を演じることが決まっていたイーストウッドが気に入り、スピルバーグの『シンドラーのリスト』の次の作品として考慮された。
スピルバーグもイーストウッドもラグラヴェネーズのフランチェスカ視点での描かれ方を気に入り、フランチェスカの子供たちが成長して母の日記を発見して読むという枠物語を取り入れた。
スピルバーグがこの作品の監督をしないことになり、ブルース・ベレスフォードを監督に任命するとベレスフォードはアルフレッド・アーリーに脚本の草案を書かせたが、ワーナー、スピルバーグ、イーストウッドの全員がラグラヴェネーズの脚本の方を支持したためベレスフォードは降板した。
ウォラーはフランチェスカ役にイザベラ・ロッセリーニを推薦した。
アンジェリカ・ヒューストン、ジェシカ・ラング、メアリー・マクドネル、シェール、スーザン・サランドンも候補に挙がっていたが、ロッセリーニが最適とされた。
スピルバーグは同調しなかったがイーストウッドは最初からメリル・ストリープを推薦していた。
撮影
アイオワ州ウィンターセットにあるローズマン・ブリッジ。キンケイドはこの橋の撮影に訪れフランチェスカと出会う。フランチェスカの遺言により彼女の遺灰が撒かれた場所でもある。
撮影は52日間の予定で行われたが、実際には10日早い11月1日に終了した。これだけの世界的ヒットを収めた名作にもかかわらず製作に要した期間は、正味42日間だけであり、製作費も約US$900万(当時の日本円にして約11億円)に留まった。
イーストウッドはフランチェスカの視点を大事にし、時系列を追って撮影した。
イーストウッドはこれについて「それが重要なことだった。我々は実際に俳優としても登場人物としても互いを知り合っていくのだから」と語った。
アイオワ州マディソン郡ウィンターセットの他、ダラス郡エイデル、そしてペンシルベニア州ウェストモアランド郡にあるベルズ・ミルズ橋でも撮影が行われた。
レイティング
当初フランチェスカの皮肉を込めた台詞によりR指定を受けたが、イーストウッドの嘆願によりPG-13となった[3] 。
興行収入
1995年6月2日、1,805館で劇場公開された。初週10,519,257を上げ、2週目の『キャスパー』に次ぐ全米2位となった。
公開終了時には全米で$71,516,617、海外で$110,500,000の計$182,016,617を上げた。
評価
レビュー・アグリゲーターのRotten Tomatoesでは60件のレビューで支持率は90%、平均点は7.40/10となった[9]。Metacriticでは23件のレビューを基に加重平均値が69/100となった。
主な賞歴
受賞
ASCAP映画テレビ音楽賞:
最高興行収入映画賞
ブルーリボン賞 (日本):
外国作品賞
BMI映画テレビ賞:
BMI映画音楽賞 (レニー・ニーハウス)
キネマ旬報 (日本):
外国語映画監督賞 (クリント・イーストウッド)
毎日映画コンクール (日本):
外国語映画賞
ノミネート
第68回アカデミー賞:
アカデミー主演女優賞 (メリル・ストリープ)
全米撮影監督協会賞:
劇場公開撮影功労賞 (ジャック・N・グリーン)
日本アカデミー賞 (Japan):
外国作品賞
セザール賞 (フランス):
最優秀外国映画賞
第53回ゴールデングローブ賞:
映画女優賞 – ドラマ部門 (メリル・ストリープ)
作品賞 – ドラマ部門
第2回全米映画俳優組合賞:
主演女優賞 (メリル・ストリープ)
1995年(02回)米国映画俳優協会賞候補
1995年(50回)毎日映画コンクール外国映画ファン賞受賞[1]
1995年(69回)キネマ旬報ベストテン:第3位
フランチェスカの家について
撮影の特設セットであるフランチェスカの家は、撮影終了後も保存、一般公開されていたが、2003年の放火で被害を受け、現在は一般公開されていない。