チャールズ ダーウィン (著), Charles Darwin (原名), & 1 その他
『種の起源』は専門家向けの学術書ではなく、一般読者向けに発表された本である。
名のみ知られるばかりで、その内容については多くを語られることのなかったこの歴史的な書を、画期的に分かりやすい新訳で贈る。
進化学はすべての生物学の根幹をなしている。
そしてそのすべてのルーツは『種の起源』初版にあるのだ。端緒を開いたダーウィンの偉業、それは進化の研究を科学にしたことと、進化が起こるメカニズムとして自然淘汰説を提唱したことにある。(訳者)
ダーウィンが『種の起源』で成し遂げた二大偉業は、進化の研究を科学にしたことと、進化が起こるメカニズムを提唱したことにある。
生物の進化は、地球の長い歴史の中で一回しか起こらなかった物語である。
生物の進化は、地球の長い歴史の中で一回しか起こらなかった物語である。
たとえばティラノサウルスが二度と復活することはない。
つまり通常の科学の方法では扱えない事実である。
ではどうすればよいか。ダーウィンは、仮説を構築し、傍証を積み上げるという歴史科学の方法を確立することで進化学を科学にしたのだ。
もう一つの偉業は、進化のメカニズムとしての自然淘汰説を提唱したことである。生物には遺伝的な個体変異があり、個体変異に応じて生存繁殖率に差がでる。
もう一つの偉業は、進化のメカニズムとしての自然淘汰説を提唱したことである。生物には遺伝的な個体変異があり、個体変異に応じて生存繁殖率に差がでる。
その結果、有利な変異をもつ個体ほど生き残る確率が高く、より多くの子孫を残す。この過程が続くことで、原種から変種が分かれ、やがて種となる。
単純化すれば、これが自然淘汰の原理だ。
つまり、生物個体の生存繁殖にとって有利な遺伝的変異を保存し不利な変異を排除する、自然による選抜の過程を自然淘汰という。(「本書を読むために」より)
つまり、生物個体の生存繁殖にとって有利な遺伝的変異を保存し不利な変異を排除する、自然による選抜の過程を自然淘汰という。(「本書を読むために」より)
「進化論」という「論」自体やその影響については、今日でもよく話題になるので、それのもととなったダーウィン『種の起源』を読んでみた。
著者の頭に詰め込まれている厖大な知識の脈絡を追うのは結構大変。
私の興味は個々の事実ではなくて、どうしてダーウインがそう考えるに至ったのかを知る気分になることだが、それでもそれなりに集中しないと分からない。
当たり前だが、ダーウインの記憶力と推理力は抜群だ。
1859年に出版された本書の結論だけを書けばとても簡単、いわゆる自然淘汰説だ。
1859年に出版された本書の結論だけを書けばとても簡単、いわゆる自然淘汰説だ。
一番基本は、生物もまた自然の法則に従っているということ、つまり神が創ったのではないこと(当時は聖書の記述にしたがって、生物は種ごとに神が創ったと信じられていたらしい)。
次には、よく「進化論」と呼ばれている考え方で、生き物は、長い時間をかけて、自然淘汰の作用による変化伴う由来をもっているということ。
ここで、自然淘汰の作用とは、生存競争によって世代を重ねるにつれて生き残っていくグループとそうでないグループが生じてくることを言う。
そのことは、生物の諸器官にしろ行動様式にしろ、進化の個々の段階においては個々の生物グループにとって有益なものであると見なせること、またごくわずかではあってもそれらは変異を生じるうること、有益な変異が子孫に継承されること、などが認められれば、生物史を貫く法則であろうと推論が出来る。
ダーウインの推論は、観察と実験から得られた数多の事実に基づいた合理的な思考によるものだ。
ダーウインの推論は、観察と実験から得られた数多の事実に基づいた合理的な思考によるものだ。
この数多の事実はどうやって見つけたのかと言えば、自分で直接行ったものもあるし、当時の学者やナチュラリストや育種家などが行った厖大な蓄積の中から、合理的な意図によって選別したのだろう。
観察や実験(人工的育種も含めて)の動機は、学者やナチュラリストにとっては新種の発見自体などに、育種家は有用な植物や動物を創り出すことなどにあったのだろう。
厖大な知見に基づいた推論を追っていくのも本書を読む一つの醍醐味ではあろうが、合理的な意図とか、事実自体が何であるかとか、事実と事実の関係に潜む規則の推定等々は容易ではない。
厖大な知見に基づいた推論を追っていくのも本書を読む一つの醍醐味ではあろうが、合理的な意図とか、事実自体が何であるかとか、事実と事実の関係に潜む規則の推定等々は容易ではない。
特に、私のように、虫や魚や鳥等々の身体の部位やその性質や行動様式について知らないばかりか、あまり考えたことのない人にとっては尚更である。しかし、ダーウインの残した業績は後の生物研究に重要な指針を与え、また、普通の人々にとっては大いなる誤解を含めて重要な影響を与えていることは理解できる。
界⇒門⇒綱⇒目⇒科⇒属⇒種⇒亜種⇒変種⇒品種⇒亜品種、という分類は右から左へ生物の由来を溯った体系を示している。
界⇒門⇒綱⇒目⇒科⇒属⇒種⇒亜種⇒変種⇒品種⇒亜品種、という分類は右から左へ生物の由来を溯った体系を示している。
例えば、ヒトの分類学的位置づけは、動物界、脊椎動物門、哺乳類綱、霊長目、ヒト科、ヒト属、ヒト(種)となる(現世の人類はホモ・サピエンス・サピエンス)。
一つの生き物は、壮大なピラミッド式体系の一つに位置づけられた。生物の分類は身体の形式や行動様式や稔性等々に基づいていたが、そのそれぞれが由来を持つ変化の結果であることが判明することで、一つの体系となった。しかも何故、生物のグループが連続ではなくて区分できるのかも理解できる。
つまり、変異で生じた中間的グループが、自然淘汰によって絶滅したからである、と。
そのことは生命の化石が見つかる数億年前からの地質学的知見によって、ほんの一部だけ確かめられ、もっと確かめたければそれはこれからも果てしなく続くだろう。
よく、進化論によれば人間の祖先は猿だったと言う人がいるが、本書を読めば不正確な表現であることがわかる。そういう人には、何故「目」というところで先祖が停止していると思うか、と訊ねるのがいいと思う。
最後に、最終章(14章 要約と結論)で述べられているダーウインの推論のうちで二つを紹介する。
最後に、最終章(14章 要約と結論)で述べられているダーウインの推論のうちで二つを紹介する。
一つは妥当でもう一つは問題であると思う。一つは「生物を変化させる原因の中で最も重要なのは、物理的条件の変化、それも恐らく物理的条件の突然の変化とはほぼ無関係である。」という推論(種の創世説への反論のようだが)。
この推論は、人間の心が関係性の中で変化しうることの身体論的説明として妥当だろう。
もう一つは「遠い将来を見通すと、さらにはるかに重要な研究分野開けているのが見える。心理学は新たな基盤の上に築かれることになるだろう。
それは、個々の心理的能力や可能性は少しずつ必然的に獲得されたとされる基盤である。
やがて人間の起源とその歴史についても光が当てられることだろう。」という推論。
この推論は、人間の心が自然科学的に解明されるという誤謬推理であろう。この誤謬に気付かなければ重大な問題が発生しかねない。
この点に関して言えば、本書より70年ほど前に書かれた『純粋理性批判』(カント著)で指摘されている、人間の理性についての洞察を知ることがとても大切だと思う。
"生命は、もろもろの力と共に数種類あるいは一種類に吹き込まれたことに端を発し、重力の不変の法則にしたがって地球が循環する間に、じつに単純なものからきわめて美しくきわめてすばらしい生物種が際限なく発展し、なおも発展しつつあるのだ"1859年発刊の本書は『自然淘汰説』を提唱した名著。
個人的には主宰する読書会の課題図書として手にとりました。
さて、そんな本書は誰もが教科書で学び知っている"ダーウィンの進化論"のもとになった著書で、ビーグル号での5年間の航海体験を経て、この世の生き物は【神によって創造されて以後に姿を変えることはなかった】とする『創造説』に疑念を抱いて帰還した著者が、密かに書き続けてきた生物進化について考察していたノートをまとめ、ウォレスの論文発表を機に『要約』として当時の一般読者向けに発表、好評を博すも物議を醸した一冊なのですが。
まず、本書で提唱している『自然淘汰説』自体は単純で『有利な変異を持つ個体ほど生き残る確率が高く、より多くの子孫を残し、この過程が続くことで原種から変種が分かれ、種となる』ということなのですが。
それを新訳では【訳者なりに工夫を凝らしている】とはいえ、『要約』なのに?そもそも分厚い本書は、当時の著名研究者名や様々な動物、植物名が多数出てきて【情報量が多く】またよく言えば『丁寧で多角的』わるく言えば【回りくどい論証】で解説しており、正直、私には読み進めるのがしんどかった。
一方で、ちゃんと読まれることなく【ダーウィニズムは競争至上主義(弱肉強食)】といった捉えられ方をされたり『最も強い者が⽣き残るのではなく最も賢い者が⽣き延びるのでもない。
個人的には主宰する読書会の課題図書として手にとりました。
さて、そんな本書は誰もが教科書で学び知っている"ダーウィンの進化論"のもとになった著書で、ビーグル号での5年間の航海体験を経て、この世の生き物は【神によって創造されて以後に姿を変えることはなかった】とする『創造説』に疑念を抱いて帰還した著者が、密かに書き続けてきた生物進化について考察していたノートをまとめ、ウォレスの論文発表を機に『要約』として当時の一般読者向けに発表、好評を博すも物議を醸した一冊なのですが。
まず、本書で提唱している『自然淘汰説』自体は単純で『有利な変異を持つ個体ほど生き残る確率が高く、より多くの子孫を残し、この過程が続くことで原種から変種が分かれ、種となる』ということなのですが。
それを新訳では【訳者なりに工夫を凝らしている】とはいえ、『要約』なのに?そもそも分厚い本書は、当時の著名研究者名や様々な動物、植物名が多数出てきて【情報量が多く】またよく言えば『丁寧で多角的』わるく言えば【回りくどい論証】で解説しており、正直、私には読み進めるのがしんどかった。
一方で、ちゃんと読まれることなく【ダーウィニズムは競争至上主義(弱肉強食)】といった捉えられ方をされたり『最も強い者が⽣き残るのではなく最も賢い者が⽣き延びるのでもない。
唯⼀⽣き残ることが出来るのは変化できる者である。』といった他の経営学者の解釈が『ダーウィン自身の言葉』とされているのが【大きな誤解であること】が、本書で実際に確認できたのはとても良かった。
進化学、生物学のルーツ的一冊。歴史的名著としてオススメ。
進化学、生物学のルーツ的一冊。歴史的名著としてオススメ。
進化論は現在、進化医学、進化心理学、進化経済学、進化認識論など、多くの学問領域に新しいインパクトを与えつつある。
嘴が0.5ミリ長いなど、遺伝性の突然変異によるごく小さな個体形質の変化が、従来の個体形質に比べてほんの僅かでも子孫を多く残すならば、何千年後には新しい形質が支配的になる。
これが進化論のエッセンスであり、神によるデザインなどの意図的・目的論的な契機なしに、種の形成や人間の成立を説明できるのだ。
『種の起源』は、まず品種改良という動かぬ事実をあげて、次に自然における種の変化を説く堅実な議論になっている。
第4章「自然淘汰」の冒頭を、既訳と新訳で読んでみよう。
「前章できわめて簡単に述べたにすぎないのではあるが、その生存闘争は、変異に関していかなる作用をするのであろうか。人間の手の内にあってそれほど強力であることが分った選択の原理は、自然界でも適用されるのであろうか。私は、それがきわめて有効に働きうることを、証明できると思う」(岩波文庫訳)。
「前章で手短に論じた生存闘争は、変異に対してどのように作用するのだろう。選抜の原理は人間の手で行う場合にはきわめて有効であるが、この原理は自然界にも適用可能なのだろうか。それは自然界でもきわめて効果的に働きうるというのが、私の考えである」(本訳)。