どんなことがあっても決して動じない

2024年02月07日 10時42分00秒 | その気になる言葉

▼難事や危機に直面した時こそ<ベストを尽くす>姿勢が求められている。

そこに不動心の真価が発揮されるだろう。

▼どんなことがあっても決して動じない信念がある。信条がある。目的がある。

これなくして人間としての神髄はない。

▼<動じない>とは、苦境にあって<それでも自分を信じる>という心の強さだろう。

信心は、その心を鍛え上げる確かな道である。

▼最も恐るべき敵は自身の揺れ動く心―ヘレン・ケラー

▼笑顔の人は強い。

大変な時こそ、笑顔で周囲の人を元気づけながら進むことだ。

自分で希望をつくっていけばよい。


映画 タクシードライバー

2024年02月07日 10時07分01秒 | 社会・文化・政治・経済

2月6日午後11時30分からCSテレビのザ・シネマで観た。

これで2度目である。

 若き日のロバート・デ・ニーロは26歳のタクシードライバーを演じていた。

タクシードライバー』(原題: Taxi Driver)は、1976年公開のアメリカ映画

監督はマーティン・スコセッシ

脚本はポール・シュレイダー

主演はロバート・デ・ニーロ

製作はマイケル・フィリップスジュリア・フィリップスコロムビア映画配給。

監督スコセッシ、脚本シュレイダー、主演デ・ニーロのゴールデントリオによる作品の嚆矢であり、この後、同じ組み合わせによる作品が複数制作された。

第29回カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作品。

また、1994年アメリカ議会図書館アメリカ国立フィルム登録簿に新規登録した作品の1つ。

当時、弱冠13歳だったジョディ・フォスターコールガールの役を演じたことも大いに話題となった。

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ストーリー

ニューヨークにある小さなタクシー会社に運転手志望の男性が現れた。

ベトナム戦争帰りの元海兵隊員と称するトラヴィス・ビックルロバート・デ・ニーロ)は、戦争による深刻な不眠症を患っているため定職に就くこともままならず、タクシー会社に就職。


タクシードライバー - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ・動画配信 | Filmarks映画

『タクシードライバー』Taxi Driver(1976)-Martin Scorsese|a Cinephile|映画評論サイト

社交性にやや欠け、同僚たちから守銭奴とあだ名されるトラヴィスは、余暇はポルノ映画館に通って映像を漫然と眺めたり、深い闇に包まれたマンハッタンを当てもなく運転する、という孤独の中にあった。

そして、そこで目にする麻薬と性欲に溺れる若者や盛り場の退廃ぶりに嫌悪を示していた。

ある日、トラヴィスは次期大統領候補、チャールズ・パランタイン上院議員の選挙事務所付近を通りかかる。

彼はそこで勤務するベッツィーシビル・シェパード)に魅かれ、彼女をデートに誘う。

Cybill Shepherd: Breaking the Ice – Rolling Stone

徐々に懇意になっていく2人だったが、トラヴィスは日頃の習性でベッツィーとポルノ映画館に入り、激昂させてしまう。

以来、どうなだめても応じず、思うようにことが運ばない彼はついに選挙事務所に押し掛け「殺してやる」と罵るのであった。

トラヴィスの不眠症は深刻さを増し、心は荒んでいく一方であった。

中、トラヴィスのタクシーに突如幼い少女が逃げ込んできた。

ジゴロのような男が彼女を連れ戻すが、トラヴィスは方向性を定めるにいたった。

同僚から紹介された裏のルートから4挺の拳銃を仕入れ、射撃の訓練となまった肉体の強化に励んだ。

「俺に用か? 俺に向かって話しているんだろう? どうなんだ?」トラヴィスは鏡の前で、半狂人と化した自身の鏡像を前に不敵な笑いを浮かべ、あるいは怒りに満ちた表情で瞬時に拳銃を突き出すのであった。

そんな中、トラヴィスは行き付けの食料品店で強盗事件に出くわした。

彼は咄嗟に拳銃を取り出し犯人を撃ち、店主は拳銃の所有許可を持たないトラヴィスをその場から逃がす。

刑事気取りの彼は偶然にもいつかの少女と会う。

トラヴィスは買春客を装ってアイリスと名乗る少女(ジョディ・フォスター)に近付き、翌日デートに誘うと、売春で稼ぎ学校にも行かない生活を止めるように説得した。

アイリスは、恋愛や生活援助などではなく、ヒモに騙され利用されていることに気づいていない。しまいには「あんたってsquare(くそまじめなやつ)ね」と、少女にあきれられてしまうトラヴィス。

トラヴィスは浄化作戦を実行に移す。次期大統領候補であるパランタインの集会に現れたトラヴィスの出で立ちは、モヒカンサングラス

パランタインを射殺するため近付こうとした彼は警護のシークレット・サービスに怪しまれ、何もできぬまま人混みの中を逃げ去った。

夜トラヴィスは、アイリスのヒモ、スポーツハーヴェイ・カイテル)を撃つ。続いて見張り役や用心棒、さらにアイリスの眼前で売春稼業の元締めを立て続けに射殺。自らも反撃を受けて重傷を負い、その場で自殺を図るも弾切れのため果たせず、駆け付けた警官の前で昏倒する。

マスコミは彼を一人の少女を裏社会から救った英雄として祭り上げ、アイリスの両親からも彼女はあれ以来真面目に学校に通うようになったと感謝の手紙が来た。

ある夜、タクシーを止め、路上で会社の同僚達と話していると、トラヴィスの車にベッツィーが乗り込む。だが彼女への興味も失せていた彼は、彼女を降ろしたあと、夜の街をタクシーで一人彷徨い続ける。

Cybill Shepherd

ベッツィー役の(シビル・シェパード)

 

キャスト

役名 俳優  
     
トラヴィス・ビックル英語版 ロバート・デ・ニーロ      
ベッツィー シビル・シェパード      
アイリス ジョディ・フォスター      
スポーツ ハーヴェイ・カイテル      
ウィザード ピーター・ボイル      
トム アルバート・ブルックス      
パランタイン上院議員 レナード・ハリス英語版      
ポルノ映画館の売店の女 ダイアン・アボット英語版      
イージー・アンディ(銃のセールスマン) スティーヴン・プリンス      
タクシーの客 マーティン・スコセッシ      
ドーボーイ ハリー・ノーサップ      
メリオ ヴィクター・アルゴ      
タクシー会社の受付 ジョー・スピネル      
シークレットサービス リチャード・ヒッジス      
強盗に入る黒人 ナット・グラント      
不明
その他
     

平和の種は心の内にある

2024年02月07日 09時49分13秒 | その気になる言葉

「自分の中にある平和を種を育む」ことが大切である。

紛争などの不安や恐れから逃げず、どうしたら向き合えるかをかを考えることだ。

パレスチナ人とイスラエル人も対話をすべきだ。

戦争があるから生きられないのではなく、どんな状況でも人間の内なる平和の種を育てる。

それが、平和への最初の一歩だ―ベトナムの禅僧侶・ティク・ナット・ハン師

 

ティク・ナット・ハン(ティック・ニャット・ハイン、ベトナム語Thích Nhất Hạnh / 釈一行 Thich Nhat Hanh.ogg 発音[ヘルプ/ファイル]1926年保大元年)10月11日 - 2022年1月22日)は、ベトナム出身の禅僧平和人権運動家、学者、詩人

ダライ・ラマ14世と並んで、20世紀から平和活動に従事する代表的な仏教者であり、行動する仏教または社会参画仏教(Engaged Buddhism)の命名者でもある。アメリカフランスを中心に、仏教及びマインドフルネスの普及活動を行なっている。

略歴

1926年、ベトナム中部のフエに生まれる。1942年に同地の慈孝寺(チュア・トゥーヒエウ)にて出家し禅僧となる。

1950年に禅の道場を創設。ベトナムで初めて、の授業に外国語や西洋の科学哲学の学習を導入する

ベトナム戦争中は、僧院の中で修行を続けるべきか、あるいは僧院を出て爆撃に苦しむ人のために行動すべきか考えた末、戦禍をくぐりながらその両方を行うことを決意し、いわゆる「行動する仏教」の指導者として、被災者や難民の救済を行う。

1964年以降、病院や社会福祉青年学校、万行大学(ヴァンハイン仏教大学)、接現同修(ティエップヒエン教団)などを設立し孤児たちの社会的支援や、死体の回収などを行なった。

1966年に渡米してベトナム戦争終結の和平提案を行う

や著作を通してアメリカ社会にを根付かせるのに貢献した。その思想は、キング牧師に深い影響を与えた

キング牧師の推薦により、1967年度のノーベル平和賞の候補となる。1973年のパリ平和会議ではベトナム仏教徒主席代表を務めた。この後、ベトナム政府から帰国を拒否される


過去の「貧乏人の子たくさん」の時代

2024年02月07日 09時26分19秒 | 沼田利根の言いたい放題

日本でも、過去に<貧乏人の子たくさ>の時代があった。

日本人が変容したのだ、と思われる。

結婚も含め、子育てなど、<苦労はなるべく避ける>傾向は強まっている。

つまり、高度経済成長時代が背景にあったと思われるのだ。

高度経済成長期、人々は物質主義、金銭優先主義に走ってゆく。

当然、人間主義とは、かけ離れていく状況に陥っていった。

多くの家庭人は子どもを多く生むことより、少子化を希求していったのである。

生活の豊かさのなかで、生活を楽しむ方向へ向かっいった。

子だくさんでは、生活をエンジョイ(享楽する)できないのだ。

必然的に日本は少子化へ変貌していった。

高度経済成長または、高度成長、高成長とは、飛躍的に経済規模が継続して拡大することである。

日本においては、実質経済成長率が年平均で10%前後を記録した1955年頃から1973年頃までを高度経済成長期と呼ぶ