みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

自分の生活が作曲家アイヴスの生活に

2014-11-18 20:43:50 | Weblog
だんだん似てくるような不思議な気がしている。
今の私は伊豆の山の上に暮らし東京に仕事のたびに出かける生活だが,アイヴスという作曲家もボストン郊外のコンコードという,ちょうど日本の軽井沢に近い雰囲気の田舎町に暮らしていた。
とはいっても,「アイヴス,それ誰?」と思う人がほとんどだろう。

アイヴスというのはアメリカの作曲家で,十九世紀後半から二十世紀半ばまで活躍した人。
彼の生涯年は1874~1954。
なぜこの人の生活と自分の現在の生活の類似性に思いを馳せたかといえば,私はアメリカ留学中にこの作曲家の存在を知り,以来ずっと彼の作品や生涯を研究してきた,いわば自称「アイヴス研究家」だからだ。
この作曲家は日本ではほとんど知られていない。
一般の人はおろか,音楽を生業にするプロの音楽家でさえアイヴスのことを知る人は稀だ。
ほぼフランスのサティと同時代を生きた作曲家だが,サティが一般の人たちにも良く知られた存在になったのに比べアイヴスは…という感じなのだが,それにはそれなりの理由がある。
まず,彼のような作曲家は古今東西どこを見回してもきっと存在しないのではというぐらいその生き方と存在がユニークなのだ(まあ,サティだってけっこうユニークな人ではあったが)。
アイヴスはエール大学で音楽を学んだにもかかわらず音楽を生業にはしなかった(「え?エール大学に音楽学部なんてあったの?」と思う人もたくさんいるかもしれないが)。
つまり,彼は音楽は専門的に勉強したもののプロ音楽家としての道を選択せずに卒業後保険会社のサラリーマンになり,作曲は週末だけ自宅で行っていたウィークエンド音楽家だったのだ。
日本にも大手銀行に勤めていたサラリーマン作曲家がいるが,その人とは生き方も音楽の種類もまるで違っている。
アイヴスの存在が世の中に知られるようになったのは,彼が定年退職して自費出版した楽譜『114の歌曲集』や『ピアノソナタ<コンコード>』を関係者に配ったところから。
アメリカには,画家のグランマモーゼ(おばさん)のように晩年になっていきなり世の中の注目を集める人がたまにいる(グランマモーゼが有名になったのは70歳を過ぎてからだ)。
もちろんアイヴスは定年になるまでに,出版した作品以外にも交響曲を幾つか書いたり室内楽を書いたりしてしっかりと「音楽活動」は行っていた。
ただ,それを定年まで世の中に出さなかっただけの話だ。
この自費出版だって,「自分の作品を世の中に出す」という意味で出版したとは到底思えない。
その証拠に,彼の作品が注目されボストン交響楽団などが定期演奏会で取り上げるようになってもアイヴスは,自作が演奏される会場に一度も足を運ぼうとはしなかったのだ。
それだけ聞くと何か「偏屈で変わり者の作曲家」といった姿を想像するだろうが,彼の素顔はそんな皮相的なものではない。
彼の住居は,ボストン郊外のニューイングランド地方のコンコードという田舎町。
大都市ボストンまでは1時間程度で行ける距離だが風光明媚な山の中の避暑地で,この土地には「超越主義」作家と言われる米文学の作家,ソロー(『森の生活』),ホーソン(『緋文字』)などが住んでいたことでも知られている。
この場所にアイヴスが住んでいたことが彼の人生にも音楽にも深く関わっている。

このアイヴスという人物を調べていくと,音楽家以外の顔がたくさんあることに気づく。
「平和主義者アイヴス」。
彼は,国際連盟ができる前に<people’s world nation>)という論文を発表し,国連と同じような組織を作る必要性を説いていた。
「超越主義文学者アイヴス」。
彼が最初に書いたピアノソナタ<コンコード>の楽譜には『essay’s before a sonateソナタのためのエッセー』という,ホーソンやエマーソン顔負けの超越主義思想論文がついていて,この文章は今でもアメリカの文学部の教材で使われているほど評価が高い。
「スポーツ評論家アイヴス」。
彼は,野球とフットボールの評論家としてボストンの新聞にもたびたび記事を掲載していたほどのスポーツ通。
「実業家アイヴス」。
彼は三十代で自ら保険会社を起業して生涯この会社で定年まで働いたが,彼のモットーは「ビジネスは,お金を儲けるためにあるのではなく人々の暮らしを守るためにある」ということ。
彼の「理想主義」は,自分の信じる「平和主義」をビジネスの世界にも持ち込んだ点にある。
「マネーゲーム」ではない「全人類の幸福を追求するためのビジネス」が「保険」であるという結論を導きだした彼は,「経済」ということばの元になった思想<経世済民>を生涯貫き通した人だった。
そんないろいろな顔を持つ彼は,ボストン郊外の田舎で文字通り「エコロジカル」で「ろはす」な生き方を実践していた人。

そんな(珍しい)音楽家の作品にアメリカ留学時代に興味を持った私は,日本に帰国するとなんとかこの作曲家の作品を演奏したいと一緒に企画に乗ってくれる人を探した。
その結果(当然のことなのだが)三宅榛名さんという作曲家/ピアニストの本に行き当たった。
『アイヴスを聞いてごらんよ』という三宅さんが書いた本のタイトルに引かれた私は無謀にも彼女にコンタクトを取り一緒にコンサートを開こうと持ちかけた。
ちょうどその頃知り合ったジャズ評論家の人たちとわいわいがやがやと話していくうちにサックスの坂田明さんとかドラムの森山威男さんとかも仲間に入り新宿のピットインという老舗のジャズライブハウスで何度か「アイブスライブ」を行うようになった。
意外なことに,アイヴスの音楽は,クラシックファンよりもジャズファンを引きつけたようだった。
というのも,彼の音楽は,サティの音楽と違い,けっして聞きやすくはないからだ。
どちらかというと「難解」。
演奏するにしても鑑賞するにしてもどちらも「難しい」(だから,きっとフリージャズの人たちの興味を引いたのかもしれない)。
最初のピアノソナタ『コンコード』は,書かれてから4つの全楽章が完全な形で初演されるまでに数十年の月日を費やしたぐらい難解でかつ技術的ハードルの高い作品だ(最後の四楽章の終わりの数十小節だけフルートのオブリガートの登場する変わったピアノソナタで,私もこの曲の演奏に「参加」したことがある)。
彼の音楽は,アメリカではわりと知られている。
彼の「第三交響曲」は,日本でも有名なピューリッツァ賞を獲得しているし(ピューリッツァ賞に音楽部門があることは日本ではまったく知られていないが),レナード・バーンスタインはアイヴスの作品の一つ『Unanswered question』というタイトルの音楽番組をTV番組として作っているほどだ。

アイヴスという作曲家の(人とは違う)特殊性を並べあげればキリがない。
彼は,田舎に住みラジオも新聞も一切持たない人だったし(テレビを持たない私とこの部分は若干似ているかナ),徹底した平和主義者だった彼は,ヒトラーが出てきた時こう叫んだそうだ。
「なぜ,誰も,この男に何もしようとしないんだ!」。

おそらく,現代音楽というジャンルは,このアイヴスという作曲家がいなかったら存在しなかったのではと思うぐらい,彼が最初に創造したものは多い。
ジョン・ケージやシェーンベルクが登場するはるか前に,アイヴスは現代音楽の実験をほとんどやりきっている。
12音音階,ブロックフォーム,トーンクラスター(山下洋輔さんはピアノの上で肘をついて音の固まりを演奏したが,アイヴスは,同じことをピアノの鍵盤の上に三十センチほどの木を置くことで実践した),ポリリズムやポリトーナリティは朝飯前だったし,とっておきの作品は二台のピアノがそれぞれ四分音ずつ調律をずらして演奏する曲だ。
つまり,四分音ずれたピアノが同時になるのだ(きちんと作曲された形で)。
私が最初にこの曲を聞いた時の衝撃(というか,聞いているとお尻の辺りが何かモゾモゾとするような居心地の悪さ)は今でも忘れられない(最近は,この四分音のズレの感覚に身体が慣れてしまったせいか,同じような居心地の悪さは,残念ながらなくなってしまったけれど)。

こんな素晴らしい人物の存在が日本で知られていないのはあまりにも寂しいので,来年からまたこの人の作品を演奏する機会を作っていこうと思っている。
といっても以前と同様私一人だけでは難しいので,あるピアニストに誘いをかけている。
今のところ(私の誘いに)乗ってくれている(ようだ)。
問題は,「いつ,どこで」やるかだ。

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