みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

男性療法士と女性療法士の違いを

2011-11-20 23:14:28 | Weblog
いつも観察しているが、その違いはけっこうはっきりしている。
女性の療法士の動作は遠慮がない(情け容赦ないという言い方もできるが)。
別にこれを「荒っぽい」とか「乱暴」とかいうことばで括るつもりはないけれど、恵子も男性の療法士さんの方が「全然やさしい」と言う。
私もそう思う。
男性のタッチはとても繊細だ。
通常のマッサージでも男性のマッサージの方が柔らかく繊細なことが多い。
より力のある男性は自分の力をコントロールしていかないと相手を傷つけたり痛めてしまう可能性があることを知っているからだろう。
それに対してもともと力の弱い分女性は思い切り自分の力を出し切ろうとする。
だから遠慮がないのかもしれない。
つまり「力の余裕」がないということの裏返しとも考えられる。
さらにもう一つの違いは、男性の方が新しいワザや新しい動きにすぐチャレンジしようとするのに対して女性はなかなか新しいことに踏み込もうとしない。
臆病なのか、あるいは慎重なのかは見方によって変わるだろうが、どんどん先に行こうとするのはいつも男性の方だ(という風に私には見えるが私もそれほど数多くの療法士を知っているわけではないのであくまでも私の印象だ)。

ただ、先日の病院で行われたカンフェランスにもどうして療法士さんが参加していなかったのかが不思議でならない。
参加していたのは医師と看護士だけ(前回はソーシャルワーカーさんも同席していたが)。
療法士さんの意見は多分医師が代弁しているということなのだろうが、私は代弁ではなく彼ら彼女らの意見を直接聞きたいと思う。
それは許されないことなのか病院のルールなのかわからないが、おそらく現状ではどの病院でも療法士の地位は医師や看護士よりもきっと下にあるのではないのかと思う。
こうしたヒエラルキーはきっと病院によっても経営形態によってもかなり違いはあるのだろうが、一般的にリハビリという分野そのものが新しい分野なのだから、それを担う療法士という存在もまだまだ「新参者」あるいは「医療のみそっかす」程度ぐらいにしか受け取られていないのではないだろうか。
ここまで言うと言い過ぎなのかもしれないが、私がなぜこう思うかと言えば、それはやはり彼ら彼女らの若さとこの資格を取得するまでの年数の少なさがあるのではないかと思っている。
かなりの年数と知識、そして技術を習得しなければ得ることのできない医師という資格と専門学校出身でも資格が取得できる療法士との格差に医師という立場の人たちが無関心なはずはない。
医師としての自分たちの「権威」はどうしても守りたいはずだ。
だからカンフェランスにも療法士さんたちは呼ばれないのか?
でも、インフォームドコンセントの実践の場(カンフェランス)でありながら一番の当事者である療法士さんが一人もいない会議はどう考えてもオカシイ。
今日病院で恵子と同室の患者(80歳の方)さんが「同じ病院に知り合いがいるはずなんですけどその人に会いに行きたいので病室教えてくれませんか?」という依頼を看護士の人にしていたのがたまたま聞こえてきた。
しかし、その望みは「それは個人情報なので教えたり伝えたりできません」という看護士のことばで簡単に断たれてしまった。
聞いていて「え?」という感じだったが、天下の悪法である「個人情報保護法」なるものは既にここまで人々の心を蝕んでいたのかと思う。
この法律の無意味さはいずれ歴史が検証してくれるはずだが、それと同じぐらい無意味なことばが「インフォームドコンセント」だ。
情報を開示してそれを伝え納得同意してもらうというような意味だが、「カンフェランス」がまさしくこの「インフォームドコンセント」そのものだ(その証拠にカンフェランスの後、私は必ず「聞きました」という項目にサインをさせられる)。
すなわちこのインフォームドコンセントというのは「私たちはちゃんと情報を伝えてますよ。ウソなんか言ってませんよ」という免罪符を病院側が得るためのもので、それ以上でもそれ以下でもない。
現在の病院に転院する数日前に、前の病院で私と恵子は急に担当医師(の一番上司の医師)に呼ばれ、パソコンの画面でCTの画像やらMRの画像などをたくさん見せられ「こうなってます、ああなってます」という説明攻撃を受けたが、結局大事だったのは「とりあえず説明しましたよ」という既成事実だけ。
別に、私も恵子も発症から一ヶ月以上もたって今更そんなこと説明を受けても仕方がないこと。
説明の間中私と恵子は二人で「早く説明終わらないかナ」と目配せをするが担当の医師の説明は嬉々としてなかなか終わらない(彼は説明をとても楽しんでいるように見えた)。
挙げ句の果てに「この病気で百パーセント回復するのは難しいですが気長にリハビリをすれば少しは良い方向に向かうでしょう」と締めくくったのだ。
相手が先生でなければ殴り掛かってやりたいと思ったが、まあ医者というのはこんな人種なんだろうと思い二人で礼を言って先生の部屋を後にした(なんでこんなヤツに礼を言わなければならないのだ)。
私たちが本当に礼を言わなければならない相手は、その病院まで恵子を必死に運んでくれた救急車の救命士の人たちだし(何件かの病院で受け入れを拒否されている)、すぐさま緊急の措置をしてくれた看護士さんや救急外来のお医者さんたちだし、懸命にリハビリをしてくれた療法士さんたちだ。
毎日この医師を含め彼の部下のインターンやら若い医師たち次々にベッドに寝ている恵子のもとにやってきては繰り返し同じくだらない質問をしていた。
「足動かしてみてくれますか?」(動かないって知っているだろうが)。
「手はどこまで上がりますか?」(上がらないことを確認しに来ただけか?)。
で、最後には「何かお困りのことがあればいつでも言ってください」だ。
困ったことはみんな看護士さんに頼みます。先生に頼むことなんか何もありませんとよっぽど言ってやりたかったが…、まあ、あまり医者とは喧嘩をしない方がいいだろうと思い懸命にこらえた。
「赤ひげ先生」は世の中にそんなにゴロゴロ転がっていないことだけは確かだし、お医者さんという存在自体がおそらくそういう存在なのだろうと思う。
だからこそ、療法士という存在がもっと社会的地位も高まって、その発言力も増していって欲しいと心から思う。
彼ら彼女らの仕事はとても大事だし、社会は確実に彼ら彼女らを必要としているのだから。

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