みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

もうすぐフルムス定期コンサート

2010-11-04 16:47:33 | Weblog
なんてことを書くつもりはあまりなくて(毎日にようにこのことばかりが頭の中を占めているので)、最近チラチラ感じることをちょっと書いてみる。

それは、コミュニーケーションのこと。
というか、人間というのは、ホントは毎日こればかりで生きているはずなのだが、これを一番おろそかにしている気もしないでもない。
まあ、そんなに人様を批判できるようなエラい人間ではないのだけれども、手紙から電話、パソコン、ネット、そして携帯、などという風に日常的な人と人とのコミュニケーションツールが変わっていく中でやはり基本的に、人間は何をコミュニケーション手段に使おうがその本性というものは根本的に変わらないのだろうナと思う。

何が言いたいか?
要は、人は根本的に明るい人は明るいし、暗い人は暗い、という当たり前の部分から抜け出ることはないのだな、ということ。

これでもまだちっとも具体的じゃない。

もっと直接的に言うと、メールのやり取りのこと。
メールを出す。つまり、こちらからの情報を発信する(何かを伝えたいし、言いたいことがあるからメールするわけだ)。
これは誰でもやる。
でも、それに応える人と応えない人がいる。
これが問題だ。

情報の発信は誰でもやる(ツイッターなんかこれの典型だと思う。皆さん情報を発信しっぱなし)。
でも、それに応えることの方がコミュニケーションとしては数倍大事なことなのに、それを一生懸命やる人が少ない(ツイッターのフォローというのもこの「応え」になってはいない。ほとんど一方的なフォローであまり人の言うことを聞いていない)。
要するに、この「人の話を聞かない」というのがコミュニケーション上は一番の問題なのだ。
ナゼって、コミュニケーションというのは、人の話を「聞く」ところから始まるのだから。

ツイッター上では数分おきに「どこにいる」だの「何をしている」だのの情報を発信するクセに、こちらからのメールには数日たってもまったく応えない人がいる(ハハハ)。
まあ、そういう人なんだろうと思ってこちらも諦めるが、この諦めるということは、この人とはもう交流しない、コミュニケートしないという結論を自分が出したことになる。
ご本人は、いろいろ情報を「発信している」から十分人と世の中とコミュニケートした気になっているのだろうか?
げんに、こうやって今書いている私自身も、この文章を書いたことによって「情報を発信した」とか「何かを伝えた」という錯覚を起こすかもしれない。
それは多分本当じゃない。
これは、十分気をつけなければならないことだと思っている。
こうやって(ブログとかに)何かを書くことによって、誰かが読んで、その人と「コミュニケートした」気になっている人がいたとしたらそれは大いなる錯覚だろうと私は思う。

コミュニケーションの基本はまず相手を聞くこと。
ここから始まる。
でも、これも現代社会ではけっこう危険なものを孕んでいるのかも?と思う。
だって、無数にあふれる情報を読んだり見たりして、「聞いている」気になる人も逆にいるかもしれないからだ。

まあ、要は、音楽が生でしか本当の感動を味わえないのと同じように、人と人とのコミュニケーションもじかに触れ合える状況で「聞いて、伝えて」という行為を繰り返すしかないのかナ?と思う。

だから、私はあまりこういうブログにモノを書きたくなくなるのかナ?

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
私も (井上京子)
2010-11-18 01:03:01
直に触れる感じるのって大事だと思えます。
交信ツールが沢山出来てきた今だからこそ一層。

ブログ時折読んでいるので
書きたくならないで下さいね~~♪
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まっ (Osamuxxxx)
2010-12-11 07:12:15
ミュージシャンは基本コミュニケーション嫌いですから(失笑)
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