これほど似ているとは思いもしなかった。
というか、楽器を習得することとリハビリというのは「まったく同じ」だと言っても過言ではないと思う。
リハビリでおそらく一番誤解されやすい部分は、「失われた能力をもう一度復活させること」と理解されやすいところだと思う。
今回妻の恵子が脳卒中に倒れ、リハビリ生活を余儀なくされたことによって私自身もこの一ヶ月以上毎日リハビリの現場を観察させていただいたりいろいろな関係者や病気の体験者の方々から話を聞き、この「リハビリと楽器を習うことが一緒」というコンセプトはとっても大事なポイントだということに気がつくことができた。
リハビリは「復活」ではなく「新しい技術の習得」と理解しないとおそらく失敗する。
これは体験者の方から最初に言われたことでもあった。
「一度切れた神経はもう二度と繋がらない。もう一度1から神経をつなぎ直す作業がリハビリです」。
一度失った身体の能力を復活させようとするとどうしても無理なリハビリをしてしまいがちになる。
例えば、右手が動かない。だから動かそうとする。それ自体はすごく自然なことだし誰しもそうしようとするだろうと思う。
しかし、ここで気をつけなければならないことは「無理にやらないこと」だ。
今までできたことが「なぜできないんだ」とイライラし右手を無理に動かそうとするとその「無理な動き」を身体が結果として覚えこんでしまうのだ。
楽器の習得でも同じことがよく起きる。
ある特定のフレーズに来ると間違える。だからそこを繰り返し繰り返し練習してできるようにする。これもごく自然な行為だが、ここで無理に弾こうとすると「同じ間違いを何度も繰り返してしまう」ことになる。
身体が間違いを覚えてしまっているからだ。
本当は正しい指の動きを覚えなければならないのに、身体が「間違った指の動き」をひたすら覚えこんでしまう(こうなると練習自体が弊害になってくる)。
リハビリにも同じ落とし穴がある。
無理に右手を動かそうとする。
すると、その「無理な動き」を身体が覚えてしまって、はたで見ているといかにも「病気上がりの人のギコチない動き」になってしまってけっして「健常者の動き」にはならない。
リハビリは最終的には「正しい動きを習得する」ことにあるのに、いかにも「変な動き」を覚えてしまうことが往々にしてあるのだ。
では、どうすれば良いのか?
これも楽器の習得の場合とまったく同じ。
正しい動きや正しい音楽の流れをイメージすればいいのだ。
その正しいイメージを指が覚えこめば結果として「正しい演奏」ができるようになる(原理的には)。
何度も何度も練習して「間違い」を覚えるような愚を絶対に犯してはならない。
リハビリの場合にも、健常者のスムースで自然な身体の動きをイメージしてそれを真似る。
この方法がリハビリには最も効果的だ。
恵子にもいつも注意している。
「無理に右手や右足を動かしちゃダメだよ。正しく動かしなさい。どんな時もキレイな動きをイメージすること。」
まったく神経の通っていなかった右手は少し動かせるようになった今でも、注意しないと手の指が丸まってきてしまう(指の筋肉というのは縮むことの方が簡単で伸ばす動きは案外難しい)。
その丸まった指を「手のモデルさんのようにきれいに指を伸ばしてください」と注意する。
演奏でもイメージするもののレベルが高ければ高いほどその人の上達は早い。
楽器の先生は初心者ほど最高レベルの人を用意しなければならない。
リハビリでも同じことだろうと思う。
イメージする動きのレベルが低くては奇麗な動きを作りようがない。
リハビリが身体の動きである以上、それは必ず「音楽と同じ地平にある」。
そう確信している。
恵子のリハビリ専門病院への転院は明後日だ、
というか、楽器を習得することとリハビリというのは「まったく同じ」だと言っても過言ではないと思う。
リハビリでおそらく一番誤解されやすい部分は、「失われた能力をもう一度復活させること」と理解されやすいところだと思う。
今回妻の恵子が脳卒中に倒れ、リハビリ生活を余儀なくされたことによって私自身もこの一ヶ月以上毎日リハビリの現場を観察させていただいたりいろいろな関係者や病気の体験者の方々から話を聞き、この「リハビリと楽器を習うことが一緒」というコンセプトはとっても大事なポイントだということに気がつくことができた。
リハビリは「復活」ではなく「新しい技術の習得」と理解しないとおそらく失敗する。
これは体験者の方から最初に言われたことでもあった。
「一度切れた神経はもう二度と繋がらない。もう一度1から神経をつなぎ直す作業がリハビリです」。
一度失った身体の能力を復活させようとするとどうしても無理なリハビリをしてしまいがちになる。
例えば、右手が動かない。だから動かそうとする。それ自体はすごく自然なことだし誰しもそうしようとするだろうと思う。
しかし、ここで気をつけなければならないことは「無理にやらないこと」だ。
今までできたことが「なぜできないんだ」とイライラし右手を無理に動かそうとするとその「無理な動き」を身体が結果として覚えこんでしまうのだ。
楽器の習得でも同じことがよく起きる。
ある特定のフレーズに来ると間違える。だからそこを繰り返し繰り返し練習してできるようにする。これもごく自然な行為だが、ここで無理に弾こうとすると「同じ間違いを何度も繰り返してしまう」ことになる。
身体が間違いを覚えてしまっているからだ。
本当は正しい指の動きを覚えなければならないのに、身体が「間違った指の動き」をひたすら覚えこんでしまう(こうなると練習自体が弊害になってくる)。
リハビリにも同じ落とし穴がある。
無理に右手を動かそうとする。
すると、その「無理な動き」を身体が覚えてしまって、はたで見ているといかにも「病気上がりの人のギコチない動き」になってしまってけっして「健常者の動き」にはならない。
リハビリは最終的には「正しい動きを習得する」ことにあるのに、いかにも「変な動き」を覚えてしまうことが往々にしてあるのだ。
では、どうすれば良いのか?
これも楽器の習得の場合とまったく同じ。
正しい動きや正しい音楽の流れをイメージすればいいのだ。
その正しいイメージを指が覚えこめば結果として「正しい演奏」ができるようになる(原理的には)。
何度も何度も練習して「間違い」を覚えるような愚を絶対に犯してはならない。
リハビリの場合にも、健常者のスムースで自然な身体の動きをイメージしてそれを真似る。
この方法がリハビリには最も効果的だ。
恵子にもいつも注意している。
「無理に右手や右足を動かしちゃダメだよ。正しく動かしなさい。どんな時もキレイな動きをイメージすること。」
まったく神経の通っていなかった右手は少し動かせるようになった今でも、注意しないと手の指が丸まってきてしまう(指の筋肉というのは縮むことの方が簡単で伸ばす動きは案外難しい)。
その丸まった指を「手のモデルさんのようにきれいに指を伸ばしてください」と注意する。
演奏でもイメージするもののレベルが高ければ高いほどその人の上達は早い。
楽器の先生は初心者ほど最高レベルの人を用意しなければならない。
リハビリでも同じことだろうと思う。
イメージする動きのレベルが低くては奇麗な動きを作りようがない。
リハビリが身体の動きである以上、それは必ず「音楽と同じ地平にある」。
そう確信している。
恵子のリハビリ専門病院への転院は明後日だ、
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