忘れてしまっているぐらい長い間ほったらかしてにしていた日記だ。
前回書いたのが半年も前の話しだ。放っておくというよりも完全に存在を無視していたといった方がいいかもしれない。
別に書くことがなかったわけでもないし、書こうと思えばほんのちょっとした時間ぐらい作れないわけでもなかった。ただ、意図的に日記を書くことを避けていたという方があたっているだろう。
でもそれはナゼ?とかいうことの説明はあまりしない方が懸命かもしれない。
かといって、ナゼ今頃急に書き出したのかと言われてもさしたる理由も見当たらない。
半年ぶりに使っていなかった部屋を「こわいもの見たさ」に開けてみたというような感じだろうか?
ひょっとしてネズミでも住みついているかもしれないとおそるおそる部屋を開けても結局何にも発見できなかったのだが、私のまわりの環境はこの半年で大分変わった。
去る人、来る人、いろいろだが、私のまわりに人がいつもごったがえしている状況だけは変わらない。それは、十代の時も二十代の時も、五十代になった今でもまったく変わらない。
自分にしかできない仕事を常にやってきたつもりで生きてきたし、それはこれからもまったく変わらないだろうと思う。
自分の生き方がブレたことは一度もない(と思っている)。
自分の美学、哲学もブレたつもりはない。
音楽の仕事をプロとして長い間やってきたけれども、一度も事務所に属したことはないし、勤めた経験も一度もない。常にフリーでやってこれたのはある意味奇蹟的なことだと思うし、人からもそう言われる。
つい先日、ある新聞社から電話がかかってきて「大阪センチュリー交響楽団に対する補助金カットについてどう思うか?」とコメントを求められた。そのコメントは4/30の記事に載ったけれども、大意としては「音楽家だからといって、オーケストラだからといって、人のお金に頼って自立できないのは<甘え>なのでは?」というような意味あいのことを言った。記事中の私のコメントはきちんとその通りにまとめられていて「さすが新聞記者の方はまとめ方がうまい」と感心したけれども、問題はそんなことではなくって、私が本当に言いたかったのは基本的にどの社会でも「甘える」人が多すぎるということ。
人間は持ちつ持たれつなのだけれども「オンブにダッコ」は良くない。そういう体質や考え方が官僚の天下りを生むのだし、人は基本的にみんな自立していなければ絶対にいい仕事なんかできっこない。そういう意味では、件のオーケストラだけでなくすべてのオーケストラが自分たちを自立させてくれるファンを作る努力をどれだけしてきたのかナ?と思わずにはいられない。
たかが4億円ぐらいオーケストラにあげてもいいじゃないという人もいるけれども、その4億円がオーケストラの自立を阻んでいるとすれば、それはまさしくこれまでの日本の農業が助成金づけでまったく自給できなくなり日本の食料そのものが末期的な危機状態に陥っている構図とまったく同じになってしまう。
要するに、今こそ日本の音楽界(オーケストラもアーティストもバンドもすべて含んだ音楽産業の総体)は本当の意味での自立の道を真剣に探すべき時なのだと私は思っている。そうでなければ、今に音楽のプロなんて一人もいなくなってしまうかもしれない(ipodで音楽を聞く人たちの何人が本気で音楽にお金を払おうとしているだろうか?)。音楽はタダだという意識を若い人たちに一体誰が植え付けてきたのか?その責任を自覚して未来にどうやって音楽文化を残していくのかの設計図を作らずに音楽の未来を語る資格なんて誰にもないと私は思っている。
きっと誰かが助けてくれるだろう。
そんな甘い考えを持った音楽家があまりにも多すぎる。
新しい大阪の知事の補助金カット発言はそんな私たち日本の甘い考えに警鐘を鳴らしていると受け取ればいいだけの話し。それ以上でもそれ以下でもない。
前回書いたのが半年も前の話しだ。放っておくというよりも完全に存在を無視していたといった方がいいかもしれない。
別に書くことがなかったわけでもないし、書こうと思えばほんのちょっとした時間ぐらい作れないわけでもなかった。ただ、意図的に日記を書くことを避けていたという方があたっているだろう。
でもそれはナゼ?とかいうことの説明はあまりしない方が懸命かもしれない。
かといって、ナゼ今頃急に書き出したのかと言われてもさしたる理由も見当たらない。
半年ぶりに使っていなかった部屋を「こわいもの見たさ」に開けてみたというような感じだろうか?
ひょっとしてネズミでも住みついているかもしれないとおそるおそる部屋を開けても結局何にも発見できなかったのだが、私のまわりの環境はこの半年で大分変わった。
去る人、来る人、いろいろだが、私のまわりに人がいつもごったがえしている状況だけは変わらない。それは、十代の時も二十代の時も、五十代になった今でもまったく変わらない。
自分にしかできない仕事を常にやってきたつもりで生きてきたし、それはこれからもまったく変わらないだろうと思う。
自分の生き方がブレたことは一度もない(と思っている)。
自分の美学、哲学もブレたつもりはない。
音楽の仕事をプロとして長い間やってきたけれども、一度も事務所に属したことはないし、勤めた経験も一度もない。常にフリーでやってこれたのはある意味奇蹟的なことだと思うし、人からもそう言われる。
つい先日、ある新聞社から電話がかかってきて「大阪センチュリー交響楽団に対する補助金カットについてどう思うか?」とコメントを求められた。そのコメントは4/30の記事に載ったけれども、大意としては「音楽家だからといって、オーケストラだからといって、人のお金に頼って自立できないのは<甘え>なのでは?」というような意味あいのことを言った。記事中の私のコメントはきちんとその通りにまとめられていて「さすが新聞記者の方はまとめ方がうまい」と感心したけれども、問題はそんなことではなくって、私が本当に言いたかったのは基本的にどの社会でも「甘える」人が多すぎるということ。
人間は持ちつ持たれつなのだけれども「オンブにダッコ」は良くない。そういう体質や考え方が官僚の天下りを生むのだし、人は基本的にみんな自立していなければ絶対にいい仕事なんかできっこない。そういう意味では、件のオーケストラだけでなくすべてのオーケストラが自分たちを自立させてくれるファンを作る努力をどれだけしてきたのかナ?と思わずにはいられない。
たかが4億円ぐらいオーケストラにあげてもいいじゃないという人もいるけれども、その4億円がオーケストラの自立を阻んでいるとすれば、それはまさしくこれまでの日本の農業が助成金づけでまったく自給できなくなり日本の食料そのものが末期的な危機状態に陥っている構図とまったく同じになってしまう。
要するに、今こそ日本の音楽界(オーケストラもアーティストもバンドもすべて含んだ音楽産業の総体)は本当の意味での自立の道を真剣に探すべき時なのだと私は思っている。そうでなければ、今に音楽のプロなんて一人もいなくなってしまうかもしれない(ipodで音楽を聞く人たちの何人が本気で音楽にお金を払おうとしているだろうか?)。音楽はタダだという意識を若い人たちに一体誰が植え付けてきたのか?その責任を自覚して未来にどうやって音楽文化を残していくのかの設計図を作らずに音楽の未来を語る資格なんて誰にもないと私は思っている。
きっと誰かが助けてくれるだろう。
そんな甘い考えを持った音楽家があまりにも多すぎる。
新しい大阪の知事の補助金カット発言はそんな私たち日本の甘い考えに警鐘を鳴らしていると受け取ればいいだけの話し。それ以上でもそれ以下でもない。
要するに、哲学をもってハラをくくった(つまり、命がけということ)プロの政治家がいないことが最大の原因なのでしょうネ。
哲学を持つことと命がけでやるということは、政治だろうが音楽だろうが、プロなら当たり前のことなんですがネ(と私は本気で思いますヨ)。
そんな時いつも思うのが、日本は本当に「開国」すべきだったのかナ?なんていうこと(今さら何言ってんだよと思うでしょうが、時々本気でそう思います)。
何か日本の現在起こっているすべての間違いはあそこから出発しているような気がしてならないのです、私には(ハハハハ)。
老人とか芸術なんて「あってもなくてもいい」と思ってるのか、この国は...と思いますが、確かにクラシックも、もっと自己アピールするべきだと思います。わかるヒトにだけわかればいい、というような態度や、素人をバカにしたような小手先の企画じゃなく、本物をきかせてほしいです。