みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

看護士さんたちに評判だよ

2014-04-17 19:05:11 | Weblog
恵子からそう言われた。
「毎日病院に来る家族なんてそう滅多にいるもんじゃないから、看護士さんたちが噂をしているんだって」。
そう言えば、看護士さんが熱や血圧などを計りに来るたびに「仲いいですね」とからかわれる。
どう答えて良いのだろうか…。
戸惑う。
私は、彼女が最初に脳卒中で倒れた3年前の9月から入院中の病院にはほぼ毎日のように通ってきた。
今回の入院でも例外ではない。
毎日病院に通うのには私なりの理由があるからだ。
もちろん、彼女の様子を確かめたい、世話をしたい、できるだけ一緒にいて気持ちを気遣いたいということもそうなのだが、それ以上に毎日のリハビリの様子を全て見ておきたいのだ。
麻痺した身体の機能を回復させる手伝いをするには「プロの作業療法士や理学療法士がやっているリハビリをつぶさに見ておかないといけない」と私は彼女の最初に入院時に心に決めた。
なぜなら、実際にほとんどの時間を一緒に過ごすのは私だし、私が家で適切な指導ができないことには彼女の回復の手助けはできないと思ったからだ(彼女は、病院にいる時間より自宅にいる時間の方が確実に長いのだから)。
最初の病院では、まったく「モノ」になっていた彼女の身体が少しずつ動き出す様子もつぶさに観察できたし、身体の機能を回復させるということは、すなわち脳の指令をいかに円滑に身体の隅々まで伝えることであるかという人間の脳の指令と運動のメカニズムも十分に理解することができた。
ある意味、これまで関わった多くの療法士さんたちの技術レベルや人間性など、治療に「何がどう必要か」ということも理解できるようになった。
もちろん、多くの家族が私のように毎日患者に付き添っていることなどできないかもしれないが、病院という場所や医師、看護士、療法士といった治療のプロだけに任せっきりにするよりも、たとえ素人であっても患者の一番身近な人間が技術的にも精神的にも「最も頼りになる人間」になっている方が患者には心強いのではないかと思っている。
しかも、今回の予期せぬ入院は、ある意味、私たちにとって「良かった」ことだったのかもしれないとも思い始めている。
というのも、これまでの二年半で彼女は彼女なりに回復の方法も日常生活の諸仕方も身につけてきたのだが、ほとんど一緒にいる私から見て「もうちょっとこうすればもっと良くなるのに」とか「え、そんなやり方しちゃうの?」というようなこともけっこうあったからだ。
ベッドからの起き上がり方にしてももうちょっと力を抜いたやり方はあるはずと私なりにアドバイスをするが、本当に聞いてくれているのか流されてしまっているのか、いつまでたってもやり方が改まらなかったりしていた。
そして起きてしまった今回の「転倒」「手術」「入院」「リハビリ」だ。
今回の入院での最大の「収穫」は、理学療法士の若い彼がとても優秀だったことに尽きる(恵子との相性も良いようだ)。
彼のアドバイスはシンプルでとても適確だ。
まさに「私が言おうと思っていたこと」を私の代わりにズバっと言ってくれている(しかも、私が言うよりもちゃんと聞くし…)。
歩き方の基本も直してくれている。
そして、何よりも大事な「歩くスピード」をつけるための方法(これも私が日頃彼女に言っていたことなのだが)をもう一度基礎から叩きこんでくれているので私は本当に良かったと思っている。
楽器でもそうだが、「自己流」の部分がたくさん入ってしまうと、ある程度のところで頭うちになり成長が止まる。
リハビリもやはり似たようなところがある。
彼女の場合、週に一回程度の通院のリハビリでは、「正しさ」よりも「やり易さ」の方を身体が優先してしまっていたのかもしれない。
恵子が最終的に高いレベルまで回復するためには、今回の入院は必要なことだったのかもしれない。
今、私は本気でそう思い始めている。

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