日本橋の三越劇場に映画『そうかもしれない』の特別上映会を観に行った。
一体、私はこの映画を何回観たことになるのだろう?
音楽をつけるために観たラッシュの時点から数えても、40回から50回は観ている計算になる(要するに数えられないぐらい観ているということだ)。それでも、毎回感動し、新しい発見をする。そして、いつも泣く。今日も、この映画を初めて観たという人たちから何通も「泣きました」というメールをもらった(場内でも泣いている音があちこちから聞こえてきた)。
実に不思議な映画だと思うし、私がスタッフの一人だから言うのではなく正直「いい映画」だと言える映画だ。
私は、自分の身の回りに認知症という人を持ったことがないので、その苦労やその実体というものをはっきりと言える立場にはないのだが、そういう人たちを家庭に持っていたりそういう人たちを看護する看護士さんたちから見ても、映画の主役の雪村いずみさんの演技はかなりリアルなものだそうだ(認知症の患者さんたちは、二十四時間ずっとボケているわけではなく、時には正気に戻ると言われているけれども、その辺の演技が実にうまく表現されているのではないかと私も思っている)。
この映画の中で、下条アトム(雑誌編集者役)が言うセリフに「このお二人の生き方は実にすさまじい。人間とは、夫婦とは何かを考えさせられます」というのがあるが、おそらくこの映画のテーマと見どころはこの辺りにあるのではないかと思う。
妻はボケ、夫はガンにおかされ、救いようのない状態になりながらもけっしてお互いを愛することをやめない夫婦。
子供のいない夫婦。50年もの長い間、時間と空間を共有してきた年老いた夫婦。もし子供がいたとしてしても、その子供たちに彼ら二人の時間の意味はけっして理解されることはないだろう。
老いと若さが順繰りにめぐっていくという事実を、世の中の人はすべて頭では理解しても、それが現実のものとなって自分に襲いかかってこられると人はなす術を持たない。映画の中で、ボケた妻や入院した夫に何気なくあびせる若いヘルパーや看護士たちのことばは、それが善意であるにもかかわらず、その残酷な現実を容赦なく突きつける(若い看護士たちは、自分たちのその若さ自体が年老いた人間にとっていかに残酷なモノであるかということを理解していない)。
黒と白、老いと若さ、善と悪、そうした対立するモノどうしの二元論が世の中を動かしているのだと言ったのは毛沢東だが、そうした無機的な唯物論から人間を救ってくれるのはおそらく「情」しかないのかもしれないと私は思う。「こころ」はきっと唯物論的には進展していかないだろう。だからこそ、音楽が人間の救いになっているのかもしれない。
一体、私はこの映画を何回観たことになるのだろう?
音楽をつけるために観たラッシュの時点から数えても、40回から50回は観ている計算になる(要するに数えられないぐらい観ているということだ)。それでも、毎回感動し、新しい発見をする。そして、いつも泣く。今日も、この映画を初めて観たという人たちから何通も「泣きました」というメールをもらった(場内でも泣いている音があちこちから聞こえてきた)。
実に不思議な映画だと思うし、私がスタッフの一人だから言うのではなく正直「いい映画」だと言える映画だ。
私は、自分の身の回りに認知症という人を持ったことがないので、その苦労やその実体というものをはっきりと言える立場にはないのだが、そういう人たちを家庭に持っていたりそういう人たちを看護する看護士さんたちから見ても、映画の主役の雪村いずみさんの演技はかなりリアルなものだそうだ(認知症の患者さんたちは、二十四時間ずっとボケているわけではなく、時には正気に戻ると言われているけれども、その辺の演技が実にうまく表現されているのではないかと私も思っている)。
この映画の中で、下条アトム(雑誌編集者役)が言うセリフに「このお二人の生き方は実にすさまじい。人間とは、夫婦とは何かを考えさせられます」というのがあるが、おそらくこの映画のテーマと見どころはこの辺りにあるのではないかと思う。
妻はボケ、夫はガンにおかされ、救いようのない状態になりながらもけっしてお互いを愛することをやめない夫婦。
子供のいない夫婦。50年もの長い間、時間と空間を共有してきた年老いた夫婦。もし子供がいたとしてしても、その子供たちに彼ら二人の時間の意味はけっして理解されることはないだろう。
老いと若さが順繰りにめぐっていくという事実を、世の中の人はすべて頭では理解しても、それが現実のものとなって自分に襲いかかってこられると人はなす術を持たない。映画の中で、ボケた妻や入院した夫に何気なくあびせる若いヘルパーや看護士たちのことばは、それが善意であるにもかかわらず、その残酷な現実を容赦なく突きつける(若い看護士たちは、自分たちのその若さ自体が年老いた人間にとっていかに残酷なモノであるかということを理解していない)。
黒と白、老いと若さ、善と悪、そうした対立するモノどうしの二元論が世の中を動かしているのだと言ったのは毛沢東だが、そうした無機的な唯物論から人間を救ってくれるのはおそらく「情」しかないのかもしれないと私は思う。「こころ」はきっと唯物論的には進展していかないだろう。だからこそ、音楽が人間の救いになっているのかもしれない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます