みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

午後、ミーティングの

2006-02-07 00:11:08 | Weblog
後、家に帰って原稿を書く。
コンサート紹介のページを担当しているので、コンサート情報にはいつも気をつけているが、紹介するのが全国誌なので、あまり小さいライブなどは紹介できない。となると、自然ビッグ・ネームということになり、チケットの値段も高いコンサートばかりになってしまう。本当は、もうちょっと安いチケットでいいコンサートも紹介したいのだが...。

アメリカに留学する友人(これからするというよりは、一度行って帰国しまた行くというパターンの人だが)が午前中に私の家に訪ねてきて、しばし音楽の話しやアメリカの話しで盛り上がる。
彼とも話したのだが、外国にいると、日本人というのは、日本人と街で会ってもなるべく目を合わせないようにする。これは日本人に特有の性癖だ(外国生活の経験のある人はきっとそう思うだろう)。同じアジア人でも、韓国の人も、中国の人もそんなことはない。なぜに、日本人だけが日本人であることを恥じるような行動を取るのか?
その理由はハッキリしていると思う。日本人は自分のアイデンティティを持たない国民だからだ。

今の日本人の中の何人が自分をアジア人だと自覚しているだろうか?
日本人は西洋人の仲間だと誤解している人もいるかもしれない。アジアにいても、他のアジア人とは違うんだと思っている人もかなりいるのではないだろうか?
首相や政治家が靖国神社に参拝に行くたびに韓国や中国が怒るけれども、これって宗教の問題でもないし、戦争時代の日本の行動を謝ったと謝ってないとかいう問題ではないと思う。根本的に日本人が自分たちをアジア人の一つだという意識を持ってないことが問題なのだと私は思っている。アジアの一つの国だという意識、自分たちはアジア人だという意識がもうちょっとあれば、とっくに解決している問題だろうとも思う。

アメリカで生活していると、韓国の人や中国の人たちがいかに堂々と、というか傲慢なぐらい自分たちにプライドを持って生活しているかがよくわかる。ある意味、彼らが日本人を見下している。当然だろうと思う。日本人のように、アメリカ人の顔色を伺いながら暮らすようなバカなまねは絶対にしないから。中国人は中国人としてアイデンティティを持っているし、韓国人もそうだ。ところが、日本人というのは一体どういうアイデンティティを持てばいいのかすらわかっていない。私はアメリカ人?私は日本人?私はアジア人?私は一体何?
もともとそういうアイデンティティ教育をされていないから、日本にいても日本人であるということの意味がわからない。アジアの一つなのに、アジア人という意識はまったく持っていない。だから、英語がわからないと世界で通用しないんじゃないのか?といったバカみたいなコンプレックスを持つようになってしまう。

アメリカでフルートを勉強していた私は、なぜ尺八を演奏しないのかとアメリカ人に何度聞かれたことか。確かに、私も、何で自分は尺八ではなく、フルートなんだろうと何度も考えた。そして、尺八の演奏ができない自分を恥じたこともある。日本人なのに、なんで尺八の一つも演奏できないのか?
単純な疑問だし、自分の中でなかなか答えのでない疑問でもあった。フルートを演奏できることで自分が日本人であるというアイデンティティはなかなか持ちにくい。ピアノだってそうだろう。なぜ琴じゃないのか?ヴァイオリンも、なぜ胡弓じゃないのか?
自分が中国人だったら、小泉さんの態度はきっと腹がたつだろうと思う。おまえは何様じゃい?
きっと、そんな気持ちなんだろうと思う。韓国の人にしてもそうだろう。単に、戦争の時の侵略を謝れとかいった問題だけじゃないのだろうと思う。日本人のアイデンティティのなさ。きっと、それが許せないのだろうと思う。日本人は、もっと自分がアジア人の一つだということを自覚すべきではないのか?

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