食べ物のカロリー計算のもとになっていることは以前から知っていたのだが、最近タニタの社員食堂の本が売れているということで、この係数のことがまた少し気になり始めている。
タンパク質は(4kcal/g)、脂肪は9kcal/g)、炭水化物は4kcal/g、糖分は(4kcal/g) アルコールについては7kcal/gというような係数を単純に掛けていけばカロリーの総量が大体わかるのだが、この数字はあまりにも大雑把だということで最近は「修正アトウォーター係数」といった言い方をされることが多い。でも修正版でも食品の種類によるバラツキが3.6~4.5程度なのでそれが4であってもそれほどの違いはない。
だから、単純にタンパク質は4とか脂肪は9とか覚えておけばいいのだが、問題はこのカロリーなるものが人類の歴史をどれだけ悩ませてきたかということ。
もともと人間は生き延びるため寒さを飢えをしのぐために身体を燃やすエネルギーが必要だったわけでそれを食物から得ようとするのは自然の道理。
その時その時の食べ物がどれだけの熱量を生み出すことができるかどうかの計算がカロリー計算で、もともとの発想は「これだけのカロリー取らないと人間は生き延びていけませんよ」ということだったはずが、最近は、このカロリーをできるだけ少なくしないと逆に生き延びられませんよという状態になってきている。
カロリー摂取過多がありとあらゆる病気の原因になってきているからだ。
メタボだけじゃなく、心筋梗塞、脳卒中、糖尿病など最近ヤバい病気とされているものは全てこのカロリー摂取過多が原因とされている。
もともと人間は脳に必要なエネルギーが他の生物よりもはるかに大きい動物だ。脳は体重のわずか2%ぐらいなのに、私たち人間が休んでいる時に必要なエネルギーの率を現す基礎代謝率はその10倍の20%だ。
私たちの脳は身体全体のエネルギーの2割も使っているのだ。
脳の神経細胞を絶えず働かせるためには酸素もブドウ糖が絶えず脳の中に送り込まれている必要があるのでそれがほんの一瞬でも途絶えてしまうと脳の神経細胞はたちまち死滅してしまう。
脳卒中で神経細胞が死滅して身体の一部が麻痺してしまうのもこのことが原因なのかもしれない。
それと、見方を変えると、脳がそれだけ多くのエネルギーを必要としているということは人間の身体のどこかが犠牲になっているということでもある(エネルギーの総量は変わらないのでどこか別のところとエネルギーをトレードオフしなければならないという原則があるからだ)。
そう。人間の消化器官は他の動物に比べてとっても小さくて食べ物の消化にそれほどエネルギーを使わなくても良いようなシステムになっているのだ(つまり、消化器官が犠牲になっている)。
でも、その代わり脳にはたくさんのエネルギーが回って行く。
このことの意味はヘビの消化方法を見れば一目瞭然だ。
ヘビは獲物を丸呑みしてひたすらそれが消化されるのを動かずにじっと待つ(何時間も何日間も)。こんなことを人間がしていたら脳の活動なんかできやしない。
ヘビの消化方法では人間は働くことも考えることもできないということだ。
人間がこれだけ進化して知能を持ち得たということも小さな消化器官で食べ物を消化できる仕組みがあったからこそ。
つまり、料理をしてモノを柔らかくして消化吸収しやすくしたおかげなのだ(「火」を使って料理をする生物は人間だけだ)。
ところが、ところがだ。
人間はやはりサル知恵なのか、この消化吸収を良くする調理法や柔らかい食べ物を開発してしまったおかげで今度は「肥満」というリスクに命を脅かされている。
近年はそれに経済という因子がもう一つ加わってしまったからさらに話はややこしい。
現在スーパーマーケットに並ぶ食品のほとんどは一握りの多国籍企業に何らかの形で牛耳られている。
肉や野菜だけでなくほとんど全ての加工食品もだ(その大半は遺伝子組み換えものも含めて小麦やトウモロコシ、大豆で作られているからだ)。
多国籍企業の目的はただ一つ、食品を安く、大量に売ることだ(だからこそ遺伝子をバンバン組み替えるし、だからこそ儲けることができるのだ)。
そして、とどのつまりが世界中の人たちは今そういった食品を世界中のどこでも買わざるを得ない仕組みができあがってしまっているということなのだ。
となると、とっても皮肉なことが起こってくる。
昔は、「肥満」はある意味冨の象徴で、太っていることはおいしいものをたくさん食べられる裕福な人の証でもあったのだが、現代は、貧乏人ほどよく太っている。
なぜなら高カロリー食品ほど安いからだ(これこそが多国籍企業の狙い)。
つまり、現代は、「貧乏人ほど肥満で病気のリスクをかかえ、リッチな人間ほど健康でヘルシーな生活ができる」という不思議な社会構造になってしまっている。
誰がこんな世界にしたと恨みごとの一つも言ってみたくもなるがこれが現実なのは致し方のないところ。
だからこそ、せいぜいタニタの社員食堂メニューで自己防衛するしかないのかもしれないが、そこの部分を管理栄養士さんたちもお医者さんたちもよく理解しないと話は本質から完璧にずれてしまう。
恵子が再三再四医師から言われてきた「高血圧がもとで脳卒中で倒れてしまったのは生活習慣が原因」ということばに私は「本当ですか?」とずっと噛み付いてきた。
私と恵子が外食以外にふだん家で食べてきたものはほとんど野菜が中心の食事。肉は極端に少ない食事だ(どちらもそれほど肉食派ではないので)。
どちらかというと野菜さえあれば二人とも満足という食事スタイルだ。
しかも、酒もタバコもやらない(私は晩酌の習慣をまったく持っていないし家で一人でお酒を飲むこともまったくない)。
それなのに「生活習慣が悪いから病気になりました」と言われてもそう簡単に」引き下がるわけにはいかない。
なるほど病院食は低カロリーでよく計算された食事だけれども、本当にこれだけ食べていれば病気のリスクから逃れることができるのか?と噛み付きたくなる。
第一、病院食というのは値段が決まっている。つまり安くおさえなければならない食事が本当に病気のリスクから逃れることができるのか?と言いたいのだ。
病院食に使われている「そのホウレンソウ、大丈夫ですか?残留農薬ありませんか?」「そのミカンだってどこから来たのですか?病院で安く大量に仕入れたのじゃありませんか?」、などなど、本当の意味で安全で低カロリーの健康食というものが現実に作り得るのだろうか?という不安はどこまで言っても拭うことはできないのだ。
だからこそ、タニタのメニューだって本当にヘルシーなのか?と思ってしまうのだが。
タンパク質は(4kcal/g)、脂肪は9kcal/g)、炭水化物は4kcal/g、糖分は(4kcal/g) アルコールについては7kcal/gというような係数を単純に掛けていけばカロリーの総量が大体わかるのだが、この数字はあまりにも大雑把だということで最近は「修正アトウォーター係数」といった言い方をされることが多い。でも修正版でも食品の種類によるバラツキが3.6~4.5程度なのでそれが4であってもそれほどの違いはない。
だから、単純にタンパク質は4とか脂肪は9とか覚えておけばいいのだが、問題はこのカロリーなるものが人類の歴史をどれだけ悩ませてきたかということ。
もともと人間は生き延びるため寒さを飢えをしのぐために身体を燃やすエネルギーが必要だったわけでそれを食物から得ようとするのは自然の道理。
その時その時の食べ物がどれだけの熱量を生み出すことができるかどうかの計算がカロリー計算で、もともとの発想は「これだけのカロリー取らないと人間は生き延びていけませんよ」ということだったはずが、最近は、このカロリーをできるだけ少なくしないと逆に生き延びられませんよという状態になってきている。
カロリー摂取過多がありとあらゆる病気の原因になってきているからだ。
メタボだけじゃなく、心筋梗塞、脳卒中、糖尿病など最近ヤバい病気とされているものは全てこのカロリー摂取過多が原因とされている。
もともと人間は脳に必要なエネルギーが他の生物よりもはるかに大きい動物だ。脳は体重のわずか2%ぐらいなのに、私たち人間が休んでいる時に必要なエネルギーの率を現す基礎代謝率はその10倍の20%だ。
私たちの脳は身体全体のエネルギーの2割も使っているのだ。
脳の神経細胞を絶えず働かせるためには酸素もブドウ糖が絶えず脳の中に送り込まれている必要があるのでそれがほんの一瞬でも途絶えてしまうと脳の神経細胞はたちまち死滅してしまう。
脳卒中で神経細胞が死滅して身体の一部が麻痺してしまうのもこのことが原因なのかもしれない。
それと、見方を変えると、脳がそれだけ多くのエネルギーを必要としているということは人間の身体のどこかが犠牲になっているということでもある(エネルギーの総量は変わらないのでどこか別のところとエネルギーをトレードオフしなければならないという原則があるからだ)。
そう。人間の消化器官は他の動物に比べてとっても小さくて食べ物の消化にそれほどエネルギーを使わなくても良いようなシステムになっているのだ(つまり、消化器官が犠牲になっている)。
でも、その代わり脳にはたくさんのエネルギーが回って行く。
このことの意味はヘビの消化方法を見れば一目瞭然だ。
ヘビは獲物を丸呑みしてひたすらそれが消化されるのを動かずにじっと待つ(何時間も何日間も)。こんなことを人間がしていたら脳の活動なんかできやしない。
ヘビの消化方法では人間は働くことも考えることもできないということだ。
人間がこれだけ進化して知能を持ち得たということも小さな消化器官で食べ物を消化できる仕組みがあったからこそ。
つまり、料理をしてモノを柔らかくして消化吸収しやすくしたおかげなのだ(「火」を使って料理をする生物は人間だけだ)。
ところが、ところがだ。
人間はやはりサル知恵なのか、この消化吸収を良くする調理法や柔らかい食べ物を開発してしまったおかげで今度は「肥満」というリスクに命を脅かされている。
近年はそれに経済という因子がもう一つ加わってしまったからさらに話はややこしい。
現在スーパーマーケットに並ぶ食品のほとんどは一握りの多国籍企業に何らかの形で牛耳られている。
肉や野菜だけでなくほとんど全ての加工食品もだ(その大半は遺伝子組み換えものも含めて小麦やトウモロコシ、大豆で作られているからだ)。
多国籍企業の目的はただ一つ、食品を安く、大量に売ることだ(だからこそ遺伝子をバンバン組み替えるし、だからこそ儲けることができるのだ)。
そして、とどのつまりが世界中の人たちは今そういった食品を世界中のどこでも買わざるを得ない仕組みができあがってしまっているということなのだ。
となると、とっても皮肉なことが起こってくる。
昔は、「肥満」はある意味冨の象徴で、太っていることはおいしいものをたくさん食べられる裕福な人の証でもあったのだが、現代は、貧乏人ほどよく太っている。
なぜなら高カロリー食品ほど安いからだ(これこそが多国籍企業の狙い)。
つまり、現代は、「貧乏人ほど肥満で病気のリスクをかかえ、リッチな人間ほど健康でヘルシーな生活ができる」という不思議な社会構造になってしまっている。
誰がこんな世界にしたと恨みごとの一つも言ってみたくもなるがこれが現実なのは致し方のないところ。
だからこそ、せいぜいタニタの社員食堂メニューで自己防衛するしかないのかもしれないが、そこの部分を管理栄養士さんたちもお医者さんたちもよく理解しないと話は本質から完璧にずれてしまう。
恵子が再三再四医師から言われてきた「高血圧がもとで脳卒中で倒れてしまったのは生活習慣が原因」ということばに私は「本当ですか?」とずっと噛み付いてきた。
私と恵子が外食以外にふだん家で食べてきたものはほとんど野菜が中心の食事。肉は極端に少ない食事だ(どちらもそれほど肉食派ではないので)。
どちらかというと野菜さえあれば二人とも満足という食事スタイルだ。
しかも、酒もタバコもやらない(私は晩酌の習慣をまったく持っていないし家で一人でお酒を飲むこともまったくない)。
それなのに「生活習慣が悪いから病気になりました」と言われてもそう簡単に」引き下がるわけにはいかない。
なるほど病院食は低カロリーでよく計算された食事だけれども、本当にこれだけ食べていれば病気のリスクから逃れることができるのか?と噛み付きたくなる。
第一、病院食というのは値段が決まっている。つまり安くおさえなければならない食事が本当に病気のリスクから逃れることができるのか?と言いたいのだ。
病院食に使われている「そのホウレンソウ、大丈夫ですか?残留農薬ありませんか?」「そのミカンだってどこから来たのですか?病院で安く大量に仕入れたのじゃありませんか?」、などなど、本当の意味で安全で低カロリーの健康食というものが現実に作り得るのだろうか?という不安はどこまで言っても拭うことはできないのだ。
だからこそ、タニタのメニューだって本当にヘルシーなのか?と思ってしまうのだが。
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