みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

ヤマネコウサギのリハビリ絵日記you tube映像

2012-05-08 20:32:13 | Weblog
をアップした。
http//youtu.be/SxlZSvUM1BI

脳卒中で入院した恵子に初めてクレパスとスケッチブックを買っていった日のことを今でもはっきり覚えている。
まだ入院3週目ぐらいの時だったからきっと昨年の9月の20日前後だったと思う。
病院に行く前に新宿の世界堂に立ち寄った。
何か絵を描く道具を買うためだ。
恵子は、大学卒業後すぐにJAL関係のデザイン事務所に勤めデザイン画を描いたり、帯の下絵を描く会社で絵を描いたりする仕事をしていた。
そして発症直前までトールペインティングやデコパージュをいろいろな所で教えていた彼女にとって、「何か描くこと」がリハビリに役に立つはずと私は思ったからだ。
世界堂の店員さんにこう聞いた。
「病気で右手が麻痺している人のために何か力を入れなくても絵を描けるような道具はないですか?」
それならと勧めてくれたのがクレパスだった。
確かに、クレパスはあらゆる描く道具の中では最も力が必要のないものだった。
もちろん右手は使えない。だから、利き手ではない左手で字を書くことから始めた。
最初、絵らしきものも少し描かれてはいたが、それは「イタズラ書き」程度にしか見えなかった。
それでも、たった24色しかないクレパスからの色の選び方は「さすがプロ」と思わせるものがあった(色彩感覚というのは持って生まれたものだ)。
そこに、だんだんデッサン力が加わり始めた。
外に出ることはできないので、当然題材は限られて来る。彼女は、頭の中で覚えていた光景を再現する。住んでいた伊豆高原の自宅付近の自然をよくモチーフにした。時には、若い頃住んでいたアメリカでの光景も描かれるようになった。
最初の頃「似顔絵」のように描かれていた私の姿がだんだんヤマネコの姿に変わっていった。
ふだん私たち夫婦の間では、私は彼女のことを「ウサギ!」と呼び、彼女は私のことを「ヤマネコ!」と呼んでいたからだ。
なぜそう呼び合うようになったかの理由はもう既に二人とも覚えていない。
それぐらい長い間のお互いの呼称だ。
この絵日記には絵だけでなく、彼女の病院での食事のメニューから、彼女がトイレに行った時間までが克明に書かれている。
スケッチブックは、既に9冊目に突入している。
4月に退院してからは、それまでのクレパスではなく、鉛筆の下絵に色鉛筆で色をつける手法に変わっていった。
彼女にしてみれば、それの方が「細かい絵が描ける」からだという。
個人的にはクレパスの絵の方がより素朴で好きなのだけれども、彼女自身がそちらの方が描き易いのであれば今後はそのスタイルで描き続けていくことになるだろう。
私の現在書いている著作ともある程度連動するストーリーでこの「絵日記」は描かれていくようになるかもしれない。
二人でリハビリを頑張る姿をこんな形で世の中の人たちに見てもらえれば、同じ病気と闘っている多くの人たちの励みになるかもしれない、と思っ

最新の画像もっと見る

コメントを投稿