ショパンではなくノンビリと温泉に入っていると、ここが自宅だとは思えなくなってくるが、昨日までの東京での一週間はやはり怒濤のように忙しかった。
特に、昨日は朝からレッスンの後、雑誌の取材でオカリナの宗次郎さんのインタビューで浅草の事務所へ、その後は知り合いの芝居を見に下北沢へ、それが終わって今度は映画プロデューサーと打ち合わせ。こんな感じで一日が終わっただけに今日伊豆の自宅に戻って雨の中をゆったりと過ごすのも、そういう意味では悪くない。
それにしても、昨日宗次郎さんにお会いして思ったのもやはりこの人もアーティストだということだった。
きっと今のことばは意味不明の発言だと思うが、私が意味しているのはこういうこと。
これまで何十人も一流のアーティストと呼ばれる人たちにインタビューしてきたのだが、インタビューのたびに思うのは皆さんそれぞれまったく別のオーラを持って輝いているということ。これは、あまり年齢にもキャリアの長さにも関係がない。
要するに、こうした形でメディアに乞われて話をしたり記事になったりするような人たちというのは、人や社会との距離感とそこにどういう発言をしていくかという自分なりのスタイルを持っているからだ。そして、その発言もそれぞれそれなりの説得力を持っている。だからこそ、その人は一流のアーティストなのでありスターなのだと思う。
という意味では、私は正直なところ宗次郎さんという存在にどういったカリスマ性とどういったスター性があるのだろうか?という目でずっと見ていたのだが、昨日じかにお会いして「うん、この方も他の人とはまったく違うけれども、スターでありカリスマなんだな」ということを納得して帰ってきた。
「とにかく私はオカリナが好きだし、それを一人でも多くの人に聞いて欲しい」という一途な思いがきっと宗さんを今の存在にしたのだと思うし、彼の話を聞いているとそうとしか思えない。
土で作ったオカリナで木や水や風を表現していく、というような自然派的な発言もこの人の口から出るとまったく「そうですね」と思わず頷いてしまうような説得力がある。
世の中にはエリートコースを歩みながらいつの間にかアーティストになりスターの座を獲得してしまう人も多いけれども、この人はそんな星の下に生まれた人ではないのだろう。昔、宗さんは、立松和平さんの出るTV番組の音楽をやっていたことがあるけれども、朴訥とした栃木弁で語る立松さんの語り口に彼の音楽はものすごくハマっていたような記憶がある。群馬出身の宗次郎さんがオカリナ修行をしたのは栃木の山奥(と宗さん自身が言っていたのだが)というような話と妙に符号して、これまたすごく納得した次第だ。
ただ、今までこんなことを誰にもしゃべったことはないのだが、このアーティストのインタビューという仕事が私にとって若干ストレスになる時もある。
どんなアーティストの方とお会いしても、彼や彼女たちのことばが私の頭の中では常に先取りされて「きっと次はこうしゃべるだろうな」という大体の予測はつくことが多い(きっと、これは自分自身がアーティストだからだろう)。それに、アーティストの方たちがいろいろ説明してくださっている専門的な事柄もこちらは当たり前のように承知していることが多い。しかし、私はそれを知らないフリをして聞かなければならないし、「そうおっしゃると思ってました」なんてことは口が避けても言えない(それが相手に対する礼儀だからだ)。こちらの立場と向こうの立場は明らかに違うのだから私が出過ぎた発言や行為は絶対にできない。
ある意味、自分がインタビュアーになっている時は、自分がアーティストであることを忘れなければできないことが多いのも事実だ。ということは、ひょっとしたら、こういう仕事は専門的なことを何も知らない純粋な編集人、あるいはライターの方がやった方がいいのかな?と思う時もあるけれども、雑誌の方もこんな私を見込んで使ってくださっているのだし、私でしか書けない記事というものを期待してくださる読者も大勢いらっしゃるのだと思い毎回いい記事を書こうと努力している次第だ。
特に、昨日は朝からレッスンの後、雑誌の取材でオカリナの宗次郎さんのインタビューで浅草の事務所へ、その後は知り合いの芝居を見に下北沢へ、それが終わって今度は映画プロデューサーと打ち合わせ。こんな感じで一日が終わっただけに今日伊豆の自宅に戻って雨の中をゆったりと過ごすのも、そういう意味では悪くない。
それにしても、昨日宗次郎さんにお会いして思ったのもやはりこの人もアーティストだということだった。
きっと今のことばは意味不明の発言だと思うが、私が意味しているのはこういうこと。
これまで何十人も一流のアーティストと呼ばれる人たちにインタビューしてきたのだが、インタビューのたびに思うのは皆さんそれぞれまったく別のオーラを持って輝いているということ。これは、あまり年齢にもキャリアの長さにも関係がない。
要するに、こうした形でメディアに乞われて話をしたり記事になったりするような人たちというのは、人や社会との距離感とそこにどういう発言をしていくかという自分なりのスタイルを持っているからだ。そして、その発言もそれぞれそれなりの説得力を持っている。だからこそ、その人は一流のアーティストなのでありスターなのだと思う。
という意味では、私は正直なところ宗次郎さんという存在にどういったカリスマ性とどういったスター性があるのだろうか?という目でずっと見ていたのだが、昨日じかにお会いして「うん、この方も他の人とはまったく違うけれども、スターでありカリスマなんだな」ということを納得して帰ってきた。
「とにかく私はオカリナが好きだし、それを一人でも多くの人に聞いて欲しい」という一途な思いがきっと宗さんを今の存在にしたのだと思うし、彼の話を聞いているとそうとしか思えない。
土で作ったオカリナで木や水や風を表現していく、というような自然派的な発言もこの人の口から出るとまったく「そうですね」と思わず頷いてしまうような説得力がある。
世の中にはエリートコースを歩みながらいつの間にかアーティストになりスターの座を獲得してしまう人も多いけれども、この人はそんな星の下に生まれた人ではないのだろう。昔、宗さんは、立松和平さんの出るTV番組の音楽をやっていたことがあるけれども、朴訥とした栃木弁で語る立松さんの語り口に彼の音楽はものすごくハマっていたような記憶がある。群馬出身の宗次郎さんがオカリナ修行をしたのは栃木の山奥(と宗さん自身が言っていたのだが)というような話と妙に符号して、これまたすごく納得した次第だ。
ただ、今までこんなことを誰にもしゃべったことはないのだが、このアーティストのインタビューという仕事が私にとって若干ストレスになる時もある。
どんなアーティストの方とお会いしても、彼や彼女たちのことばが私の頭の中では常に先取りされて「きっと次はこうしゃべるだろうな」という大体の予測はつくことが多い(きっと、これは自分自身がアーティストだからだろう)。それに、アーティストの方たちがいろいろ説明してくださっている専門的な事柄もこちらは当たり前のように承知していることが多い。しかし、私はそれを知らないフリをして聞かなければならないし、「そうおっしゃると思ってました」なんてことは口が避けても言えない(それが相手に対する礼儀だからだ)。こちらの立場と向こうの立場は明らかに違うのだから私が出過ぎた発言や行為は絶対にできない。
ある意味、自分がインタビュアーになっている時は、自分がアーティストであることを忘れなければできないことが多いのも事実だ。ということは、ひょっとしたら、こういう仕事は専門的なことを何も知らない純粋な編集人、あるいはライターの方がやった方がいいのかな?と思う時もあるけれども、雑誌の方もこんな私を見込んで使ってくださっているのだし、私でしか書けない記事というものを期待してくださる読者も大勢いらっしゃるのだと思い毎回いい記事を書こうと努力している次第だ。
知っていながら知らない素振り、聞き上手な、みつとみさんは違いのわかる人(ネスカフェのCMみたいです)だから、編集者の方も信頼して依頼されているのだと思いますよ。
一般読者は、難しい専門用語など分からないのですから、専門的な事を分かっていた方が、興味ある発言を引き出せると思うし、まるで素人では、薄っぺらい質問しか出て来ないように思います。
みつとみさんの書かれるものは、素人にも分かり易く、皆の期待するものと一致して、興味のもてる記事になっているのではないでしょうか。
これからも、色々な切り口で、読者を楽しませて下さい。