「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

社会の教科書 2005・04・07

2005-04-07 07:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、新潮社刊「ひとことで言う 山本夏彦箴言集」から次の「ひとこと」です。

 「世界ひろしといえども、自国を悪く書く教科書はない

 山本夏彦さん(1915-2002)のコラムの中で、この「ひとこと」が、どのような文脈で用いられたものであるかを、本書は「コラムの抜粋」の形で次のように紹介しています。詳しくは山本夏彦著「美しければすべてよし」を見る他ないのですが、あいにく手許に見つかりません。

 「アメリカの社会の教科書には、広島長崎の原爆は早く戦争を終らせるために投下した、朝鮮戦争は共産主義国がしかけた、と書いてあるという。同じことをソ連の教科書には、原爆はアメリカがソ連を威嚇するために落した、朝鮮戦争はむろん韓国がしかけた、韓国はアメリカの傀儡だと書いてあるという。

 八年前(筆者注:昭和57年3月25日号「週刊新潮」掲載の「互いに鷺を鴉という」と題した〈夏彦写真コラム〉が書かれた時点から8年前)北朝鮮は三十八度線の地下を南へ向けて三.五キロも掘って、いつでも攻めこめるようにした。韓国はくやしがって世界に訴えたが、北は南が自分でトンネルを掘って北が掘ったと言いふらしていると逆襲した。もし南北朝鮮がこれを教科書に書くとすれば、それぞれサギをカラスと書くだろう。

 以上世界ひろしといえども、自国を悪く書く教科書はないそれが健康というもので、故に健康というものはイヤなものであるそれなのにひとりわが国の教科書だけは、日清日露の戦役まで侵略戦争だと書いて良心的だと思い思わせている。」

  (山本夏彦著「美しければすべてよし」所収の「互に鷺を鴉という」と題するコラムです。)
  

 ロシアでは、今でも東西冷戦時代、旧ソ連時代の教科書と同じ内容のものが使われているのでしょうか。ナショナリズムに対抗するに、ナショナリズムをもってしてはダメで、いきり立つものと争うのは無益であり、柳に風と受けながすに限ります。

 今、隣国で「反日」デモが起っています。若い人々が運動の中心になっているようですが、大日本帝国の植民地時代、旧日本軍による占領時代を体験したことがない世代である筈の彼らの活動の動機は、永年の教育の成果である「帝国主義『日本』復活に対する危惧の念」がきっかけであるとしても、より多くは国内の政治・経済の現状に対する不満に根ざすものではないかと筆者は疑っています。天安門事件の経験を教訓に「敵は本能寺にあり」です。

 一方、時の政権が、国内の政治・経済に深刻な問題状況を抱えているときに、国外に仮想敵国を求め、不満の矛先を他に転じようとするのは、古今東西いつの時代においても、行われてきたことです。漠然とした「テロリスト集団」では「仮想敵国」になりにくい。ここは「日帝」であり、「米帝」であり、「中国の覇権主義」であり、「北朝鮮のテポドン・ノドン」でなければならないのです。
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