「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

核家族 2005・04・08

2005-04-08 07:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、新潮社刊「ひとことで言う 山本夏彦箴言集」から、次の「ひとこと」です。

 「核家族になったせいである」

 山本夏彦さん(1915-2002)のコラムの中で、この「ひとこと」が、どのような文脈で用いられたものであるかを、本書は「コラムの抜粋」の形で次のように紹介しています。詳しくは、原典である山本夏彦著「美しければすべてよし」を見る他ないのですが、あいにく手許に見つかりません。

 「今最もスキンシップを必要としているのは老人である。昔は五十六十でたいてい死んだが、今は七十八十でも死なない。そんなになが生きして無事な人は希で、次第に恍惚に近くなる。わが子の間をたらい回しにされ、結局多く病院で死ぬ。

 なぜ一緒に寝てやらないのかと、昔の人は怪しむ。同じ座敷で寝てやれば老人は安堵する。深夜家のなかをさまよい歩くことはなくなる。老人は幼な子に返って、ひとり寝るのがこわいのである。本当は同じ布団に寝て、背をなでさすってやるのが何よりなのである。

 血を分けた親子だものついこの間までたいていの子はそれをしたのに、今しないのは核家族になったせいである。核家族にはそもそも老人がいない。したがって死はもとより身近に老人を見ることがない。見ないからただ恐ろしい。

 老人はすでに半ば死んだ人である。眠っているのを死んだのではないかと、寝息をうかがうことがあるくらいである。生れるのが自然なら死ぬのもまた自然なのに、こんなに死ににくくなった時代はない。」

  (山本夏彦著「美しければすべてよし」所収の「老人の日がまた来る」という題のコラムです。)


 山本夏彦さんが、昭和56年(1981年)ご自身が66歳の頃に書かれた文章です。二十数年後の今日でも全く古さを感じさせません。20年後に読んでもきっとそうでしょう。



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