今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「老人と幼な子はよく似ていて、よだれはたらす小便はする甘える聞きわけはない。赤ん坊なら誰もいやがらないのに老人ならいやがる。それというのも幼な子には未来があるが老人にはないからで、赤ん坊はいきいきと生きているが老人はなかば死んでいるからである。未来なんて何ものでもないとすでに未来を経験してしまった老人は思っているが、言っても相手にされないし言う気もない。」
(山本夏彦著「不意のことば」所収)
ドイツの文学者へルマン・ヘッセは、老年について、こんな風に言っています。人生観はさまざまです。
「年をとるということは、たしかに体力が衰えてゆくことであり、生気を失ってゆくことであるけれど、それだけではなく生涯のそれぞれの段階がそうであるように、その固有の価値を、その固有の魅力を、その固有の知恵を、その固有の悲しみをもつ。そしてある程度文化が栄えた時代ならば、人は、当然のことであるが、老人に一種の敬意を表した。この一種の敬意は今日では青年が要求している。私たちはそのことで青年たちを悪く思う気はない。しかし、私たちは、老人には何の価値もないなどということを思い込まされるのはまっぴらごめんである。」
(ヘッセ「人は成熟するにつれて若くなる」草思社刊)
「老人と幼な子はよく似ていて、よだれはたらす小便はする甘える聞きわけはない。赤ん坊なら誰もいやがらないのに老人ならいやがる。それというのも幼な子には未来があるが老人にはないからで、赤ん坊はいきいきと生きているが老人はなかば死んでいるからである。未来なんて何ものでもないとすでに未来を経験してしまった老人は思っているが、言っても相手にされないし言う気もない。」
(山本夏彦著「不意のことば」所収)
ドイツの文学者へルマン・ヘッセは、老年について、こんな風に言っています。人生観はさまざまです。
「年をとるということは、たしかに体力が衰えてゆくことであり、生気を失ってゆくことであるけれど、それだけではなく生涯のそれぞれの段階がそうであるように、その固有の価値を、その固有の魅力を、その固有の知恵を、その固有の悲しみをもつ。そしてある程度文化が栄えた時代ならば、人は、当然のことであるが、老人に一種の敬意を表した。この一種の敬意は今日では青年が要求している。私たちはそのことで青年たちを悪く思う気はない。しかし、私たちは、老人には何の価値もないなどということを思い込まされるのはまっぴらごめんである。」
(ヘッセ「人は成熟するにつれて若くなる」草思社刊)