今日の「お気に入り」は、ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソア(1888-1935)の「テージョ川は」と題した詩一篇。
「テージョ川はわたしの村を流れる川より美しい。
だがテージョ川はわたしの村を流れる川ほど美しくない。
テージョ川はわたしの村を流れる川ではないからだ。
テージョ川は大きな船を浮かべている。
そのうえ テージョ川を走る、
いまテージョ川にないものがすべてのなかに
見える人々には かつての帆船の記憶が。
テージョ川はスペインから流れ来て
テージョ川はポルトガルで海に注ぐ。
これを知らぬ人は誰もいない。
しかしほとんどいない、わたしの村の川のことを
どこへ流れて行くかを
どこから流れて来るかを知る人は。
わたしの村の川のほうが自由で大きいのは まさに
わたしの川を知る人のほうがすくないからだ。
ひとはテージョ川を通って世界へ出てゆく。
テージョ川のむこうにはアメリカがあり
富をみつける人々には富がある。
だが考えた人は誰もいない、わたしの村の
川のむこうにあるもののことを。
わたしの村の川はいかなることも考えさせない。
あの川のほとりにいる人は あの川のほとりにいるだけ。」
(「フェルナンド・ペソア詩選『ポルトガルの海』」池上岑夫編訳 彩流社刊 所収)
「テージョ川はわたしの村を流れる川より美しい。
だがテージョ川はわたしの村を流れる川ほど美しくない。
テージョ川はわたしの村を流れる川ではないからだ。
テージョ川は大きな船を浮かべている。
そのうえ テージョ川を走る、
いまテージョ川にないものがすべてのなかに
見える人々には かつての帆船の記憶が。
テージョ川はスペインから流れ来て
テージョ川はポルトガルで海に注ぐ。
これを知らぬ人は誰もいない。
しかしほとんどいない、わたしの村の川のことを
どこへ流れて行くかを
どこから流れて来るかを知る人は。
わたしの村の川のほうが自由で大きいのは まさに
わたしの川を知る人のほうがすくないからだ。
ひとはテージョ川を通って世界へ出てゆく。
テージョ川のむこうにはアメリカがあり
富をみつける人々には富がある。
だが考えた人は誰もいない、わたしの村の
川のむこうにあるもののことを。
わたしの村の川はいかなることも考えさせない。
あの川のほとりにいる人は あの川のほとりにいるだけ。」
(「フェルナンド・ペソア詩選『ポルトガルの海』」池上岑夫編訳 彩流社刊 所収)
