今日の「 お気に入り 」 。
学園紛争盛んだった 、1960年代後半 、大学教育不在の時期に 、反体制運動 に
のめりこまない ノンポリ学生 の 心象風景 を描いた 、長編小説の ひとくだり 。
学園紛争のおかげで 、たくさん本が読めました 。バイトでおりおり稼ぎました 。
身体を動かすの厭わなければ 、盆暮れのチャリでの配送は 、結構いいおカネに
なりました 。今で言う 配達バイト 。
自由になる時間 、たんとありました 。
昔も今も「 意識低い系 」 大勢いました 。
大卒の初任給、まだ3万円台だった時代 、よくて せいぜい「 サンキュッパ 」。
列島改造 、高度成長 、前夜 。
今は昔 、50年以上も前の 昭和43年 ・・・ 。
引用はじめ 。
「 五月の末に大学がストに入った 。彼らは『 大学解体 』を叫んでいた 。
結構 、解体するならしてくれよ 、と僕は思った 。解体してバラバラにして 、
足で踏みつけて粉々にしてくれ 。全然かまわない 。そうすれば僕だって
さっぱりするし 、あとのことは自分でなんとでもする 。手助けが必要なら
手伝ったっていい 。さっさとやってくれ 。大学が封鎖されて講義はなくな
ったので 、僕は運送屋のアルバイトを始めた 。運送トラックの助手席に座
って荷物の積み下ろしをするのだ 。仕事は思っていたよりきつく 、最初の
うちは体が痛くて朝起きあがれないほどだったが 、給料はそのぶん良かった
し 、忙しく体を動かしているあいだは自分の中の空洞を意識せずに済んだ 。
僕は週に五日 、運送屋で昼間働き 、三日はレコード屋で夜番をやった 。
そして仕事のない夜は部屋でウィスキーを飲みながら本を読んだ 。」
「 夏休みのあいだに大学が機動隊の出動を要請し 、機動隊はバリケードを叩き
つぶし 、中に籠っていた学生を全員逮捕した 。その当時はどこの大学でも
同じようなことをやっていたし 、とくに珍しい出来事ではなかった 。大学は
解体なんてしなかった 。大学には大量の資本が投下されているし 、そんな
ものが学生が暴れたくらいで『 はい 、そうですか 』とおとなしく解体される
わけがないのだ 。そして大学をバリケード封鎖した連中も本当に大学を解体し
たいなんて思っていたわけではなかった 。彼らは大学という機構のイニシア
チブの変更を求めていただけだったし 、僕にとってはイニシアチブがどうなる
かなんてまったくどうでもいいことだった 。だからストが叩きつぶされたとこ
ろで 、とくに何の感慨も持たなかった 。
僕は九月になって大学が殆んど廃墟と化していることを期待して行ってみたのだ
が 、大学はまったくの無傷だった 。図書館の本も掠奪されることなく 、教授
室も破壊しつくされることはなく 、学生課の建物も焼け落ちてはいなかった 。
あいつら一体何してたんだと僕は愕然として思った 。ストが解除され機動隊の
占領下で講義が再開されると 、いちばん最初に出席してきたのはストを指導した
立場にある連中だった 。彼らは何事もなかったように教室に出てきてノートを
とり 、名前を呼ばれると返事をした 。これはどうも変な話だった 。何故なら
スト決議はまだ有効だったし 、誰もスト終結を宣言していなかったからだ 。
大学が機動隊を導入してバリケードを破壊しただけのことで 、原理的にはスト
はまだ継続しているのだ 。そして彼らはスト決議のときには言いたいだけ元気
なことを言って 、ストに反対する( あるいは疑念を表明する )学生を罵倒し 、
あるいは吊しあげたのだ 。僕は彼らのところに行って 、どうしてストをつづけ
ないで講義に出てくるのか 、と訊いてみた 。彼らには答えられなかった 。
答えられるわけわけがないのだ 。彼らは出席不足で単位を落とすのが怖いのだ 。
そんな連中が大学解体を叫んでいたのかと思うとおかしくて仕方なかった 。
そんな下劣な連中が風向きひとつで大声を出したり小さくなったりするのだ 。
おい キズキ 、ここはひどい世界だよ 、と僕は思った 。こういう奴らがきちん
と大学の単位をとって社会に出て 、せっせと下劣な社会を作るんだ 。
僕はしばらくのあいだ講義には出ても出席をとるときには返事をしないことにした 。
そんなことをしたって何の意味もないことはよくわかっていたけれど 、そうでも
しないことには気分がわるくて仕方がなかったのだ 。しかしそのおかげでクラス
の中での僕の立場はもっと孤立したものになった 。名前を呼ばれても僕が黙って
いると 、教室の中に居心地のわるい空気が流れた 。誰も僕に話しかけなかったし 、
僕も誰にも話しかけなかった 。 九月の第二週に 、僕は大学教育というのはまっ
たく無意味だという結論に到達した 。そして僕はそれを退屈さに耐える訓練期間
として捉えることに決めた 。今ここで大学をやめたところで社会に出て何かとく
にやりたいことがあるわけではないのだ 。僕は毎日大学に行って講義に出てノート
をとり 、あいた時間には図書館で本を読んだり調べものをしたりした 。」
「 死は生の対極としてではなく 、その一部として存在している 。」
「 死は生の対極にあるのではなく 、我々の生のうちに潜んでいるのだ 」
( 出典 : 村上春樹著 「 ノルウェイの森 」講談社 刊 )
引用おわり 。