「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

同じ穴の狢 ( むじな ) たち Long Good-bye 2022・05・27

2022-05-27 05:27:00 | Weblog




   今日の「 お気に入り 」は 、インターネットのフリー百科事典「 ウィキペディア 」
  掲載の記事「 セルゲイ・ ラブロフ」。モスクワ生まれの 72歳 。
   ショイグ国防相 と共に 、テレビ・ニュースでお馴染み ロシアの ラブロフ外相 。
   ファースト・ネーム は 同じ セルゲイ 。
   ツッコミどころいっぱいの 職業外交官
  
  引用はじめ 。

  「 セルゲイ・ヴィクトロヴィチ・ラブロフ ( ロシア語 : Серге́й Ви́кторович Лавро́в 、
   ラテン文字表記の例 : Sergey Viktorovich Lavrov 、1950年3月21日 -  )は 、ロシア
   連邦の政治家 、外交官 。2004年3月より 外務大臣 を務めている 。他国の間では 、
   強硬な外交姿勢 を取ることで知られている 。

   来 歴
    1950年3月21日に ソビエト連邦のロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 の モスクワ
   に誕生する 。1972年に モスクワ国際関係大学 を卒業した後 、ソビエト連邦外務省
   に入省する 。同年に 駐スリランカ大使館 に勤務を命ぜられ 、1976年に 本省に戻っ
   て国際経済機関局 、1981年に ソビエト連邦国際連合代表部 に勤務し 、一等書記官
   となる 。1988年に 国際経済関係局副局長 、1990年に 国際機関・グローバル問題局
   長 を歴任した 。

    1991年8月のクーデター後も 外務省 に籍を置き 、1992年4月から1994年1月まで
   外務次官 を務める 。同年7月7日に 国際連合大使 に就任する 。

    2004年3月9日に 安全保障会議書記 に転出した イーゴリ・イワノフの後任 として
   外務大臣 に就任する 。一貫して 職業外交官 の道を 歩んできた点で 前任者と共通
   のキャリアを持つが 、
   その イワノフ が プリマコフの『 ユーラシア構想 』の後継者として ロシア連邦
   の国益の主張を強く打ち出す 一方で 、旧エリツィン・ファミリーとの関係も維持
   していた 政治的な人物 であった のに対して 、
   ラブロフは 政治色が弱く 、ロシアの外交は当時のプーチン大統領の主導が一層
   強化されると観測された


    2020年1月に発足した ミハイル・ミシュスティン内閣 でも留任し 、5代の内閣
   に渡って 外務大臣 を務めている 。

   外交姿勢
   日 本
    2007年6月2日に 外務大臣として初めて北方領土を視察した 。北方領土問題で
   日本に対して敵国条項を度々援用し 、『 我々は( 日本に )クリル諸島( 北方
   領土 )を渡さない 。平和条約( 締結 )を日本側にねだる事もしない 』などと
   常々 発言している


    なお 、2022年3月1日 、ウクライナ侵攻に伴う制裁の一環で 日本国政府より
   資産凍結の対象者に指定されている 。

   アメリカ合衆国
    2014年2月のクリミア危機以降アメリカを強く牽制する姿勢を見せている 。

   2022年の活動
    2022年2月24日に始まった ロシアによるウクライナ侵攻の収拾をめぐり 、
   翌3月10日には ウクライナのクレバ外相との間で侵攻後初の閣僚級会談を
   行ったが成果はなかった 。記者会見では 、前日のマリウポリにおける病院
   への爆撃をめぐり『 患者はいなかった 。病院は長年 、ウクライナ軍の極右
   のネオナチ部隊に占拠されていた 』と反論するなど 、一貫して ロシア側に
   非は無いとする立場を主張した


    2022年5月1日 、イタリアのテレビ局 Rete4 で放送された インタビューで 、
   ラブロフは『 ゼレンスキー大統領が ユダヤ人 であることは 、ウクライナが
   ナチスの要素を持っていることを否定しない 』とロシアによるウクライナ
   侵攻を正当化しつつ 、『 ヒトラーにもユダヤ人の血が流れていた 。最悪の
   反ユダヤ主義者の中にはユダヤ人がいる 』と付け加えた


    これに対して 、イスラエルは ロシア大使を召還し 、謝罪を要求 。ラビド
   外相は『 ラブロフ外相の発言は許し難く 、言語道断の主張であると同時に 、
   甚大な歴史誤認だ 』と発言を非難した 。両国は この問題について公に議論
   しないことで合意したが 、ロシア外務省は ラビド外相の発言に反発し『イス
   ラエル政府が 現在のウクライナのネオナチ政権を支持している理由を大部分
   で説明している 』『 日常生活や政治で 、反ユダヤ主義は止められておらず 、
   その反対に( ウクライナで )育っている 』などと主張 ]。このため 、ベネット
   首相は『 このような嘘は 、ユダヤ人に対して行われた歴史上最も恐ろしい犯罪
   をユダヤ人自身のせいにし 、それによって抑圧者をその責任から解放するため
   のものだ 』『 ホロコーストを政治的な打算で利用することは直ちに止めなけれ
   ばならない 』とロシア当局に対する明確な批判をした 。

    ゼレンスキー大統領は『 ロシアトップの外交官がナチスの罪をユダヤ人に押し
   付けている 。ロシア政府が 、第二次世界大戦のすべての教訓を忘れたか 、最初
   から学んでいなかったかだ 』とコメントしている 。

    5月2日には 世界ユダヤ人会議のロナルド・ローダー会長が『 いかなる正当かつ
   許容範囲内のレトリックも超えており 、嘆かわしく思 う。ウクライナのゼレン
   スキー大統領はもとより 、いかなるユダヤ人もヒトラーになぞらえることは青天
   の霹靂であり 、ユダヤ人を反ユダヤ主義者として非難することは 、最悪の反ユダ
   ヤ主義者やネオナチの思惑に食い込むものだ 』として 、ラブロフに発言の撤回を
   求めた 。

    5月3日には アメリカのブリンケン国務長官が 、ラビド外相の指摘は完璧であり
   『 このように卑劣で危険なレトリックに対して声を上げ 、クレムリンの悪質な
   攻撃に直面しているウクライナを支援することが 、世界には求められている 』
   とツイートした 。また 、問題発言が放送されたイタリアのドラギ首相は『 イタ
   リアにはロシアにはない表現の自由があり 、たとえ常軌を逸した意見であっても
   ラブロフがそれを表明する自由は認めている 』としながらも 、ヒトラーについ
   ての発言については『 ジャーナリスティックな観点からすると 、非常に良くない 』
   と述べたことが報じられた 。

    同日 、ユコス元CEOのレオニード・ネフズリンは 、大臣が反ユダヤ主義の発言を
   行ったロシアが戦争終了後に孤立し貧困に陥ることを予測 。歴史上で何度も起こっ
   たように『 ロシア社会がユダヤ人に責任を負わせる 』危険があるとして 、ロシア
   国内のユダヤ人に向けてロシアからの脱出を呼びかけている 。

    5月4日には ロシアのユダヤ人コミュニティ会長が インタビューに応じ『 ゼレンス
   キー大統領の出自や適切な保護と信心深さを必要とする第二次世界大戦の歴史への
   言及は 、世界の人々にとって未解決の傷であり 、国際社会に破壊的影響をもたらす 』
   として『 ラブロフが過ちを認めてユダヤ人に謝罪する 』ことで解決するのではないか
   と述べた 。

    5月5日 、プーチン大統領は イスラエルのベネット首相と電話会談し 、ラブロフの発言
   について謝罪
。ベネット首相は謝罪を受け入れたという 。ベネット首相の事務所が公表
   した 。

   人 物
   ロシア語 、英語 、フランス語 、ディベヒ語 、シンハラ語を話す

    ラブロフは熱心なスポーツマンである 。テレビでサッカー試合を見るのが好きで 、
   モスクワのクラブ、スパルタクの熱烈なファンである 。1971年に マリア・ラブロワ
   と結婚し 、娘1人と孫2人がいる 。娘のアカテリーナ・セルゲイヴナ・ラブロワは
   父が国連で働いていたときに 米国とロンドンで暮らしており 、コロンビア大学卒で
   ある 。2014年までニューヨークに滞在し 、ロシア国外での生活が長かったため 、
   ロシア語は流暢でない 。彼女は ロシアの実業家 アレクサンドル・ヴィノクロフと
   結婚している 。

    ラブロフは 2000年代初頭から スヴェトラーナ・ポリアコワ と愛人関係を持って
   いたとされる 。彼女の娘 、ポリーナ・コバレワ は2016年 、21歳の時にロンドン
   のエリート街ケンジントンのマンションを 440万ポンド で購入した 。彼女はイン
   ペリアル・カレッジ・ロンドンで 修士号 を取得している 。2022年3月25日 、英国
   政府は 2月末のロシアによるウクライナ侵攻に伴い 腐敗したロシア の 利益 に対する
   広範な制裁体制の一環として 、『 汚れた金 』の疑いで 彼女に制裁を科した
。 」

   引用おわり 。

   72歳の爺さんを評するに 「 熱心なスポーツマンである 」と言われましても 。
    同じ穴の 同志 たち 。わかりやすい人たち 。

   梅雨 間近 、池波正太郎 著 「 真田騒動 恩田木工 」読了 。
    プライムビデオで 映画「 浅田家 ! 」を視聴 、ちょびちょび見たが
   あわせて 2時間7分 楽しめた 。
    次は 、燃え殻 著「 それでも日々はつづくから 」を読む 。
   
     ( 筆者註 :ディベヒ語は 、モルディブ共和国の公用語 、話者数は およそ 30万人 。
          シンハラ語は 、スリランカの言語 、シンハラ語 と タミル語がスリランカ
          の公用語 。1972年から1976年まで 、駐スリランカ大使館 に勤務
          してた頃に勉強したんでしょうね 。 )






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