「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

安心・安堵  Long Good-bye 2023・01・11

2023-01-11 05:21:00 | Weblog



    今日の「 お気に入り 」 は 、伊集院静( 1950年〈 昭和25年 〉2月9日 -  )
   さんの随筆から スクラップ 。
   順不同 。備忘のため 。覚えては忘れ 、忘れては憶え 。

   「 人は病気や 、事故でこの世を去るのではないと
    私は思っている 。人は寿命で 、この世を去るの
    である 。人の死は 、生きているその人と二度と
    逢えないだけのことで 、それ以上でも 、以下で
    もない 。生きている当人には逢えないが 、その
    人は生き残った人たちの中で間違いなく生きてい
    る 。 」

   「 人間が生きるということは 、どこかで過ちを犯す
    ことが 、その人の意思とは別に起こるのである 。 」

   「 ―― 別離は慣れているのだろう 、オマエ 。 」

   「 『 あら伊集院さん 、たしか去年が歯でしたわね 、
    それで今年が目ですか 。じゃ来年は 』
     私は鮨屋の女将の顔を見返した 。
     『 ハ 、メ 、マラと言いたいのか 』
     『 ハ 、メ 、マラって何ですか ? 』
    かたわらの銀座のネエチャンが訊いた 。
     ―― オイオイ 、本当に知らないの ?
    どんどん日本語に死に絶える言語が出る 。 」

   「 親が亡くなってみて 、親が自分のことをどんなに大切に
    してくれていたかがわかる 。
     そうして時間が経つにつれ 、親がどれほどさまざまなこ
    とを自分にしてくれていたのかがわかって来る 。
     このことを大半の人は 、親を亡くしてから知るようにな
    る 。
     知れば知るほど 、有難みが湧いて来る一方で 、どうして
    あの時 、あんな言葉を親に口走ってしまったのか 、とか 、
    どうして亡くなる前に 、もう少し孝行ができなかったのか 、
    と悔むのが 、世の中の常なのである 。
     女性などは子供を産んで 、育てはじめると 、そこで母親
    がどれほど自分を大切にしてくれていたかを思い知る 。そ
    うして女性たちは思うのである 。
    ―― もっと母さんにやさしくしておけばよかった ・・・ 。
     私は 、その後悔に似た念を抱くことが 、実は大切なこと
    だと思う 。そこで初めて 、それまでは気付かなかったこと 、
    考えが及ばないこと知るのは 、人間として善きことに出逢
    ったことだと思う 。
    ―― ではなぜ ? そのことに気づかなかったのだろうか ?
     それは近くにいつも居てくれて 、なおかつ居ることが当た
    り前のように思えたからだ 。 」

   「 親でなくとも 、近しい存在の人に対して 、私たち
    は 、そこに居てくれることが当たり前に思えると 、
    その人の気持ちを考えようとしないし 、いちいちそう
    思わずとも 、居てくれるだけでよかったのだ。
     人間は迂闊な生きものではないのかと思うことがある 。
    安心 、安堵を抱ける人がそばに存在することが 、どれ
    ほど恵まれているのか 、その人にむけて敢えて思い起
    こすことがない 。だから安心 、安堵なのである 。 」





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