「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

ちょうか はんか Long Good-bye 2023・03・21

2023-03-21 05:06:00 | Weblog



  今日の「 お気に入り 」は 、其の上の山上憶良さんの長歌と反歌 。
  万葉集 第5巻にある「 貧窮問答歌 」でもお馴染みの歌人 。

    「 瓜食(は) めば 子ども思ほゆ
      栗食めば まして偲(しぬ) はゆ
      いづくより 来りしものそ
      まなかひに もとなかかりて
      安眠 (やすい) しなさぬ

     ( 山上憶良 万葉集 巻五 - 八〇二 )

   ( A poem of longing for children )
   ( A poem by Yamanoue no Okura )

   ( MAN'YOSHU Ⅴ: 802 )

   ” When I eat melons
    My children come to my mind;
    When I eat chestnuts
    The longing is even worse.
    Where do they come from,
    Flickering before my eyes,
    Making me helpless
    Incessantly night after night,
    Not letting me sleep in peace ? ”



  「 銀 (しろがね) も
    金 (くがね) も玉も
    なにせむに
    優 (まさ) れる宝
    子に及 (し) かめやも
 
   ( 山上憶良 万葉集 巻五 - 八〇三 )

  ( A poem by Yamanoue no Okura )
 
    ( MAN'YOSHU Ⅴ : 803 )

   ” What are they to me,
    Silver, or gold, or jewels ?
    How could they ever
    Equal the greater treasure
    That is a child ?. ”


  ( 出典 : 「 入江泰吉の詩情世界 万葉大和路 」 )


   ( ついでながらの
    筆者註 : ・「 『 万葉集 』は 、奈良時代の終わりごろに完成したとされる
          日本最古の和歌集 。7世紀後半から8世紀後半にかけて 、
          歌人の大伴家持( おおとものやかもち )が中心となって編纂
         ( へんさん )したといわれている 。全20巻 。
           ちなみに『 令和( れいわ )』という元号は 、『 万葉集 』の
          中の言葉から採られた 。 」
        ・「 山上 憶良 ( やまのうえのおくら ) は 、奈良時代初期の貴族・歌人 。
          名は 山於 億良 とも記される 。姓は臣 。官位は従五位下・筑前守 。
          経 歴
           大宝元年(701年)第八次遣唐使の少録に任ぜられ 、翌大宝2年(702年)
          唐に渡り 儒教や仏教など最新の学問を研鑽する( この時の冠位は無位 )。
           なお 、憶良が遣唐使に選ばれた理由として大宝の遣唐使の執節使である
          粟田真人が同族の憶良を引き立てたとする説がある 。和銅7年(714年)
          正六位下から従五位下に叙爵し 、霊亀2年(716年)伯耆守に任ぜられる 。
          養老5年(721年)佐為王・紀男人らと共に 、東宮・首皇子( のち聖武天皇 )
          の侍講として 、退朝の後に東宮に侍すよう命じられる 。
           神亀3年(726年)頃 筑前守に任ぜられ 任国に下向 。神亀5年(728年)
          頃までに 大宰帥として 大宰府に着任した 大伴旅人 と共に 、筑紫歌壇
          を形成した 。天平4年(732年)頃に 筑前守任期を終えて帰京 。天平5年
          (733年)6月に「 老身に病を重ね 、年を経て辛苦しみ 、また『 児等を
          思ふ歌』を 、また同じ頃に藤原八束が見舞いに遣わせた河辺東人に対して
          『 沈痾る時の歌 』を詠んでおり 、以降の和歌作品が伝わらないことから 、
          まもなく病死したとされる 。
           山上船主を憶良の子とする説がある 。」
        ・「 『 貧窮問答歌 』は 、『 ひんきゅうもんどうか 』と読み 、
          『 万葉集 』第5巻におさめられている長歌( ちょうか ) 。
           ちなみに 長歌とは 、五七を3回以上繰り返し 、最後は七で終わる
           和歌の形式 。反歌( はんか )とよばれる 短歌 を詠み添える 。」
         「 貧しい人( 貧者 )と 、さらに貧しい人( 生活に困窮している
          人:窮者 )が 、自分たちの貧しさを問答形式で述べあったもの
          で 、当時の農民の貧しさ 、苦しさが描かれている 。 」
          以上ウィキ情報ほか 。
          あをによし の時代から ずっと ずっと 格差社会 、未来永劫 。 )



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