「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

つれづれなるままに Long Good-bye 2024・01・31

2024-01-31 06:15:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、吉田兼好 の「 徒然草 」

 の 冒頭のくだり 。

 「 『 徒然草 』序段
    つれづれなるまゝに 、日くらし硯に向かひて 、
   心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく
   書き付くれば 、あやしうこそ物狂ほしけれ 。 」

 

   初めて読んだとき 、「 あやしうこそ物狂ほしけれ 」が

  何のことやら「 ちんぷんかんぷん 」だったことを思い出

  します 。

  「 古文 」については「 あんちょこ 」本を買いそろえて

  読みまくっていました 。 ( 若い人に「 あんちょこ 」って言っても通じない )

 

 ( ´_ゝ`)

 

 ( ついでながらの

   筆者註 : 「 『 徒然草 』( つれづれぐさ )は 、卜部兼好
       ( 兼好法師 、兼好 、吉田兼好 )が書いたと
       される随筆 。清少納言『 枕草子 』、鴨長明
       『 方丈記 』とならび 日本三大随筆の一つと
       評価されている 。 」

    「  作品の名にもとられる書き出しの『 つれづれ 』
     ( 徒然 )は『 やるべき事がなくて 、手持ち
     無沙汰なさま 』を意味する 。『 つれづれなり 』
     と『 よしなしごと 』や 、『 書き付く 』は先行
     する文学にも用いられている組合せであり 、作品
     および自己を卑下する謙遜の辞である 。  」

    「  兼好を作者とするのが僧・正徹( 後述 )以来 、
     定説になっている 。」

    「  序段を含めて 243段 から成る 。文体は和漢混
     淆文と 、仮名文字が中心の和文が混在している 。
     内容は多岐にわたり 、序段には『 つれづれなる
     ままに 』書いたと述べ 、その後の各段では 、
     兼好の思索や雑感 、逸話を長短様々 、順不同に
     語り 、隠者学に位置づけられる 。兼好が歌人 、
     古典学者 、能書家などであったことを反映して
     いるほか 、兼好が仁和寺がある双ヶ丘( ならび
     がおか )に居を構えたためか 、仁和寺に関する
     説話が多い 。また 、『 徒然草 』が伝える説話
     のなかには 、同時代の事件や人物について知る
     史料となる記述が散見され 、歴史史料としても
     広く利用されている 。中でも『 平家物語 』の
     作者に関する記述( 226段 )は現存する最古の
     物とされる 。 」

    「  現在は『 長年書き溜めてきた文章を 1349年頃
     にまとめた 』とする説が有力である 。」

    「 同時代の史料に『 徒然草 』への言及が伝わら
     ないことから 、『 執筆後約百年間は注目され
     なかった 』とされる 。室町中期に僧・正徹が
     注目し 、自ら書写した写本にこの作品を兼好
     法師のものとし 、兼好の略歴も合わせて記し
     ている 。これが正徹の弟子の歌人や連歌師た
     ちに波及し 、応仁の乱の時代に生きた彼らは 、
     『 無常観の文学 』という観点から『 徒然草 』
     に共感をよせた 。 」

    「 小林秀雄は『 徒然草 』という短いエッセイで 、
     兼好の『 物が見え過ぎる眼 』を指摘し 、本書を
     『 空前の批評家の魂が出現した文学史上の大きな
     事件 』と評価している 。」

     以上ウィキ情報 。 )

     ( ´_ゝ`)

 

     山田太一さんの随筆「夕暮れの時間に」に次のような

    記述がある 。「 方丈記 」を書いた 鴨長明さん のことを平安

    時代のお坊さんと言っておられるのだが 、鴨長明さん が出家

    したのは 、平安時代ではなく 、鎌倉時代になってからのこと

    であるらしい 。 同じく遁世者である「 徒然草 」の吉田兼好

    さんが 出家したのは 、鎌倉時代の次の南北朝時代になって

    からのことと思われる 。


    「 たしかに死んでしまえば万事が終りなのだから 、
     むなしいといえばすべてがむなしい 。なにかに執
     着するのは愚かといわれればその通り愚かである 。
      しかし 、どこに住んでも文句をいわれない土地の
     ある平安時代に 、お坊さんで 、家族もなく 、人
     ともつき合わず 、稼がなくても自給自足できる 、
     老境の近い人のいうことは割り引いて聞いた方が
     いいと思う 。お坊さんへの教訓としてはよく分る
     が 、俗人には無理があると思う 。死ぬことを考
     えたら 、たしかにむなしいことばかりだが 、す
     ぐ死ぬわけではない人間は 、そんな啓示で身を
     つつしんでいたら 、生きているうちから死んだ
     ようになってしまう 。
      大災害は 、ぎりぎり一番大切なものを教えてく
     れる 。生きているだけでありがたいとか 、絆が
     大事だとか 、たしかにそれは真実だが 、究極の
     真理だけで 、私たちは日々をいきいき生きてい
     けないのだと思う 。哀しいといえば哀しいが 、
     それが生きているということなのだと思う 。
            ( 多摩川新聞 2012年1月1日 ) 」

 

コメント
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